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■02



 ――人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である。
 ソクラテスかパスカルかは忘れたが、実に薀蓄の含まれた言葉です。
 その言葉を、僕はしみじみと噛み締める。
 本質を理解して居るかと聞かれると返答に困りますが、若い僕には胸に込み上げるものがある。中身が既に三十代を過ぎては居るので『若い』と言う表現は可笑しいのかも知れませんが、だからと言って自分が精神的に成熟した大人になっているかと言えばそうでもありません。

 むしろ、その逆です。
 知識や経験は増えましたが、精神面では十代後半に戻ったような若さを感じます。

 『転生』や『逆行』物の小説に良く書かれている「精神年齢は肉体年齢に依存する」と言う仮説を証明する訳ではありませんが、『精神』が『肉体』に引っ張られる形で、随分と思考も行動も衝動的になりました。
 底から滲み出る肉体的な活力、爆発しそうな体力、溢れ出す性欲、子供として過す日々、未知への好奇心、刺激される探究心。
 どの要素も精神的に若返る要素はあっても、老け込む要素は皆無なので当然と言えば当然かも知れません。
 もっとも、そう簡単に言い切れる問題だけではない――実際に突き付けられた『この世界』の事実に死にたくなった事もあるのですが、それらが多大な影響力があったのは事実でしょう。

 本筋から思考が逸れたが、僕が何故にアリストテレスだかの言葉を思い返したかと言うと、この世界に来て以来、物事を考える事が多くなった為です。
 その分、頭痛が増した訳なのですが――この世界は如何にもおかしい。とてつもなくおかしい。
 元から解っていた事ではありますが、つくづく実感してしまうが故にだ。
 つい先程の事ですが、僕は本屋に立ち寄った。
 祖父様である中常侍の『曹騰(そうとう)』様の所へ向かっていた途中、思ったよりも時間に余裕がありそうだったので、何か面白い本が無いかと覗いたのだ。
 この時代の本と言えば『小説』や『漫画』等の所謂『娯楽』に為りそうな本が無いように思えるかも知れませんが、この世界に関して言えば否定せざるを得ない。
 
 赤子の時代から印刷技術の高さを常々不思議に思っていましたが、実際に本屋に立寄ってみるとこの世界の異質さが際立って見える。
 竹簡の物も確かに多いですが、人気の商品や雑誌は『紙』で出来ており値が張るとは言え比較的安価で売られている。
 書籍の内容は『孫子』や『韓非子』と言ったものから『阿蘇阿蘇』と言ったファッション雑誌、『一から始める房中術』『How to 海賊王』等と言った内容の奇抜な書籍。
 しかも、男性向けのエロも百合もBLもある存在する、中々業の深い世界です。
 ちらっと腐界――基本的に女性が多く生息している場所――を覗いた際に見た「李斯×韓非」って誰得なのでしょうか。
 
 正直な話をすれば、元の世界よりも目新しくて面白い書籍が多い様に思える。
 最初の頃は本に書かれている文字が日本語では無かったので、勉強に使われる内容の硬い本しか身近に無くて気が付きませんでしたが、文字の読み書きがある程度出来る様になり、積極的に書籍を読み漁る頃にはそう思えてきました。

 他にも技術のインフレが起きているのは書籍以外にも多く存在し、特筆して上げるならば、この時代の物とは思えない衣服やフィギュア等の玩具でしょう。
 流石にプラスチックやポリエステル等の素材は存在していませんが、それでも時代背景を無視し過ぎの代物が沢山存在しています。ここまで破綻していると、逆に清々しく思えてくる程です。
 『三国志(よそ)』は『三国志』、『この世界(うち)』は『この世界』――そう言うものだと納得出来るのが凄い所でしょう。

