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■07



「先程は驚きましたよ、まさか鵬仙さんの身内の方だったなんて」
「そう、みたいですね。僕も今の今まで存じ上げませんでしたが」

 歩みを止めずにそう言いながら答える。

「それだと言うのに……本当に済みません。出会えたばかりなのに付き合わせてしまって……」
「いえいえ、僕も麗羽君に一言挨拶して置きたいと思っていましたので、そう畏まらないで下さい。それにアレで春蘭は中々の聞き上手でしてね。男の僕が居るよりも曹仁君の緊張が解れるでしょうし、丁度良いですよ」
「そう言って頂けると本当に助かります……」

 斗詩さんが申し訳無さそうに呟きながら、何度も頭を下げる。
 本当に気にして居ないのですが、斗詩さんが謝る事で幾分かでも心労を和らげれるならば宜しいかと、僕は出来るだけ柔らかく笑っているように努める事にした。
 事の内容は斗詩さんがここまで頭を下げるようなものでは無く、曹仁さんとの挨拶も一通り終えた後、戻ってくる様子が無い麗羽君と猪々子を不思議に思って周りを見渡すと、二人の行った先で団子を食しているのが見えたのだ。
 今現在は「これは戻ってこないでしょうね」と思える二人の雰囲気を察し、春蘭達に断りを入れて、肩を落としていた斗詩さんを慰めながら別れの挨拶をしに向かっている最中だ。

「本当に麗羽様は……」
「まぁまぁ、そう言わずに。僕としてもある意味都合が良かったですし」
「そうなんですか?」
「自分で言う事では無いですが、僕の顔は少々……ね?会話は空気が大事ですから、多少なりとも場が温まってから参加したい所でしたから」
「……意外と気にされていたんですね」
「この顔を如何こうしたいとは思いませんが、まぁ……それなりに」

 笑顔が引き攣るのを実感しながら小さく呟く。
 
「なんか意外ですね」
「……そうですかね?」

 そう言ってやんわりと笑みを浮かべる斗詩さんに見られ、妙に気恥ずかしく思い右手で顎を擦りながら気取られぬように答える。

「ええ、そうですよ」

 僕の言い方が面白かったのか、斗詩さんは笑みを濃くして口元を手で少し隠した。
 ――ああ、何かこう言う空気も良いなぁ。
 私の周りは如何にも『肉食』の方が多いので、斗詩さんのような『草食』な真綿のような「ほんわり」とした空気の方が居ないので、妙に和んでしまう。
 思わず「出来るなら、こんな子と付き合いたいわぁ」と、足元の覚束無い幼子の様に心がコロリと転がりそうになる。こう言った空気は反則だと思います。

「ちょっと、いつまで遅いですわよ二人とも!!それに斗詩さん、何をなさっているのッ!?」
「そうだそうだ!旦那ぁ〜、早く来ないとあたい一人で団子食っちまうぞ!?」
「ちょっ、猪々子さん!そうでは無いでしょ!?」

 快刀乱麻を断つが如く、たおやかな空気を一刀両断する二人の声。
 そんな麗羽君と猪々子の声を聞いて僕は苦笑を浮かべながら斗詩さんを見ると、目尻を下げて『呆れ』とも『悲しみ』とも何とも表現しがたい表情を浮かべながら、哀愁を漂わせる鳴き声を洩らしていた。相変わらず苦労されています。
 斗詩さんも諦めて「あの二人はそう言う『人種』だ」と思って付き合えば良いのでしょうが、それが出来ないからこその抑え役なのでしょう。

「やぁ、御二人とも。御待たせしてしまいましたかな?」

 そんな事をつらつらと考えて居るうちに、あっさりと茶屋に着きました。
 とは言え元々離れた距離では無かったですし、至極当然の事なのですがね。

「相変わらず『のほほん』とされた方ですわね。随分と足取りが遅かったではありませんか、待ちくたびれましたわよ」
「そうだぞ、斗詩!あんまり遅いから団子全部食べ終わったぞ」
「もう『そうだぞ!』じゃないよ、文ちゃん!麗羽様も――」
「まぁまぁ斗詩さん、僕は気にして居ませんから気になさらないで下さい。そんなに眉根を寄せては勿体無いですよ」
「鵬仙さんまで……」

 吊り上げていた眉を、今度は下げながら僕を見詰めてくる斗詩さん。
 その後ろで妙に勝ち誇る麗羽君と猪々子。そして、この顔。
 二人が何故に胸を張っているのかは理解出来ませんが、麗羽君達ですしね。
 何とも便利な言葉ですが簡潔として明瞭、情報伝達を目的としているのであれば、実に優れた言い回しだと自負しています。

