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Cross Flick Online

 




 嫌な筋肉の張り方をしているのが自分でも解った。
 思わず舌打ちをしそうになるのを堪えて、四肢を僅かに動かす。
 気が逸り立っている事を自分でも実感は出来ていたが、それ以上に緊張をしているらしい。不自然な力みが身体に入り、一本一本の筋肉の繊維が『しなり』を失った硬さになっているのを感じ取れた。
 これは不味い――そう思った時には肉体は反応しており、深く息を吸い込み『呼吸』の為の準備をしていた。

「弧ォ――」

 呼――身体を水面と捉えて臍(へそ)に水滴を落とし、ゆっくりと全身へ波紋を広げて行くイメージで下腹(丹田)と尻を中心に力を徐々に込めながら、全ての酸素を筋肉で圧迫して口から残らず吐き出す。
 吸――揉み解すように脱力を行い、同時に身体へ染み込むように自然と入ってくる酸素を、膨張していた筋肉を収縮させた後に生まれた『空間』に流れを変えずに緩やかに浸透させていく。
 押上げられて悲鳴のような音を立てる衣服を無視ししながら、それを幾度か繰り返し、徐々に呼吸の時間幅を短くして、最終的に普通の呼吸に戻していく。

「――」

 ふむ――良い具合だ。
 両拳を何度も握り締めながら全身の張りの具合を確かめると、不自然な張りが消えていた。
 その代わりに全身を包む違和感が残ったが、これは呼吸を落ち着けている間に消えるだろう。
 心身は常に繋がっており、互いを映し出している。
 誰に言われたかは思い出せないが、その言葉通り身体から緊張が消えると、僅かばかりだが心に余裕が生まれ、背中越しに感じられる彼女――ロゼッタの事を気になった。

「ロゼッタ」
「NON――ロゼと呼んで貰いたいな」

 悠然と言うより恬然。恬然と言うより冷然。
 研ぎ澄まされた氷面の様に冷たく起伏の無い『ロゼ』の声は、緊張の余りの事なのか、余裕が有り余っての事なのか判断が付かない。いや、大方後者で在る事は間違いないのだろうが、この状況で普段と変らないと言うのは、彼女の死地を掻い潜って来た経験からなのか、それとも生来のものなのか判断に苦しむ所だ。
 しかし、何度も名前を『ロゼッタ』と呼んでしまう自分が悪いとは思うが、毎回御丁寧にも訂正を求めて来る程に拘るものなのだろうか。

「……ロゼ」

 僅かに返答が遅れてしまったが、内心を気取られぬように話を続ける。

「なんだい?」
「君に謝らねばいけぬ理由が出来てしまった」
「ほぅ?」
「結果的に嘘になってしまった――と言う話だが、理由を聞かずに君と協力関係を結んだ事を今になって僅かながら後悔をしている」

 薄っぺらな謝罪を貼り付けた溜息を吐き出しながら、枯れ枝が折れる音が響いて来た方向へ意識を鋭く尖らせる。

「何だい、そんな事か。それぐらい気にしなくても良いさ」
「そうか?」
「そうだとも、それはガラが思っている以上に正常な反応であり、正しい感性だ。証明されて良かったじゃないか、君はまだまだ『普通』の人間さ」

 互いに背中合わせ――と言うには身長差があり過ぎるので、ロゼの後頭部が自分の背中に当たる形になっているが、「それに」と言葉を加えながら僅かに体重を預けきたのが解った。

「僕がガラと同じ立場ならば後悔する前の段階で、確実に相手の背後から縊り殺しているだろうからね。いや、それでは時間が無いとは言え芸が無いか」
「随分と物騒事を……まぁ、そう言って貰えて幾分か気が楽になった」
「そうか、そいつは良かった。しかし、楽になるのは構わないが緩めはしないでくれよ」
「あぁ……今回ばかりは忠告として受け止めて置こう」
「おや、こいつはまた縁起が悪い。御得意の皮肉すら言えない程に余裕が無いのかい?」
「自慢じゃないが余裕が無いのは元からだ。それに加えて如何やら最近は運も私を見放したようでね」
「NON――その言葉は適切では無い。見放したのではなく、分が悪いと感じて逃げただけさ」
「ほぅ、その根拠は?」

「今現在、君の傍には幸運の女神がついているのだからね」

「……」
「――黙らないでくれ……ちょっとしたユーモアだ」
「いやいや済まない、少々感心していたものでね。言い得て妙だ、とな」
「――ッ」

 羞恥の極み――そう背中越しにか細い囁く言葉が聞こえたので、思わず笑みを浮かべてしまいそうになったが、流石にこの状況で笑うのは少々不謹慎だろうと思い、声には出さず肩を震わせて笑う事にした。多少憚られたが、それ位の余裕があった方が何事も上手く行くような気がしたのだ。

「……」

 肩を震わす自分に対して、ロゼが苛立ちながら抗議するように肘で叩いてきた。
 が、羞恥から来ているもので力もキレも無く、逆に微笑ましく思えてしまい笑みが濃くなるのが自分でも解った。
 幸運の女神――改めロゼの発言は、彼女なりの気遣いだったのだろう。
 1日にも満たない短い時間の付き合いでは在るが、幾つか彼女に対して理解した事が在る。
 意識的に無意識的に関わらず一定の距離から線を引き、極力――自分から深く踏み込もうとしている訳では無いので解らないが、場合によっては拒絶と言い換えても良いかも知れない――自分の間合いに踏み込ませない様にしている事。
 その事実が直接関係しているかは解らないが、他人との『間合い』を取るのも、維持するのも、見切るのも、また作り出すのも苦手と言う事。
 だと言うのに饒舌でかつ毒舌で、相手に気付かれぬ様に気に掛け、前触れ無く相手に自分の内側を晒したりする。

 それらを考えるに、彼女は今まで孤独に身を置いており、単純に人との関わり合いが極端に不得手なのでは無いかと推測出来る。
 仕事上の、情報収集の、艶事の、罵詈雑言の――そう言った言葉の言い回しや語彙の豊富さは、会話の端々で見られるので得意なのだろう。
 ただ、相手を信頼しようとしながら、出来る限り気を許しながら――そう言った会話が経験として皆無に等しいのではなかろうか。
 あくまで推測――とは言え殆ど確信持って入るのだが、人種、経歴、雰囲気、何より彼女自身が語る口振りから察するに、当たらずとも遠からずと言った所なのだろう。
 だから如何したと言われれば、それから解る事は一つ。
 ロゼは今までが如何であれ、決して悪人ではない。
 むしろ「背中を見せても良いと思っていたい」と自ら言ったとしても、直に実行して砕心かつ細心を配るとは人が良いと言わざるを得ぬだろう。
 自分としては、それでこそ背中の『魅せ』甲斐が在ると言うものだが。
 ――あぁ、そうだった。
 忘れてはいけない美点を忘れていた事に気が付いた――何よりも彼女は『ユーモア』に満ち溢れている。

「それだけ笑えるなら十分だな。調子が出て来たようで大変結構だよ」
「いやいや全く君の御蔭だ、心より感謝する。流石は女神様、面目躍如と言った所だな」
「……ッチ。僕もガラの御蔭で久しぶりに『はしゃい』で踊れそうだよ。ただ、陽の目に当たりながらで踊るのは苦手でね、眩し過ぎて『たまたま』手元が狂ってしまうかも知れない。先に謝っておこうかい?」
「冗談でもそう言うのは止めてくれ。こう見えても私は小心者なんでね、身震いしてしまう――と、『彼等』もそろそろ準備が整ったのか、くだらん乱痴気騒ぎを行いたくてウズウズしているようだ」
「あぁ、そのようだね。僕らに全てを打ち撒けたいのさ」
「何を――とは訊かないでおこうか、大層な物では無さそうだしな」
「賢明な判断だ。さて、準備は良いかい?幕が上がるよ」

 ロゼが言うと同時に風が吹いて居ないにも係わらず、拍手代わりに幾重の葉が擦れる音が奏で響いた。
 如何やら御喋りの時間は終わり、御伽噺の時間が始まる様だ。
 騙し合い、読み合い、奪い合い、語り合い、殺し合い、嘆き合い――または、愛し合い。
 自分等が演ずるのは、どの演目か――そんな御託を並べていると、拍手の次は『臭い』が南風に乗って流れてきた。
 闘争の、ぬめりのある生ったるい臭いだ。
 ガシャン――と、妙に鮮明な音が、自分の内側の何処からか聞こえてきた。
 人によっては『スイッチの入った』『撃鉄の上がった』『氷が砕けた』等と表現するのかもしれないが、自分の場合はそう『檻が開かれた』と表現するのが一番正しいかも知れない。
 鉄柵で重囲された強固な檻の扉が、少しずつ順々に開かれていく。
 そして扉は軋み、鈍重な速さで最後には全て開け放たれ――それを認識すると同時に、唸り声が響いた。
 その唸り声は低く、重く、地を這う様に広がり、内側(領域)を覆い尽くし、小さな残響音を残していく。それは何処と無く、浅く大きな器にゆっくりとタールを流し込んでいくのに似ているかも知れない。
 そんな残響音が纏わり付く中、奥の方から段々と金属と金属が擦れ合う甲高い音が近づいてくる。
 まだ来るな、まだ早い――心の中で『それ』に言い聞かせる。

 『それ』は無数の鎖で幾重にも拘束されている赤色の大蛇だ。
 鎖に捕らえられているのか、それとも鎖を捕らえているのか、それすら判断出来ぬ程に絡まり合った赤色の大蛇。
 その姿は例えるならばマグマ――流動性の低い高温の、液体となるまで熔かされた金属で蛇の形にあしらったものにも見える。
 それが今、爛々とした双眸を輝かせ、口から熱風孕んだ唸り声を洩らし、鎖を熔かし、引き千切ろうとしている。

 この世界で闘争が目前まで迫ってくると、何時も浮かんでくる情景だった。
 その蛇が何なのか、自分は何と無く解っていた。
 あれは自分の内に在る『闘争』や『暴力』――そう言ったものを形造ったものだ。
 昔から何と無く思っていた事ではあった。
 自分の闘争の根本に存在しているのは蛇だ、と。

 人には千差万別の戦い方がある。
 自分は理詰めや計算で流れを見極めながら戦う――武術を学問と捉える人間だった。
 幾つもの何十、何百、何千、何万と常日頃の戦いや練習で選択肢を作り、その時その時の流れや間合いを読み、的確なものを瞬時に組み合わせ、戦いを組み立てていく。
 戦いで流れの支配権を奪ったならば、最後まで掴み離さない。
 その分、感性で戦うと言う事が苦手で、想像の範疇外の動き、初めて戦う相手、未知の技術――そう言ったものには全て経験と、予測で補うしか無かった。
 そんな戦い方をする自分の事を色々とふざけ半分で格好の良い『字(あざな)』で呼ばれたりしたが、どれも『カチリ』と嵌るものではなかった。
 周りが何と言おうとも、やはり自分の本質はやはり蛇なのだ。
 絡み付く様に間合いと動きを制して、動作だけでなく呼吸すらも読もうと凝視し、肉も骨も軋ませるようにじわじわと弱らせ、流れによっては身動きを取れぬ様に捕らえ、場合によっては牙を剥き、毒すら用いり、確実に衰弱した所を最終的に頭から『ガボリ』と飲み込む。
 そこに在る技術は勿論の事、手数、流れ、間合い、戦術――何よりも、それらを活かす為の『速さ』が肝となる戦い方。

