■ 小説(SS)TOP ■

Cross Flick Online






「満たされた」
「……そうか」
「うん、感謝する。まともな食事を取ったのは久しかったのでね」

 相も変わらぬ態度と表情。
 食事の充実感からか、表情が多少は和らいだような印象を受けたが、砂漠に一掴みの砂金を混ぜて行く様に数瞬で消えていった。
 彼女の物言いは、場合によっては皮肉と疑っても良いのだろうが、本心から感謝はしているのだろう。これだけ見事な食事の様を見せ付けておいて、満足していないと言われても困る話である。おかげで説明を挟む事が出来なかった。
 起きてから数時間の付き合い――と呼ぶにもおこがましい僅かな時ではあるが、何と無くだが彼女の性格を茫漠ながらも掴めて来た。
 掴めた所で如何する事も出来ず、精神的な疲労は募るばかりな気がするので、いっそ掴んだモノを手放した方が楽になるのではないかと、内心小さく溜息を吐いた。
 それを悟られぬように、眼鏡のずれを直しながら声を掛ける。同じ椅子に座っていながら、身長の差で相手を見下ろすような形ではあるが。
 
「それは何よりだ。取り合えず、少しは落ち着いてくれたかな」
「ああ、些かやり込められた感が拭えないが……見事の手腕と言って置こうか」
 
 願った通りに事が進んだとは言え、褒められても嬉しくも何とも無い。
 こちらが対処に困って深く考えずに誘い、相手が自らの意思で乗ってきた。
 落ち着いたのは間違いないが、それだけの話だ。
 ――いや、それで十分じゃないか。それ以上を望むのは贅沢と言うものだ。
 落ち着いて事を運ぶことが出来る。実に平和的。正しく文化的。

「――」

 疲れなのか、それとも何かが気に入らないのか、自分でも解らないが少しだけ気が沈む。それに合わて巨躯を椅子に僅かに沈ませると、100kg以上ある自分の体重に抗議するように軋みながら、乾いた音を立てて小さく悲鳴を上げた。
 その悲鳴に反応して僅か半瞬、彼女の動きが固まる。が、それを悟られぬ様に直に自然体に戻った。
 何事も無いように振舞っているとは言え、こちらを警戒しているのだろう。
 当たり前の事だ。
 得体の知れぬ相手――彼女の言葉を借りるならば『野蛮なる者』と、机越しとは言え拳を突き出し、半歩の間合いを詰めれば届く距離で同席しているのだ。
 話し合いには応じると言っても、わざわざ警戒まで解く必要は無い。
 そもそも彼女は、本当に話し合いに応じるつもりが在るか如何か――自分に意識させない様にしては居るが、虎視眈々と隙を狙っているのが挙動の端々に見え隠れしている。

 こちらが敵意を込めた明確な動きを見せればはっきりと解るのだろうが――ここで藪の中に隠れている蛇を刺激するのは得策では無い。
 これは自分の勝手な想像だが、蛇は蛇でも内に猛毒の一つや二つは含んでいる気がしてならない。
 何よりもトカゲと蛇では分が悪かろう。

「あぁ、食器は片付けなくても良い。脇にある机の上にでも置いてくれれば構わない」
「了解した」

 気を利かせたのか、手持ち無沙汰だったのか、それとも何か他の思惑があるのかは解らないが、食器を片付けようとしていた所に声を掛け、自分から見て右脇にある長机を顎で指しながら言うと、彼女は頷きながら立ち上がり食器を置いていく。
 隙を狙い警戒をしているが、別段と目的があって何かを狙っている訳では無い。
 ――と判断して良いだろうか。
 食器を置いて席に戻り、椅子に深く腰をかける彼女の姿を見ながら、今までの行動を分析して結論、と言うよりは自分の『指針』を定めようとする。
 心を定めないで話し合いをするのは得策では無い。
 何故なら心の揺らぎは、言葉にも表れるからだ。
 
 あまり自分は策を弄すると言う事に向いてはいないのだが、思い付く範囲で幾つか相手に仕掛けを――場合によっては選択肢と言っても良いだろうが、自分が食べていた食器を片付けるのと合わせて、食事を取りに行った際に施した。

 一つは、この部屋から逃げ出すと言う選択肢。
 この部屋は宿の二階に位置するが、窓から飛び降りる事が出来ないと言う高さではない。
 「料理が出来上がるまで下で待って居る。大体30分程度で戻る」と、わざわざ行動の裏にある真意が見易いように言葉を残して出て行った。

 ――今思えば、逃げ出されて困り果て、呻吟し喘ぐ羽目になるのは自分なので、その発想は先走り過ぎたものだったと言わざるを得ないが、その時は状況を少しでも掴みたいと焦っていた部分もあった為だろう。元々、妙計や奇計は言うに及ばず、謀は型に嵌らない限り苦手である。