「……旦那」
「ん?」

 美しき予定調和を見て妙な納得をしていると、いつの間にか近寄ってきた猪々子が小声で話し掛けて来た。

「さっきのは、もう少し上手くやっても良かったんじゃないっすか?」
「……さっきの、と言いますと?」
「ほら、眉毛が如何のって奴ですよ。そこは「それじゃ可愛い顔が台無しだゼ」ぐらい言うもんだぜ、旦那」
「いや、まぁ……次回からは善処します?」
「何で疑問系なんだよ」
「何でって言われましても……ねぇ?」
「たっく……旦那に塩送るのもこれが最後だかんな」

 何度も耳にした御決まりの言葉を残して、猪々子は麗羽君達との会話に極自然に混ざっていく。
 僕は外人のように肩を竦めて、息を小さく零した。
 何を考えて居るのか相変わらず猪々子の意図が読めませんね。斗詩さんに対して僕に如何せよと言うんですかね、本当に。猪々子の言葉通りに僕が斗詩さんに言っていたとしたら、それはそれで言われそうな気もします。

 もっとも、僕では先程の期待に応えるのは少々難易度が高いので、猪々子には当分は言われそうです。僕には小説や漫画の主人公のように平素で何気無く相手を褒めるような高等技術を持ち合わせている訳ではありませんからね。
 いや、確かに頭で「そう言えば好感度が上がるかな?」と考えはしますが、実際に口にするのは流石に恥かしいものです。

 基本的に自分は他人にモノを教える際は『褒めて伸ばす派』ですので、他人を褒めて持ち上げたり、人柄や感心事を口に出すのは慣れている筈なのです、如何しても『可愛い』や『美人』と言った単語を織り交ぜようとすると途端に喉元で言葉が止まってしまいます。
 実に不思議なものです。
 単純に女性に対しての経験が不足していると言う感が否めなくも無いですが、明言は避けたい所。
 
「全く、貴女達は何時も何時も――」
「麗羽様ぁ……それはあんまりですよ」
「ん、斗詩如何した?また姫が無茶な事を言い出したのか?」

 三人寄れば姦しいとは良く言ったもので、目の前で絶え間なく言葉の応酬が繰り広げられています。
 何と言うか、華琳と春蘭、秋蘭の三人で盛り上がっている時に感じる疎外感に良く似ています。完全に僕は蚊帳の外と言った所です。

「然し……先程も言いましたが、御三方が相も変わらぬようで安心しましたよ」

 懐かしさが、じわりと胸に広がる。
 ――年々歳々、花相似たり。歳々年々、人同じからず。
 人は変わり、時は過ぎ往く。それは必然であり理であり、抗う事の出来ない宿命である。
 そう解っていながらも、人間は何処かで幾星霜年月を重ねても変わらないで欲しい物が数えられる程度には存在します。
 僕にとって、この三人の遣り取りはそうであって欲しいものの一つです。

「その言い方は好きではありませんは、鵬仙さん。私は常に移り往く花々の様に優雅に進んでおりますわ」
「……ほぉ?」

 僕の方へ振り返りながら麗羽君は自信の色濃く、笑みを浮かべた。
 その笑みに既視感と言うべきか――何故か、華琳の顔が思い出されました。それ程までに、今の麗羽君は自然と『風格』と言うものを身に纏っていた。

「その証拠に鵬仙さんとの約束通り『仕方なく』皆さんの意見を聞くようにしておりますの。もっとも容顔美麗、頭脳明晰と天に二物も、三物と与えられている私のように優美でかつ華麗な立案は見受けられませんが」
「は、はっは……」

 昔と一寸たりとも変わらない回山倒海(かいざんとうかい)を地で行く、言葉選びに苦笑が零れます。

「とは言え、皆さんの美しさの欠片も無い意見でも、少しは見所があると言う事は認めますわ」
「――」
「鵬仙さんの声が耳から離れなく為る程に聞かされました『意なく、必なく、固なく、我なし』の言葉……確かに、私にはほんの僅かではありますが足りない言葉でしたわね。もっとも、私は大天才ですから言われずにも直ぐ気が付いたでしょうが、ほんの、ほんの僅差では御座いますが気付かせた事――感謝していますわよ、先生」

 少し照れ臭そうに、目線を外してはにかむ様な笑み。
 それは自然な、極々自然な笑みでした。
 言葉を換えれば、極上の笑みでもありました。

「それは……照れますな」

 普段は英傑や将としての鎧で武装している女性が、ふとした瞬間に女性としての仕種を見せる時――正直、卑怯です。
 そんなのを見せられたら、魅入るに決まっているじゃないですか。
 誰に弁解する訳でもありませんが言い訳がましく心中で呟き、気取られないように首筋を右手で『ぺちぺち』と軽く叩く。少しだけ、熱を帯びているのを感じます。