 この戦い方は間違いでは無い。
 ある種の利に適った戦い方だと自分でも思う。
 しかし、本来ならば体格を活かした闘い方をするのが一番だと言う事も理解していた。
 けれども自分は――『俺』はそうする事を出来なかった。

 俺にとって格闘技は『力』ではなく、卓越な技術と、洗礼された流れ、何よりもそれらを可能にする圧倒的な『速さ』が根本であり、それは憧れであり、同時に『信仰』なのだ。

 その信仰は子供の頃にリングサイドの席で見た、父親の背中を見た時から始まっていた。
 あまり力強い印象の無かった父が、リングの上では屈強で強面の外人を相手に、軽快で瞬きする暇も無い程に速く、淀み無く鮮やかな戦い方で勝利をする姿は何よりも鮮烈に眼に焼き付いた。
 そんな父親に憧れを抱くのは当然の結果で、それが切っ掛けになり格闘技の門を叩いた俺にとっては父の――OPBFライト級の王者であり、歴代ライト級王者の中で『最速』と言われた男の『ソレ』が全てだった。

 だが母方の家系の影響か身長が高く、身体付きが良くなってしまった俺は、皮肉な事に格闘技者としての『強さ』は手に入ったが『最速』を目指す事が出来なくなっていた。
 だから体格の良過ぎた俺はボクシングを早い段階で辞めて、キックや総合へ移るしか無かった。

 俺は強くなんてならなくても良かった。
 父のようなジャブを――速いジャブを打ちたかった。
 サウスポーにしたのは組み付き易さの為では無い。
 ただ、ただただ速いジャブを打ちたかったからだ。
 早い、疾い、速い、捷い――だから、俺は、空に、風に、憧れる、蛇だ。

 意識が混濁とし現実との境界線を侵し融け合い、交わり合う。
 細胞が高熱を帯び躍動し、脳内麻薬が激しく分泌されていく。

「――」

 不意に熱を帯びた左肩に鈍痛が走り、僅かに現実に引き戻された。
 戦闘を目の前にして夢想に溺れる――それは致命的な事だと解っていながら、またやってしまったようだ。
 興奮なのか何なのか解らないが、自分に『何か』を訴え掛けるように理性も感情も何もかも一緒くたに飲み込まれる――そう言った経験が、段々と頻度多くなってきたが、その度に左肩の完治した筈の傷が、自分を現実へ戻してくれる。
 自分にとって最初に死を意識させたこの傷痕――闘争への油断や緩みを消し去った戒めであると同時に、自分を現実に繋ぎ止めて置く楔でもあった、皮肉な事に。
 
「――ふぅ」

 深呼吸をし、僅かでも内に篭もる熱を逃がそうとする。
 不味い、とは俺――『自分』でも常々思っていた。
 死を目の前にして呆けるとは何事か、自分はそこまでにこの現実を受け容れ始めたか。
 確かに思い当たる節はあるが、けれどもソレだけではない気もする。

 戦闘へ慣れてきてしまっているのは自覚が在る。
 しかし同時に、今でも悪夢にうなされたりもする。
 怖い。泣きたい。助けてくれ。嫌だ――そう言う思いも嘘ではない。
 それは変らず、変らずに『人』としての正常な感性が自分の心に残っている。

 しかし、ならば『人』ではない感性とは何だろう。
 それは闘争を選んだのは自分の――それ以上に雄としての部分が、原始的な声に為らぬ『音』が、魂の殻を破り解き放てと叫んでくる本能であろう。
 融合――やはり融合なのだろう。
 一般人であった渡河としての自分と、人としての一線を越えているガラとしての自分。
 また、この世界では正常である事は難しく、抗する術を知らない自分は妥協点を見出すしかなかったのだろう。
 だから、仕方が無く――

 カヒュ。

 と、自分の思考遮って、圧縮されていた空気が抜けるような音を踵から鳴らした。
 その音に「偽るな、嘯くな、抜かすな」そう言われた気がする。
 そう聞こえたのは自分に後ろめたい思いがあったからか解らないが、見たくない物を無理矢理見せ付けられた気分になった。
 ――あぁ、やはり現実を目の前に逃げる事は叶わぬか。
 酷く苦い、辛酸を舐めるよりも苦い思いが広がる。
 もう引き戻せない。現実に対して『覚悟』を決めねばならなかった。
 全てが嘘では無いが、確かに自分は嘘を吐いていた。
 嘘、とは少し違うかも知れない。言うなら肝心な部分をひた隠しにしていたのだ。
 いや――それすらも言い訳だ。
 解っている。解っているさ。解っているんだ。
 理性だ、本能だ、融合だ、闘争が如何の、人として如何だと幾ら言おうが、俺は、私は、自分は結局『闘争』から逃げたくなかった。
 それは人として正しく道を外そうともだ。
 何故なら『ココ』でなら――最速へ近付いている実感が出来る。
 それが、何よりも、嬉しい。
 
「――」

 内で叫喚を上げた混沌とした思考とは別に、耳は周りの音を逐一拾い、彼らの囁く声を脳に響かせた。
 数日前まで、オーク達との戦いを繰り返していた森は変らずうっそうとした森の様子を浮かべているが、自分達の周りを囲むのは醜悪なオーク達では無い。
 木葉のように尖った耳が特徴的な、美しい容姿の森の民――エルフ達だ。
 見渡せば、空に向かって伸びる木々の少々頼りない枝の上で弓を構えている者、太く硬そうな幹から短剣や細身の片手剣を手に持ちこちらを窺っている者等、嫌でも視界に入ってくる。
 軽く見積もっても十数人。下手をすれば二十人近く居るかも知れない。
 
 それは今まで隠していたモノを晒し、受け入れ、覚悟を決めなければ為らない程の明確な『現実』だった。
 それはつまり――正しく、正しく人間を辞めれるかと言う手前まで来たと言う事。
 そう思った瞬間、少しだけ口の中から水気が引き、背を冷たい何かが這った。
 が、逆に言えば、その程度だった。

 今までがこの世界で生きて行けるか如何かと言う最初の扉なら、これから始まるのは正しく人を踏み外した修羅と為れるかと言う扉。
 数刻前の戦いのように我武者羅に越えるのではなく、理性と知性を持って明確な意思で超えるのだ。
 やれるか――と、最後に己に問いかける。
 やれるさ――と、身を捻り蛇が嘲笑う。
 そうか、と自分で不思議と納得した。
 ああ、やはりか――自分は人すらも殺せるようになっていたのか。
 自分が覚悟を決める決めない以前に、信仰を捨てる事が出来ない。理想を叶えられると解った瞬間に、今まで気が付きはしなかったが何処かに潜んでいたらしい。

 正直、好き好んで殺したくは無い。闘うならばルールが在る場所で戦いたかった。
 もしも「殺したくない!」と叫んで叶うならば幾らでも叫ぼう。 
 だが――だが、だ。
 如何しようも無い、本当に如何しようも無い状況であれば、自分の肉体は一切の躊躇をせずに淀み無く動くのが不思議と解った。
 戸惑いや困惑、戦闘に置ける躊躇は纏わり付く『水』のようなものだ。
 動こうと思えば幾らでも動けるが、身体からキレを奪っていく――それだけはあっては為らなかった。
 
 覚悟が出来ている。
 その言葉を反せず、今までの人生から一つ道を外れる事が出来るか如何か、それを戦う前に自分に問い掛けたていた。
 そして――人として悲しくもあるが、予想以上の答えを得た。
 ならば、ならば進む道は決まった。

 蛇のまま、蛇のままで、流れるままに、最速と為ろう。

 瞬間、鎖が、解けて、出てきた。
 赤色の大蛇が、高温の焔蛇が、知性を持つ毒蛇が――風の先を駆けるだけの蛇が。
 ――駄目だ、まだだ。
 熱が膨れ上がる。筋肉が膨張し、服を内側から押し上げる。
 ――落ち着け、合わせろ。
 唸り声が轟く。皮膚が歓喜を叫びながら鋼の如くに硬度を高めていく。
 ――解ってる、もうお前は自由だ。
 窮屈そうに暴れる振動が響く。『ダ・ヴェルガ』が、怪しく鈍い光を映しながら風を内側に孕んで行く。
 ――焦るな、これから長い付き合いになるんだからな。
 双眸が妖しく煌く。ガントレットを硬く握り締め、普段よりも両方の拳を顔の傍に持って行き、駆け抜ける準備をする。
 ――良い子だ、上手くやって行こうじゃないか。
 より一層、左肩の傷痕が熱を強めて行くのを感じながら、細胞と同じ様に熱を帯びている粒子の奔流を意識する。
 スキル発動――<闘気呼吸>
 筋肉の繊維が、全身の細胞が、今まで以上に――始めて体感する熱量に悲鳴じみた叫声を上げて一際高まる。

「しかし……何だい。ある意味予想通りと言えば予想通りだけど、ね。行き成りこうも仕掛けられるとは驚きだよ」

 見計らってなのだろうか、それともたまたまなのか解らないが、鋭いロゼの声が聞こえる。

「私から言えば罪名が罪名だけに、妥当と言えば妥当だと思うがね」

 出来るだけ声色が何時もと変わらぬように装いながら答えを返すが、声にも熱が篭もっていたかも知れない。

「随分と含みのある言い方じゃないか」

 相手が徐々に距離を詰めてくるのが解ったので、自分たちも互いの立ち位置を把握しながら触れ合っていた部分を、僅かに浮かす。

「毒で無いだけでも感謝して貰いたいものだ『幸運の女神』改め



               ――『王族殺し』の『リズィ・リルス』」



 正しい意味で始めての『闘争』を前に、その言葉を置いて行く爆発的な加速で蛇は駆け、演目は開演と相成った。





           『Cross Flick Online(クロス・フリック・オンライン)』
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 何気なく置かれた言葉を目の前にし、少なからず困惑をしながら口の中で反芻をする。

「王族殺し、か」

 反芻した言葉以外に、肺の底に沈殿して居る重い空気も一緒に吐き出しそうになるのを飲み込み、眼鏡のずれを直しながら椅子に背を預けた。
 これはまた、思った以上の厄介事に首を突っ込んでしまったのでは無いだろうか。

「そう、僕の首に不本意ながら付けられている『血統書』の札に書かれている名前がそれさ」

 表情を微動だにせず、事も無げに語るダークエルフの美女――ロゼはそう言いながら他人事のような態度で腕を組み、こちらに特徴的な三白眼で鋭い視線を向けてくる。
 ロゼからすれば別段睨み付けようとしている訳では無く、ただ視線を向けただけなのだろうが、誤解を招きかねない眼光の鋭さが彼女の眼にはある。
 そこがロゼ独自の魅力であり、ひどく癖のある絶世の美女と言う印象を与える要因となっているが、それを差し引いても相手に与える印象は余り良いものでは無いだろう。
 だからと言って、自分が何かを言って如何にかなる話だとは思えず、また口を出す話でも無い。が、もう少々、他人の視線と言うのを気にしてみても良いだろうに。

