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Cross Flick Online






  玉石混淆の数多くあるイベントの中で、当たり外れなく高い水準の人気を博している物を上げるならば、最初に浮かぶのに種族イベントが挙げられる。
 要求されるレベルと難易度が若干高いが、プレイするにあたって丁度良いシナリオの長さ、高めに設定された経験値、手に入るアイテムの質の良さ、そして何よりも単純な面白さ。
 その中でもシナリオの中で特に人気があるのは、汎用性の高い装備が多い『ヒューマン』、AGI特化に重宝される装備が多い『リンクス』――そして後方支援型に人気が高い装備が多い『エルフ』だろう。
 自分の友人で在るキリコは完全な後方支援型なので、装備品の話になった際に何度かエルフの種族イベントの話をする機会が合ったのだが――そのイベントの内容と、ロゼの語った内容が酷似しているのである。
 
 と言っても、その内容を細部に亘り理解しているは言いがたく、自分はキリコとの狩り以外は殆どせず、また他のプレイヤーと殆ど交流が無い為に、エルフと言う種族と係わる事が無く大雑把にしか記憶に無いのも正直な所。
 自分はゲームが不得手なので、大概の作品をプレイする前に本来であれば攻略サイト等で情報収集をするのだが、ネットを介して必要な情報を探し当てるよりも、疑問に思った時点でキリコに尋ねた方が解り易く的確だったので『運悪く』調べて居なかった。
 ――こういった事態は予想出来なかったしな。
 心中で深く溜息を吐き、今更ながら湧いて来た後悔の念に浸りながらも、細い記憶の糸を慎重に引き寄せてキリコとの会話を思い出そうと頭を捻る。

 少なくとも確実に解っている事が幾つかある。
 まず、自分の立ち位置――『関わり方』が全く違う、と言う事。
 本来のイベントは『王族殺しの暗殺者であるダークエルフを捕まえる』と言う内容なのだ。つまりは、ゲーム中では『追われる側』ではなく『追う側』だったと言う事。
 そしてもう一つ。
 コレを思い出せたのは僥倖であったと言えよう。
 最終的に倒す相手は『ダークエルフ』ではなく『エルフ』だと言う事。
 そして『エルフ』を倒し感謝の印としてアクセサリーを貰いイベントは終了となる筈だと記憶している。
 そのアクセサリーをキリコが欲していたので、愚痴に近い会話の折りに何度も聞かされたので間違い無いだろう。その程度しか現状に置いて重要そうな内容は覚えていないが、取り敢えずは十分と言えよう。

 やれやれ――背中に圧し掛かっていた猫が、別の猫に変っただけ、か。

 今まで圧し掛かっていた猫は、無いだろうとは確信を持ってはいたが、ロゼが本当に王族を殺した犯人では無いかと言う僅かな可能性。
 これは今イベントの内容を思い出した事で完全に否定出来た。
 つまり、多少の誤差はあるかも知れないが、少なくとも『王族殺し』と言うロゼの身の潔白は証明された。御蔭で一片の、一塵の、一寸の迷いも無く拳を振るえる。
 が、だ――その空いた背中に間入れずに圧し掛かってきた猫は非常に鈍重で、心と背骨が軋みそうになる。
 今、自分が置かれている状況がエルフ専用イベント。つまり、エルフを選択したプレイヤー『達』がロゼを追う為のシナリオだと言う事を考えれば、至極簡単に想像が付く内容――これから自分達は、膨大な人数のエルフと言う『種族』に狙われ続けると言う事だ。
 ゲームの内容が密接に、この『現実』に反映されている世界である事を考えれば、考えるに容易い物である。

 厄介事の『底』だと思ったら、まだ『底』があったか。この調子では後何回『底』へ転げ落ちる事になる事やらと、そんな軽口を心中で呟く。そうでもしていないと現実感がまだ無いとは言え、心寒い想像に身が竦んでしまう。
 唯一の救い――と言えるか如何かは確かな情報が無いので解らないが、この町の状況と、ロゼの口振りを考えるにエルフは基本的に町に住まず、あまり寄り付かない様なので、撒く事が出来れば少なからず、多少の期間であれば町中は安心出来るかも知れない。

「ふむ」

 しかし、そうも言えんだろうな。余りにも楽観過ぎる、見通しが甘い――と、現状で解る範囲の情報を理路整然と纏め上げながら冷静に物事を組み立て直す。
 多少安全だからと町に篭もる事は得策では無い。
 エルフが町に基本的には近付いていないのは間違いないかも知れないが、冒険者である限り少なからず足を運ぶ者も居る筈だ。
 また逆に考えれば、足を運ばないからこそ情報収集に力を入れて居る可能性がある。どの様な情報網が構築されているか解らない状況で、安易に判断するのは不味い。
 ましてや人海戦術を使われている状況で、常に後手に回ってしまう事程に恐ろしいものは無いのだ。
 攻撃は最大の防御也――些か意味を履き違えている気がしないでも無いが、少々目立ったとしても、常に行動する事を念頭に置いて構えていた方が良いだろう。
 もっとも、それは五里霧中を猪突猛進に駆け抜けると言うものではなく、ある程度の向かうべき指針が定まっての話だ。

 そして、自分にはその向かうべき指針が定まっていた。
 幸いな事に――本当に幸いな事に、だ。
 闇の中に差し込める一筋の光明が示す先に何があるのかは解らないが、上手く行けばあらゆる現状を完膚なきまでに蹴散らして、状況を逆転させる真相に一気に近付く事が出来るだろう。
 
 向かうべき場所は『キリコ』の居る場所。
 自分と同じように友人が巻き込まれているならば、確実にこの『イベント』の内容を正確無比に把握しているだろう――つまりは真犯人が解る。
 友人が自分と同じように乗り移っていなかったとしても、知識は変わらない筈。
 同じように全てを把握している――とは言わないにしろ『あちらの現実』が『こちらの現実』に反映されているならば、何らかの有益な情報を持っているだろう。多分、きっと、そこはかとなく、そんな気がする。
 何故ならば、御都合主義は御都合主義故に在り絶えん筈なのだからだ。

「何を考えて居るのだい?」

 『いつも通り』と言えば『いつも通り』であったが、また知識の海に潜っていたらしい。
 無口になっていた自分を胡乱な目付きでロゼが覗き込んできていた。
 ――些か、タイミングが悪かったようだ。
 王族殺しの告白に被せるように、『王の証』らしき精巧な細工の施された金の腕輪を取り出したその直後に、急に相手が黙りだしたのだ。好からぬ想像が脳裏を過ぎてもおかしく無いだろう。

