■ 小説(SS)TOP ■

Cross Flick Online

 




 場の空気が徐々に変質し、身体に纏わり付く空気が重く粘着質を帯びていく。
 それは相手――メニアから発せられる重圧だけではない。
 心の奥底から出でた『迷い』――と、断定出来ぬ不可解な『何か』が先程から、背後に佇み自分を凝視している嫌な雰囲気が拭えないせいもだろう。
 自分の揺れる心を顕すかのように、足場が小さな波を打ち僅かに歪んでいるような錯覚すら覚え、思わず両足の動きを止まった。

「呼ォォぉッ」

 歪まず、揺るがず、弛まず、捩れず、弱らず、折れず、捻れず、曲がらず、緩まず、鈍らず、衰えず、屈せず――心を定め、言葉に、身体に真直ぐな『何か』を徹す。
 内で小さく呟きながら、迷いを消し去る。
 それがこの場、この時、この瞬間だとしても。

 闘争に不必要な感情は全て捨て去り、全ての意識を尖らせる。
 スキル<闘気呼吸>を発動させ全身を、細胞を滾らせ加熱させて行く。勝利への意欲と、生存への本能を過熱への燃料に。

「呼ォッ!!」

 されど意識するのは波紋を起さず水面に佇む自分の姿――思考は冷静沈着に戦術を組み立てる。
 現時点で『活路』は幾通りか見える。
 ただ、その『打ち筋』がどれだけ読まれているかが問題となる。

「フム」

 ――相手が誰であろうとやるべき事は変らぬか。
 まずは解体と分析。そして布石を丁重に積み上げ、場の流れ掌握する。
 
 全身に滾る熱を両足に送り込むと、先程よりも早いリズムで音を刻みながらゆっくりとオークとの戦闘の際と酷似した構えを取る。
 違うのは拳を身体に引き寄せた点だろう。
 両手を身体に近い位置で畳む事によって上半身が振り易く、また小さな力で相手の攻撃を反らせるからだ。

 模範的な足を使う拳闘(ボクシング)の左構え(サウスポースタイル)。
 自分の根本と為る『武器』にして、最も信頼出来る一番馴染み深い『格闘技』――何よりも『相性』の良さから初めての相手と対峙した際に必ず拳闘を使っている。
 相性の良さ――その言葉は『自分自身との』では無く『この世界との』だ。

 その理由は他の格闘技と違って下半身の運用錬度の高さ――つまり、回避能力の高さ。
 何故、回避能力が重要視せねばならないかと言えば単純な問題に、武器を扱うが故の『一撃一撃の殺傷能力の高さ』がある。
 高名な空手家が『100発耐えて1撃で倒す』と言う言葉を残した通り、空手を筆頭に現代格闘技の殆どは、鍛え抜かれた肉体で相手の攻撃を受け止める事が多い。
 どのような格闘技にも『胸に拳が打撃を加えたら勝利』等と言うルールは存在しない。武器を使っての攻防を旨とする剣道や薙刀を見ても、有効打の範囲以外の場所で受ける事はルール上で許されている。
 
 然し、この世界では違う。
 相手が様々な武器を扱う事や、それにより攻撃方法や射程範囲が変動する等の大きな違いはあるかも知れないが、それ以上に格闘技と違うのは『殺傷能力』――つまりは、一撃でも決まれば致命傷に為り得る可能性が高いと言う事。極端に言ってしまえば、刃物の斬戟の前では鍛え抜かれた肉体すら無意味なのである。
 剣の腹を横から叩いて往なす(いなす)等の色々な受け方もあるのだが、空手の試合の様に肉体で受け止めては、一瞬で身体は断ち切られて絶滅を逃れない。
 
 そのような理由から『防御』ではなく『回避』が重要視される。回避の前提条件を極論して言えば『絶えず移動し続ける』事が先ず第一に挙げられる。
 故に拳闘。
 拳闘とは極端な話をすれば『間を制す戦い』――両足は地を蹴り、地を駆け、地を奔り距離を奪い合い、間を盗み合う格闘技。つまりは、空間の争奪に特化していると言っても過言では無い。
 それは多数人数を相手にした際に、安易に取り囲まれないと言う利点でもある。