「おーほっほっほ!生娘では御座いませんし、鵬仙さんも意外と可愛い所がおありですのね」
「……大人をからかうもんじゃありませんよ」

 気持ち良さ気に高笑いをする麗羽君に何を言っても無駄と解りながら、ついつい言ってしまう。
 然し全く――あぁ、本当に気恥ずかしい。

「全く……旦那とあろうものが姫の言葉を鵜呑みにしたら駄目だぜ」
「え?」

 悪戯を企んでいる子供のような笑みを浮かべながら猪々子が面白げに近付いてきた。
 常々の疑問なのだが、何時も猪々子が何かを僕に言ってくる時の距離は近すぎじゃなかろうか。いや、嫌では無いのですがね。

「姫、最近は面倒な書類だと解ったら直ぐに斗詩や虎落に「華麗にお任せしますわ」とか言って丸投げするんだぜ?」
「よ、余計な事を言うのではありませんわ、猪々子さんッ!?」

 先程までの態度は何処へやら、挙動不審に眼を忙しなく動かす姿からは僅かばかりの余裕も感じられない。その姿を見て、妙に安心してしまった。
 急に成長して大人な女性になった麗羽君も良いですが、昔と変わらず何かと詰めの甘い麗羽君も個人的には安心します。
 こっちの都合も考えずに成長されると、色々と戸惑いますしね。こう言う気持ちは何と言うんですかね、『手の掛かる子程可愛い』と言う奴なのでしょうか。

「そのせいで斗詩との甘〜い時間が少なくなったんだから、少し位は言わせて下さいよ。斗詩だってあたいと一緒で寂しいんだろ?」
「えっと……確かに大変だけど、私は麗羽さまが頼ってくれる様になって嬉しい……かな?」
「え゛っ!?」

 流石は袁家の良心と言われる斗詩さん。
 何時如何なる時でも、主を立てる事を忘れない。その姿に痺れます、憧れます。
 
 こう言った場合、大概は諂諛(てんゆ)――媚び諂った言葉だが、斗詩さんの場合は本心から思っているのでしょう。
 人の判断よりも自分の判断が正しい。明確な根拠無く、それが当たり前だと考えていたのが当時の麗羽君であり、その為に全ての最終的な決定は麗羽君が決めていました。
 頭が悪く無いとは言え、知識や実情を知らずに自分の価値観だけ決めるのだから性質が悪い。おまけに他人の意見に聞く耳を持ちません。
 幾ら進言をして、その幾つかを改善出来たとしても、大きなうねりは止められないでしょう。
 
 然し、今はその場が改善されたのです。
 面倒な書類と言うのはそれだけ、専門的な知識が必要な場合が多い――つまりは文官の領分であります。
 今までは無茶な指針を立てられて居たのが無くなり、自身の力を存分に発揮出来る場が与えられ、それに対して今までの様に事細かに口出してきた主が何も言わずに、確認だけをして判を押してくれるのです。

 改善された計画、整理された文章の書類を確認ならば、麗羽君は間違った判断を下しはしない。人格は兎も角、君主としては基本的に民の事を考え、公平であるから大丈夫でしょう。
 文官を統括する立場の一人には、きっと虎落さんが居るのだろうから、大きく私利私欲に走るような人間を見逃しはしないでしょう。彼女は目端が利くので、本当に小さな穴は多少目を瞑るが、大きな穴は広がる前に閉じている筈です。
 その下で働くのは窮屈だった状態から脱却して、大きく腕を振るう事が出来るようになった文官達。今までとは打って変って主君からは信頼されて、民の為にと全力を尽くせる事に喜びを感じているでしょう。全員が全員とは言わないが、そうでない者は淘汰されて行くのが眼に見えます。

 そして、麗羽君と虎落さん達の間を緩和剤として、両者の情報を円滑に伝達する為に奔走するのが斗詩さんなのでしょう。
 忠誠心の厚い斗詩さんの事だから、その忙しさの中に掛け替えの無い『遣り甲斐』と言うのを見出している筈です。

 ――と言う、僕の考えた『凄く強い河北の名家』の一部。
 あくまでも勝手な妄想ですが、意外と過不足の無い妥当な所かと思います。

「聞きまして!聞きまして、鵬仙さん!?これが私の神懸った人材運用の妙手の結果ですわよ!それにしても斗詩さんの言葉、素晴らしい心掛けですわね。後でたっぷりと褒めて差し上げますわ。そして解りまして、これが人徳と言う物ですわよ猪々子さん?それに比べて貴女は――」
「ちょ、と、斗詩の裏切り者ーッ!!」

