■ 小説(SS)TOP ■



■06



 袁紹と曹操。
 この二人の名を並べれば、僕が麗羽君と古くからの付き合いである事は解って頂けるでしょう。
 史実では同じ門下であったように、華琳も一時期は麗羽君と共に勉学を学んでいました。
 そこから紆余曲折があり、何の因果か解らないが巡り巡って僕に華琳の先生役と言う御鉢が回ってきた訳なのだが、間接的に言えばそれが僕と麗羽君と知り合う切っ掛けになったと言えましょう。

 当時、華琳は全く麗羽君の事を相手にしていませんでした。
 今でも相手にして居るとは言い難いですが、僕と麗羽君が縁を未だに結んでいるので昔よりは意識しているようです。少々己惚れてかも知れませんけど。
 僕としては「麗羽君と華琳が良き友人になってくれれば」と、人知れずに思っていますが悲しい事に二人の性格を考えると、それは極めて難しい事だと十二分に理解しているので、具体的に何か行動を起した訳では無いのですが、行動を起こしても史実的に考えても、演義的に考えても叶わぬ夢でしょう。

 先程「華琳は麗羽君の事を相手にして居ない」と言いましたが、だからと言って華琳は麗羽君の力を低く見ている訳ではありません。
 正確に言えば麗羽君自身ではなく『袁家』を見ていたのですが――当時から袁家の勢いは『凄い』の一言で、流石に敵に回すような馬鹿な真似はしませんでした。
 もっとも「媚びぬ、靡かぬ、諂わぬ」を地で行く華琳は、相手が誰であろうと態度を変えませんでしたので、麗羽君が一方的に対抗意識を燃やす結果となったのでしょう。
 それだけではなく、性格や趣味趣向が近いと言う面もあったのでしょう。
 そんな意識をして居た華琳が、躊躇無く辞めた理由を調べるうちに僕に行き着いたのは当然の流れでありました。
 
 あの華琳の兄であり、唯一教鞭を振るう事を許された人物。
 そして何よりも『男』であったと言うのが大きかったかも知れません。
 
 実情が違うとは言え、客観的に見ればそう見えたようです。
 それは普段の華琳を知る麗羽君からすると、天外魔境に等しい光景のようで酷い衝撃を受けたそうな。
 その後、何を思ったのか態々『圧力』やら『行動力』を駆使して、何故か麗羽君に対しても教鞭を振るう事になりました。詳しい事情は忘れたが、流石は麗羽君と言えましょう。

 麗羽君が河北の方へ移るまでの間だったので一年前後と短い期間でしたが、その後も良縁が続いています。何度か袁家の御宅に足を運んでいる程です。
 合縁奇縁と言えば格好が付くのでしょうが、未だに僕の何を気に入ってくれたのかは、とんと解りませんが何故か慕って貰えています。
 もしかしたら、振り回されている事に慣れている性格が功を奏したのかも知れません。
 または麗羽君に対して僕が教えた事が、他の教師の方々は違ったのが良かったのかも知れません。

 珍妙な美意識が先行し過ぎて突拍子も無い発想や行動に出ますが、あれで中々頭が良く、教師陣も優秀な方が多いので特別に教えるような事など無かったので、僕は一つだけを徹底して教えました。

 それは人を使う事の有用性。
 上に立つ人間には二つの種類があります。
 率いる王か、用いる王か。
 華琳は前者ですが、麗羽君は後者でしょう。
 人の意見に耳を傾ける事が出来なかった――それが史実での袁紹の最大の敗因と言えます。そして残念な事に、麗羽君に妙な魅力がある事を認めつつも、このままの性格では人の進言を受け入れない事が予想出来たので、僕はその一点のみを説きました。
 その甲斐あってか「以前よりも私達の意見に耳を傾けて、真剣に検討して取り入れて下さるようになった」と顔良さんを筆頭に、袁家の家臣の方々に随分と感謝されたのを覚えています。
 
 相手が違えば教え方や話法は異なるので、華琳と同じ様にとは行きませんが、時には褒め、時には叱り、僕なりに真剣に教えたつもりです。
 それが将来的に見て、それが華琳の覇道に大きな壁として立ち塞がるかも知れませんでしたが、教えるべき事が解っているのに教えないと言うのは、僕の矜持が許しませんでした。
 
「ちょっと、斗詩さんッ!!何で今日はもっと豪華な服を用意しなかったのですのッ!?」
「そんなぁ〜……無茶苦茶ですよぉ〜」

 ――まぁ、それ以外の性格は全く変りませんでしたがねぇ。
 そんな昔の事を思い出しながら、昔と変わらない麗羽君と斗詩さんのやり取りを見て笑みを零す。

「……」

 内心「はてさて、そろそろ話の落し所を見つけねばいけませんかね」と言葉を零しながら、右手で頬を掻く。
 いつもと違い隣ではなく、控えるように僕の背後に立つ春蘭は、目を瞑りながら直立不動のまま無言を貫いています。
 僕や華琳が麗羽君と話している時は、いつもの躍動ある雰囲気は鳴りを潜め、声を掛けても戛然(かつぜん)とした響きしか返ってきません。

