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■01



 さてさて困った。僕は一体全体、何処へ向かい、何処へ行くのでしょうか。
 こいつは竜の意思だと誰かに言われたならば、すんなりと信じてしまうでしょう。
 いやはや本当に困った。
 ――と、余裕綽々に嘯いては全く困ったように聞こえないかも知れませんが、特異な状況に置かれても一年経てば、否応無しに悟りの境地に至ると言うものでありまして。



 僕は手狭な檻に軟禁されている。逃げ出す事は叶いません。
 もっとも檻が強固であるとか、警戒が厳重であるとか、そう言った理由ではありません。いとも簡単に、幼稚園児でも抜け出せるでしょう。
 では何故に僕が逃げ出せないのか、理由は簡単です。
 
 特異な状況に置かれて一年――つまりは『新たに生を受けて』からの一年。
 幼稚園児よりも、より幼い生命。
 つまりこの身は赤子と言っても相違無い有様だからです。



                   恋姫無双 変則憑依系
                    『現状、曰く言い難し』


 のんべんだらりと思案に耽れる様になるまで一年近い歳月を要しましたが、当初は気が触れるかと思う程に取り乱したものです。如何やら人間の適応能力は思っている以上に優れたものらしい。
 二十四年間、生きてきた中で――適切な言葉かは解りませんが『前の人生』と言えば良いのでしょうか――改めて実感しました。
 自分の記憶が定かであるならば、平成日本を生き抜く短大卒の社会人であった筈でしたが、最近は自信がありません。
 『5W1H』を幾度と無く自身に問い掛けても現実は変化無し。
 胡蝶の夢とは言いませんが、未だに身を置いている世界が夢か現か幻か――断言する事が出来ないのが物悲しい。

 事故に巻き込まれた。
 大病を患っていた。
 光に飲まれた。
 鏡のようなモノに触れた。
 少なからず思い当たる節でもあれば無理矢理にでも納得出来るのでしょう。
 然し、僕には何故この様に為ったのか、所謂『事の始まり』と言うものが身に覚えが無いので僅かな手掛かりも見当りません。
 幾度と無く繰り返した事ですが、することが何も無いのでそれを承知で改めて今までの事を思い返して見る。

 仕事が終わり、疲れの溜まった身体を風呂に入って癒し、床について久方振りに三国志を読んでいる途中で、眠気に堪え切れず目蓋を閉じた。
 そして眼が覚めた――その瞬間、最初に気が付いたのが違和感でした。
 清潔感のある隅々まで手入れの行き届いた立派な部屋ではあるけれども、電気やガスが使われるような物は無く、全体的に『中華風』と印象を受ける造り。
 見覚えの無い部屋に驚き言葉を発するが明瞭な声が出ず、身体を動かそうにも頭が重くて身動きも取れない。
 訳の解らない状況に投げ出されて、少しずつ現実を受け入れるのに数日、その後で発狂しそうになり数週間、そしてある程度落ち着いて悟りの境地で周りの情報を必死で取り込む事、十数ヶ月と少々。
 そして現状に至ると言う訳です。

 思い返すまでも無く、物の見事に不条理で不整合な、失笑を浮かべてしまう様な妄想のようです。我ながらそう思ってしまいます。

「おや、ぐずっていたのではないのか?」

 現在の僕に与えられた手狭な牢獄――改め、赤ちゃん用のベッドを覗き込む、立派な髭を蓄えた何処か人の良さそうな男は少しだけ首を傾げながら尋ねてきた。
 どうやら知らず知らずの内に零していた溜息を、ぐずり声と勘違いしたようです。

「真に手の掛からぬ赤子よ……然し、門戸より生まれし子とは言え、我が子はやはり可愛いの、なぁ『玄徳(げんとく)』や。拾った当初は良く泣くので手を焼いたが、今では手が掛からず少々寂しい程だ」

 そう言った後、暫く僕の顔を凝視した後「まぁ、ちょいとばかし浮名を流した際に出来た儂の子かも知れんがなぁ。目元とかそっくりだし、心当たり多いし」と言いながら少しだけ引き攣った笑いを浮かべる男――父親に対して笑みを浮かべる。
 僕自身の顔も引き攣って居ないかだけが心配です。

 確実に自身の生い立ちが『捨て子』である事は決定しましたが、血縁関係に関しては有耶無耶なので、厳密に言えば父親ではないのかも知れません。取り敢えず、今はそこら辺の事情は如何でも良い。
 それよりも『玄徳』と言う『字』が気になる所です。
 もっと気になるのが『姓名』が『曹喬(そうきょう)』と言う点。
 なんか、ふつふつと色々と不味い匂いが漂っているのを感じずには居られない状況です。
 何せ、ここは群雄割拠の後漢王朝末期を舞台とされた三国の英雄達が覇を競い合う『三国志』の世界――の様な場所なのです。
 
 父親が誰かと話している際に『霊帝』や『部尉』『荊州』等の用語を端々に聞いたり、腕に抱かれて連れ出された際に見た町の光景等、一つ一つの情報は微々たる物ですが、それらを纏めて結論付けると、漫画のような突拍子も無い発想ですが『それ』が一番可能性として高い。寝る前に読んでいたのも、三国志ですし。
 もっと厳密に言えば『それに近い世界』と言った方が正しい。
 あくまでも『三国志風』『三国志っぽい』と言う点が重要です。
 