 未だ困惑を残す物のこの世界に馴染んできた実感しながら、目的地へと進む道中で何とも言えない溜息を思わず零したのであります、まる。



                    恋姫無双 変則憑依系
                  『天下を争う者は先ず人を争う』



「失礼します」

 言葉に覇気を込めて、左手の掌に右手の拳を合わせながら一礼を行ない部屋に入る。
 部屋の中央では机を前に座り、「如何にも」と思わせる時代背景に沿った立派な召物と冠を身に付けた御老体が、走らせていた筆を止めて此方を見てくる。
 その御老体の名を『曹騰』――中常侍の役職に付く自身の祖父に当たる人だ。

「ほほっ、元気でなによりじゃのぉ」
「はっ!何分、元気だけが取柄ですから」

 こちらを視界に入れると目尻に皺を増やしながら、にこにこと笑い掛けて来る。好々爺と言った風姿だが、僕は如何にも苦手意識を取り除く事が出来ません。
 僕にとっては良き祖父であるのは間違い無いのですが、裏では手管を弄して居る古狸だと言う事を知っているので対応がしづらいのです。
 底が見えない相手と言うのは、人間誰しも苦手とするものであります。

「何を言って居るのかえ。鵬仙の話は良く曹嵩から聞いて居ますよ。『鬼才衒さず、塵に同ず』と褒めたかと思えば、『猶興の士』とも褒め言葉を洩らしていましたよ」

 褒められて嬉しくない訳ではないですが、もう少し親父も『親馬鹿』な真似を控えて貰えると助かるのですがね。
 『中の人』の年齢から考えれば、歳不相応に落ち着いていると思われても仕方が無いのですが、それにしたって過大評価です。

「勿体無き御言葉です。然し、その言葉は華琳に相応しいと僕は思います。自身と才を比べるまでも無く真の『天才』であります。正しく『非常の人、超世の傑』と言っても過言では無いかと」
「ほっほっほ、謙虚な事ですね」

 僕の言葉を面白そうに聞きながら、袖で口元を隠しひとしきりに笑うと、祖父は笑顔のままで言ってきた。

「実は、今日は鵬仙に一つ御願いがありましてね」
「御伺い致します。」

 また来たか――と、僕は内心溜息を零しながらも、はっきりと言葉を返す。
 祖父が苦手なもう一つの理由として、この『無茶振り』がある。当然、そこには拒否権は存在しません。
 基本的に容易な願い事も多いのですが、たまに厄介事以外の何物でも無い事を言ってきます。思い出したくも無い程の『手痛い目』に一度合っている事もあり、あまり顔を合わせたくないのも本音です。
 その御蔭で虚構染みたこの世界が現実感を帯びて鮮明に為った事を考えれば、場合によっては死を伴う荒治療だったと考えられない事も無い。ですが、それでも二度とあのような『御願い』は聞きたくないものです。

「実は、鵬仙の従妹にあたる者で、文武両面に豊かな才能を持つ、歳も近い者が居るのですが共に学ばせてやってくれないかの。きっと良き友となり、人生の宝となると思うての」
「それは構いませんが、少々問題が……」
「ほぉ、何じゃ?」
「御恥かしい話、華琳がまたやらかしまして共に学ぼうにも……」
「――教鞭を振る者が居らぬと?」
「……はい」

 頭を掻きたい衝動に駆られながら、ぎこちなく笑みを浮かべる。

「ほっほっほ、変らぬのぉ、阿瞞(あまん)は。それでこそと言うべきかの」

 阿瞞とは華琳――曹孟徳の渾名(あだな)のようなものだ。
 「瞞」とは「だます」という意味で、余り良い意味では無いが風習的に『あえて悪い名前をつけると言う事が逆に厄除けになる』と考えられているので、放蕩を好んでいる華琳には『尊大不遜』と言うか、『豪快奔放』と言うべきか、『高潔無比』と言う所か悩みますが、これ以上無いまでにピッタリではある。
 流石『幼い頃より機智があって、悟りが早く、策多し』と言われていた問題児だけあります。