 それは普段通りにしていては、私や華琳に迷惑が掛かると解っているからこその行動。
 仕える者が無闇に会話に口を挟むと言う事もそうですが、こうして不動明王像のようにしていなければ、相手の物言いに怒り、抜刀令を発動してしまいそうになるからでしょう。
 もっとも、何だかんだ春蘭も、麗羽君の根っ子は悪い娘では無い事を理解しているのかも知れない――と言う希望観測。
 兎にも角にも、僕には勿体無いぐらいも春蘭は良く出来た娘さんですね。

「チョイと済みませんね」

 なるべく自然な動作で右手を動かし、場の視線を集める。

「して――話の腰を折りますが斗詩さん、今日は如何なされたんですかね?」
「ちょっと鵬仙さん!?何故、私に御聞きになりませんの!?」
「はっはっは、何故でしょうかね、不思議な事もあるものですねぇ。……で、如何されたんです、斗詩さん」
「なっ!この私を無視するとッ――」
「えー……麗羽様がその……は、はは……」

 騒ぎ始めた麗羽君を、風に吹かれる柳のように往なしながら斗詩さんに問い掛けると、乾いた笑みを浮かべたまま言葉を濁す。
 何か不味い事を聞いてしまったでしょうか。
 普段ならば麗羽君が騒いで居ようが、取り合えず答えてくれるのですがね――と思った瞬間。

「私の下着を買いに来たのですわ」
「――」
「――」

 公共の場で男性が女性陣に囲まれて聞くには不適切な発言が聞こえた気がするが間違いでしょう。場の空気が凍った気がしないでも無いが、気にしたら負けです。

「高貴な私の魅力を最大限に引き出すには、最高の素材と最大の美を兼ね備えた黒の下着が良いと思いま――」
「れ、麗羽様、落ち着いてッ!」
「ちょ、猪々子さん!?な、何をなさいまむがっ――!?」

 先程まで面白げにニヤニヤと笑いながら傍観して居た猪々子が、麗羽君の御乱心に慌てて口を押さえつけながら、道の奥へと引っ張って行った。
 取り押さえられた、と言えば良いのでしょうか。
 それとも助かった、と言えば良いのでしょうか。判断に悩む所です。

「――」
「――」
「その……麗羽様が言った事は忘れてあげて下さい……」
「いや、まぁ……斗詩さんも相変わらずなご様子で……」
「そんな、私よりも虎落(もがり)さんの方が……」
「そう……ですか」

 恥かしげに俯きながら、蚊が鳴くような小さな声で呟く斗詩さんと、遠く河北の地で今日も今日とて怜悧な表情を崩さず、気苦労を溜め込んで胃を抑えながら職務に励んでいるであろう虎落(もがり)さん、この両名に涙が零れそうになる。
 虎落さんとは、姓は田(でん)、名は豊(ほう)。字は元皓(げんこう)と言う。白い肌と眼鏡が特徴的な、表情の変化が無い鋭い顔立ちで、言葉も実直で冷たい印象を覚える袁家で軍師をされている美女である
 と、それだけを聞くと取っ付き難い冷たい印象を覚えるのだが、例に洩れず外側が硬いと内側が繊細であり、常に無表情でありながら、気苦労のせいか頻繁に胃を抑えて蹲っている。
 その姿が妙に加護欲をくすぐられ、外と内の『チグハグ』な所が魅力的で親しみ易い印象を覚える。僕もその普段の凛々しい姿と、内側の繊細さとのギャップに胸ときめいた口だ。話して見ると楽しい方で、今では懇意にさせて頂いています。

 田豊――三国志でも有能とされる軍師であり、前世では僕の好きな人物の一人だった。
 その生涯から良く『悲劇の軍師』と言われているが、その忠臣と言うべき心の在り方が僕は気に入っていた。
 どれ程に有能かと言えば、名士を数多く抱える麗羽君の陣営から『軍師』として選ばれたと言う事実からも、その能力の高さが窺い知れるでしょう。
 人によっては袁家の『至宝』と比喩する方も居たほどです。

 現在、その忠義心と有能さ故に、余計な苦労まで背負い込んでいるのですが。
 そんな田豊も史実では袁紹に処刑されてしまうのですが、是が非でも何とかしたいものです。
 無表情で冷たさの残る容姿のせいで誤解されますが、彼女は優秀と言う点に以上に、敬愛すべき御人好しの苦労人です。そんな人が、処刑と言う形で生涯を終えるのは、僕は納得できません。