 そんな事をつらつらと考えて見たものの、そこに大した意味も無く、自分の思考があらぬ方向へ外れて状況を上手く処理出来て居ないのを自覚した。

「――ふぅ」

 自分が思っている以上に困惑しているのかも知れない。
 何度か浅く呼吸を繰り返し、余計な思考を頭から追い出す。
 そして考えるべき事柄――話の意図と、彼女の意図、それらが絡み合って『だま』になっている糸を解き解し、それらが何を意味するのか考え、思考に指向を与える。
 ――薄々気が付いていた事ではあるが、何と無く流れと言うものが見えて来た。

 多分、そう言う事なのだろう――と、内心思いながら『それ』を指針として定めてから改めて思案し、ゆっくりと視線を動かして、彼女と自分の間に置かれている机の上に鎮座する袋に視線を落とした。

 王族殺し。
 その言葉が意味するもの、または深く関係しているであろう『モノ』がこの袋に入っているのだろうか。
 袋の形状は巾着のように口を紐で縛るタイプの形をしており、素材は動物の皮をなめした丈夫そうな革製の物で、遠い昔に深夜テレビで見た西部劇の映画で近い物を見た記憶がある。
 無造作な扱いに耐えれる程に丈夫で、ある程度ならば中に入る量を変える事が出来る――持ち運びは若干面倒そうだが、この時代の旅をする上では中々重宝しそうに思える。
 
 そんな風に思いながら凝視をして見ると、何の変哲も無いその袋は如何しても禍々しい物に感じてしまう。
 端的に『王族殺し』としか聞いて居ない今の自分には、情報が少な過ぎて如何贔屓目に見ても『パンドラの箱』にしか見えないのだ。
 ――この袋から出てくるのが大それた災厄では無く、最後に残ったと言われる『希望』とやらが出てきてくれば一番理想的だな。
 そこまで考えて見たが、最後に残ったのは『希望』とは直接的な物ではなく『前知』『前兆』『予知』と呼ばれる未来を見通す災厄であった事を思い出した。
 そんな物が、いの一番に出てきては今後、先の結果が人知れず決定付けられてしまうのではと思い直し「それは堪らない、せめて害の少ない『モノ』であって欲しいものだ」と謙虚に願いながら、口の中で零さぬように小さく溜息を吐く。

「そんなに熱い視線を送っても袋は燃えたりしないよ」

 そう言うロゼの声は淡々と積み重ねるような響きではなく、微かに弾みがついているのが解った。
 付き合いの浅い自分でも、その『弾み』が何なのかは理解出来た――故に、僅かでは在るが悔しい気分が込み上げて来る。

「燃えて欲しいなんて思っては居ないさ。穴が開いて欲しいとは少々思ったがね」

 我ながら上手くも何とも無い切り返し方ではあったが、言葉に棘を乗せて答えると――

「随分と夢のある御話だが、現実はそんなに甘くない――まずは袋よりも現実をもう少し直視した方が宜しいのではないかな?」
「……」

 思った以上に手痛い返しをされて、唸る事すら出来ずに押し黙らされてしまった。

「はは……黙らないでくれよ。ちょっとしたユーモアじゃないか――まぁ、如何やら本当に袋の中身は覗いていないようだね」
「調べた方が良いと解っていても、あまり自分から厄介事に首を突っ込みたくは無いのでね」
「その割には随分と袋の中身が気に為っているようだが?」

 些か皮肉な話では在るが、押し黙らされた事で頭が冷えた。
 気が立っていたと言う訳では無いのだが、このタイミングでロゼに『仕掛けられている』と言う状況は、自分が思っているよりもあまり気の良いものでは無かったらしい。
 故に――
 
「いや――気になるのは確かだが、それよりも先に『王族殺し』と言う首輪を嵌める事になった理由を聞かせて貰いたい」

 正しいであろう順序を違える事無く、彼女の『いと』を手繰り寄せる事が出来た。

「結論を急いたのは確かに私だ、私だが……もう少し言葉を選ぶべきだと君も解っているのだろ――そんなに私に興味がおありかな?」

 僅かに語尾が強くなってしまった事を自覚出来たが構わずに言い切り、視線をロゼへとゆっくりと移す。

「……」

 それに対してロゼは僅かに片眉を上げて視線を返してきた。
 如何やら自分が言外に言っている『言葉』を読み取ったのだろう。
 やはり――彼女は理解力のある、頭の良い人間だ。
 だと言うのに、事実とは言え不用意に『王族殺し』と言う単語のみをわざわざ誤解させるように告げたのか――確かに、結論を先に持って来て貰えると整理しやすいと言ったのは私だが、それにしてもロゼならば如何様にも上手く言葉を繋げる事が出来た筈だ。
 そう考えれば、結論は自ずと出てきた。

「その気持ちは有難いが、この流れは少々頂けない。覗き込み調べるなとは決して言わないが……こんな真似はせずとも、私はいつでも向き合うぞ」

 そう言って苦笑を浮かべながら視線を合わせると、ロゼは片眉を上げて僅かに罰が悪そうに吐息を零した。

「――悪かった。今回は場合が場合だったからね、僕が悪かった。その点は謝るよ」
「いや……別に謝らなくても良いさ。それが君のスタンスだろうし、直に有言実行をして貰えたと考えれば、そう気が悪いものじゃない。ただ、あからさま過ぎるのは頂けんな」
「はぁ……やれやれ、君は本当に生まれてくる人種を間違えていると言わざるを得ないよ。しかし、何時から気が付いたんだい?」
「話の流れで解ったと言うのもあるが、それにしてもあまりにも不適切で不用意過ぎるだろう?お互い底が浅い訳じゃない。ならば何故、あのような発言をしたのか――と理由を考えれば何と無く解るだろう」

 それに、と言葉を区切ると、現在進行形で進んでいる今回の一件の事も在り、また有耶無耶になってしまい連絡を取りかねている友人――キリコではない、『あちら』の世界での『霧子』の事を思い出す。

「後は……友人に私の数倍は言葉を流暢に操る人間が居るのだが、そいつもわざと曲解するような発言をして会話を楽しむ人間だったのでね。ようは馴れだな」

 本当はそれ以外にも『王族殺し』と言う単語、僅かに引っ掛かるものがあった。
 それは喉に刺さった小骨、指先に刺さった木片のささくれ、そんな何とも表現しがたい小さく漠然とした違和感を覚えたが、それが何なのか解らない上に、しっかりと把握出来ずに居たのであえて伝えはしなかった。

「また上手くあしらわれた感があるが……それにしても僕が思った以上に反応が薄いね、全く持ってつまらないよ」

 騒ぎ立てられるよりは良いか。
 そう小さく呟いてロゼは口の端を僅かに動かした。
 それは微笑と言う言葉を使う事すら憚られる程の小さな変化ではあったが、確かにロゼは楽しげに笑っていた。
 からかった――と言うのは側面も間違いなく在るだろう。
 それはロゼの反応を見れば解る。
 が、それだけでは無く、こちらの反応を探っているのだろう。

 今までの会話から一目瞭然で解る通り、考えるまでも無くロゼは自発的に場の流れを混乱させようと話を組み立てた。
 「背中を見せても良いと思っていたい」と言った、自分の発言に責任を持つ為に。
 もっとも、方法は強引と言われても仕方が無いだろう。
 何か事件があって、ふとした会話で。
 そう言ったある程度の期間を経て、本来ならば互いの信頼や信用を築いていくのだろうが、ロゼにとっては気の長い話であり――完全に把握し切れていると自分は言えないが、今置かれている状況もそれを許してくれ無い状況なのかも知れない。
 兎にも角にも、ロゼはこう思った訳だろう。

 ――切っ掛けが無いならば、自ら切っ掛けを作る。
 
 そして、それに対しての自分の行動や言動を見て判断しようと思ったに違いない。
 今までの流れを見る限り、恐らく当分の間『ソレ』は続く事に為るだろう。
 
 つまりは今後暫く、彼女に評価――嫌な言い方をすれば観察されるものと考えて自分は行動をしなければ為らない。
 確かに気分の良い物では無いが、だからと言って別段と悪い気分は無い。
 人間誰しも意識的、無意識的に関わらず、常日頃から何かしら評価を付け、自分の中で良し悪しを分けて、それらの優先順位等を割り振り、刻一刻と常時変動させているのだ。
 それに『試されている』と言う考えは、物事の一面にしか過ぎない。
 ――物事は全て多角面。
 違う面から見れば、わざわざ様々な趣向を凝らし、手を変え品を変えながらロゼは自分を信頼する為に努力しているとも取れる。
 極端な解釈かも知れないが、決して間違いではないだろう。
 ならば多少の事は眼を瞑り、彼女に「背中を任せても大丈夫な相手だ」と、信頼を勝ち得るように向き合うのが、一番良い選択ではないだろうか。

 とは言え、今後の対応に大きく関わってくるであろうタイミングで、仕掛けられるとは思いもしなかった。
 彼女の性分やスタンス、意図を汲めば納得も出来る事なのでそれほど腹が立つ事では無いとは言え、もう少しタイミングを読んで貰いたかったと言うのが本音である。

「さて、改めて仕切り直しと行こうか」

 この話は終わったとばかりにロゼは組んでいた両腕を解き、右手を机の上に乗せながら僅かに上半身を前に倒した。
 その行動は彼女なりの、状況の切り替えのような意味合いもあるのだろう。

「その様子じゃ察しているようだけど、僕は王族殺しなんて百害はあっても一利も無さそうな事はして居ない――冤罪だ」
「冤罪……か」

 少々予想外ではあったが――事実が如何であれ、ロゼの口からその言葉が出たのは正直な所、安心した。
 大方の予想では『何らかの理由があって』殺害したのだと思っていた。
 何故、如何して、如何やって、何処で――等の5W1Hは知らないが、ロゼは正しい意味での『悪人』だと言う考えは何故か思い浮かばなかった。
 会話の感触や、現時点で解る範囲での人柄、と言うものでは理由としては弱いだろうから、本当に「何と無く」と言う漠然としたものである。
 もし仮に極悪人だとしても付き合うつもりでは居たが――もっとも、そう言う人間は身体から滲み出る『臭い』と言うものがあるので、それを感じ取った瞬間に見限るつもりだった。
 約束を守った上で、自分の意を徹す。
 まず無いだろうとは踏んでいたが、それぐらいの覚悟は最初の段階から決めてはいた。

「如何やら安心しているようだね」
「あぁ……嘘か真かは解らないので『取り合えず』ではあるがな」
「そこはガラの判断に任せる。取り合えず、冤罪だと言う『前提』で話を続けさせて貰うよ――忌々しい事の発端は、とある王族から依頼を受けた事に始まる」
「……ほぅ」

