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同人ゲーっぽいアイマス

 
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「全く持って難儀な……」

 机仕事と言うのは如何して、こうも疲れるのであろうか。
 やっとこさ打ち終えた書類を保存し、アリクイの顔に似た天井の染み模様を見上げた。
 そして噛み終えた後に長時間放置されたガムの如く凝り固まっている眉間を指で解し、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。

「――先輩、どうぞ」

 達成感からの気の緩みであらぬ方向へ思考を飛ばしていると、ふいに背後から軽やかな声と共に、見るからに冷えていると解る水滴の付いたスポーツドリンクを机の上に置かれた。
 こう言った気の利いた事をするのは――何人か心当たりが在るが、その中でスポーツドリンクを選ぶ人間を一人しか私は知らない。

「お、気が利くな。ありがたい」

 そう言って振り返ると、やたら笑顔の中性的な美少年――後輩である『菊地 真(きくちまこと)』が予想通りに立っていた。

「へへへっ……気にしないで下さい。大した事じゃ無いですから」
「解っとらんな。大それた事をされるよりも、こう言う細やかな事の積み重ねの方が嬉しいものなのだぞ?丁度喉が渇いていた所であったしな」
「そ、そうですか?――へへへ」

 そう言って褒めてやると、真は照れたような笑顔を浮かべながら忙しなくワシャワシャと頭を掻いた。
 ふむ、相変わらずの犬の如く有様也。きっと尻尾があったならば、はち切れんばかり振っているであろう――ここまで喜ばれると、感謝のし甲斐もあると言うものだ。
 そんな事を思いながら、微笑ましい気持ちで小さく笑った。

「しかし、今日も早いな。下見に出るまでには大分時間があるではないか」
「え?あ、そうですけど――それを言ったら先輩もじゃないですか」
「私は正社員だからな。仕方あるまい」
「それを言われたら何も言えないですけど……あ、また書類を頼まれたんですね?」
「こらこら……その推測で相違無いが、人様の画面を勝手に盗み見るとは感心せんぞ?」

 苦笑を浮かべ、軽く背伸びをしながら画面を覗き込んできた真を軽く嗜める。

「あはは、今度からは気を付けます」

 しかし、私の言葉も真には馬耳東風と言った所で、意に介さぬとばかりに小さく笑いながら窒素(ちっそ)よりも軽いであろう謝罪の言葉を零した。
 会社側の人間としての体裁の為に『取り敢えず』注意しただけの身としては、はっきりとした快闊な態度を取られると、それ以上何も言えず許してしまうしかない。
 全く持って『ずるい』性格をして居る奴だ。

「それにしても、プロデューサーが事務仕事をするって言うのも珍しいですよね?」
「如何なのだろうな。耳にせんのは確かでは在るが……まぁ、仕方あるまいさ。後ろ盾が在るとは言え『新設』の事務所であるし、事務仕事を出来る人物が『小鳥(ことり)』さんと『律子(りつこ)』、そして私の三人しか居らんのだからな。仕方が無いと言わざるを得ない状況ではあるが……苦労が絶えぬよ」

 アイドル事務所『625(りつこ)プロダクション』――元アイドルである『秋月律子(あきづきりつこ)』が社長となり新設した事務所である。
 と――言えばアイドルを引退し、未知への探究心から大海原に果敢に乗り込んだ様な、然も(さも)恐ろしく凄き事の様に聞こえるが、実情は若干ではあるが手堅く、多少の事では転覆せぬような確りとした土台がある。話が大きいと言う意味では確かではあるが。

 アイドルを引退後にプロデューサーとして活動しながら、新ブランドの立ち上げを新たな目標として日夜労働に勤しんでいた律子に『高木順一郎(たかぎじゅんいちろう)』社長が話を持ちかけて来たのが事の始まりだった。
 既に大手事務所となっていた『765プロ』が、異彩を放つ個性的なアイドル達を中心とした同系列の『新ブランド』として子会社設立の話が上がったのだが、その際に社長が「アイドル達も個性派とするならば、社長も個性的では面白味が無い」と言う発想から、最も適切な人材と言う事で選ばれたのが律子だった。ある意味、765プロダクションの新たな『事業開拓の一環』と言っても良い。