 今の麗羽君ならば進言にも耳を貸すでしょうし、処刑と言う事は無いとは思いたいのですが――この世界が史実や演義に何処まで影響されているかが問題です。

 そう言った意味では、麗羽君の腕次第なのでしょう。
 個人的には麗羽君――袁紹は能力的には悪く無いと言うのが僕の見解。
 演義やらでは悪く書かれる事が多いですが、それらは官渡の敗戦が響いて、創作などで悪く書かれ過ぎていると思う訳です。
 確かに、時に行う采配ミスや、『後継者』『派閥争い』の詰めの甘さ等、歳を重ねてから駄目になった部分はあります。が、史実では野戦攻城を得意して持ち前の魅力で部下にも民衆にも慕われた、曹操にとっての『好敵手』と言う評価を僕は推したい所。
 河北の人々は晋の時代にまで袁紹の善政を慕い、河北の土地を治める事に随分と曹操が苦労したと言う話を聞けば、統治者としての有能さは疑う余地は無いでしょう。大陸全域となれば如何かは解りませんが、少なくとも河北と限定したならば。
 僕の知る袁紹に関する面白い言葉に「彼の最大の不幸は官渡の敗北ではなく、後継ぎに恵まれなかった事」とありまして、意外と説得力があると思っています。

 そう言う事を知って居るから、と言う訳ではありませんが、麗羽君と良い御付き合い出来た事にも影響しているかも知れません。
 噂では河北の方は、麗羽君自身の力――と言う線は薄いですが、カリスマと言うのも実力でしょうし、斗詩さんや虎落さんを筆頭に頑張っている方々の影響で、善政を敷いているらしいです。
 他国からの評価は於いて置いて、自営では妙に慕われている点だけは史実からの授かりモノじゃなかろうか。魅力チートと言う奴です。

 ――云々、等と現実逃避をして見ても、何とも言えない微妙な空気は消えません。
 自分達の主人が公共の場で『下着』と連呼したのですから、相手も気まずくもなりますでしょうし、こちらとしても戸惑いが拭えないです。
 とは言え、この状況を放置する訳にも行きません。
 麗羽君と猪々子は一寸退場しましたが、直ぐに戻ってくるでしょうし、その間にこの空気を如何にかせねば。
 
 そう思って周りを見渡しながら、そう言えば誰かが居たなと思い出す。
 そこで始めて、場の流れに着いて行けずに呆けている可愛らしいお嬢さんの存在が眼に留まった。

 ――その瞬間、胸に込み上げてきたのは望郷の念だった。

 何がそうさせたのか僕は直ぐに理解した。
 愛嬌のある顔立ちか、くるくると回る大きな瞳か。
 ならば、紅い――熱を孕んだかのように紅い髪か。
 確かに『美しく燃える森』と表現するよりは『たおやかに熔解する金属』と表現した方が適切な紅髪は眼を惹く。

 然し、そうじゃない。それではないのです。

 故郷を、遠い昔に置いて来た筈の故郷を思い出させたのは少女の服装です。
 絵羽模様の朱色のお召に紺色の袴、襷掛けで両腕を捲くり上げた姿は、それだけで溌剌とした元気の良い印象を受ける。
 淡い桜色のリボンで、腰に掛かる長い髪を結んでいる。

 僕の時代よりも昔の『大正時代』のお転婆な女学生と言った服装だが、それでも日本を思い起こすには充分でした。
 目頭が熱くなる訳でもない。
 膝から崩れそうになる訳でもない。
 ただただ、本当に懐かしく思えたのです。

「……鵬仙さん?」
「あ――はいはい、如何しました?」
「如何と言うか……随分とぼんやりされていたので」
「はっはは、済みませんね。入れ代わり、立ち代わりの状況に頭を回してまして」
「……はぁ」

 可愛く首を傾げて、いまいち納得しきれていない斗詩さんに言葉を濁しながら右手で顎を擦りながら、苦笑を浮かべる。
 いかんいかん、ちょいとばかし心をやり過ぎたようだ。
 勘の良い春蘭は僕の様子に何かを感じたのか、背中に強い視線を送ってきているのが解った。
 やましい事は何も無いが、追求されても難しい話ですし、ここは話の流れを巧く反らしましょう。

「そう言えば斗詩さん。話の輪に迎えるのを失念していましたが、こちらのお嬢さんは御知り合いで?」
「あ、っはい!えっとですね、こちらの方が道に迷っていたので案内していまして」
「え、あ……は、はいっ!そ、そうなんです!私がこのご店に御用がありまして――!」