「――」

 上半身を振り、相手の攻撃を反らしたり叩き落とす事に両腕を集中し、常にリズムを刻みながら縦横無尽に両足を奔らせる事が出来る拳闘は、未知の相手と戦う際、様子見や分析に適していた。そして、臨機応変に総合格闘の技術を要所々々に加える事によって、戦術の幅が格段に広がる。

 何よりこの状況で特定の『スキル』を発動する事によって拳闘の芸術的一端とも言える『先』が見える。いや、『見えた』と言うべきだろうか。
 それは間合いを計るのではなく、奪い合うのではなく――距離も、タイミングも、一方的に略奪する事を可能とするスキル――そのスキルの名は<心眼>。

「――フゥッ」

 鋭く息を吐きながら、正中線を軸に流動する粒子が霧散するのを感じると同時に、研ぎ澄まされた感覚が世界との一体感を伝えてくる。

 『心眼』――名前だけを聞けば、相手の動きを予知して動作を読み取れると言うイメージがあるが、厳密に言えば違う。
 少なくとも、相手と言う単一な『モノ』を神懸り的に読み取るものでは無い。
 的確に言葉を表すならば「全ての感覚が鋭くなり、そしてそれらが一つに統括されて『空間』を感じ取る事が出来るスキル」と言えば良いだろうか。

 空間――その空間には、テレビの画面越しには読み取る事が出来ない『情報』が満ち溢れている。
 単純なモノから上げていけば、足場や高さに風向き等の戦場から読み取れる物、相手の虚実に息衝く僅かな動作、視線の動き、断続的な呼吸、場に流れる空気、身から滲み出る臭い、肌を刺す相手の意、対峙するからこそ解る気配――もしも、初戦でないのであれば、両者の間に築きあがれれた縁や因果に到るまで、さまざまな事柄が空間には存在している。
 それらの情報を人間は少なからず読み取って存在している。
 もっとも大概の場合が無意識的で、確かに収集された綿密な情報の全てを全て処理する事は当然の事だが出来ず、第六感と言える『直感』――推理や考察、失敗体験、成功体験、蓄積された経験、それらを全て想像力、注意力、演算能力を使い理論分析して、瞬時に導き出された感覚的決断――を使い、不完全ながらも形を作り上げて明確にする。

 もう少し解り易く想像するならば『情報』とは『ピースの大きなパズル』と言った所だろうか。
 普段、反射的に行動を移す際、無意識的に自分の周りに散ばっているピースから何個か拾い上げて、幾つかの端的なピースから大まかに何なのか想像しながら行動している。
 なので、ある程度の予想しかする事が出来ない。また、全てを拾い上げて『それら』を解析しないのは、0.1秒単位で判断しなくてはいけない世界では致命的になってしまうからだ。
 何事でも『一流』と名の付く人間の大概は常人よりも拾えるピースが多く、的確に判断するのが極めて速い場合が多い。

 そして『心眼』とは、その『完成されたパズルの一枚絵』の状態を瞬時に解析し作り上げるスキル――と言えば良いだろうか、普段では処理し切れずに想像で補う『歪み』や『ずれ』のある感覚を、一つに纏め上げて『統括』するのが『心眼』と言うスキルなのでは無いかと思う。

 空間に満ち溢れている様々な形の情報を、読み解き瞬時に統括し、精確に感じ取る能力――『空感』とでも言えば格好がつくがかも知れない。

 その感覚を受け容れるまでが大変だったが、自分なりの解釈を進め、心眼とは何たるかを丁寧に解き解し(ときほぐし)、吟味し、理論を構築して血肉として馴染ませて居る内に、時折だが相手とは『違う時間軸』に立っている錯覚を覚えた事すらあった。

 だからと言って『予知』や『完全回避』と言う程ではなく、ピースよりは格段に解り易いとは言え、瞬時に作り上げられた絵を的確に理解するのは難しく、状況は刻一刻と刹那の速さで目まぐるしく変化しているので空白の時間が出来てしまう。
 また『情報』と言っても自分が理解出来る範囲の『モノ』しか無く、自分の想像の範疇外の出来事には対応する事も出来ない。
 幾度と無く『心眼』を使い実践を繰り返しているが、神経を消耗する空気の中で次第に、僅かな差異、僅かな空白、僅かな間が残ってしまうのは仕方が無い。
 もっとも『心眼』と言うスキルの本質が『完全無欠の魔術的に予知』が出来たとしても、その感覚に慣れていた自信が無いので、結果としては良かったのかも知れないが。