 それは兎も角、わざわざこちらから相手の見易い位置に言葉を置いて行ったのだ、魔法関係の職業者でも逃げようとすれば何とか出来る。森の中で見た軽快な動きや身体付きを見る限り、身体能力は低くは無いだろう。
 もしも自分の体調と相談した上で判断し、飛び降りるのを止めたのであれば、彼女にとって今の状況はそれほど切羽詰った悪い状況では無いと言う事だ。

 もしくは――自分の身よりもあの袋に包まれていた物が大事なのか。

 そう考えると大雑把に分けて、彼女がこの部屋に留まる理由が二つに分かれる。
 話し合いに応じたのか、殺し合いで応じるのか。
 紙とペンを持ち語り合う気なのか、首と剣を持ち去り行く気なのか――両者の選択の間には『言葉遊び』や『レトリック』を持ち出すまでも無く、大きく意味合いが違ってくる。
 それを手っ取り早く見極めるのは簡単だった。
 部屋を出た際、食事に利用した短剣を二本とも机の上に放置して出たのだ。
 眼を覚ました時に、彼女の拳を受け止めた事で互いに悟った筈だ。自分は彼女が四肢を武器に戦う人種では無いと解り、そして彼女は素手では自分に勝てないと。
 彼女を運んだ際に武器らしい物を――それ以前に、あの袋以外に道具らしい道具が見当たらなかったが――持っていなかったので本来の得物が何か解らないが、戦う意思が在るならば、少なくともナイフを手にするだろう。
 ましてや食事を運んでくる相手だ、上手く行けば隙があるかも知れない。
 実力差が如何あれ、決死の覚悟があるならばそうする筈だ。
 自分ならそう判断を下す――と、ここまでが自分の浅知恵だ。

 彼女が思慮深く、搦め手の得意とする――それこそ神算鬼謀の人間であれば、浅はかな考えしか思い浮かばない自分の発想を遥かに超えた手段を考えているのかも知れない。
 所詮は素人の考え。
 重々承知である。
 正直に言えば、自分から仕掛けたのは別に相手の出方を窺う、真意を図ると言う訳では無い――彼女は敵意無く、自分と話し合いを行おうとしていると、自分を納得させる為だ。またはその点だけは信用する為、と言えば良いだろうか。

 心の揺らぎは、言葉に表れる――話し合いで最良の結果を求めようとするならば、心を真直ぐに定めて、一直線に最短距離を駆けるのが何よりもの得策だと言うのが持論だ。
 歪まず、揺るがず、弛まず、捩れず、弱らず、折れず、捻れず、曲がらず、緩まず、鈍らず、衰えず、屈せず――心を定めれば、言葉も、身体も真直ぐな『なにか』が通る。
 とは言え、それは理想ではあり、また理想は整えられた状況でしか理想と為り得ぬので、全てに求めるのは不可能である事も理解しなければ『なにか』は瞬く間に錆果て朽ちる。
 そして何より自分は弱い人間なのだ。常に理想を求め続けるのは酷であるし、魔が差す事もある。
 『鍵穴』には『真直ぐな鍵』ではなく『歪な棒』が必要な時が在ると言う事も心に留めなければいけない。
 実に――実に、ままならんものではあるが。

「おや、中々如何して……表情豊かじゃないか」
「む――」

 表情が豊かか如何かは自分では良く解らないが、また悪い癖が出てしまっていたらしい。
 物事一点にベクトルを絞った際の集中力は、数少ない自分の強みだと思って入るが、周りの状況関係無く、気を抜けば始終とも言える長い時間、思考の海に沈む癖は如何にか為らないものだろうか。
 せめて時と場合を選ばねば、と思いながら苦笑を浮かべ――あくまでもこちらの意識としての話であって、リザードマンとなった自分の表情ではどのようになっているかは解らないが、彼女へ視線を移し、そこで気が付いた。
 食後の満足感から僅かに表情が柔らかくなったと思ったのは、髪形が変っている所為でもあったらしく、いつの間にか彼女の髪は整えられていた。
 肩口まで伸びていた銀色の髪を、前髪は真ん中より若干右寄りを分け目に両側に流し、後ろ髪の殆どを纏めて無造作に一房に纏められている。
 手を少し入れた程度なのかも知れないが、それだけで顔立ちが一層映えて、理知的で鋭い印象が増して見える。
 見様によっては『凄みが増した』と言い換えても良いかも知れない。