「いや……その腕輪を何処から取り出したのかと思ってな。てっきり袋に入っているものだと思っていたのだが、袋はダミーだったのかい?」

 質問に対して咄嗟に答える事が出来ず妙な間を置いてしまったが、袋に手を付けずに取り出された腕輪を見た際に浮かんできた疑問とすり替え、平静を装い怪しまれぬように答えた。
 隠し事は好かないのだが、イベントに関する情報は言わないでおくべきだろう。
 まだ確固たる情報も無い自分の『机上の空論』と言うべき推測であり、また『あちらの現実』と『こちらの現実』の関係を何と説明すれば良いのか――また説明した所で信じて貰うまでにどれだけの労力と、根気と、精神力と、時間が必要か、それを考えただけでも頭が痛くなって来る問題でもある。

「おいおい、何を言い出すかと思えば……呆れたものだ。君は馬鹿なのかい?自分が持ちうる唯一無二の『武器』ならば、肌身離さず持っているのが常だろ。そんな大事な物を袋なんかに仕舞っている訳が無いに決まっているだろ」

 随分と辛辣な言葉を投げ掛けられたものだ。
 苦笑を浮かべながら「これが虚言を弄した報いなのか」と思う反面「なるほど、確かにその通りだ」と、納得をした。
 冷静に考えれば解る話だった。
 自分も同じ立場ならば袋なんぞには入れずに、常時懐に隠し持つだろう。

 しかし、そうなると幾つか疑問が残る。
 まずは単純に何処から腕輪を取り出したのか、と言う事。
 もう一つはロゼがこの部屋に残った理由である。
 大事な物が袋に入っていた為に部屋に残っていたとばかりに思っていたのだが、常にロゼが隠し持っていたと言うならば、袋以外に理由が在ると言う訳だ――まぁ、それに関しては気まぐれと考えて置くのが妥当な所だろう。

「しかし、その反応を見るに……袋の中身は見て居ないようだね」
「あぁ、見てない」

 誰が好き好んで、パンドラの箱を開けようと思うものか――とは流石に面と向かって言うのも如何かと思い、巧い言葉も思い付かず言葉短く答えた。
 それをどの様に解釈したのかは解らないが、如何やら良い方向に捉えてくれたらしく、ロゼの鋭く尖っていた双眸が僅かに和らいだ。だからと言って三白眼が如何こう為る訳でもないので、あくまでも『僅かに』ではあるのだが。

「人が良いと言うか――あらゆる意味で『馬鹿』と言う言葉が付きそうだね、君は」

 変な枕詞を付けて貰いたくは無いのだが、と思いながらも苦笑を浮かべて曖昧に話を終わらせた。
 ――先程から如何も苦笑しか浮かべて居ない気がするのだが、このまま行けば平素の表情が『苦笑』に為るのでは無いだろうか。
 そのような懸念が一瞬脳裏を過ぎったが、このリザードマンの顔では別段変らないだろうと妙な納得をしてしまった。そんなくだらない思考はさて置き――何はともあれ多少は機嫌が直ったようなので、幸いと思っておくべきだろう。

「ふむ……ならば、袋の中には何が入っているのだ?」

 気持ちに区切りを付けて、このまま脱線して行き着く先まで流れて行きそうな話を多少強引ながら引き戻す。

「色々さ」

 そう言ってロゼは袋に手を伸ばすと、慣れた手付きで袋を開けて中に入っていた物を取り出していく。

「まずは保存食」

 最初に取り出されたのは食料。
 動物の薫製等の乾物を中心とした細々とした食料――これで何日分の保存食となるのだろうか。人間であった自分でも一食持つか如何かと言う量しか無い。

「後は衣類だな」

 次に取り出されたのは衣類。
 と言っても下着の類しか入って居ないようで、無造作に机の上に置かれて思わず凝視しそうになった。
 自分をからかって行っているならば注意も出来たのだが、如何にも無意識にやっているようで、何と声を掛けて良いのか解らず完全にタイミングを逃してした。御蔭で如何する事も出来ず、最終的な結論として視線を理性で制御すると言う非常に単純な方法で落ち着いてしまった。
 取り合えず『黒』が中心だったと、大変不本意ながら網膜に焼き付いていしまった映像を心深くに丁重に仕舞って置く。

「そして宝石類――」
「――」

 感嘆の声を口の中で小さく呟きながら、取り出された煌びやかな金品や宝石に眼を見張った。
 宝石と言う物とは元々縁が無かったと言う事もがあったが、取り出されて来た宝石店のショーウィンドか、豪邸訪問のテレビ番組でしか見た事が無いような宝石や金品は圧巻であった。
 しかし、逃亡中に持ち歩くのは重く、かさ張るので得策では無いだろう。何するにしても、この世界では腕輪一つで――

「ん――腕輪が」

 そこで気が付いた。
 今まで気が付かなかったが、彼女は装飾物を身に付けて居ない――つまりは身分証明書になる腕輪を見に付けて居ないのだ。
 そんな自分の呟きに反応して、片眉を上げながらロゼが視線を向けてきた。

「腕輪が如何したんだい?」
「いや、腕輪は如何したのかと思って……な」
「如何した、と言われても――勿論外しているさ」
「それは何故だ?」
「――おいおい、本気で聞いているのかい?」

 やれやれ、困った事になってしまったな。
 如何やら底抜けのド阿呆か、規格外の変人に思われているらしい。そうでなければ底抜けのド阿呆でかつ規格外の変人と言った所だろう。怪訝な表情どころか、不穏な空気も僅かに漂って来たのを肌で感じとれた。
 自分が疑問に思った事は、この世界では常識的なものだったらしい。
 この調子で行くならば――些か不味いだろう。
 こちらに来てから人との付き合いが無かった事が仇と為り、自分の知らない『常識』が露呈して行くのが簡易に想像付く。
 正直な所、かなり気は進まないが――古典的な手法ではあるのだが、今後の事を考えて誤魔化しておくべきか。

「あまり――」
「いや、な……嘘の様に聞こえるかも知れないが実は若干、と言えば良いのか解らないが私は記憶喪失でな」
「――」
「自我ははっきりしているので今までは問題は無いと思っていたのだが、如何にも要所要所で色々と知識等が抜けている感じで……」

 表情の変化は相変わらず乏しいが、視線が完璧に胡散臭い者を見る目付きに変わってしまった。
 ――もう少し言葉を選び、無難に纏めた方が良かったかも知れんな。
 しかし、自分でも古典的過ぎるとは自覚しているが『私は、本当はこの世界の人間ではありません』と伝えるよりは現実的であろう。