「まぁ、教師ならば必要は無いでしょう。少し前から鵬仙の私塾のような物であったですし、構わぬでしょうから」

 ――いやいや、別に私塾を開いてませんから。他所から人を集めていませんから。
 開き掛けた口を横一文字に結び言葉を飲み込む。
 確かに華琳も人数に入れれば三人、塾とぎりぎり言えるかと思い直した。
 華琳は論外としても、僕が一応と言う形で物を教えている相手が居るので、不本意ながらそれに近い状態になりつつある事を認めるのは吝か(やぶさか)では無い。

 生まれてから多少の年月が過ぎた頃から、華琳の聡明さが際立ってきた。
 どれ程に聡明かと端的に言えば、片手で足りる年齢だった当時で、既に理解力が成人男性と同等かそれ以上と説明すれば解り易いでしょうか。
 流石、長年の時を越えてもなお『リアルチート』の一柱に数えられるだけの存在だなと、ひどく感心したものです。

 「学ぶ事が無い」と塾を止めるだけならば良かったのですが、その後が問題でした。
 なまじ頭が良いだけに、父親が連れてきた家庭教師――厳密に言えば違うのですが、そんな感じの人々を片っ端から論戦を仕掛けて徹底的に叩き潰して行ったのです。頭の良さ云々はおいて置いても、華琳の性格的な部分で要因を半分は占めているかも知れません。
 華琳的には「貴重な時間を削り、自分よりも劣る人間に何を学ぶと言うの。この程度の『もの』の理解で私に物を教えるつもり?」等と言って反省する筈も無く、実際の所、華琳の場合は常人を逸脱する頭脳を持ち、独学で勉強した方が効率の良い事を僕は知っているので何も言えませんでした。
 ここで「なにくそ!」と、教師陣が反骨精神を露にして戻ってくれば話は変るのですが、年端も行かない少女に論破された諸賢の方々は、背中を煤けさせながら意気消沈として曹家を訪れる事が無くなり、当然の帰結として華琳が心を入れ替える機会なんぞは微塵の無くなりました。
 そして肝心の両親はと言うと、娘の聡明さを褒めるばかりで現実から眼を逸らし、全力で匙を僕に投げつけて、華琳に対する全権を任せて来たのです。

 傍迷惑な話だが、その判断は辛うじて妥当な所でした。
 その当時の話でありますが、僕だけが華琳に『何かを教えると』言う行為が行えたからです。
 僕の『知力』は比べるまでも無く劣っていましたが、未来で学んだ『知識』と言う武器がありました。
 その武器を片手に、剣山の如くに余りにも『ツンツン』している妹の態度を如何にか出来ないかと、躍起になって兄としての威厳と尊敬を集めようと授業後に四方八方手を尽くした結果、少なからずではあるが僕は華琳からの信頼を得ていました。

 身内とは言え、華琳から確固たる信頼を得る為の最初の関門は『虎牢関』の様に硬いものでありましたが、僕は決して諦めなかった。
 その裏には少なからずの下心――死亡フラグを立たせない為の、保身的な考えがあったのも否定はしません。
 今では紆余曲折を得てそのような『甘い考え』は殆ど無くなりましたが、それでも当時の僕にはそれが最善であったと信じていました。その選択をしたからこそ、現在の状況が成り立っているので最初の選択としては悪くなかったと今でも思います。

 後漢の三国志時代、野に伏せる虎や龍達が間も無く覇者を争う群雄割拠の世界。
 少しでも気を抜けば、死へと急行一直線である事は想像に容易く、だからと言って自身の力で覇業を成し遂げられるとは到底思えない。成し遂げようとも思わない。権力なんてものは身の丈程度が丁度良い。
 ならば如何するのが一番かと考えると、自分の『知識』を献上して、その見返りとして加護を得るのが得策とだと思えたのです。
 つまりは華琳――曹操に天下を取って貰い、その後である程度の役職に置いて頂き、養って貰うと言う事。それがどの選択肢よりも手堅い物だと考えました。