 正直、意外だった。
 王族などの権力に弱い人間――と言えば語弊が在るが、権力を物ともせず、むしろ関わり合いを嫌う人間だと思っていたのだが。 

「……言葉だけが相手に情報を伝える訳じゃない」
「む?」
「……今の言葉だけでは解り難いか。僕は、ガラに少しは表情を隠す努力をした方が良いと言っているのさ」

 そんなにも表情に出ていたか。と、内心思いながら、荒削りの岩のような感触の角張った顎のラインを手でなぞる。
 正直な話、この容姿になってから如何にも今一、自分自身の表情の変化等が良く解らないのだ。
 元々、喜怒哀楽がはっきり顔に出る人間では無かった上、自分で表情の変化が掴めない以上、感情を制御して顔に出ないよう意識しなかったのは確かにある。
 そう考えると気の緩みがあったのだろう。また、思っている以上にこの顔は表情の変化に富んでいるのかも知れない。
 これを気に、少しは意識を配った方が良さそうだ。

「御悩みの所申し訳無いが、話を進めても良いかい?」
「あぁ、済まない」
「……まぁ良い」

 話の流れを切られた事か、何に対してかは解らないが「釈然としない」とばかりに小さく溜息を吐き、右手でゆっくりとした動作で髪を掻き揚げた。

「ガラが思っての通り、僕は他人に屈すると言うのが好きではない。ただ『死』と『屈辱』のどちらを受け入れねば為らないとなれば、僕は『屈辱』を選ぶ」
「――」

 その言葉が言い終わる直前、ゆっくりと足元から『何か』が絡み付いて来たのを実感した。
 その流れは緩やかで、しかし決して速度は変らず――そう、重力に身を任せて水の中へ沈んでいくような感覚に似ている。
 深く、深く、ここより深い場所へ。肌に纏わりつく空気は重く、僅かに痺れが残す。

 湿ったカビの臭いが香る、色彩鮮やかな世界の片隅を切り取った灰色の場所でするような秘密の小話――これから静寂を侵す音はそう言った類のもの、つまりはそう言う話。
 研ぎ澄まされていく刃の鋭さと、泥水に浮かぶ油のような鈍さが混濁した『モノ』がロゼの瞳の奥で『トクリ』と息衝いているのが見えた。
 自分の身体は無意識の内に強張り、ゆっくりと場に纏わり付いてくる輪郭の無い『モノ』を垣間見る事へ重圧と緊張が走る。
 これは出方を見る、試してみる、観察をする、そう言った意味合いを含んでいた先程の『仕掛け』とは全くの別物だ。唸りそうになる自分を抑えながら、そう思わずには居られなかった。

 そう――今、ロゼが口火を切った内容は根本的に先程と違うのだ。
 『ロゼ』が『自分』のを見るのではなく、『自分』が『ロゼ』のを見る。
 それも人で在れば誰しも抱えている『モノ』の一部を見せると言う事――人によっては簡単に見せるのかも知れないが、ロゼからすれば一瞬でも陽の目に晒すのが我慢なら無い『とっとき』だろう。

 ――正直、完璧に見誤っていた。
 いや『見誤っていた』なんて言葉で収められるような流れじゃない。
 友人に恋人を紹介されて何気なく挨拶を瞬間に、何故か胸に刃物を突き立てられる様な、自分の想像の範疇に収まらない唐突な出来事。
 酷い言い方をすれば『天災』のようなものだ。
 自分の意思では如何する事も出来ずに、知らぬ間に忍び寄り巻き込まれる――そう言う意味合いでは、そう称しても間違いでは無かろう。
 
 自分は元々口下手で不器用な人間で、『攻め』の会話技術はからっきしだと自覚して居た事もあり、こちらから扉を叩いてもロゼは拒絶や無視を決め込むと高を括っていた。歌い始めを永遠に繰り返す『はないちもんめ』のようなものだ。
 なので、相手から「相談しよう、そうしましょ」と歌を返してくれない限り、流れを見ながら少しずつ距離を詰めていく事になるだろうと思っていた。

 しかし――気が付けばロゼから歌い出していた。

 自分のロゼに対する印象は間違いだったのだろうか。
 そんな疑念に囚われそうになるが、その考えには如何しても矛盾と違和感があり説得力が無い。
 自分のロゼに対する印象自体は間違いじゃないだろう。
 きっと正しい。
 当たらずとも遠からず、彼女は自分の領域に入り込まれるのを嫌う人種だ。
 ならば見誤っているとしたら――自分とロゼの間合いの詰め方の違いだろうか。



 いや――そもそも、その考えが間違っているのでは無いだろうか。



 物事は全て多角面。逆転の発想だ。
 問題は『自分』ではなく『ロゼ』にある。
 つまり『試して』いるのではなく『戸惑って』いる。
 自分の領域の何処まで踏み込ませれば良いのか、察するにこう言った経験が少ないであろうロゼは、他人と自分との『間合い』と言うのを――上手く把握していない。
 そこまで考えて――昔、高校時代の恩師に言われた言葉を思い出した。

「君はロジック(論理)で物事を考える癖がある。それも洗練されて纏まった完成度の高い思考法だ。君の性分的にも肌に合う、優れたものであるが――しかし、詰めが少々甘い。先入観に捕らわれ、物事をありのままで考える事を忘れる節がある。そうだね「箱を調べなさい」と言われて『箱の中身』を完璧に把握したけれど、『箱』自体を見落としてしまうような、物事を大きく漠然と見渡すと言う事が苦手と言えば良いのかな。
 それは決して視界が狭いと言う意味じゃない。言葉で表現するなら、やはり詰めが甘いと言うべきだね。
 健一君――良いかい、良いかい?全ての会話や物事は、ざっくばらんに言えばこの『世界』には、一見しただけでは見破れないマジック(魔法)が施されている。それを忘れてはいけない。君の様なタイプは如何なる状況でも感覚を鋭く尖った状態で保ちなさい。また時には一歩後ろに引いて、世界を漠然と感じる事も大事です。
 そうすれば君の前で全てのマジック(魔法)はマジック(奇術)に成り下がり、世界のありとあらゆる場所に施されたギミック(仕掛け)を見破れる筈です。
 大事なのは常に『冷静沈着』と言う事――それさえ忘れなければ、君の持ち味が活かされ、全ての『流れ』を掴めると言う事を忘れないで下さい」

 冷静沈着(クール・アズ・キューク)――そう名付けられていた恩師から預かり長年愛用している『鍵』を手に取り、ゆっくりと話の曖昧な隙間に差し込み回す。
 すると、目の前の物事が歯車を軋ませながら動き出す音がした。
 その流れは今まで散々悩まされていた智恵の輪が、ふとした事で解き方が解った感覚に似ている。

 ロゼが自分に配ってきた手札に書かれている情報を、整理して少し考えれば解る事だった――ロゼは『戯言』や『交渉』が得意でも、『会話』が得意な訳じゃない。

 慣れていない『会話』故に自分で制御が出来ず、自らの話の流れに巻き込まれ、知らず知らずの内に内側を零してしまっているのだ。
 それは弾みだろう。
 会話――この場合は独白や告白と言い換えても支障は無い――と言うのは不思議なもので、小さな切っ掛けで弾みがつくと、口の中から堪えきれずに溢れてくる。
 時として言葉は自分自身を裏切り、抑え込む事も、制する事も、如何する事も出来無い時がある。それは水をせき止めているダムに小さな穴が開くと、そこからヒビが入り、広がり、最後には決壊して鉄砲水のように勢い良く溢れるのと同じだ。
 
 他人との距離が取るのが下手な人、普段から本音を人目に付かない所に忍ばせている人、感情を氷面の下に隠して上っ面で言葉を操る人、そう言った普段は深い海の底から世界を見ている人間にその傾向は強い。
 しかも今回のロゼの場合は、向き合う事を考え自分の領域にある程度は踏み込ませる、また相手の領分を覗き込もうと近付いていたので、内側を頑なに護る要塞の様に幾重にも張り巡らしていた鉄柵の『中心軸』がぶれて、脆くなっていた。

 先程の発言や今回の語り口が唐突過ぎたのは、何も急いでいると言う理由だけでは無く如何すれば良いのか解らない、こう言う状況に馴れて居ない故に出て来た、感情だけが先走った制御の出来ない『激流』の流れ。それは気が付いたからと言って如何する事も出来ない、唸りながら奔る本流のようなもの。
 ――今までそう言う機会が無かった為に気付いて居ないだろうが、ロゼはそのタイプなのだろう。

 そう考えると形状の様々な全て言葉が、綺麗に一つの枠に収まった。
 本質を見ていたと言うのに、饒舌で斜に構えたロゼの姿に惑わされて、とんと失念していたのは自分の落ち度だ。
 そう言われて見れば友人も同じ様に、唐突に秘めていた心情を零して居たな――と、納得すると同時に、激流に飲まれて歪んでいた身体に頭から一物を貫くように真直ぐな鉄心が通る。
 身体に芯が通れば、後は問題に向き合うだけだ。
 何度も同じ様な状況を経験して居る自分はこう言った場合に、具合良く会話を成り立たせる最善の選択が何か心得ていた。

「僕はね、人として殆ど壊れている。いや、逆か――やっと人として僅かに『直った』と表現したほうが良いかな?」

 僅かな沈黙を挟んで、ロゼは淡々と色の無い語り口で言葉を転がす様に呟いた。

「生まれながらにして僕は人では無く、『弱者』と言う名札を付けた『モノ』だった。その日々は中々如何して不愉快で悔しく、大変に屈辱的なものだった。寝ても覚めても刃物の尖端を見詰めて『何か』が壊れていくのを黙って耐える日々――それでも僕はただ死にたくなかった」
「――」
「弱者には生きる為に道が大雑把に分けて二つ用意されている。逆を言えば、その二つしかない。一つは弱者として屈し、泥水を啜りながら地べたを這い蹲るか、強者として相手を上回る力を持って暴力を抑制するか、だ――僕は後者を選んだ」

 そこまで言ってロゼは焦点の合わない虚ろな視線で、自分の事を覗き込むように向けてきた。
 自分はそれに対して何も応えはしない。
 ただ沈黙を守り、視線を逸らさずに見詰め続けた。

 ――時として何よりも雄弁であるのは沈黙だ。
 決壊した言葉の流れを乱さず、他人の話に本気で耳を傾ければ沈黙も含めて会話として成立する。また、本気で聴く為には沈黙が何よりも大事である。
 それは『聞く』では無く、『聴く』と言う事。
 そして会話を聴きながら、その場で理解する事が出来なくても、流れてくる言葉を感情と事実を整然と分け、正確に把握する事も大事だ。もっとも、耳を傾け真剣に聴いていれば、それはそう難しい話ではない。
 