「はぁ――到底信じられる話では無いが、取り敢えずは納得したと言う形にしておこうか。何やら君も訳有りのようだしね」

 互いに視線を外す事無く見詰め合う事、数十秒。
 『蛇に睨まれた蛙』改め『鷹に睨まれた蛇』と言うべきか、火花を散らす詭弁に満ち溢れた思惑と思索の読み合い、騙し合い、語り合い、正しく高度な次元での互いの意識が複雑に絡まり合いながら牽制し合っていた――と、言えば見栄えの良い体裁が整うのだろうが、実の所そのような大層な物では無い。多少その様な『錯覚』を受けた程度だろう。
 もっとも、居心地が非常に良くなかったのは事実であり、また視線を反らさず居たのが功となったのは確かなようで、不本意ながら――実に不本意ながらと言った表情で、溜息を吐きながらロゼは矛を収めるように言った。
 ――やれやれ、人選を見誤ったかな。
 その様な小さく呟く声が聞こえてきたが「それを言うならばお互い様だ」と言う事で理解して頂くしかない。

「それでは君の誰もまだ踏み入れた事が無い純白の部分を、僕の言葉で見事に染め上げてあげようか」

 間違って居ない。確かに間違っては居ないのだが、随分と誤解を招きそうな物言いである。
 また、明らかに含みのある、芝居掛かった妙に鷹揚な喋り方なのが癪に障るが、説明して貰う手前『愚』の音一つも出せやしない。
 難儀だ、実に難儀である。

「まぁ、説明をさせて貰おうか」

 そう言いながらロゼは中指で机を弾く様に小さく叩いた。
 その何気無い仕種がひどく様になって見えた。

「君が何処まで知っているかは解らないが、その腕輪は身分証明や金銭の遣り取り等の他にも、相手の現在地を知る事が出来る。言いたくは無いが……犯罪者がこの腕輪を捨てる理由はそこに在る」
「ほぉ――」
「冒険者で在るならば『冒険者ギルド』に登録されているので、犯罪者として手配が受理されればその場で調べ上げられ、腕輪の利用を無効とし、何らかの施設で使用した瞬間に情報が届くようになっている。だから、皆腕輪を外しているのさ。外してしまえば解らないからね――そういった者を対象として情報屋の『賞金首』と言うシステムは成り立っているんだよ」

 賞金首――情報屋で提供される情報は『この世界』ではそういった流れで入ってくる訳か。冒険者を統括している組織からの情報であるならば、信頼性と言う点では少なからず信用出来るだろう。

「しかし――それは誤認で受理されたりでもしたら堪らんな」
「そいつは僕に対する皮肉かい?」
「いや、そう言うつもりじゃない」
「解ってる、冗談さ。まぁ、君が言った通り、僕のように誤認される事が在るのだから、まだまだシステムも甘いと言えるだろうね。しかし、犯罪者なのか、そうでないのか、と言う白黒を間違う事無く完璧に判断出来るならば、とっくの昔にこんなシステムを活用せずに事を小奇麗に収めているさ」
「――」
「それに、だ。その判断と言うのも厄介な物でね。裁決を下すと言っても、物事――ココでは『事件』と言う言葉を使おうか――そこには『人』と『人』との『血脈』が複雑怪奇に『縁』と『因果』を持って絡み合い存在する訳だ。だと言うのに、そこへ介入するのは「真、正しき理論」と言う『法に遵うべき』ものなのか、それとも「時として必用なのは理性ではなく、感性である」と言う『人としての法に遵う』べきものなのか――賞金首として申請される人間にも、申請する人間にも、少しばかり『情が深い』ものがあるのでね、難しいものなのさ」
「まぁ、それはそうだろうが――」
「故に、ギルドも深くは介入出来ない、何を基準とするかと言われると困るが……それが一番『公平』だと皆が皆、重々承知なのさ。だから証拠過多の余程の『大罪』を犯した者にしか適用されず、また『冒険者ギルド』からはわざわざ人を派遣する事は無い――いちいち構っていられないと言うのも本音だろうが、基本的に『冒険者ギルド』は大きく関与しない立場を崩す事は無い。彼らがするのは先程に言った通り、居場所の特定、腕輪の使用禁止、賞金首の手配程度なのさ」

 確りと考えられているような気がしないでもない。
 大きな組織の介入と言うのは、どちら側かに付いた時点で『何が正しい』や『何が間違っている』と言う様々な物を根こそぎ駆逐し、そこに存在する一切の余情等を封殺する。
 絶対的な公平と言う状況を作るには『組織』と言う物はあまりにも大きく、また足が重過ぎる。
 申請された情報を整理した紙面上でしか判断を下せない状況では、これが精一杯の『公平な判断』と言う者なのかも知れない。
 それに例え誤認での手配だとしても、その申請に対して堂々と主張出来ないのは多少無かれ疚しい者を抱えている証拠だと言う見方なのだろう。
 「やましい事が無いならば堂々と姿を表せ」と言う主張も言外に含ませているのかも知れないが――

「しかし、そんな物で良いのか?」

 ――全体を統括する組織がその様な放任主義で構えて良いものなのだろうか。

「良いのさ、と言うか、それ位が丁度良いと言うべきかな?――何せ、通達するのは『冒険者ギルド』のみじゃないからね。他にもギルドで言えば『職業ギルド』や『所属ギルド』も存在するし、起こしたとされる犯罪によっては様々な『勢力』に狙われる訳だ。僕の場合は所属ギルドに入っては居ないし、職業ギルドに関して言えば暗殺者だからね――あそこの連中に大概が人様に誇れる訳では無いので、追って来る心配は無いがね」
「なるほどな……取り巻く環境によって色々と複雑な訳だ」
「そう言う事さ。『冒険者ギルド』は情報に規制を掛けたりする訳じゃないから、町々に点在する情報屋もそこから情報を在る程度受け取る事も出来るのさ」

 なるほど。組織と言っても大きな『一枚岩』と言う訳ではないのだな。
 大小様々な組織の繋がりが、縦横無尽に駆け巡っている無数の糸が絡み合った途轍も無く大きな糸の塊のような物なのか。
 また、統括となる『冒険者ギルド』はそのように連絡網を広げている訳か。
 普通に考えれば破綻や歪みが出そうなものだが――巧く捌いて居るわけだ。
 これは参った――そう考えると、やはり町に身を隠すのは愚行でしか無いのかも知れないな。