 勝ち誇った笑みから一転、思わぬ斗詩さんの発言に肩を落とす猪々子。
 それとは逆に即座に姿勢を建て直し、満面の笑みで誇らしげに胸を張る麗羽君。
 その二人の様子は綺麗な弧を描く反比例のグラフを表してるようで、数学の教科書で使われても問題が無いまでに見ていて解り易い。

「妙手か如何かは解りませんが、上手く人を用いているようですね。優秀で信頼出来る人材には仕事を任せるのが一番ですよ。そしてしっかりと評価してあげる事。そうすれば部下は上の期待に応えようとより一層頑張り、上は今まで着手できなかった違う事へ手を伸ばす事が出来る。良い環境ですね、やはり人材は力ですよ」

 きっと麗羽君のような方法を華琳には出来ないでしょう。
 それはどちらが『優れている方法』と言う訳ではなく、どちらも正しい。

「麗羽君はやはり才能があります、他者に『慕われる』と言う掛け替えの無い才能が。今の麗羽君は他人の意見に耳を傾ける事によって、その才能を最大限に活用していると言えます――これからも現状で満足せずに精進されて下さい」

 教え子の成長に意識せず笑みが浮んでいました。
 そんな僕の顔を見ながら、麗羽君も笑みを浮かべる。但し、質の異なる呆れと言われるものでした。

「先程「相変わらず」と言いましたけど、そっくりそのままお返ししますわ。その説教じみた物言いは相変わらずですわね」
「あ〜、これは済みません。僕の悪い癖ですね」
「そう言った言葉を聞いていると昔を思い出しますわね『講釈垂れさせて頂きます』――懐かしいですわね、ねぇ『先生』?」
「……先生は辞めて下さいよ。あの当時は、何を思って色々と言っていたのやら」

 今にして考えると中々如何して、手痛い言葉です。
「授業を始めます」だと面白味が無いと思って毎回自分が言っていた言葉、この世界に来て人生二度目の『中二病』に掛かっていただけあって、耳が痛い。
 当時の僕は気に入ったのだから、年齢の魔力と言うのは侮りがたいものです。

「そう、先生と呼んでいた頃から――昔から肝心な所で私の事をちっとも理解して下さらない……」

 僕が当時の言動に対して、左眼を閉じて眉根を顰めて苦悶の表情を浮かべていると、何処か遠くを見ながら麗羽君は小さく呟いた。
 その囁きは芝居じみた普段の言動とは異なり、耳にするりと落ちていく。

「……先程、現状に満足せずと言われましたけども、私は一度も現状に満足した事など御座いませんわ」
「……」

 何と声を落とせばいいのやら。
 如何にもこうにも『落とし所』が難しい。
 言葉にするのが難しく、私は静寂を持って答えるしか術がありません。

「やはり、意外そうな顔をされてますのね」
「まぁ、麗羽君の口からその様な言葉を聞くとは思いませんでしたからね……」

 右眉を器用に上げながら覗き見る姿は如何にも普段の『それ』と結び付きません。
 とは言え心の持ち様を誤魔化す等と言う、巧まざる演技が出来るとも思えません。
 だからこそ、この危うさの残る底意の無い態度が目先を掠めます。
 掛け無しに言えば――心当たりが無い訳では無いですのですがね。

「それは心外ですわね」
「……心外ですか」
「ええ、そうですわ。だって先生は、まだ私の物になっておりませんもの」

 自身で靄を掛け、霞めて居たものがはっきりと輪郭を帯びる。
 ふと、夢路を彷徨い垣間見たと思っていた、あの艶やかな笑みが鮮明に蘇り、目の前の麗羽君と違わずに重なり合う。

「あぁ……」

 麗羽君の態度を見れば、人の機微に疎いとは言え慕われている事は知っていました。
 もっとも、最初は教師として敬慕の念を向けられていました。
 そして教師と生徒の関係が終わり、麗羽君が年月を重ねて成長し、何時しかそれが恋慕の念に変わっていました。
 何と無くではあるが、態度を見ればその事を察する事が出来ました。
 けれども僕には様々な内外問わずの要因が有り、気が付かぬ振りをしていました。
 端的に言えば、変わらぬ関係で居たかったのです。

「宴の晩に麗羽君が夢枕に立っていたのかと思っていましたが……とんだ思い違いをしていたようですね」

 そう言った心理があの時の邂逅を――酒の水面から浮んで形となった『御伽話』だと思い込んでいた。
 ――然し、如何やら、僕は、告白、されていたようだ、如何やら。
 僕の意無く、好む、好まざるに関わらずではありますが。





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