「とは言え、選択をしたからと言って何かが変る訳じゃない。その現実を産まれてから3日目にして聡明な僕は気が付いたね。
 聖堂で祭られている稀代の『仕掛け人(トリックスター)』は次の奇跡の準備で御忙しいらしく、その取り巻きに到っては、お布施の上で胡坐をかいて夢見心地に瞑想している始末と言う、何とも御粗末な現実にさ。
 それを最初に見た僕は『願った所で何もならない、この世に神は居ない』と思ったが、そいつは勘違いだと後々気が付いた。別に神だの、愛だのと配り過ぎて品切れになった訳じゃなかったのさ。単純な話――祈るだけならタダではあるが、その場合は勿論返されるモノもタダ同然の代物と言う訳だったのさ。思わぬ所でこの世の真理を授かった気分だったよ」
「――」
「得ようと思ったならばまず与えよ――誰が言った言葉かは忘れてしまったが、それはきっと正しい。『何か』を手に入れると言うのは物の売買に似ている。もっとも、僕の場合は二束三文で買い叩かれ、買う時には何十倍もの値段に吊り上げられたがね。正直、そこまで理不尽と言う現実に倣わず、御都合主義で構わないと思ったが、まぁその程度は『些細』な事だったさ。どちらにしろ直に如何こうなる問題でも無かったからね、時間と言う点だけは皮肉にも『多少』は平等だったと言う訳だ――その点は君だってそうだっただろ?」
「……あぁ」
「弱者から這い上がる為に『死なない程度に殺される』と言う矛盾の中で、ただひたすら虎視眈々と『人』になる為――何よりも生きる為に、周りに脅威と畏れられる程の『力』を手に入れるべく、僕は最初に安息と言う時間を売った。当然のようにそれだけ到底足りず、次にプライドを売った。そこから先は何かに浮かされたように媚や身体、それこそ普通じゃ御目に掛かれないような『モノ』まで脇目も振らずに叩き売った――そうして単純な筋力、ナイフや暗殺の技術、薬学以外の雑多な知識、潜入術やら交渉術に到るまでの戯言から艶言まで、気が付けば絶望を呼吸と同じぐらいに気軽に抱え込める闇の中を灯りも無しに愉快に踊れる程度に力を身に付け、晴れて僕は目指していた人間――の抜け殻を手に入れた」
「――」
「人になる為に、人として大事な『モノ』を叩き売っていたんだ、残されたのは中身の『滓(かす)』が多少残っている弛みきった皮が一枚落ちているだけ……考えるまでも無く当然の帰結だった。まぁ、そいつを被れば人間に化けれるんだ、多少はマシではあったが――これは何とも皮肉な話だと思わないかい?」
「そう……かもな」

 言葉を噛み締めるようにして肯定の意を口にした。
 それ以外に何も言えなかった。
 それ以外の術が無かった。
 
 ――自分はどういう風に反応を示せば良かったのだろうか。
 ロゼは如何言う反応を望んで居たのだろう。

 淫売扱いをする様に蔑んだ眼差しで見下されたかったか。
 「そんなのは関係無い、ロゼはロゼだ」と空虚な言葉を囁けば良かったのだろうか。
 ――どれも違う気がする。
 きっとロゼは同情が欲しくて言葉を口にしている訳では無いだろう。
 もちろん、憐憫も、冷笑も、慈悲も、何もかも欲していない――ただ、ありのままを、ありのままに囁いただけだろう。

 ロゼが重い――自分の許容範囲に収めようとする事も馬鹿らしくなる程に重いモノを抱えて、生き抜いてきたと言う事は解った。
 逆を言えば、それだけだった。
 心が激しく揺さぶられても、事実を受け容れる事が出来ても――それ以上は如何する事も出来ない。理解する事も、何かを言ってやる事も、手を差し伸べる事も。
 精々出来るのは情報に鵜呑みせず、思考する事を放棄せず、今までと変らぬ目線と対応で言葉に『不純な色』を付けずに答えるしかなかった。

 短い自分の言葉に、ロゼは自嘲と微笑――本来相容れぬ二つの笑みを小さく浮かべた。
 自分の言葉に対して言葉は返さない。
 ただ、流れを変らずに話を続けた。
 
「その甲斐あって――と言えば如何かも今の僕には解らないが、『リズィ・リルス』の名に遜色無い実力を手に入れ、残り滓とは言え僅かでは在るが人間としての矜持を持つ事が出来た」

 しかし、と言葉を切って僅かに視線を落とす。

「そこまでしても弱者は弱者でしかないのさ。種族間の差別と言うのは『公平に不公平を』確りと区分けをして振り分けているようでね、やはり単純な力だけではまま為らない事が多過ぎる。いつだってそうさ。見える物、触れる物ならまだ何とか出来る――いつだって相手を致し難いのは、輪郭がなぞれない『モノ』だ」

 語尾を流すように余韻を残しながら言葉を締め括った。
 今、話すべき事を話し終えたのか、また沈黙が場に戻ってくる。

 ――何故、ここまで話してしまったのだろう。

 話していた時とは、違うがらんどうだった瞳の奥に、今は確かな知性が宿っている。
 その双眸で、机の上に置かれた自分の右手を見詰めている無表情を装った仮面の下に、ひどい困惑と戸惑いの色が透けて見えた。
 気が付けば知らず知らずの内に、ロゼが後生大事に抱えていた『モノ』を晒して、出会って間もない相手に表面を指先で触れさせた――いや、触れさせたと言う言葉を使える程に浅いモノでは無かったので、『モノ』の輪郭を撫でさせたと言った所だろうか。
 意識的に、無意識的に自分を感情や思考を制御して生きてきたロゼのような人間ならば、それは当然の反応だった。
 
 互いにとっても、運が良かったのか悪かったのか――少なくとも自分にとっては運が良かったと解釈したい所だが、色々な要因が重なった結果が『コレ』だったのだろう。

 ロゼの意思で自分と距離を信用出来る程度には縮めておこうと言う姿勢を示していた事、ロゼが気を許すと言う感覚を掴めずに居た事、間合いを図れないと言う事、タイミングや流れ、また全く毛の色は違うが抱えている『モノ』の底が深いロゼの様なタイプの人種とこう言った会話に自分が慣れていた事――何よりも単純に相性が良かった。
 相性が良いと言うよりは、波長が――歯車が恐ろしく噛み合うと言った方が適切かも知れない。
 今現在、ロゼと自分の歯車は時を刻むように同じ方向へ、常に互いの動きに連動して正確に動いているのだろう――それは単純に一心同体や比翼の鳥、気が合う、歩みが同じと言う良い意味合いもあるが、簡単に『一括り』は出来ない。

 連動していると言う事は場合によっては自分の意思とは関係無く、相手の『仕掛け』が動かされ、引き摺られるように様々な『モノ』を引っ張り出される。
 例えば――今回の場合のようにだ。
 悪い事では決して無いが、良い事かと言うと素直に頷く事が出来ない。

 何よりも厄介――個人的に言えば酷く悲しい事ではあるのだが、それは同時に『鬼門』と為り得ると言う事だ。

 自分とロゼの歯車を刻んでいる『モノ』が壊れるだけならば良い。
 しかし、何かの弾みで片方の歯車が『逆向き』に流れが変ると――歯と歯はぶつかり合い、力は均衡して互いの動きは止まり、最後には今まで築いていたものが一瞬で過去の幻影となり、全てが無残に朽ち果てる。
 そこに残るのは悪意や悲しみ、そう言ったものではなく――苦々しい砂を噛む様な後味の悪いものだけが残される。

 自分はそれを良く知っている。
 いつも陽気で自我が強く、忽然と現れては自分を巻き込んで騒動を起こし、互いの事を知り尽くしていた親友――『だった』犬島の事を思い出す。
 アレは互いのどちらが悪かった訳じゃない。
 少しだけタイミングが合わなかっただけの、ほんの些細な擦れ違いだった。
 しかし――それで原因で歯車が狂ってしまった。
 そして狂った歯車は共に時を刻む事を拒み、最終的には自分を裏切り罠にはめ、互いに癒す事の出来ない傷を負って袂を別つと言う最悪の結果を生み出した。

 ――あれ以来、他人と極力関わらないようにして居たのだがなぁ。

 霧子のように昔から付き合いのある人間や、長年御世話になって居るジムの人達を除いては、出来るだけ人と関わる事を拒んで来た。
 だからこそ半年以上の時をこの世界で過ごしていると言うのに、『知り合い』は居ても『友人』は一人も居なかった。種族的な面を除いても、自分が望めば幾人かは友人を作る事が出来た筈だった。
 それでも他人と極力係わり合いを避けたのは、やはり臆病になっていたのだろう。
 今回もロゼの件が無ければ、自分が孤独に耐え切れずに潰される直前まで誰とも関わらなかった筈だ。

 自分は、普通の人間だ。
 良い面も悪い面も、強い面も弱い面も持つ普通の人間なのだ。
 その弱い面――如何しても他人の視線を気にしてしまうと言う事は、それだけ他人との繋がりを大事にし、絆と言うモノに憧れていると言う事なのだろう。
 口下手で付き合いが上手いとは言えない癖に、人一倍他人との繋がりを欲する。
 それを自分で自覚していたからこそ、臆病になってからは他人と関わる事を拒んでいたのは――少しでも相手と繋がりを見つけてしまうと、裏切られるのが怖い癖に、もっと絆を深めたいと思ってしまうからだ。
 また、常日頃から自分を出来るだけ厳しく律し、思考に潜り深い部分まで理論的であろうとするのは、少しでも気を抜くと他人に際限無く甘えてしまう事を自覚している反動。
 情に篤い――と言えば聞こえは良いかも知れないが、ようは他人に依存しやすい人間なのだ。
 だからこそ、出来るだけ孤独に包まれるように意識してこの世界で生きていたが――やはり駄目だ。
 
 性分で、弾みで、同情で、ちっぽけな正義感で助けた――それは間違い無い。
 その後の彼女と行動を共にすると考えた事に関して言えば、今後の事を考えての打算や計算だと言える。
 けれども、それだけじゃない事も自覚して居た。
 根本的な部分で――自分の弱さが確かにあった。

 心の何処かで、懲りずに何かを期待している自分が居た。
 それは必死で押し留めて、関わり合いを拒絶して常に受身の立場に立っていた自分が、この世界に来てから初めて『自分の意思』で他人の領分に踏み込み、関わろうと思ってしまったからこそ、抑え続けていたものが『弾み』で扉を開いてしまった。
 扉から一気に溢れ出した『モノ』は抑える事が出来ず――そう言った部分では、ある意味で自分もロゼと同じなのかも知れない――気が付けば、見出してしまった『繋がり』を失いたくないと思い、結果として『このざま』である。
 
 決定的なのが先程の会話だった。
 普段は頑なに過ごしているであろう相手が、僅かでも内側に踏み込ませてくれた。
 その今目の前に置かれた事実で、如何しようも無く嬉しく思っている馬鹿な自分が居る。不謹慎かも知れないが、それが美女であるならば尚更だ。
 
 決定的な何かが無い限り、自分はこの繋がりを失いたくないと――場合によっては倫理的な思考も、打算も、何もかも棚に上げて恐れるであろう事が、安易に自覚出来た。
 「今ならば引き返せる。距離を取るのだ」臆病な自分が左心房に強く拳を打ちつけながら叫んでいるが、その声を掻き消すほどの声で「それでも自分は人と繋がって居たい」と絶叫する自分が居る。
 この先にあるのは、確実に厄介事だけだと解っているこの状況で、全ての声を出し尽くした内側から最後に零れ落ちて来たのは『一言』だけだった。

 ――こいつは、堪らない。

 逆を言えば、全てはその一言だけで済んだ。

「――」
「――」

 気が付くと、ロゼが自分を見詰めていた。
 また表情に何か出ただろうか――先程とは逆に、自分の本質を覗き込まれたような妙に気恥ずかしい思いが全身にゆっくりと広がっていく。
 ロゼの視線に耐え切れず、自分は視線をゆっくりと外しながら小さく咳払いをしてから、話題を逸らす為に話を聞いていた際、疑問に思っていた事を口にした。