「また、登録されている相手同士の居場所も互いに『情報屋』や『冒険者ギルド』の『登録所』等に行けば調べる事が出来る。条件としては、調べる対象が腕輪を嵌めていなければいけないと言う事のみ。なので、居場所を知られたくない場合は腕輪をその間だけ外していれば良い。話を聞く限りギルドも逐一調べている訳では無さそうだしね――とは言えどれ程の間隔で調べているかは解らないが」
「む……と言う事は、この腕輪に登録している相手の居場所を簡単に探しあてれるのか?」
「あぁ、勿論。情報屋もそれを駆使して預かった緊急連絡等を届けたりしているからね。それにだ、単純に見知らぬ町等の全箇所に預かった情報を発信するのは手間だと思わないかい?だから、ある程度の目星を付けながら情報を必要『そうな』場所へ届けているのさ」
「――思った以上に、情報の伝達率は高いのだな」

 利便性と言う面では劣るだろうが、もしかするならば『あちらの世界』と比較しても中々侮れない情報のネットワークシステムを構築しているやも知れん。
 ロゼの情報が何処まで正確なのか解らず、自分の知識と想像だけでは詳細を掴めないので『侮れない程度には情報の行き来が盛んである』程度に認識しておくのが妥当だろう。

「そう言う事さ。そして、それは当然ながら僕の場合も言える。ギルドには所属して居ないが、なんせ僕はエルフの王を殺した訳だからね。エルフと言う種族は団結力がそれなりに高い種族だ、だから『それなり』の人数が追ってくると思うが――」
「それは既に承知している」

 断言するとロゼは一瞬言葉を詰まらせ僅かに視線を動かしたが、直に何事も無かったように話を始めた。
 自分が思う所があったように、ロゼにも思うところがあったのだろう――ひっそりと慮る事も宜しかろう。

「腕輪に関しては――後は誘惑が厳しいと言うことだろうね。腕輪が無いという事は、金銭が無いと言う事に直結する。つまりは満足に装備も整えれず、また食事も出来ない――誤解を恐れず言えば『人間』では無くなると言う訳だ」
「それは……いや、しかしだ。冒険者で無い人間も数多く――」
「だから『誤解を恐れず』と言っただろ。犯罪者でかつ逃亡者であるダークエルフが、何も無く、何にも値わず、腕輪無く身一つで彷徨うと言うのは同義語に近いと言う事なのさ」

 またか――と、思った次の瞬間には足元から身体を這い上がってくる『何か』を知覚した。背筋を刃物の尖端で撫でられたような緊張が身体に奔る。
 全く予想だにしない拍子に訪れ、作り上げ来た空気を一瞬で霧散、破綻、離散、乱調を起こす峻烈な『間合い』の詰め方である。
 そう言った『モノ』が漂った。
 逆を言えば、その程度の『モノ』で収まった。
 緊張感が無いと言う訳でも、蔑ろにすると言う訳でも、他愛の無いと言う意味でも無く、本質を僅かでも垣間見た自分が、この間合いでの『物事の把握の仕方』と言う物を学んだだけである。
 ――冷静沈着(クール・アズ・キューク)。
 自分の本質である言葉を内側で呟きながら、理性と感性を別々に分け、沈黙と言う言葉で返す。
 相手の立場に立てない、それが当たり前ではあるかも知れないが歯痒いものだ――会話とは違う所で、違う自分が虚ろに呟いたような気がした。

「――」
「――」
「――」
「――半年」

 沈黙を破るように、小さくロゼが呟いた。

「半年だ、僕が腕輪を捨てて逃げ続けていた期間が、さ。腕輪が無ければ何も出来ないと言っても過言じゃない。騙した。殺した。売った。犯された。何だってやった」
「……そうか」
「なんだい――意外と反応が薄いんだね」
「いや、ただ――現実感が無い、だけだ」
「……何とも思わないのかい?」
「さて……如何だろうな」

 本当に如何なのだろうな。
 思う所があるかと言われれば、在る。
 それがどの様なものなのかと言われると返答に困る。
 一番近い感情を言うならば『霄壤(しょうじょう)』と言う言葉が適切かも知れない。
 しかし、思った以上の『モノ』では無い。
 少なからず自分は受け容れている部分が在る――そう言う所は昔と変らずと言うべきか。それこそ、良くも悪くも、肯定も否定も、誤解も正解も、むろん、ゆるりとしたものである。

「ッち――つまらん反応だな」

 人形を思わせる文字通り『微動』しかしない表情のまま、少し気だるそうな空気を醸し出しながらつまらなそうにロゼが呟く。同時に僅かに張り詰めていた空気が一瞬で霧散する。
 内心――多少、自虐的な陰も心底に差してはいるが――安堵する。
 特徴、と言うべきなのだろうか。
 それを会話の中で一つ見つけた。
 饒舌でかつ毒舌であるロゼだが、如何にも『自虐的』な部分がある。
 過去、本質、姿勢――様々な要因が彼女にある事を踏まえ、仕方が無いと言われればそれまでであるが。
 
 『それ』は確かに会話の手段として使い所を間違えなければ有効なのだろうが――ロゼの場合は『それ』ともまた違う気がしてならない。
 もしかしたら自分が思っている以上にロゼは会話に餓えているのか――単純に、構われたいだけなのかも知れない。
 同情であっても、相手の関心を負の感情でも構わず、意識を自分に向けられて居たいのでは無いだろうか――流石に想像が飛躍し過ぎだと思う反面、ほんの僅かではあるが、そのような部分があるのでは無いかと思えた。

「――」

 分割した思考の一つでロゼの事を考える反面――もう一つ、気になる言葉があった。
 それは『半年前』と言う期間。
 何を意味するのかは解らないが、自分がこの世界に来た時期と殆ど一致するのが若干頭に引っ掛かるのだが――自分の考えが全て当たっていると言う訳ではないだろうし、偶然の一致と考えても少なくとも不自然では無いだろう。出来る事ならば、無駄な杞憂で合って貰いたいものだ。

「まぁ、話を戻せば、自分は逃げている間に食事をするにしても腕輪の代わりに、現金か現物が無ければいけなかったからね。幾ら個人の戦力差が在るとは言え武器も底をつき、食事で出来ず、逃亡者として生活するのはちょっとした地獄だよ」

 思考を手放していた内に、気が付けばロゼは話し始めていた。
 あまりにも気兼ね無く言ったので、気に留めず流してしまいそうになったが、言葉を租借し吟味すれば、先程の内容よりも空恐ろしい内容である。
 身の休まる日まもなく、体調も準備も最低の状態。常に底辺を這う様な生活。逆に軽い口調で言われたからこそ――恐ろしさを感じる。