 急に話を振られた為に驚いたようで、全身を使って慌て始めた。
 今まで思考が脳から飛び出て散歩していたのだろう。
 何と無くその動きは、可愛らしい感じの小さな草食動物ちっくな雰囲気を思わせます。

「……ビクビク」

 驚いたのは解るが、妙に警戒過ぎやしないでしょうか。
 いや、警戒と言うよりは――怖がっている、かな。
 そして、その視線の先を察するに僕を見ているようです。
 斗詩さんと二三言を交えながら横目で僕を窺ってくるお嬢さんに意識を向けつつ、小声で春蘭に尋ねる。
 と言うか口で「ビクビク」と呟くとか解り易過ぎるでしょう。

「春蘭……」
「ん、何でしょう?」
「僕、やっぱり変な顔してますかね?」
「そんなッ!?鵬仙殿は凛々しいお顔立ちですよ。特に鷹や蛇のように鋭い目許が――」
「いや……その、うん、解ったよ。ありがとう」

 僕に対して言葉を言い足りたりなさそうな春蘭に礼を言いながら、思わず肩を落とした。
 内心「ですよねー」と明るく思いながらも、少々落ち込んでしまう。
 春蘭の眼には独自の色眼鏡が搭載されているので、過大評価で返事が返ってきますが、内容としては自分の想像通りのものでした。

 華琳を見れば解る通り、僕の家系は歳を重ねるごとに顔立ちが随分と凛々しくなります。
 言葉を変えれば『美形』と言っても良いでしょう。
 例外を言えば父で柔和な顔立ちではありますが、あれはあれで美形の範疇です。
 なのだが、大変に悲しい事に如何にも僕だけがその範疇から外れてしまった。
 その事実に何度「神様の糞ったれ。いつか、尻の穴を溶接してやる」と思った事か。
 
 別に不細工と言う訳ではありません。
 だが、何と言うかそう――怖いのです。目付き等が鋭過ぎて。
 背が高い事もそれに拍車を掛けているかも知れません。身長差の都合上、相手に見下しているとか、威圧感とかの印象を与えていると推測出来ます。

 前世では童顔な方だったので、鋭く怖い顔付きになった事に対しては多少嬉しいとは思うのですが、限度と言うものがありましょう。
 僕が自身の顔を見ても「堅気と言う顔じゃないわな。策謀とか凄くしてそう」と思うほどなので、例外無く初対面の相手には『怖い』と言う印象を与えてしまい、如何にも良くない。
 赤子の僕を見て、何が「目元が似とる」だ、父上よ。
 全く異質では御座いませんか、おい。

 恨み辛みを交えてしまいましたが、今回もそのパターンでしょう。
 顔の事は仕方が無いので、これ以上の悪印象を与えぬように手を打ちましょう。
 僕は出来るだけ物腰を柔らかくしながら、お嬢さんの前に立ち、落ち着いた口調で話し掛ける事にした。勿論、細心の注意を払う。
 それにもしも僕の考えが正しければ――長い付き合いになる相手かも知れないですし。

「それでは、随分と遅い挨拶となりましたが自己紹介を。僕の名は姓は曹、名は僑、字は玄徳と言います」
「――えっ!?」

 僕の言葉に大きな眼をますます大きくして、全身を使って驚く少女。
 読み外れ無し。気が付くのが遅くはなりましたが、やはり予想通りでしたか。
 いや、服装に関しては予想外でしたが、この世界は特殊ですからね、有りと言えば有りなのでしょう。

「む、もしや貴さ――いや、貴女(あなた)が曹仁か?」

 一応『曹』の名が付く、僕や華琳の親戚筋。
 多少は言葉に気を付けたようですね。
 偉いぞ、春蘭。流石は、やれば出来る筆頭です。

「あ、よ、良く御存知で」
「なんとッ!?」
 
 こちらも負けずに皿のように眼を丸くしながら、春蘭は心底驚いたように声を出す。
 いや、驚く事では無いでしょうさ。

「――」

 春蘭『らしい』言葉に小さく笑いながら、曹仁さんの方へ向くと、小さな掌に何やら書き込んで、それを飲むような動作を繰り返していた。
 あまりに微笑ましい光景に笑みを濃くしていると、意を決した様に大きく息を吸い込んで、僕と春蘭に真正面から向き直る。

「わ、私は姓は曹、名は仁、字は子考と言いますッ!御話は伝わっているかと思いますが、今日より御世話になりますッ!――宜しく御願い致しますッ!!」

 そう言って緊張しながら浮かべた、明るい満面の笑顔。
 それを見た時に僕は確信していたのかも知れない――このお嬢さんとは、随分と長い付き合いになるのでしょうね、と。





前へ << 小説(SS)TOP >> 次へ