「ロゼッタ――」
「NON。ロゼと呼んで貰えるかな」
「あぁー……――ロゼ」
「うん、何だい?」
「私の見当違いで無ければ、君は大きなエルフの集落に住んでいたと考えて良かったかな?」

 うろ覚えだが、ゲーム中のMAPにはエルフが治める集落が一ヶ所だったか二ヶ所だったかは存在していた筈だ。
 人の顔を覚えるのは得意な方ではないが、文字や会話を覚えている記憶力は良い方だ。然し、確かな情報で無いので、若干あやふやな質問になった。
 記憶とは普遍的な物ではなく、定期的に思い出してやらなければ劣化するものであり、半年以上前のゲームの知識は、この世界の人間が読む事が出来ないであろう日本語で書かれた自分のノートに書き留めてある物だけ。それ以外は、漠然としたものしか残って居ない。
 その記憶を辿る限り、また、この半年以上を過ごした町の状況を考えるに、エルフは基本的に町に住んで居ないようなので、エルフはエルフ独自の社会を形成して集落を作っているのではと思っての質問だった。

「あぁ、そうだが?」
「――単純な話、だ。その集落から活動拠点を移そうとは思わなかったのか?何処に行くにしろ差別はあるようだが、少しは良い方向へ進んだのでは無いだろうか?ましてや何事にも例外は在る。君と言う存在を受け容れてくれる場所も在ったのでは無いかね」

 それは今までの彼女の話を根本から打ち崩す言葉。
 少々口にするのは憚れる質問ではあったが、言い淀んでも仕方が無いので出来るだけ感情を込めずに柔らかい表現で訊ねた。
 ゲーム中ではダークエルフはエルフのNPCに攻撃を受ける仕様らしいが、他のNPCには通常通りに接していた筈だ。そうでなければ、流石にゲームに支障がおきて如何しようも無いだろうから、多分間違いは無いだろう。
 それを考えれば、ゲーム中の大概の事が反映されているこの世界の事だから多少の差別は在るとは言え、エルフの集落に居るよりはまだマシでは無いだろうか。

「……確かに、ある程度力を付ければ町を抜け出す事が出来た。程度の差の問題だが、まだ良かっただろうね。事実、そうだったと言う事も認めるよ。しかし――何事にも例外はあるのだよ。そう、何事にも例外は」

 断定的な口調ではあったが、珍しく言葉を濁すような含みの在る言い方をロゼはした。

「種族に対しての未練は無かったが、少々理由があったのだよ――そう言う事で、とりあえず話を落ち着けて貰えないかい?」
「――解った」

 気にならないと言えば嘘になるが、ロゼが言いたくないのであれば聞いても無駄だと解っていたので、自分は小さく頷いて返した。
 ロゼが髪を掻き揚げ、眉根を一度寄せてから雑念を振り払うように小さく顔を左右に振った後――
 
「話が逸れたね」

 居住まいを正してから深呼吸を行い、ロゼは話を本筋に戻した。
 得る『モノ』は多かったが、随分と紆余曲折をして戻ってきた気がしないでも無い――と思いながら、自分もロゼに倣って身じろぎを行い、改めて背に鉄心を通しながら耳を傾けた。

「権力の怖い所は、数を動かせる一点に他ならない――数とは即ち暴力だ。蟻だって数が集まれば獅子を食い殺す、地の利も戦略も圧倒的な数の前には戦争も糞も無い。そう言う訳で『見えないモノ』に無暗矢鱈に吼えて噛みついく事は、誇張表現ではなく文字通りの意味で『致命的』なんだよ」

 そう言われれば確かに『致命的』なのが良く解る。
 ただでさえ疎まれているダークエルフが集落に住んでいるエルフを直接的ではないにしろ、何らかの働きかけを与える事が出来る権力を持つ相手の機嫌を損ねれば、如何なるかは鉄火場に爆薬を突っ込むよりも明らかだ。

「それに、大抵の暗殺者に依頼する人間は、大きな声で喋ると息が詰まって死んでしまうような連中ばかりさ、そんな奴等の依頼が真っ当なものである筈が無いだろ?胡散臭さを漂わして、文字が見えない程に厄介事が紙に染み込んでいるような依頼が大概さ。だから、その程度の些細な事で眉根に皺を寄せるのも馬鹿らしいものであったし、ある程度の段階は踏んだが最終的には王族の依頼を受けたのだよ」
「なるほど、な」

 漠然と内容を把握しながら相槌を打つと「もっとも、それがそもそもの間違いではあったのだがね」と、ただでさえ目付きの悪い三白眼を細く尖らせ、憮然とした表情のまま小さな棘を忍ばせた言葉を小さく吐き捨てた。
 微かとは言え、言葉に怒気を込めるほどに感情を露にすると言う事は、ロゼにとっては如何しても許しがたいものがあったのだろう。

「……事細かに言っても仕方が無いので明瞭簡潔に話す――」

 淡々とした口調でロゼから語られた内容を纏めると、自分の予想を裏切って王族の依頼と言うのは暗殺の類では無く、それとは逆に暗殺を阻止してくれと言う内容のものだった。
 曰く、如何にも最近になって王の周りに不穏な動きが在る。
 だからと言って確証も無いのに護衛を増やし、王や他の者達の不安を無闇に煽り、結果として事を荒立てたくない。
 なので、暗殺者として名を馳せているロゼに不穏な人物が居るか如何かと言う事実、また暗殺で侵入するとしたらどの経路を通るか、どのような方法を用いるかを『同業者』の視点から調べて貰いたい。日時と場所等の手筈はこちらでするので、安全の保証はする。
 そう言った内容だった。

「話を聞く限りでは、正直如何にも怪しさが付き纏うとは言え……一応筋が通っているように思える内容だな」

 所詮は素人の見解ではあり――正直、どうにもこうにも胡散臭い物ではあるが、依頼内容としては何か一押しあれば辛うじて信じる事が出来ると言う所か。

「まぁ、それが普通の印象だろうね。王族だと解るとは言え相手は顔を見せなかった訳だし、僕だって十二分に警戒はしたよ」
「ん?……顔を見なくても王族と解る方法があるのか?」

 単純に考えて、顔を見て王族と知っていたから依頼を受けたものだと思っていたが、顔を見ないで声を聴いただけで王族と解るものなのだろうか。
 自分が口にした根本的な疑問に、一瞬不思議そうな表情を浮かべたが、僅かな間を空けて「あぁ」とロゼは得心が言ったとばかりに呟いた。

「いや、失念してたよ。僕にとっては常識なのでね……他の種族は解らないが、エルフの王族を見分ける方法は簡単なのさ――王族ならば銀の腕輪を、また王となると金の腕輪を身に付けているから、王族の顔が解らない子供でも簡単に見分けが付くのさ」
「そいつは……何とも解り易いな」
「――ならば簡単に偽装が出来そうだ、と思っているなら見当違い甚だしいよ。何せ、王族の腕輪には古来より契約の銘の下に精霊が宿っているのだからね」
「……精霊、か」

 ――そう言えばこの世界は、そう言う世界だったな。
 忘れていた訳では無いが、改めてそんな感想が頭に浮かんだ。
 精霊と聴いて真っ先に思い出されたのが召喚師や魔術師のイベントだった。
 ゲームや漫画で御馴染みの『ウィンディーネ』等の精霊達がおり、イベントをこなし契約する事によって、特定の魔法スキルやアイテムを手に入れる事が出来たのを思い出した。
 場合によってはアイテム自体、またはアイテムに属性付加や強度を上げる『練成』にも関わってくるモノだったと言う事も思い出した。
 そう言った世界の現実を突きつけられれば十分納得できる話だった。

「王族と契約した何たらと言う昔話にも興味は無いので、僕にも詳しい話しも、如何言った『モノ』なのかは良く解らないが――目の前で腕輪から精霊を呼び出されては信じるしかあるまいよ。顔を隠している事は「ダークエルフに見せる面は無い」と言われれば、僕としても何とも言いがたくてね」
「ふむ……尊大な態度も王族『らしさ』と言えば良いのか解らないが、その腕輪が在るからこそ王族と言う事の保障と納得が出来た訳か。……ちなみにだが、腕輪には精霊が宿っていると言ったが、何らかの恩恵があるのかい?」

 そう言った精霊が如何の、と言うアイテムには何らかの力が在ると言うのがゲーム中での古来よりの習わしである。所謂、漫画や小説の『お約束』と言うものだ。
 この世界でも――むしろ、この世界だからこそ、そう言った『モノ』が発揮されていると思ったのだが、如何やら間違いでは無かったらしい。
 思い当たる節があるのか、ロゼは片眉を僅かに吊り上げながら右手の人差し指と中指で唇を軽く撫でた。

「あくまでも聞いた話だが……詠唱の短縮や無詠唱で発動、それと魔力の増幅装置の役割をしており、威力が格段に跳ね上がると言う話は聞いた事が在るな。その影響から、王族は魔術師が多いのだが……肉体面では精霊の恩恵が無いのと、魔術師兼『王族と言う職業』の所為か、殆どの者は肉体面では脆弱なので、昔から『暗殺者』を警戒していると言う話は聞いた事が在る。その証拠――と言えば良いのか解らないが、王宮を守護する護衛の数は他よりは確かに多いな」
「暗殺者を警戒していると言う事は、それだけ神経質になっていると言う事に繋がるな……そう言った事を考えると依頼の内容も信憑性を帯びてくるものだな」
「確かに説得力が増すと言う意味では同意見だ――しかし、その程度の情報と、幾ら権力を目の前でチラつかされたと言っても安易に依頼を受ければ致命傷に為りかねない、それがこの商売さ。その事が解っていたので、気分を多少損ねるのを承知で返事を次の日に伸ばし、事実が如何であるかの情報を集めると言う判断を僕は下したよ」
「――ほう」

 純粋な感心の声が思わず零れた。
 情報が全てを制す。敵を知れば百戦危うからず。
 情報こそが全て――とは言わないが日常のみならず、様々な場面で『情報』は単純な力や技術、知識に優るとも劣らない大事な要素だと言うのが、自分の持論の一つである。
 
 受験でも事前にその大学の傾向等の情報を知れば範囲を絞れる。
 戦争に置いても、相手の動向が解れば幾らでも手の内ようがある。
 格闘技を例にとっても、相手の情報を事前に調べれば、相手の苦手なポディショニングや、得手不得手、得意な技の繋げ方等、流れを有利に出来る要素を自分の中に取り入れる事が出来る。
 また、事前だけではなく試合中に於ける観察眼で情報を収集する事で、相手の呼吸を読んだり、次の手の流れを見切ったり、重心を何処に置いているかだけで何を狙っているのか知る事が出来る。
 そこで大事になってくるのが『思考』と『想像』だ。
 得た情報を決して鵜呑みにせず、真偽を読み取り、想像の幅を広げていき、あらゆる状況を想定し、相手の読みの二手三手――縦横無尽に思考を奔らせ一瞬たりとも気を緩めずに想像と言う網を伸ばし続ける。
 情報と思考と想像――それが如何に大事か、自分は知っていたからこその感嘆の声だった。
 しかし、自分の言葉のニュアンスが僅かに気に障ったのか、ロゼは右手を机の上に置くと鋭い眼差しで見つめてきた。