「武器が無くなってからは大変な地獄だったね。ゴブリンも数が集まればワイバーンだって殺せる。上手に扱っていたつもりだが、流石に武器も過度の消耗に耐え切れずに壊れ、相手の武器を奪っても手に馴染む物で無ければ厳しくもあった」
「そいつは――」
「町を出てから3日間、碌に食事も睡眠も取らずに逃げている途中に見つかってね。夜ならば上手くあしらえただろうし、愛用の武器があるならば昼間の戦いでも苦ではないのだが……流石に慣れない長剣では駄目だね。投げナイフも尽きていて、走る以外の手立てが無くなり、このまま駆け抜けるように地獄の口に身投げをするのだなと思ったら――ガラ、君が居た訳さ」
「――」
「ちゃんとした礼は遅くなったが、改めて言わせて貰いたい――ありがとう」

 それは余りにも――不意打ちだった。
 たおやかに咲き誇るような艶やかな笑みは、何処か繊細で、儚げで――月下美人の華が開いた時に偶然にも邂逅したように、ただただ見蕩れてしまった。
 なるほど、これは先程の『間合い』の『ソレ』と同質ではあるが、ベクトルが違う方向へ向いているのだな――と、冷静に物事を整理して湧き上がって来た感情を覆い隠そうと思ったが、目論見通りには上手く行かなかった。

「――止めてくれ。アレは弾みで助けたようなものだと言っただろ。礼を言われても反応に困るよ」
「ならば、礼を言うのをやめようか」

 万策尽きて、気恥ずかしい思いを誤魔化すように口早く自分がそう答えると、物の見事に切り返し無表情に――月下美人は面影無く蕾に戻っていた。
 狐か狸、化生の類に騙された様な釈然としない気持ちになったが、あのまま続けられるよりはまだ良い。
 それに、本当に感謝はしている言う事も解った。
 あの切り返しも照れ隠しか何かなのだろう。そう考えると先程まで慌てていたとは思えない程に波の立たぬ穏やかな水面のような心持になり、何とも言えない微笑ましさの感情が湧いてくる。
 その空気を敏感に察してか、居心地悪そうにロゼはわざとらしく咳払いをすると、払拭するように袋の残りの中身を机の上にぶちまけた。
 重箱の隅を突っ突くように指摘するのも無粋と言うもので、気が付かない振りをして今更ながら先程のロゼの言葉を思い返す。
 実力や戦い方を知らないので明言は出来ないが、真正面からの戦いでは負けないとは思うものの、奇襲等を掛けられたのならば自分は簡単に負けるのでは無いだろうか。
 話を聞く限り、そう感じてしまう。
 特筆すべき『適応能力』と『生存能力』の高さ――また、ロゼが言っていた様に情報を分析し、行動を決するのにも優れていそうだ。

「コイツには面白い仕掛けを施していてね」

 そんな自分の思案を他所に、今更になって恥かしくなってきたのか、ロゼは少し俯き加減になりながら手早く袋を捲り上げて底を剥き出しにする。

「……底を見せて如何する?」
「まぁ、そう急かさないでくれよ」

 純粋な疑問の声を上げると、ロゼはそう言って長方形になっている底に、人為的に付けられた爪を引っ掛けるような傷が底板の端にあった。
 そこへ指を掛けて、対辺にあたる部分が軸と為るように弧を描いて開いていく。
 二重底の間に潜り込ませる様に、二つの底を布で縫い付けられて仕込まれているらしく、最後まで仕込み蓋が底と直角になるまで開くと、それによって皺無く張った布の形が横から見て丁度正三角形の様になっていた。
 漠然としたイメージとしては正方形の紙を対角線にそって三角形を折り、折れている部分の両端の角を内側に織り込んで、最初の物のから四分一サイズの正方形を作り出し際に生まれる空洞――『袋(ぽけっと)状』の部分。形状や構造は全く違うが、似ているかも知れない。
 印象的には口を広げた深海魚のようである。
 見方を変えれば、サイズ的にも雑誌などを置く卓上本棚に丁度良さそうだ。

「ふむ」

 ――効率が悪いな。
 思わずそんな印象を受けたが別に「二重底が」と言う訳ではない。
 二重底は厚みの無い紙等を隠すのに適しているとは思うが、その場合はわざわざ布――形状的に見るとポケットと呼んだ方が良いかも知れないが――を付ける必要は無いと思うのだが。
 着脱可能な仕込み蓋ならば、厚みのある辞書のような者も不自然に隠せるだろうし、また複雑な形状の物でも厚みが無ければ周りを何かで補い、厚みが均等になるようにして仕込み蓋を安定させて違和感無いように出来る。
 しかし、がま口のように開くように布を縫い込んで仕込んだ事で、軸となる仕込み蓋の『辺』は底と縫い付けられて浮き上がることが出来ず、それこそ紙一枚程度の厚み無い物しか隠す事が出来ない。

「それに――何も無いのだな」

 わざわざ見せられた二重底の下には暗い空間があるだけで、何かが隠されていると言う訳では無かった。

「おや、気付かないのかい?」
「……何がだ?」
「こう言う事さ」

 そう言うとロゼは、そのまま作られたばかりのポケットに手を付けた――と思った瞬間に手が沈んだ。

「――なっ!?」

 そこから取り出されたのは扱いが難しそうなビンに詰まった液体や、怪しげな薬草関係が数種――そして、自分が嵌めている物と同じ種類の腕輪が出てくる。

「少々値は張るとは言え、あまり人目に付くと不味いものや、繊細な道具はココに仕舞っているのさ。僕だって伊達や酔狂で『ハイドアウト』をこんな所に仕込まないさ」

 ハイドアウト――『hide out』だろうか。
 直訳するならば『隠れ蓑』や『隠れ家』等に近い意味があった筈だ。雑誌で知られて居ない飲み屋等を紹介する時に売り文句として書かれていた記憶もあるので間違い無いだろう。
 いや、そんな事は如何でも良い。
 それよりも――

「……そいつは一体何なんだ?」

 ――そう質問をすると、またしても胡乱な目付きで見られてしまった。
 この短い時間で何度も見られて慣れて来たとは言え、三白眼で見られると殺気を篭められているような気がしてならない。いや、もしかした、実際に殺気を込めているのでは無いだろうか。