「――」

 しかし『心眼』を使用したとは言え――これで対等。
 剣道三倍段。
 その言葉を鵜呑みにする訳では無いが、『真っ当に戦う』場合に実力が均等して居る相手ならば『心眼』や『金剛』のスキルを使い、そこで初めて相手と対等か、僅かに上になれるのかも知れない。
 得物を扱うと言うのは、それほどまでの意味がある。

「ふぅ――ふぅ――」

 ゆっくりと呼吸を繰り返しながらメニアを見るが、両足から根が生えているのかと思える程に微動だにしない。
 相手は待ちに徹するか――ならば、こちらから出方を見る。

 身長差を考慮して出すとしたら、リードブローのみ。
 牽制と、相手の拍子(リズム)や動作の癖を、距離を読み取る。
 基本は上半身を動かし、両足で捌き、両手で払い、解析と情報の構築に努める。

「――フゥ、フゥ」
 
 絶対回避、絶対予知、絶対防御、絶対無敵――そのような幻想は実践には存在しない。
 五体四肢を信じて、愚直に近付く事を願い精進する。
 それだけが唯一無二の自分に残された武器――そう腹積もりを決めると、小刻みにリズムを踵で奏で、上半身をゆっくりと前後左右に不規則に揺らしながら、判断した瞬間に身体が対応するように身体の隅々まで意識を集中させてゆっくりと近付く。
 四足の間合い――。
 まだ、相手は動かない。
 三足の間合い――。
 まだ、動かない。
 二足――。

「イヤァーサァ!!」
「――ッ!」

 メニアの手先が動いたと瞬間に、上半身を左下へとダッキング――背を丸め、身体を小さく畳み込んだ。
 初めて耳にする鋭い刃を持つ金属が空気を切り裂く音。
 背筋に緊張が走る。同時に、悪寒が駆ける。
 
 左下へと畳み込んだ身体を、外側へと小さな弧を描く様にスウェーバック――上半身を後ろへ反らしながら思わず跳躍をして一気に間合いを取った。
 取った間合いの距離は、相手が踏み込めば辛うじて届くと言う距離。
 一瞬にして固まった筋肉を解すようにゆっくりと弛緩させ、足は止まる事無く動かし続け状態を整える。

 槍の穂先が動いてから、僅か一秒にも満たぬ会合――咄嗟に後ろへ跳躍したのは正解だったようだ。

 あのまま踏み止まっていたならば、怪我の一つや二つは覚悟しなければならなかっただろう。
 ――槍。
 思った以上だったのは槍突きの速さ。オークなんぞとは比べるまでも無く『段違い』と言う言葉を使う事すら憚られる。比べると言うのが間違っていると思える程に次元が違う。
 槍術の映像を見た事はある。実際に体験するのでは感覚が違うのは解るが、それにしても速い。
 ダ・ヴェルガがあるので大抵の対人相手ならば余裕があるかも知れない等と楽観していた数週間の自分を殴り倒したい気分だ。

 ジャブの様な短距離からの直線的な速さとも、蹴り技の様な死角から襲い掛かる速さともやはり違う、初めて経験するものだった。
 突きの速度自体は想像以上に速かったが、それでも避けれぬ程に速いと言う訳では無い。が、放たれた後で手先から起こる変化が恐ろしい。
 大きな変化では無かったので避けれはしたが、横を抜けていく際に穂先が小さく跳ねたのが解った。いや、僅かな変化とは言えそれだけでも十分に脅威。
 だが、それだけならば足と上半身を動かし続ければ如何とでもなる――厄介なのは、突きを放った後の『引き手』だ。
 速さ『が』では無い。
 それだけならば間合いを取ったりはしない。
 速さ『も』である。

 外側へ上半身を振っていた際に、引き手で戻る刃が僅かに触れて頬を薄く切り裂いていったのだ。
 あのまま咄嗟に動いていなければ、手先の操作で片刃を頚動脈に当てられて撫で斬られていた――その可能性がある。
 断言は出来ないが、確信に近い物はある
 