 ならばどのように行動すれば良いのか――単純に言えば、何よりも華琳からの好感度、または信頼度を稼がねば行けない。ついでに、人材としてのそれなりの有用性を見て頂ければ幸い。
 史実でも曹操は心を許した相手には意外な程に寛大でした。その一面として話を上げれば、後々裏切ってしまうが親友であった『張バク(ちょうばく)』とは互いが死んだ時に家族の面倒を見る約束をする程です。
 演義しか知らない人には想像が付き難いかも知れませんが、曹操は人に騙されやすく、人が良いと言う話もちらほら耳にした事があります。

 また、そう言った下心を抜きに考えても、性格に難があるとは言え華琳は僕の可愛い妹なのです。
 好かれたいと思うのは兄として当然でしょう。
 この時点で一石二鳥。
 そして、自分の知識で感心と興味を集めて信頼を得ると同時に、華琳はその知識を上手く活用するでしょうから、天下を治めた際に安全で済みやすくなって居るでしょうし、史実的にも良いじゃないか。
 正に、一石三鳥と言った所ですな――と言うのが凡人である僕の発想の、終始の流れでした。

 考えが纏まったならば直ぐに行動。
 本来であればそう行きたかったのですが、思ったように行かないのが世の常。
 最初は切っ掛けが見当らずに、何ヶ月かの間は「如何すべきか?」と悩んでいた訳ですが、思わぬ所で機が巡って来ました。

 それは何世紀に亘り愛読され、ナポレオンが座右の書とした事でも有名で、曹操が生涯最も重宝したと言われる書物『孫子』を華琳が読み進めている時です。
 
 この時代の孫子と言えば斉孫子八十二篇、呉孫子八十二篇のどちらか。
 自分達が眼にする十三篇の孫子は、魏の武帝――つまり、華琳が将来的に書き収めたものだと言われています。
 そして、その大概の場合は原本である『魏武注孫子』ではなく、それらが長い歴史の中で様々な形で生まれた『孫子』を吟味した、所謂『新訂版孫子』となっています。
 これぞ好機と思い、華琳が将来入れるであろう『注釈』等を僕なりに加味して十三篇に纏めて見せた。
 と言っても、自分が覚えている現代語訳を一節ごとに分けて伝えるだけの事で、完璧に暗記していなくても、八十二篇の孫子も手元にあるのでそう難しい事ではありません。
 それでも戸惑う事無く無難な形で纏める事が出来たのは、孫子は解釈本を何冊か読んだ事があり、新訂版ではあるが『原本』は特に愛読していた御蔭なのも間違いないでしょう。
 元の世界ではビジネスマンが愛読して、コンビニにも孫子関連の本が多種多様に置いている事を思い出すと、改めて良い書物は時代を超えると言う事をしみじみ実感しました。

 その際に念には念を入れて置き、紙には書かずに口頭で教えたので、その内に華琳自身に言葉を吟味した上で纏めるだろうから歴史の改竄には為らないでしょう。
 我ながら、冴えていたと思う。
 意味が無い、無駄な事かも知れないが行わないよりはマシです。

 そしてその結果、機転が功を奏してその後は華琳から積極的に問い掛けられたり、気が無いような雰囲気で話をせがまれたりするようになったので、ここぞとばかりに曹操が行う筈である『屯田』を始めとして、将来的に役立つであろう情報は勿論、役に立たないような情報、古典的な面白い話、つまらない話、詳しく説明出来る話、うろ覚えな話、概要のみ知っている話――それこそ、持っている知識を捻り出す勢いで伝えた。
 細心の注意を払い、この世界の情報で『応用』出来ない『未知の技術』を口から零さないように気を付けていたが、如何にも詰めが甘いのか、何度も訝しがれたりした事もあって、その度に冷や汗を流す嵌めになりました。
 華琳の心の底まで覗いているかのような鋭い眼、あれは本当に心臓に悪い。
 正直、今でも僕の事を随分と懐疑している様だけども、最近では華琳の中で何らかの『結論』が出たのか、それを承知で接しているようです。
 むしろ、それを前提で話をしたり、時にはからかったりして来ている様に思える。
 今更ながら危ない橋を渡っていた気がしないでも無いが、その結果めでたく自分が望んでいた良好な関係へと繋がった訳です、まる。
 もっとも家族愛や親愛等とは『色』の違う、それ『いじょう』の――異常と以上、二重の意味で――予想外の事態に為っては居ますが、そこは気にしない。気にしては負けだと思うんです、本当に。