 もっとも、律子が常々夢に向かって才能を磨き、努力を怠らずに居た姿を知っていたので選ばれたと言うのも事実だろう。
 また、アイドルに対して惜しみない愛情を注ぐ『顔の甘い』社長な上に、律子に関して言えばアイドルになる前に社長の補佐――厳密に言えば違うのだろうが、秘書紛いの事をして居た経歴もあり、贔屓と言う訳では無いが、社長もアイドルに転向した当時も良く気に掛けていたので、その点も絡んで居るのかも知れない。
 とは言え『考えが甘い』訳では無いのが社長の尊敬出来る所だろう。
 社長の独自の言い回しである「ティンと来た!」と言う『悉く外れが無い』神懸りな直感と、律子のアイドル引退後1年間の間に行ったプロデューサーとしての手腕や、今まで積み重ねて来た会社経営の勉強や知識を信じての決断であったのも間違いでは無い。
 アイドルとプロデューサーとして協力してトップアイドルまで上り詰めた頃から――若干自分に甘い部分もあったり、理詰過ぎて自分が納得行かなければ前に進めないと言う事も合ったが――他の担当したアイドルとは違っており、現場での臨機応変の対応もこなせ、物事を理解する頭の回転も切れもあり、私がプロデュースをして手を引っ張って行くと言うよりは、常に互いに意見を出し合って近い立場で高め合いながら二人三脚で戦っていた記憶がある。
 当時から片鱗を垣間見ていた私としては、楽観的かも知れないが律子が事務所を任されたと聞いた時、然程不安は無かった。
 むしろ、あれだけ大成を修めて、日々精進をして居る律子自身の方が大いにうろたえていたのが印象深い。普段は『ハッタリ』や『度胸』と言ってるが、根っ子の部分で『謙虚』と言うか『卑屈』と言うか、相も変わらず自己評価が低く、ほろりと弱気が零れる性格は中々直らぬようだ。

 他にも様々な細かい紆余曲折を得て事務所を構えるまでになるのだが――つい数ヶ月前に社を構える人間としての社長の最大の譲歩として、まだ弱小プロダクションだった頃の小さな事務所と、幾人かの『自分達に縁のある人材』と新たな門出に立つ次第にあいなった。
 その一緒に移籍して頂いた『人材』の一人が、私も律子も気心知れた縁深い相手であり、会社を興す上で非常に心強い方が『音無 小鳥(おとなしことり)』と言う物腰や表情、雰囲気の柔らかな美人の女性だった。
 時折動きを止めて物思いに耽る事が屡(しばしば)ある為に機敏な印象は無いのだが、要点を上手く抑えるのが得意で内政のノウハウもある非常に優秀な方である。
 小鳥さんが居なければ625プロが軌道に乗るのが1週間は遅れていたと思える程である。その有能さ、推して知るべし。

「えへへっ」
「……何だ、その物言いたげな含みある笑みは」
「いやぁ〜、そう言う割には随分と楽しそうだなって思って」
「む、そんな顔をしてたか?」
「そりゃもう!」

 笑顔で断言をされると、誤魔化す予断無くすんなりとその事実を飲み込めた。
 確かに苦労ながらに私は現状を楽しんでいるのだろう。
 若輩であった私が新人プロデューサーとなり汗だくになりながらも、気持ちの良い疲労と充実した毎日――立場が違えど、あの時のように苦労しながらも日々を新鮮な気持ちで謳歌出来ている。
 移籍してきた幾人かのアイドル達は元より、落ち着いて来たとは言え一からの事務仕事に笑顔を浮かべながら捌いている小鳥さん。律子も勉強して居たとは言え、まるで勝手の違う慣れない社長業を営みながらも、明晰な頭脳を活かして時折TVにコメンテーターとしての出演もこなしているが、表情は皆一様に楽しげなであるのは間違い無い。
 おかげで社長仕事も私が手を付ける嵌めになっているが、律子としては本来の『約束』通り私を社長に据えたかったらしいので、ある意味都合が良いらしいが。