 ――引く動作すら攻撃。

 避けたと思った後に、後方から抜けて来る今まで経験した事が無い技。
 速度もあり、首等を狙えば場合によっては致命傷になる。

 撫で斬る程度でこの鋼と間違う皮膚に刃が徹る所を見るに、相当な業物と見て良いだろう。1度の攻撃で2度狙われると言うのは心理的にも厳しいものがある。

 もっとも、踏み込むつもりがあれば引き手以上の速度で踏み込めたかも知れない。しかし、その場合は別の手立てを持っているのだろう。
 自分が本気で詰めるつもりが無かったのが読まれた上で、軽く手合わせの意味を込めての先程の槍突き――その可能性が高い。

「――恐ろしいな」

 脅威とは言え理解さえすれば対処は出来る筈。
 リズムを上げ、速さを上げ、上半身の振り幅を大きくし、次はもう少し深くまで攻め入る。
 今のが表面を指先で触れて感触を確かめるモノならば、次は手でなぞりながら大まかな形を見極める。
 先程と同じ様に間合いをゆっくりと詰めた後、相手の呼吸を外して僅かな間を作り上げてから綻(タン)ッ――と、強い音を響かせながら三足の間合いから一気に踏み込む。

「イーヤーサーサァァー!!」

 踏み込み、右足が地面に届いた瞬間には、体勢の整わぬ自分の広い胸元を狙って鋭い突きが伸びていた。
 呼吸は、外した。ならば、動きが読まれていた、か。
 いや、違う――それが槍の間合いでの戦い方。
 足、否。上半身を、否。
 残る選択肢は手――右手で左下へ押し下げる様に払う。
 触れた瞬間には既に、槍がメニアの手元へと引かれており、金属が擦れる甲高い音をジャバックの掌で掻き鳴らしながら通って行く。
 初撃は自分の機先を制する牽制か。

 だが、このままならば踏み込める。
 引き手と同速で詰め寄る。

「――甘いっ、てねッ!」
「チッッ!」

 踏み込むと同時に、相手が動きを読み後ろへ距離を取る。
 こちらの方が数段踏み込みは速いとは言え――今だ、この間合いはメニアの間。

「ソコォォッ!!」

 槍が狙うのは――右足。
 強弓から放たれた矢の如く、一直線に射貫くような突き。

 それを理解した瞬間には、右足を後ろへ蹴るように地面に叩きつけて、前へと流れそうになるのを相殺して直線ではなく曲線で、左後ろへと飛ぶ。
 冷静に――。
 右足を貫けなかった槍が、小さな螺旋を描きそのまま右下から左上へと、掬い上げる様に腿を狙う軌道で撫で斬ろうと跳ね上がる。
 冷静に対処を――。
 体幹に力を込めて、崩れそうに為る体勢に無理矢理整える。
 譚(タン)ッ――と、後ろに小さく跳躍。後方へ。 
 メニアが続け様、威嚇をするかのように胸元へ鋭い直突きが穿とうとしているのが見えた。

「――シィッ!!」

 だが――そこが狙い目。
 地面に最初に辿り着く蹴り足で全体重を受け止めながら、指先と足首、膝で衝撃を吸収しながら僅かに畳みながら体勢を低くする。
 そして、次の瞬間には押さえ込まれていたバネを解放するように、畳み込んでいた指先から膝までの力を爆発させて推進力へと変換させて、穂先を避けた側面に鋭く僅かに踏み込む。体勢を伏せていた獣が駆け出すように。
 
 読まれていた。
 だが、こちらも読んでいた。
 胸元へと一直線へと伸びる槍――これを誘っていた。
 速い。
 しかし、軌道が解るのならば、突きを捌いて間合いを詰める事は容易い。
 もっとも、ここから拳の当たる間合いまで攻め入るとなれば、何らかの対抗策が練られているだろう。
 故に、この距離は互いにとって『初見』ならば『死角』となる場所。
 機は一度――掴めぬ程では無い。
 牽制の際は既に引き手になっていたので無理だったが、今ならば出来る。

 尖端が空気を突き貫く音を肌で感じながら、穂先と柄の根元付近を右の掌で外へと反らしながら――掴み取る。

「ナッ――!?」

 その指先が触れた瞬間に、槍が掌から弾かれた――そう感知した頃には、ゆらりとした曲線描いて、既に の元へと、次の突きの準備と槍は絞られていた。
 回転――貫通力を高める、槍に回転が掛かっていた。
 原理はまるで違うのに、感覚は羽毛のようだ。
 掴もうとする際に生じた風圧に揺られ、するりと抜けて行く。
 