「――僕の事を見縊っているのか如何かは知らないが、僕ほどに情報の大切さを認識している人間は少ないと自負している」

 自分は如何やらロゼの琴線を軽く弾いてしまったらしい。
 同じ様な反応を何度もされた事が在るのか、ロゼの口調は何処と無くうんざりとした響きが在ると言うのに、言葉の流れに一切の淀みが無い。
 ――相当、説明慣れているのだな。
 そんな場違いな感想が浮んで来る程だった。

「情報と言うのは食材と同じだ。それを存分に活かすも、無残に殺すも自分の直感と腕次第、また鮮度が大事と言う部分でもだ――実力を過信して情報収集を徹底せず、事前の準備を確実に行わずに万全を期しないような人間は何をやったって駄目さ。活路を切り開く為に、時には大胆で思い切った行動をしなければならない時も在るが、準備等の段階では多少臆病なぐらいが丁度良い――その点で言えば僕はこの職業にこの上無く向いていた」
「……私にはとてもそうには思えないがね」
「言っただろ。『他人よりも優位に立って居ないと不安になる』――そう言う性分だと」
「――」
「僕は人間の皮をどれだけ上手に被ろうが、根本的には弱者なんだよ。ましてや依頼される側なんてのは、考えようによっては常に相手の下に立たされているものだと思わないかい?そういうもの――そういうものなんだよ」

 惇(とん)――と、指で小さく机を弾いて鋭い音を立てる。

「だからいつも僕は不安で仕方が無い。不安だからこそ、調べ、整え、眺め、覗き、聞き、嗅ぎ、考え――眼で、耳で、肌で、脳で、手で、足で、何もかも全てを使い、有象無象を疑って掛かる。そこには確かに疑い、疑い、疑い尽くした所で――得れる『モノ』も存在する」

 そこまで聴いて――気が付いた。
 ロゼの言う所、それはつまり。

「他人よりも僅かでも優位に立ちたい。だから技を磨いた。武器も調えた。あらゆる情報を集めた。他にも使える物は猛毒だろうが、劇薬だろうが、たまたま落ちていた木の枝だろうが、必要とあらば何だって使う」

 目的への接近方法が全く違うとは言え。

「暗殺、奸計、闇討ち、強襲、暗躍や罠の設置――それが暗殺者である僕の『正道』だと信じている。他人に卑怯だ何だと罵られ様が何だって構わない。僕のやり方に唾を吐いて良いのは僕だけだ――きっと、そうあるべきだ」

 ――根本的なベクトルは自分と同じ方向を向いて居ると言う事実。

「……済まない。僕とした事が少々熱くなってしまった」
「いや……そんな事は無い。きっとそれは大切な事だ」

 平静を装って、僅かにからかう響きを乗せて言葉を返した。
 また内側を覗き込めて嬉しかった――それが既に『他人との繋がりを――』と認めてしまった自分の正直な本音であった。
 とは言え、流石に口が裂けてもそんな恥ずかしい事は言えなかったので、「同じ持論を持つ人間だと解って少々嬉しかった」とだけ、重ねるように言葉を返した。

 ――羞恥の極み。
 
 自分の言葉に対してのものでは無かったが、小さくロゼが呟いたのが耳に届いた。
 調子が合わない、立会いが合わないと言った所か。
 自分と向き合うと決めたのはロゼ自身だが、彼女にしてみれば先程から見せたくない引き出しを幾つも開かれた気分だろう。

 半ば確信を持った希望観測では在るが、自分に対してロゼは上手く自分自身を制御する事が出来なくなって居るのではないだろうか。
 その考えは今までの経験からの推測である。

 秘めていた内心を露にした事によって、一度決壊した防壁は脆くなるか、より強固になるかの二通りがある。
 この場合、ロゼは前者に当たるのだろうが――前者になるか後者になるかは簡単で、決壊した際に言葉をぶつけた相手の反応を、無意識的に感じ取り『この人間は大丈夫』または『この人間は駄目だ』と認識するのだ。
 刷り込み――と言えば聞こえは悪いが、それに近い物があるだろう。
 身近なもので言えば『相談』なんてものも同じだ。
 相手の反応が親身で背を押してくれるようなものであれば、次に何か相談事が在った場合に、その相手に相談しやすくなる。
 逆に相手の反応が不真面目であった場合等、次から内に抱えていた物を相談する相手には不相応だと見切りをつけて、その後相談事は一切しない。
 それと根本的には同じである。
 違う側面から考えれば、自分の対応は間違いでは無く、ほんの僅かでは在るがロゼとの距離が狭まったと事実と受け取って良いかも知れない。
 ――出来れば、勘違いではなく、そうであって貰いたいものだ。

「で、その結果は如何だったんだ?」

 見極める事が出来ない困惑に言葉が止まってしまったロゼに対して、何とも言えない気分になりながらも会話の流れを繋げる為の言葉を投げ掛けた。
 すると意識が戻ってきたのか、ロゼは一瞬不可解なものを見たような表情が透けて見えたが、直にいつも通りの鉄仮面を身に付けて流れを引き戻すように言葉を繋げた。

「嘘、ではなかった」
「……妙な言い回しだな」
「信頼出来る情報であり、またそう言う事実はあったと言う事は掴めたが――情報元が不明瞭だった。時間があれば調べれたのだがね」
「……ふむ」
「なので情報は当てにならないと判断した。結局、最初と状況は変らず、のるか、そるか、のどちらかしか無かった。そうなれば僕に『YES』か『はい』の選択肢しか無かったからね、自分の首が飛ばす趣味も無かったから依頼を正式に受ける事にした――それが僕の数えるのが馬鹿らしくなる何度目かの人生の落下点だった訳だ」

 別段と大した事は無い。
 そう言った風に表情を変化させず、右手で若干乱れた髪を手櫛ですいて行く。
 いつの間にか太陽は南中へと昇っており、窓から差し込む僅かな光に照らされた銀髪は鈍く輝く。雪のような明るい輝きとは違う、名刀が妖しく輝くような艶やかな輝きがあった。

「事が急転したのは依頼を受けてから四度目の事だ。一度目は内部観察と不穏動きは無いかを調べ回った。二度目と三度目はもしも王宮内部へ侵入するとしたら、と言う仮定で侵入経路と退路を調べ、護衛等の穴が無いかを確認した」
「――そして、四度目は?」
「……実際に寝室に侵入する事が出来るか如何か調べる事になった。事前の情報確認も、進入最中の気の緩みも無かった。それでも三度目までの依頼内容が『何事も無かった』と言う事実が、四度目の依頼内容を僅かに訝しむ程度で終わらせてしまった」

 そこで言葉を止めて、間を作り――ゆっくりと言葉を漏らした。

「――寝室では既に王が殺されていた」
「それは――」

 絶句、と言うのだろうか。
 自分は何も言えずに、ただ口を噤む事しか出来なかった。
 
「時間が無かったので正確に把握しているとは言い切れないが、アレは暗殺でも何でも無いと言う事は解った。互いに向かい合いながら会話して居て、何かがあって椅子から立ち上がり背後を見せた時に、後ろから刺殺」
「――」
「噂では、優れた魔術師であると同時に歴戦の戦人と言われていた王が、こうも簡単に殺されていたのか。考えられる可能性は『親しい人間』に殺された犯行と言う事――嵌められた、とすぐさま悟ると同時に、この茶番劇が如何言う結末で締め括られるのか漠然と解ったよ」
「何故……嵌められたと思ったんだ?」
「感情的なものではなく、ちゃんと理由は幾つも存在する。一つは事態を知らせる叫び声のタイミングが良過ぎた。僕は自分の技量を過剰に評価する訳じゃないが、人に悟られぬように忍び込んだ――それ以前に、今回は事前に話が付いている言わば『出来レース』見たいなものだ。だと言うのに、間をおかずに「侵入者が――」と言うのはおかしな話だとは思わないかい?」
「ふむ……濃厚ではあるな。しかし、単純に情報を広める訳には行かずに伝わっていなかった、そして『たまたま』発見されただけと言う可能性は?」
「言われなくても解っているよ――全ての可能性を捨てるな、と言いたいのだろ?」
「……まぁ、な」
「だが、如何考えても嵌められたとしか思えないのさ。理由は、他にもまだ幾つかあるけど、最大の理由は――今までの依頼が全ての伏線だったと言う事さ」
「――ほぉ?」
「何ともまぁ、実に皮肉な話さ。暗殺者が進入するとしての経路や退路、手段、方法を話した事によって、自分の避難経路を潰してしまったのだからね、奴等は僕の警戒心を解くと同時に、全ての罪を被せて捕まえ処刑するつもりだったのだろうよ」

 話している最中に溢れてきた感情を持て余したのか、語尾がきつく吐き捨てる様にロゼは言い切った。

「なるほど、な」

 それは実に良く出来た話だった。
 最悪の場合――と言ってみたが極めて高い可能性で、情報を調べた際に出てきた「暗殺者が暗躍しているかもしれない」と言う情報自体も捏造され、裏で取引されて行われたものかも知れない。
 場合によっては、情報屋自体も事実として流れてきた情報を扱っただけの可能性も在る。
 ロゼの話が真実で推測が正しければ――情報自体は事実であれ、全て相手が裏で手薬煉引いて、思惑通りに事が運んでいたと言う事か。
 それが事実であるならば、首謀者は随分と頭の切れるようだ。
 しかし――

「ロゼの言っている事が全て本当だと信じよう――しかし、後々罪を被せる為に捕まえる事を考えれば、わざわざ実力の在る者を雇わなくても良かったのでは無いか?」

 ――そこが疑問なのだ。
 話を聞く限り、ロゼは相当な腕前の持ち主と言う事になる。
 ならば最終的には処刑をする事を考えるならば、逃げ切られる可能性がある人間ではなく、三下辺りの人間を適当に雇った方が良いと思うのだが。

「確かに一理在る考えだが――それでは条件が合わないんだよ」
「条件?」
「そうだ、『コレ』には如何しても外す事が出来ない幾つかの条件があるのだよ。それは、実力者でかつ用心深い人間――そして依頼を『ほぼ確実』に断れない相手と言う事」
「……なるほど、な」
「気が付いたようだが、一応説明すると、だ。一つ目の理由は、依頼には直接関わる訳じゃなく、『その後』に関わってくる話さ。実力在る暗殺者が徹底的に調べて暗殺者対策を打ち立てる――自分が王になった場合に役に立つだろ?そして依頼を断れない『人種』と考えれば……一番の適任者は僕しか居ないだろうね」
「――」

 納得出来る話だった。
 確かに、確かにそれならばロゼ以上の適任者は居ないだろう。

「後は実力者と言っても所詮は暗殺者。退路を潰した、人数を揃えた、その上相手は隠れる事が出来ぬ白兵戦――戦闘能力はたかが知れていると判断したんだろうが……まぁ、そんな彼らにも誤算は幾つかあった。例えば僕が万全の準備で望んだ事等あるが、大きな誤算は二つ在る――まず『リズィ・リルス』の名前の重さを見誤った事」