 ――別に何か特別な事をしたつもりは無いのだがなぁ。
 口には出さなかったですが、それが正直な思いでした。
 僕が知識を与えたと言う側面だけを聞くと、華琳が驚愕ばかりするような知恵を授ける賢者のように聞こえるかも知れないが、それは本当に極一部。
 正直な話、それ以外の兵法書である『六韜』や『司馬法』等は専門外過ぎて論外。
 教えた発想や構想、情報についても短大上りの学生が知っているのはたかが知れています。
 半分以上は『ぬい針で大まかな方角を知る方法』等の雑学で、自分のような状況に置かれた際に小説の主人公が行うような『治水』『建築』『墾田』『軍事』などの富国強兵に役立つ情報などは三割あれば良い方でしょう。
 そして、その三割の殆どが詳しい説明が出来る物では無く、華琳の『発想や想像の切っ掛け』程度の後押しでしかない。
 後は絵や業績よりも「これは孔明の罠だ」の台詞で有名な諸葛孔明先生のお知恵を拝借したり、今後の事を考えてまだ教えていない事があったり、色々と考えて居る訳なんだが、それらを含めて僕が持つ知識がどの程度まで実際に役に立つのか――それに関しては、華琳が州牧等の役職になるまで解らないのだから仕方が無いと言えなくも無い。
 それを百歩譲っても、僕が文字の読み書きが出来たのが華琳よりも遅かったので、教師役と言うには役不足が過ぎる。
 正直、逆に華琳に教えて貰う事の方が未だに多いぐらいです。
 なので私塾や教師なんて言葉はおこがましく、精々『たまに的を得る発言をするだけの駄目兄貴が妹と一緒に勉強をしている』と言った表現が妥当でしょう。
 御蔭で関係は良好過ぎる位に良好になったとは言え、普段の兄への対応が辛辣だし――最初から全てが予想通りになるとは思っては居ませんでしたが、もう少しぐらい敬ってくれても良いと思う訳です。

「僕が教えた事など、ほんの僅かなものです。今までも、これからも」

 だらだらと零れる内心の不満や考え等をおくびにも出さずに僕は質問に応えた。
 けれども、その言葉は嘘偽り無く本音だ。

「謙虚になるのは良い事ですが、度が過ぎれば卑屈で格好が宜しくない。鵬仙にとっては小さな進言でも、それが『種』となる事もあるのです」
「……」
「兎に角、彼女が何を得るか如何かは解りませんが、ひとまずは御願いを聞いていただけますかえ?」
「――承知しました。非才の身なれど、頑張らせて頂きます」

 そう言って恭しく礼をすると、祖父は満足気に頷いて「頼みましたよ」とだけ言葉を残して、再度筆を手に持った。
 本当に息の詰まる遣り取りですね。
 私は何度目かの溜息を心中に零すと、部屋から出ようと扉の前まで行く。
 華琳達に一度説明をしなければ――。

「あ……失礼ながら、お尋ねしても宜しいですか?」

 そこまで考えながら扉を潜る瞬間、ふと大事な事を聞きそびれている事を思い出して言葉と共に身体を返した。

「おや、何かありましたか?」
「受け入れは良いのですが何時の事なのか、何処へ迎えに行けば良いのか等、具体的な事を尋ねるのを失念しておりました」
「ほほっ、そう言えばそうでしたね」
「それと一番大事なことなのですが――名を聞いておりませんでした、その者の名は?」

 僕がそう言って尋ねると、祖父は笑顔でこう答えた。



「大事な事を忘れていましたね。その者の名前は曹仁、字は子孝と言います」





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