「クッ――!!」
 
 一合、二合には無い技巧。
 老獪な。先を読まれていたか。
 流石に、槍を使う上でのあらゆる対策が練られていると言う訳か。
 
「チッ!!」

 それ以上考え続ける余裕は無く、既に僅かに反れながらも大きな弧を描き、撓るように喉へと迫っていた穂先を、睨み付けながら、完璧に読み違えた自分への不甲斐無さから逃げる様に、前のめり身体を起しながら間合いを取った。

 ――これ程までに厄介だとは、な。
 メニアの槍術も、読みの深さも、全てが経験した事の無い異質の技術ではあったが
もっと根本的に言えば――戦いが巧く、手馴れている。その上、幾度と思うが『老獪』だ。
 如何にも素手の相手云々では無く『自分の空間を保ちながら闘う』と言う事に慣れている感がある。
 踏み込もうとすれば、相手は後ろに僅かに下がり距離感を歪め、相手にとっては最高の位置に、自分にとっては最悪の間合いを常に冷静に保とうとしている。
 また、槍を扱うには適していない狭い道幅だと言うのに、まるで問題が無いとばかりにあっさりと順応し、突きを重視に上下からの袈裟切りと、打ち上げるような斬戟を中心に攻撃してくる。
 だと言うのに自分に居たっては、思った以上に左右への動きが制限されているのが窮屈に感じて居る。御蔭で足を活す事も出来ず、如何にも無理な体勢を作らざるを得ない状況。
 リードブローで牽制等と言う以前の問題だ。

「アンタ――やっぱり最高だよ」

 加熱して行く細胞を冷まさぬ様にリズムを早めに奏でながら、身を持って穿鑿(せんさく)した情報を新たに加えて思考に専心していると、平静を装い切れずに言葉を弾ませて言葉を投げ掛けてきた。

「本当に……底が深い」

 余りに場違いな、艶やかな溜息だった。

「リザードマンとして見ても大きな巨体を持ちながら、アタシの人生の中で『人型』で言えば最速の部類に入るステップワークを見た事が無いよ――だけども『そこ』じゃない。本質は『そこ』じゃない」

 ゾクリ――と、背に生温い息を吹きかけられた様な、粘着質が微かに残る指先で這わされたような、恐怖とは違う『モノ』で心を揺り動かされた。
 仔細一切問題無しとは言え、得も言われぬ感覚ではあった

「今まで見た闘士とはまるで違う、体躯に安寧した乱雑な暴力じゃない。理に基いた技術の上で闘争を制御、合理的かつ論理的な戦術、経験と想像で作り上げる流れ――革新的で、尚も研鑽された闘術」

 拳闘の歴史は紀元前4000年とも言われている。
 歴史は現在に到るまで実に6000年の間、拳だけで相手を倒す事を連綿と絶えず練磨し研究し続けられて続けてきた歴史深い闘争術であるとも言える。
 他の格闘技よりも優れているかと聞かれれば肯定は出来ないが、それでも限定された状況や型に『嵌った』際の技術は、最も効率的な『人間の打突での殺人術』は花拳繍腿とすら見える『芸術的』な何かを持っているかも知れない。
 もしかしたならば、自分が鍛錬して修めて来た技術体系の中に、その辺りの何かが琴線に触れたのかも知れない。

「アタシは恐ろしい、それ以上に喜ばしい。心底そう思うよ」
「――」
「『恩愛すべき規格外』――こんなに素晴らしい術(すべ)と知性を持つ者が、獣であっては為らない!!アンタは化物、正しく愛すべき化物だよ!」

 今まで一度と大きく乱す事の事の無かった構えを僅かに解きながら、顔を伏せるように声を若干荒げながら言い放った。
 俯いている為に、表情は見えない。だが、声色で解った。
 あぁ――楽のしそうだと。

「見せてくれ、魅せてくれ――アンタの底の深さは、そんなもんじゃないだろ?」

 ゆっくりと、寝ていた大型肉食獣が立ち上がるような動作で背筋を伸ばし、構えを正す。
 随分と『恐い』笑顔を浮かべて、口の端を広げていた。

「アタシの槍捌きは達人級、策謀は当代随一、戦闘ならばいかようで御座いやすかってね。少し大言壮語かも知れないが……お互い、まだ本気じゃないだろ?どっちが先に、スキルを使うか我慢比べと洒落込もうじゃないか!」





前へ << 小説(SS)TOP >> 次へ