 そう言い切って、ロゼは不敵な笑みを浮かべて右手の人差し指を立てた。
 そんなロゼを目の前にして、かなり――正直かなり質問する事を躊躇したが「聞かぬは一時の恥、知らぬは一生の恥」と言い聞かせ、自分の心を奮い立たせながら問い掛けた。

「その……済まないんだが……先程から良く聞く『リズィ・リルス』とは如何言う意味なんだ?」

 ――予想外だったのだろう。
 何を言われたのか理解出来ないとばかりに唖然とした表情を浮かべた後、僅かな間を置いて、今までの中で一番『あからさま』に溜息を吐き出した。

「……反応が鈍いから、何と無く悪い予感はして居たが――本当に知らないのかい?」
「……無知故に済まない」
「互いの実力を眼にした事は無いから信じて居ないのも無理は無いと思っていたが……何だ、信じて居ないのでは無く……知らないのか」
「その……済まん」
「はは――こいつは参った。誇らしげに喋っていた僕がまるで馬鹿じゃないか」
「――」

 ロゼがそこまで露骨に落胆されるとは思わ無かったので、そのような言葉を繰り返されると、あまりにも居た堪れない気持ちになってくる。
 ゆっくりと浸透するような痛みが胸に鈍く残り――穴があったら埋まって居たい気分と言うのを久々に感じた。

 羞恥の極み――と、ロゼの口癖がうつったのか、無意識の内に自分も呟いていた。

 今まで『いっとう、ゆたかな』表情で半眼を向けられると、堪らないものが在る。
 人の何倍もある巨躯を、椅子の上で精一杯縮めていると、ロゼは肩を落として一度だけ大きく溜息を吐いた。

「みなさま、きいてごらんなさい。みみをすませばだんだんと――」
「……」

 そして、何を思ったのか急に朗々と語りだした。
 ロゼに俯いていた顔を上げ、視線を向けながら思った――気に障る程にショックだったのだろうか、と。

「……そんな蔑んだ眼で見るなよ。幾つか在る童話の語り口だろ?」
「む……いや、そうなのか?」
「そうなのか、って――まぁ……良い、説明する上で話しておいた方が良い童話の簡単に粗筋だけ語るから、取り合えず黙っていてくれよ」
「……むぅ」

 相手にするのが馬鹿らしいとばかりに、鋭角に沈みこむような疲れを感じる言葉を零すと、軽く呼吸を繰り返し、気を取り直したようにロゼは言葉を繋げた。
 淡々とした口調で語られる物語は、自分が聞いた事の無い、随分と『穏やかじゃない』童話で、元の世界の物とは似ても似つかない御伽噺だった。

 昔、ある所に暴虐の限りを尽くす王が居り、その王は極悪非道の傍若無人で真っ当な人間ではなく、町人が苦しもうとも財の限りを尽くした生活をし、若い娘が居れば強引に掻っ攫うような人種だった。
 もちろん家臣の進言に耳を貸さず、反論や異論があれば処刑する――だけならばまだ対処の方法があったが、性質が悪い事に王自身が強く、誰かに雇われた暗殺者に狙われても、悉く返り討ちにした。
 何より、一度の暗殺に千人の市民を処刑すると言う暴虐を尽くし、恐怖を持って町を支配していた。
 そんな王にとっては至上の、市民にとっては非情の生活の中、王の寝室に一通の手紙が枕元に添えられていた。泥臭さ残る奇妙な詩で綴られていた『ソレ』は暗殺予告だった。内容に書かれている暗殺予告までの期日は10日後。
 今まで数々の暗殺者や刺客を返り討ちにして居た王は尊大な態度で「馬鹿な!」と一笑し、次は如何やって処刑を行い、恐怖を与えてやろうかと考えていたが――その日から摩訶不思議な事が身の回りで多く起こることとなる。
 小さな事で言えば物が落ちたり、在るべき筈の物が無くなっていたり等。
 大きな事で言えば食事に毒が混入されている等、殺意を篭められた出来事が等間隔の時間を置いて起こったのだ。
 最初の一日目は朝昼晩に一度、二日目は朝昼晩に三度――八日目には気が休まる間もない程の短い間隔で、規則正しい一定のリズムを保ちながら繰り返され、悪夢が霞む様な恐怖に王は心底怯えていた。
 その中でも最も怖ろしかったのは足音だ。最初は気のせいだと思っていた足音が、後ろから常に響く――日毎距離を縮めながら。
 そして、最後の日を迎える前の九日目、それらの全ての出来事が一切起きなかった。
 予告が本当ならば人生最後の安息日である筈だったが、今まで積み重ねられてきた恐怖が拭払される筈も無く、何も無い事が逆に異様さを際立たせ、誰も助ける者も居ない中で急激に老いた王は、死が確実に忍び寄っている事を感じながらも呼吸も忘れて眠りについた。
 迎えた最後の日――生きながら死んでいる身体を引き摺りながら歩いていると、鏡の前を通った際に「自分の顔はどれほど酷いだろうか」と、ふと思い立ち覗き込んだ。
 ――そこに影が居た。実体を持たない亡霊が残した影が居た。
 驚きのあまりに顔を歪めたまま振り返るがそこには誰もいない。
 足が竦み腰は抜け、崩れるように座り込むと、日毎近付いてくる足音がいつもよりもはっきりと近付いてくるのが解り、同時に鏡に映る影が這うように鈍重な動きで迫ってくる。
 如何する事も、声を上げる事すら出来ずにただ鏡越しに影が忍び寄るのを見詰める事しか出来ず、ひたすら壊れたように王は笑った。
 最後に見た光景は津波のように広がった影に一飲みされる、恐怖に顔を歪ませながら笑う年老いた老人の姿だった。

「――その後、王様はどうなったのかは誰も解らず、また発見されず、無理矢理こじつけた様なハッピーエンドを迎えてこの話は終わる訳だが……その物語が書かれた童話集の名前を『リズィ・リルス』と言うのだよ」
「何と言うか……随分と夢の無い話だな」
「確かに夢の無い話で在る事は確かだが、著者『ハリス・アンデルセン』の話の中ではまだ救いの在る話さ。『勧善懲悪』『因果応報』と言う意味では童話的だとは思わないか?」
「そういわれればそう言う気もするが……無理矢理に納得させられた気分だな。ちなみに、その話は、有名な物なのか?」
「『リズィ・リルス』の言葉を知らないから、そう言った事も知らないだろうとは推測して居たが……まぁ良い。質問の答えは『YES』だ。他にもハリスは有名な童話を何作も書きあげてはいるが、特に暗殺者の中では知らぬ者が居ない程に有名なのさ」
「それも何とも可笑しな話に聞こえるのだが、なぁ」

 暗殺者御用達の童話作家。
 如何贔屓目に見ても異様で奇妙な集団が、本屋で薄っぺらい本を片手に涙を流しながら咽び泣く――そんな何とも『おもちろい』想像が浮かんでしまった。

「何故だろうな。随分と馬鹿にされている気分だが――取り合えず、その想像は終始一貫してマルッと間違っていると言って置こう」
「――ぬぅ」
「誤解の無いように言っておくが、童話が如何のと言うよりも、有名なのは『筆者』自身が原因でね――筆者『ハリス・アンデルセン』は元々生きながら伝説となった暗殺者なのだよ。何を思って童話作家になったのか、それは永遠の謎とされているのだが……彼の各話は読めば解るが、明言はして居ないけれども暗に『暗殺者』を題材とした作品が殆どなのだよ」
「ほぅ」
「また、作品を通じて暗殺者の古くからの『悪』と言うイメージを少しでも拭おうとした人物さ。もっとも、その点に関して言えば逆効果ではあった訳なんだが……それ以来、と言っても何時頃からかは知らないが、気が付けば彼の作品名の幾つかが、そのまま二つ名――むしろ『称号』とも言い換えても良いかな?実力在る暗殺者の最高位の称号の一つとされており、その一つにあるのが『リズィ・リルス』――僕の称号さ」

 初めて見る――ロゼの心成しか誇らしに見える表情だった。
 不覚にも数瞬の間、ロゼに見惚れていた。
 ひどく『ぼぅ』とした動きの悪い頭でも、それだけ『リズィ・リルス』と言う称号がロゼにとって大事なモノの一つなのだろうと言う事を理解した。
 確かに、それならば先程の自分の反応を見て落胆もするのも頷ける。
 
 ロゼには申し訳無い事をしたな。
 と、少々罰の悪い思いをしながら、右手で顎をなぞっていると、ロゼはゆっくりと口の端を歪めた。
 それは先程までの表情の変化に比べれば、微々たる変化でしか無かったが『何とも性質が悪い』モノだと言う事を自分は理解できた。
 真っ当じゃない小さな『笑み』を浮かべたまま、ロゼは机の上に置いていた右手を、自分の視線を引き付けるようにしながら動かした。
 その動作は奇妙な引力が在り、怠慢な動作でしかない筈のロゼの右手に視線が吸い込まれ――背中に無数の蟻が蠢いている様な、えもいわれぬ感覚が這い上がってくるのを感じ、本来ならば直にでも背を掻きたい衝動に駆られたが、金縛りにあったかのように自分の意思に反してただ息を飲み込む事しか出来なかった。

「まぁ、僕の実力を見誤ったという話は置いておくとして――それ以上に、僕を嵌めた随分と知恵の回る人間が読みきる事が出来なかった最大最悪の誤算が一つ」

 今、この瞬間、もしも一つだけ願いが叶うならば――今直ぐ身体を動かして、両手で耳を塞がせて貰いたい。
 ――聞きたくない、正直聞きたくない。
 淡々と吐き出されている筈のロゼの言葉には、とっときの物をもったいぶって見せ付けるような粘着質のようなものがあり、耳に一語一句の音が響く度に比例するように悪い予感が広がっていく

「それは咄嗟とは言え、ある程度のこの仕掛けられた茶番劇の結末を読めた僕が、今までの流れを全て一片も、一塵も一切残さず完膚なきまでに破壊する致死量の毒を含んだ鏃で一矢報いて行った――」

 如何しても、嫌な予感が止まらない。
 何と無く流れ出解っていた事だったが――それ以外にもう一つ、今まで自分が漠然と感じていた違和感の正体が、段々ハッキリとした輪郭が見えてきてしまったのだ。

 何と言う事だ。
 何たる事だ。
 何だって言うのだ。

 そんな自分の引き攣った内側の声に対して、ロゼは壮絶な笑みを浮かべながら『ポケット』から取り出した『ソレ』を、卓上に置いてあった、今まで忘れ去られていた袋の上に無造作に置いた。



「――『王の証』を奪い去ったと言う現実」



 『王の証』と言う銘の『金の腕輪』を見て、現実になって欲しくなかった事が目の前で形となってしまった事に、内心崩れそうになる。
 ひとつは王族殺しで無いにしろ、それに相応する『とっとき』を目の前のダークエルフはやらかして居たと言う現実――だが、それは在る程度の覚悟はしていた事なので、まだ良い。
 それとは違う、見てしまった、解ってしまった、知ってしまった、理解してしまった――悲観するべきなのか、如何するべきなのかも解らない、もう一つの事実。
 そう、自分の記憶が確かならば



 ――コイツはゲーム中でのイベントの一つに、随分と酷似して居ないか。





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