「楽しそうと言っても――こうやって先輩達を見ていると、やっぱり仕事って大変だなって思いますよ」
「まぁ、な。充実しているとは言え、大変だからこそ『仕事』と言うのだからな。と、だからと言って態々(わざわざ)張り切る必要は無いぞ。真は十分に頑張っているからな」

 最後に「その点は誤解するではないぞ」と、一言付け足す。

「とは言え――しかし、本当に人生とは儘為らぬ(ままならぬ)ものだな」

 そう言葉を零しながら、しげしげと真を見てしまった。

「えっと……何がですか?」
「いやな、本来ならば、このような事務所仕事に勤しむ事無く、煌びやかな舞台に立てるチャンスもあっただろうに。元々の確か……男性誌のモデルで」
「あー……そうです、よ?」
「それが何故か、雑用のバイトをしているのだから……全く摩訶不思議だな」

 如何言う経緯があったのかは知らないが、女性のアイドル以外にも『男性のアイドル』も手を広げてみようかと言う話で社長がスカウトをして掴まえたのが、目の前の真であった。
 が、蓋を開けて見れば新設プロダクションの事務雑用全般を熟(こな)す立ち位置に物の見事に収まっていたのだ。
 色々と事情があったと言う話だったが確か、理由は――

「しょ、しょうがないじゃないですか。ボクの家は親が厳格なんで、雑誌に載っているってばれたら何言われるか解らないんですから」
「バイトも本来は許されぬ、だったな?」

 何とも古風な――と、表現すれば良いのか。
 何と無く社長の思案が、まだ在りそうな気がして為らないが、それに関しては詮索しても仕方が無かろう。
 企業としては如何と思うが、そう言う会社だからこそ上手く行っている部分もあり、またこう言った事柄『では』社長の采配に間違いは無いだろう。
 それに、その御蔭で真と縁が持てたと思えば然程気にするような事柄では無いだろうからな。

「そうなんですよ……こう言った機会でも無いと、切っ掛けが無かったですし……」
「そうか、そうか。しかし勿体無かったな。メンズモデルとも為れば、女子も選り取り見取りに色恋沙汰を咲かせれたろうに」
「あー……ボク、あんまりそう言ったのに興味が無いので」
「――」

 絶句。言葉を失う。
 そう言った表現は、今のような状況に使うのが適切なのだろう。

「な、何でそんなに驚くんですか!?」
「有り得ん。有り得んであろう」

 そう、ありえんだろう。
 ありえぬだろうさ。
 ありえぬだろうて。

「そ、そんなに驚く事なんですか?」
「そうだともさ!真位の年ならば、四六時中頭でピンク色の妄想を垂れ流し、ひめもすダラダラと『けしからん』事を妄想しては、布団の上で枕に齧り付きながら呻吟が如くに嗚咽を漏らすのが古くから習わし――男子学生の本来の在るべき姿であろう!」
「先輩、それはいつの時代の話ですか?そもそも、そんな時代が存在したんですか?」
「む……僅かばかりの誇張があったが――」
「僅かでもないような……」
「――まぁ、真位の年齢ならば、恋人云々は置いても、バイトにかまける暇も無かろう?」
「ん〜……そうでも無いですよ?」
「そんな筈は無いだろ、学友との付き合いもあるだろて?例えば、男子便所で肩を組み合わせて『誰某(だれそれ)が可愛い』だの『誰某の胸が新型』だの『誰某の尻が夢に出てくる』等と阿呆面を付きあわせたり」
「先輩はそんな事をやっていたんですか?」
「勿論だとも。健全な学生生活、学問への熱意等は唾棄すべき『モノ』と声高らかに、現実から眼を背け、日々を遊ぶように狂っていた」
「……狂ったように遊んだ、の間違いじゃないんですか?」
「遊ぶように狂った、で間違いないな。あの罪深き所業の数々は今思い出しても不可思議であるなぁ」

 しみじみと過去を夢想するがドレもコレも阿呆丸出しで、少なくとも感傷に浸れそうな思い出など何一つ見当らない。うむ、これはこれで、良し。

「まぁ、その様な私の築いてきた礎はさて置き――最近は事務所に入り浸りだろ?金が無くとも友情は育める、学校生活を蔑ろには決してするなよ?」
「解ってますよ。バイトが無い日は友達と元気に遊んでますから」