「そうだった、君は『記憶喪失』だったね」

 記憶喪失と言う言葉を僅かに強調されながら溜息を吐くと、呆れながらも丁重に説明をして貰った。
 ――何やら、どんどんと頭が上がらなくなっている気がしてならんな。

 『hide out(ハイドアウト)』と言うのは、闇精霊を仕込んだ布の総称らしい。
 精霊云々と言うのは良く解らない得体の知れない物では在るが、如何やら影を媒体として空間を広げているらしい。
 魔法の道具だけあって若干高価で、中に入る体積量と重量は布の品質や閉じ込められた精霊の量、サイズに比例して決まっているらしい。
 大概の人間は回復剤等や戦闘で随時使う道具、または大事な貴重品等を衣類のポケットにハイドアウトを縫い付け、仕舞っているらしい。
 なるほど――と、腕輪の件等を含めて、様々な意味で納得をした。
 ゲーム中でのシステムは何処かに適用され、現実的では無いゲームシステムの部分も何処かが削られて、何処かで補われているのがこの世界である。
 『アイテムボックス』と言うコマンド一つでアイテムを如何こう出来る物は、流石に現実的ではないだろうとは思っていたが、その代わりとして存在しているのが『コレ』――ハイドアウトなのだろう。
 冒険の際に衣類や食料等のかさ張る物は手に持ち、戦闘中に使用したいものはハイドアウトを縫い付けたポケットや、邪魔にならないフォルダー等の装備に仕舞いこむ。
 それが普通のスタイルらしい。

「……なるほど」
「――君が今まで如何やって生きてきたのか疑問に思ってしまうよ」
「今まで手で持ち歩いたりしていたが……基本的に道具は使わないからな」
「……呆れたものだ。それは何かの拘りか、誰かの遺言かい?」

 馬鹿にするように――実際、馬鹿にはしているのだろうが――呆れながら、容赦の無い言葉を投げつけられた。
 ロゼの言う事ももっともなのだろうが――自分には如何も慣れないのだ。
 「何が」と言う訳ではなく、言ってしまえば「アイテムが」と広義の意味で『この世界の物』全てが馴染まないのだ。大雑把に言ってしまえば『あちらの世界』に無かった物、全てが――である。
 一番馴染み易いであろう装備品や闘士関係のスキルですら、全てのスキルを試したものの、その特異過ぎる能力に慣れるまでかなりの時間を有した。
 魔法関係のスキルは未だに勝手が解らないのだが――それ以上にゲーム中では一番馴染み深かった『回復アイテム』や『補助アイテム』が一番馴染まないのだ。

 左肩を怪我した際に、逃げるようにヒールを掛け続けながら町に戻って来た時、あらかた治ていた左肩に中身を全部ぶちまけたら、ものの数十秒で傷口が解らなくなる程に完治したのを覚えている。
 ゲームのように一瞬で治ると言う訳では無いが、逆再生をしたものを見た様な奇妙な感覚だった。
 使ったアイテムは道具屋で買える一番効果の高いハイポーションだったが、それにしても異様で、異常だった。
 それ以来、魔法スキル以上に『アイテム』には奇妙な違和感を覚えてしまい、如何にも扱う事を躊躇ってしまうのだ。
 また、そう言った理由以外にも大きな怪我をしたのがそれ以降無い事や、アイテムを持ち歩くのが面倒と言う事もあって、その一度しかアイテムを使用する機会が無かった事も大きかっただろう。
 
「説明した上で解って貰えただろうが、腕輪を仕舞っていたのはポケットの中さ。もしかしたら君のその服にも在るかも知れないぞ」
「む――」

 確かにその可能性もあるな――と、若干窮屈ではあったが手を突っ込むと、自分がゲーム中に持ち歩いていた様々なアイテムが入っているのが感覚で解った。スキルの時と同じ様な感覚である。

「――」

 「こんな事ならば早くポケットに手を突っ込んで置けば良かったな」と僅かに思ったと同時に「自分は今まで手を突っ込んだ事が無かったのだな」と言う驚きもあった。
 しかし、理由を考えて見るとすんなりと納得出来た。
 理由は幾つか在る。
 まずは自分が元々両手をポケットに入れると言う習慣が無いと言う事。両手が瞬時に動かないと言う事を窮屈に若干感じる性質なので、大概の場合腕を組んで居ると言う事。
 もう一つの理由は、自分の巨躯の所為だ。
 何故か動きに支障は全く無い、見栄えが悪くない程度では在るが執事服を内側から圧迫している状況では、ただでさえ若干窮屈なパンツのポケットに手を入れるという発想が無かったのだ。

「――」

 ポケットに手を入れたまま、頭の中でアイテムを何とも無しに閲覧していて、そこでふと思った。
 ――ここに仕舞って在る事を知っていたならば、ロゼの治療の際に使えたのでは。
 ――それ以前に、ロゼの治療の際に回復剤を使えば良かったのでは。
 一度考えると歯止めが利かなくなり、堰を切った濁流のような自分の行動の不手際が頭を過ぎり、後悔の念が押し寄せる。
 ハイドアウトの事を知らなかったとしても、部屋にもハイポーション程度の回復アイテムは置いてある。それを使った方が、自分の拙いヒールよりも余程効いたのでは無いだろうか。
 左肩の時もそうだったが、あの回復力を持ってすれば直ぐに完治したのでは無いだろうか。
 自分自身が全くと使わないので、その発想が無かったとは言え、後悔の念に飲み込まれそうだ。

「はぁ――」

 積極的に――とは言わないにしろ、慣れないと言う理由ではなく、使えるものは全て使っていかねば為らないな。
 僧兵上りの自分のスキルには、戦闘を有利に進めるであろう補助魔法も充実しているし、アイテムも回復剤以外にも攻撃速度を著しく向上させる物等もあるのだ。
 皮肉な事に事態が急転しているこの状況ならば、必ず大きな手助けになるだろう。逆を言えば、こうでもならなければ一生縁が無かった可能性もある訳だが、それらに慣れるのが――瞬時に浮ぶ選択肢の中に組み込まれる位に身近に使える程度に慣れるのが、何よりの優先すべき事項だな。

「便利な物だな」

 思わずそんな言葉が零れる。
 我が身一つ、拳一つのみで切磋琢磨し己を高みに叩き上がってきた自分にとっては、意識すれば発動するスキルや、服用すれば能力が上がるアイテムは現実味の無い、何と便利な物だろう。
 もっとも自分から言えば――厄介な物でもあるのだが。
 自分が使えると言う事は、相手も使えると言う事なので、そう言う意味では決定的な『有利』には為らないだろう。
 しかも、現状では自分は使いこなせて居ないのだから、その点を考えれば、逆に相手の方が有利な立場に居る事になる。
 