 別に成人してからじゃないと持たない『字』を生まれた頃から授かっていたから、そう判断した訳ではありません。
 この世界には『姓』『名』『字』の他に『真名』と呼ばれる、親兄弟や親しい者にしか許さない名があったからです。
 如何言った成り立ちかは知りませんが、これがまた中々随分と苛烈なもので、本人の許し無く相手の『真名』を口にしたならば、場合によっては殺されても仕方が無い程に礼を欠いた行為になるらしい。日常生活にも危険が潜んでいる、実に気が抜けない世界です。
 ちなみに『名』も親や主君などの特定の目上の人物を除き、名で呼びかける事は極めて無礼な事とされていたらしいので、性質的には『真名』は『名』の上位に当たるのかも知れない。

 正直、個人的な感想を言えば、現代日本人の感性としては別に真名を呼ばれようが何と呼ばれようが構いません。
 自分の真名が『鵬仙(ほうせん)』と大仰しいので、精々呼ばれると気恥ずかしいと思う位です。
 もう少し無難な感じの方が良かったのだけどもね。身の丈に不相応で気後れしてしまいます。
 
「ん、なんだ。父上に構って貰えず寂しいのか?どれ、孫子の絵本を読んでやろう」

 ――時代背景が滅茶苦茶ですね、本当に。孫子の絵本って何ぞ。
 喉元からこみ上げる思いを頑張って飲み込みながら、否応無しに視界に飛び込んでくる『それ』を視界に納める。
 隣で父が広げているのは竹簡(ちくかん)ではない『紙』で作られた『絵本』です。
 自分がこの世界を『三国志の紛い物』と思う理由の一つが、この世界の技術力の高さであります。

 この時代、竹簡が主流であり、次点で布が使われていた筈です。確かに歴史的に考えても紙が作られている時代ではあるとは言え、それらのものは小学校の授業で作るような粗悪な紙でしかない筈です。
 だと言うのにその『絵本』は貴重品である筈の紙で作られている上に、自分が良く知る紙と質が同等であり、如何考えても印刷技術が発達し過ぎでしょう。
 それ以前に絵本と言う発想からしておかしい。
 もっとも、それを言えば父が良く愛読している雑誌――かは定かでは無いけれど、その本も質の良い紙で作られて居た筈です。定期発行かは解らないが、確か『水鏡』と書いていた気がします。

「あぅ」
 
 歴史家達が執筆した書物でしか知らない世界とは言え、この三国志の世界は想像と余りにも掛け離れ過ぎて、現実を正視する度に頭が痛くなってきます。
 この世界で生きていく悲愴な決意とか、もう如何でも良いです。
 もう、何か嫌です。どんだけですか。

「ん〜、何だ玄徳、あまり乗り気じゃないのか?……むむっ!?さては、父上が此処に来た本当の意味を理解しているのか?やるな、流石だ、我が子よ」

 前向きに如何(どう)頑張って解釈しても無理がある思考で、完璧な親馬鹿の顔のまま「この聡明さは、やはり血の繋がっているとしか思えないな。もしかして愛順ちゃんが……いやいや、然しだが」等と不穏な言葉を呟く駄目親父。
 喋れる様になったら眼に物見せてやります。

「ケフッ、ケフッ!……あ〜、聡明とは雖も(いえども)今までの父上の発言を流石に理解はしてないよな?」

 じっとりとした眼で見つめていると、若干挙動不審に為りながら駄目親父が尋ねてきたので、出来る限り無邪気に微笑んで置きます。

「……玄徳!今日はな、実は嬉しい知らせを持ってきたのだぞ!」

 僅かに冷や汗を垂らしながらも、場の空気を変えるように気味が悪いほどの満面の笑みを向けて抱き上げると、感極まった様子で――

「ついに、鵬仙!御前の妹が生まれるぞ!!」

 と、言われました。
 それを言われて「あぁ、そうなのか」と、勝手に納得しました。
 最近、ぽやぽやとした母――と言うには美人で、随分と若い気がしないでもない――が顔を出さないと思っていたが、その為ですか。
 確かに、最後に見た時には随分と御腹が膨れていたな。
 毎回「ビクンビクン……!成人にもなっておっぱいにしゃぶり付くなんて……でも、吸わないと生きて行けないッ!!」等と思いながら羞恥プレイに背筋をゾクゾクさせて乳母に乳貰っていたので、気が付きませんでした。
 
「――」

 いや、待て。
 それって不味いんじゃないでしょうか。
 こう言った場合、普通は拾われっ子である自分は『家督が』とか『兄弟間の争いが』と言った理由で、秘密裏に排他されるのが定石では――と懸念が湧いてきたのも一瞬で、自分を「高い高ーい」しながら、ほくほくと笑う父親を見ていたら妙に安心しました。
 何と無く、この御気楽夫妻がそんな事をする想像が思い浮かばないのだ。

「実は名は既に決めてあるのだ。姓は曹、名は操、字を孟徳、真名は華琳――良い名だと思わんか?」

 僅かに安堵すると同時に飛び込んできた言葉に思考が停止しました。
 その時、その瞬間、様々な思いが津波の様に一瞬で胸に去来しましたが、心が受け入れる事が出来ずに後方へ消えていく。
 何を考えて良いか解らなかったけれども、確かに思った事がある。



 そう言えば、駄目親父の名前は『曹嵩(そうすう)』でしたっけか。
 てか、それは、自分の娘につける名前では無いでしょう――と。





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