 そう言って小さく笑った後、少し照れ臭そうにしながら呟いた。

「まぁ、最近はバイトが楽しいってのもあるんですけど――それに、先輩が思っている以上に僕は色々と育んでいるんですよ?」
「ほぉ――例えば?」
「先輩と僕の絆とか」
「――」

 中々如何して、こやつは『にくい』事を言うではないか。
 話の隙を見てはちょいちょいと仕掛けて来る。
 やはり、けしからん程にこしゃくな奴だ。

「――ふむ、ならば良し」
「あれ……先輩照れてますか?」
「……莫迦者が」
「えへへっ――」

 くだらない話に付き合ってくれる友人と言うのは、日常でも、職場でも、居酒屋で言葉を返す程度でも、場所問わず、例え年齢が離れていようとも大事なものである。
 それが自分を慕ってくる、気の良い後輩ならばなおの事。
 そう言った意味合いでは、真の言葉も無碍に否定は出来んのかも知れんな。とは言え、肯定するのは些か憚られるが。
 しかし――真は何時まで、呆けながら笑っているつもりだ。

「真、何時までも気味悪く笑っていないで、今日は現場に一緒に行くのだぞ?下見の準備を整え――」
「あ、それならもう終わりましたよ。先輩が書類を作り終わっている間に。モチロン先輩の準備も終わらせて置きました!」
「……前言撤回をせざるを得ないな。お前は気の利く優秀な奴だよ」

 しかし、そうなると随分と時間が余る。
 書類も存外早く終わったので、準備が完了しているとなると、殆どやる事が無い。
 このまま真と話し込んでいても悪くは無いのだが――

「ふむ」

 ――今しがたの時刻は11時過ぎ、か。

「そろそろ昼飯時だな」
「あ、そうですね。それを聞いたら少しだけお腹が空いて来ちゃいましたね」
「然らば、下見の時に行く前にラーメンを奢ってやろう。丁度今回の会場の近くに美味い鶏殻出汁が逸品の醤油ラーメンを出す店があるのでな、紹介して進ぜよう」
「え、本当ですか!?へへっ、やっりぃ〜!」

 そう言って嬉しさを表すように右腕を振りながら小さくガッツポーズらしき動作をした――毎回気になるのだが、癖なのだろうか。
 律子が両手で拳を『ギュッ』とするのや、小鳥さんがふとした拍子に夢現に浸ったりする事や、他の面々も何かしら癖があるのを考えれ、比較的可愛らしいものではあるが。

「けど……良いんですか?」
「ん、何がだ?」

 下らぬ事を考えていた数瞬の間に何があったのか、気が付けばつい先程の様子とは一転、何が起こったのか解らないが妙にしおらしくなっていた。
 如何やら『女心と秋の空』とは言ったものだが、男心も移り変わるのが最近は早いらしい。実に、難儀な。

「いや、ボク……毎回奢って貰っているようが気がして」
「あぁ――なるほど。得心が行った」
「え?」
「いや、何でも無い。独り言だ」

 ――しかし、妙な所を気にする奴だ。
 まぁ、無遠慮な人間よりは何倍も可愛げがあるにしろ、礼儀が正しい分、年上に対してまで要らぬ気遣いをしてくる。そう言った意味では、少々融通が利かぬのが難点か。

「遠慮する必要は無いんだぞ?それが先輩と言うものだ、気にするな。もしも気にするのであれば、今度自分の後輩に同じ事をしてやれ。それだけで十分だ」
「でも――」
「それにな、こう言う時で無ければ先輩面出来んだろ?『上を立てる』と言う意味でも、たまには良い格好させるものだ」
「……それじゃあ、遠慮無く御馳走させて貰います!」

 そこまで言うとやっと納得したのか、いつも通りの爛漫な笑顔とよく透る声で威勢良く頷いた。

「応ともさ。さて、ならば行くから道具を持ってきてくれ」
「はいっ!それじゃ、ボク、準備した物を持ってきますね!」

 元気の良い返事をして駆けて行く真を眼の端に入れながら、椅子から立ち上がり窓から外の様子を覗いてみる。

「暑そうだな――今日はちとばかし、骨が折れそうだな」






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