 それでも確かに扱いこなせれば便利である事は間違い無いだろう。
 『使う』ではなく『扱える』ならば、だ。
 その二つの言葉の意味は全く違う。
 
 ゲーム中と同じ様に、幾つ物のアイテムを同時に使い、補助魔法を唱え、スキルを重ねれば、たたでさえ超人的になっている身体能力は想像を絶する物になるのは容易に解る。
 自分の技量を切磋琢磨し研ぎ澄ます事は当然としても、いざと言う切り札として使えるならばこれほど有効なものは無い。
 だが――コレは現実なのだ。
 何事であっても今まで扱った事が無いような『過ぎた力』を制御するのは難しいのは変らない。

 きっと、たった一つの補助アイテムを服用しただけで、踏み込みのタイミングが、間合いを詰める時の蹴り足の強さが、生まれた力の伝え方が、技に必要な術が――それらが全く違うのだろう。
 もっとも『あちらの世界』にも『この世界』程は差がハッキリとはして居ないが、格闘技に関しては同じ様な事がある。
 例えば全身の筋肉を鍛えて力を付けた、以前よりも身体能力が向上したにも係わらず逆にパンチ力が弱くなったり等――今までの力を伝える技術では、新しく増大した力を制御出来ない。
 ならば如何すれば良いのか――それには鍛錬しかない。
 毎日、型の練習をするのは、サンドバックを叩くのは、怪我をしながら乱捕りをするのは、筋肉を付けたり、技術を磨いたりするだけが目的ではなく、その日々成長している筋肉や技術を使っての動作の『最適化』、運動の『合理化』を行う為でもある。
 
 一番良い例が『ダ・ヴェルガ』だろう。あの時もそうだった。
 確かに速度は人としての限界を超えるほどのものを手に入れたが、戦闘で使用して飛躍的な効果を得れる様に扱いこなせるまでに2ヶ月掛かった。
 その後、数週間の間も、戦闘で若干振り回されて自分の格闘技術が精確に伝わらなかった。

 そう言った事から、補助アイテムがいつでも使用出来ると言うのは解ったが、それを戦闘中に実際に使用すると為れば、まずは身体に馴染ませる為の練習が必要だろう。
 魔法やスキル、消耗品など便利な物が多いが、直に自分の物に出来る程には御都合主義では無かったという話だ。
 己の身一つで戦うと言う条件を満たす限り、手に入れた物を使う事に関して抵抗は無い。
 だが、使用する限りは完璧に――全て自分の血肉とし余す事無く完璧に、だ。

 そう言った点を踏まえ、自分が身体能力を上げるもので実践に今使えるのは闘士関係のスキルだけだろう。次の鍛錬の時から、他の物も出来るだけ取り入れて即急に身体に馴染ませなければいけない。
 もっとも、あくまでも自身の身を鍛えるのが優先すべき事柄ではあるが――その安易な能力向上の魅力に溺れては行けないが、上手く付き合っていけば飛躍的に自分は数段上のステージに立つ事が出来るだろう。

「……君はもしかしなくても中々の馬鹿だな」
 
 今後の闘争への意識革命や、自分の深い思いを理解してくとは言わないにしろ、率直な物言いに心が挫けそうになる。何より言い返せないのが辛い。
 ロゼの視線に耐え切れず、思わず自分は視線を反らしながら長机の上に無造作においてあった、10センチ程度の容器に収められているハイポーションを人差し指と親指で、優しく掴みポケットに入れてみる。
 素材とサイズだけに若干恐る恐るでは合ったが、型に嵌る――と言うよりは吸い込まれる様に入っていく。
 実に奇怪。実に違和感を覚えた。

「はぁ……これからガラに色々と教えなければいけない事が多そうだな」
「……面目無い」
「いやいや、それぐらいで丁度バランスが取れているのかも知れない。ギャップと言う奴も可愛らしいものじゃないか」

 可愛らしい、か。
 四方八方あらゆる角度から覗き見ても、愛らしさの欠片が一つも無いような容姿故に、何とも言いがたい感情が心を過ぎる。

「ちなみに、この服の袖口の部分にも『ハイドアウト』を仕込んで在るんだが、そちらは逃亡生活の間で使い切ってしまっているので1ヶ月ほど前から空っぽなのでね。御蔭で武器と呼べそうなものは薬物関係しかないな。そこらへんは森を渡っていれば見付ける事も出来るからな」
「君は薬物に長けているのかい?」
「僕の性格上、また職業の性格上得意な分野ではあるが、流石に戦闘向きとは流石に言い難いね。あくまでも仕事上での『補助』として活用していたのでね」
「まぁ、普通に考えてそうだろうな――しかし、そうなってくると、ロゼに合う武器を整えるのが先決か。出来るならば早めに揃えたいし、金品の換金は後にして、今回は私が払いを持とう」
「――」

 自分がそう言うと、表情は殆ど変らなかったが、ロゼから何とも言えない雰囲気を醸し出されてきたのが解った。
 慣れてくれば、表情が変らずとも読めてくるものだな。

「なんだ……何か、不都合があるのか?」
「いや、不都合は無い。が、不満がある……と言うべきかな。理性ではガラの言葉に甘んじて装備を整えた方が良いと、それが正しいと解っているんだが――如何しても受け容れがたくてね」
「……他人に弱みを見せたくないと言う奴か?」
「少し違うが、まぁ『性分』と言う意味では同じだね。『欲するならば、まず与えよ――』と言う訳じゃないが、僕は君に何も行って居ないのに、施しを受けると言うのは如何にも釈然としないと言うのが本音さ」
「金品類を換金した後で、装備代金分を返えせば施しにならんだろ?」
「それでも、だよ」
「それでも、か――しかし、そうなると困ったな……ロゼの願いに沿う形にするならば、その手続き等の間に装備する物をこの部屋から見繕わねばならんぞ?」
「む――まぁ、まだそっちの方が良いか、な」

 この我侭なお姫様め――変な所で頑固と言うか、融通が利かないと言うか。
 もっとも、換金にするにせよ、装備を整えるにせよ、どちらを先にするにしても何か身に付けている事に越した事は無いか。
 ――と言っても正直な所、この世界に飛ばされる前にゲーム中で持っていた物しか殆ど置いて居ない。
 バンクに行けばゲーム中に使わない預けていた、様々なアイテムがあるだろうが――何を装備するのか解らなんし、それならば先に武器屋に行った方が効率的だろう。

「取り合えず……現状であるのはハンティングナイフと、クリクぐらいだが……扱いは如何だ?」
「……僕の愛用していた武器は確かに短剣なので扱えるには扱えるが、手に馴染むかと言われれば否定して置こう。僕の愛用していた短剣は、少々形状と使い方が特殊だったからね」
「不安の残る言い草だな。まぁ、嘘を吐かれるよりは良いが」

 しかし、武器となると部屋にあるのはコレしか無い。
 他に何か無いかと頭を捻りながら、角の削られた岩のような感触の頭を掻きながら考えて居ると、ふと思い出した。

「……後、アレがあったな」
「『アレ』?」

 ロゼの疑問の声に答えず、記憶を探りながら長机の引き出しを開けていく。

「ココでは無かったか――と、なると……お、あったあった」

 引き出しの次に開けた、引き戸の奥に仕舞われて完全に忘れていた『ソレ』を見つけ、ゆっくりと取り出す。
 『ソレ』は光り輝く金色の稲の絨毯の一部を切り取ったような色をした、肌理細やかなふさふさの毛に覆われた緩やかな三角形の形を描く小山が二つ、見るからに質感の良さげなヘアバンドの上にくっ付いていた――まごうことなき『狐耳』である。
 しかし、狐耳と侮る事無かれ。
 狐耳を笑う者は、狐耳で鳴く。
 見た目が愛らしい事は然る事ながら、頭部防具としても非常に優れた性能を持つ、自分がバンクに預けて居る装備品を含めてもトップクラスのレア度を誇る超高額アイテムであり、ゲーム中で非常に御世話になっていた装備――なのだが、ゲーム中ならば良かったが『ココ』は現実である。
 いかつい巨漢のリザードマンが、愛らしい狐耳を付けるというのは一種のホラーである。
 見た目の嫌悪感で相手を怯ませると言う手段を、自分の信念やプライドと言う『背骨』となる部分を安価で叩き売ってまで行いたいとは思わなかったので、ステータス面では『申し分無い』装備だが、流石にビジュアル面では『申し訳無い』と思って装備していなかったのだ。

「――むっ?」

 久方ぶりの再会に哀愁を漂わせて居ると、背後からの鋭い視線を感じた。
 何故かロゼの視線が粘着質を鱈腹(たらふく)含んだ、極めて『ネットリ』とした変質者を見るような蔑んだ物になって居た。

「……まさか、それを装備させるために僕を助けたんじゃないだろうね」
「――」

 あまりにも想像だにしていない言葉だったので、理解するのにたっぷりと十秒ほど掛かったが、言葉の意味を理解した瞬間に自分の構図を自覚した。
 屈強なリザードマンが、助けたダークエルフの美女に、狐耳を装備させようとしている――非常に、非常に不味い、自分の人生史を閲覧しても滅多に無い程の第三者に見られたくない構図である。

「――変な誤解はしないでくれ」

 思案に思案を重ねた上で出てきた言葉は、それだけだった。
 それしか思い付かなかった。
 しかし、その言葉の響きは万感の想いが込められている重さがあったと主張したい。

「誤解も何も無いだろう。ありのまま、あるがまま、だ。いやはや、ココに来てよもや身の危険を感じるとは些か驚いているよ。正しく驚愕に値すると思わないかい?」
「グッ――」

 必要以上に淡々と喋っているのはわざとなんだろう。
 逆毛を撫でられた様な気分になり、反論に次ぐ反論、異論に告ぐ異論、討論に告ぐ討論を八重、九重と言葉巧みに言い放ちたかったが、この状況で幾星霜と重ねても三途の川で積み上げられた石の塔の如く、一蹴されて心身ともに深瀬へ沈められたような気分になるのが眼に見えていたので、口を硬く閉じて眉間を寄せるだけで留めた。

「まぁ、ガラがそう言う趣味が在るならば着けても良いが……どうするかい?」
「私に聞かないでくれ」

 間入れずに快刀乱麻を断つ如くに言うと、ロゼは口の中で転がすような皮肉気な笑みを小さく、だがはっきりと浮かべた。
 本質が如何のと言う戯言を用いずとも、明らかに楽しんでいるのが解った。

「はぁ――話を戻すが、見ての通りの装備品しか私の部屋には無い。取り敢えずはその短剣二本を持って貰うにしても、やはり外で装備を整えた方が良さそうだな」
「出来れば換金よりも装備品を整えたい――だろ?」
「そうだ」
「気が進まないな……先に換金に回っては駄目なのかい?」
「駄目、と言う訳じゃない。本来であれば別に良いんだが……現状では何が起こるか解らんからな。いざと言う時に『装備が整って居ないので実力を出し切れません』となっても、互いに困るだろ?」
「はぁ――参った。それを言われたら僕は何も言えないよ」

 そう言ってロゼは右手で髪を撫で上げながら観念したとばかりに溜息を零した。
 そう、装備品を整えると言うのは何もロゼだけの為では無い。言ってしまえば、自分の為でもあるのだ。
 何時、何処で、どの様に、何故――如何なる状況になるか解らない。
 その事を考えれば『装備品を整える』事と『金品の換金』の優先順位を比べてみれば明らかに前者である事は納得して頂けよう。

「解った。君が正しい。間違ってない。これ以上言っても、ただの我侭だからね――素直に従うよ」
「納得して頂けて光栄だ」
「ただし、あくまでも一時的に借り受けるだけだ。後で確りと支払わせて貰うよ」

 そう言う事は、貸す側が念を押す事だと思うのだがな。
 随分とまた変な所で律儀な御仁であるな――と、頭を掻きながら、嘆息を吐く。

「方針も決まった事だ、思い立ったが吉日と言うし――行くならばさっさと行くか」

 一度立ってしまったので座るのも面倒であったし、行動は早い方が良かろう。
 入るか不安では会ったが、無事に狐耳をポケットに仕舞いこむと、話をそう切り出した。
 自分の提案にロゼも異論は無いのか、一度肩を竦めると短剣二本を長机の上から手早く掴みながら音も無く立ち上がった。

「しかし、まぁ――やれやれ、随分と長い時間をこの部屋で過ごした気分だな」
「何か言ったか?」
「いや、何でも無い」

 大した独り言でも無かったので小さく首を振って誤魔化しながら、先立って部屋の扉の前に立ち、ロゼの為に扉を開いて服装に見合った動作で執事らしく恭しく一礼をして一言。



「さて、参りましょうか、ダークエルフの御姫様」
「あら、皮肉が利いていますわね、異形の君」



 如何やらこの勝負の軍配は、ロゼの方に上がったらしい。





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