 彼女だけでなく、こちらも彼女の一挙手一投足を多少は警戒していた事ので、服装が変っている事には直に気が付いたが、髪型が変っている事には今の今まで気が付かなかった。
 服装は寝巻きとして着せられていたインナーの上に、部屋の隅に寄せていた薄手で丈夫そうな黒を基調とした、これと言って特徴の無い上着を羽織っている。上下合わせての服装の様で、一風変った簡素なスーツの様にも見える。
 この部屋に置いてあるのは自分の持ち物か、彼女の衣類のどちらかしかないので、当然助けた際に着ていた服装であるのは間違い無いのだが――印象が全く無いので確信は持てない。
 脹脛の部分が僅かに歪んでおり、自分が魔法スキルで治療して居た際に、知り合いが後ろの方で針仕事をしていたのを覚えているので間違いでは無いとは思う。
 余分なものを一切身に着けない主義なのか、リング等の装飾具は見当たらない。
 ――もう少し服装に拘ってみても良いだろうに。
 そんな風にも思ったが、別にデザイン自体が悪い訳ではないので、不思議と雰囲気の在る服装に見え、何と無くスタイリッシュで『彼女らしい』と言う印象も覚える。

 ただ、あまりにも簡素で無個性な服装で、雑踏に紛れれば捉え所無く――そこまで考えて、突拍子も無い考えが頭に浮かんだ。
 いや――それは考え過ぎだろう。
 頭にふと湧いてきた考えを箱に仕舞って頭の隅に蹴って寄せるが、異様に少ない道具や、印象に残らない服装、顔を隠せば暗闇に紛れる事が出来る――等と、強く蹴り過ぎたのか箱から様々な物が飛び出す。
 溜息を吐き、箱から溢れてきた物を一つずつ手に取りながら考える――自分の考えには穴が多過ぎる。
 自分は物事を深読みするのは得意では無い。
 それ以前に、如何だって構わないじゃないか。
 余裕が在る時ならまだしも、他に優先すべき物が幾らでも在ると言うのに、そんな如何でも良い考えに思考を割り割くな。
 言い聞かせる様に心の内で呟きながら、出て来た物を箱の中に仕舞って行く。
 気になる事と言えば――服装より、何よりも彼女の持つ『鋭さ』だろう。
 三白眼と言う理由だけではなく、どの様な服装を着こなしても彼女の持つ全体の鋭さは損なわれる事は無いだろう。
 斬りたい『モノ』だけを斬る事が出来る名刀では無い、鞘から抜き身に一度すれば、触れる『モノ』全てを斬り捨てる妖刀のような鋭さは、彼女自身の内面が事実如何であれ、自分の眼には見え隠れするのではないかと思える。
 それだけ――「そう言う生き方しか知らない」と言った彼女の言葉が妙に印象深かった。

「君は――」
「ん?」
「――僕が逃げるかと思ったかい?」

 妙な間を置いて、彼女はそう尋ねて来た。
 何故か言葉に詰まった。
 だがそれは一瞬で、一拍の間を置いてから、その言葉に如何言う意図が彼女にあるのか解らないが、別に隠して得にも損にも為らないだろうと思いながら、大きく深呼吸をしてから答えた。

「まぁ……それも考えては居たな」
「それ『も』とは如何言う意味だい?」
「その物言いから想像するに……説明しなくても察しては居るのだろ?私が部屋を出る際に残した言葉と選択肢を」
「ああ、解ったとも。だが、気付いているかい」
「何をだ?」
「如何言う思惟(しい)が含まれていたのかは解らないが――アレはアレで、中々性質が悪い」
「しかし、それぐらいしなければこちらの立場が無いだろ」

 それと、と言葉を置いてから言葉を繋げる。

「勿体振った言い回しを含ませないで貰えると助かるんだがね」
「……」
「私が言える事は――難解な言葉を撒き散らす事が出来ても、言葉遊びの一人上手が得意でも聡明に見える訳でもない。本当に博識な人間と言うのは、言葉を噛み砕いて適した言葉を取捨選択し、万人に――言い方を変えるならば、伝えるべき相手のレベルに合わせて伝わるように、両者の間に矛盾や齟齬が無く、正確に伝える事の出来る人間だ」
「……御教授どうも有難う、痛み入るよ。しかし、その理論で言うならば、君も如何やら当て嵌まらない様だね」
「コレでも苦心して『君に合わせて』言葉を選んだつもりなのだがね。まぁ、昨日も言ったが、学が無いのでね」
「わざわざ合わせて貰って申し訳無い。しかし、どうせならば人としての『品格』も合わせて貰いたいものだよ……よくも其処まで皮肉が言えたものだね」
「ふむ、勘違いして貰っては困る。私はあくまでも、君の今後の為に忠告しただけだ」
「で、その本心は?」
「ただの皮肉だ」
「……色々と言うじゃないか」
「それぐらいは言わせて貰おう」

 そこで会話が途切れた。
 彼女の表情と三白眼は相変わらず呼吸と言葉に合わせて僅かに動く程度で、感情の表れは無い。
 事情を知らぬ者が見たならば、辛辣な言葉の応酬に聞こえたかも知れない。
 しかし、当の本人達にとってはそれ程に大層なものではなく、無意識の内に少なからず積もっていたらしい鬱憤を吐き出しながら、会話の切っ掛けと流れの主導権がどうなるかと牽制している、戯れのような中身の詰まっていない乾いた会話と言っても良い。
 腹の探り合い――と言うほどのものでもなく、何も言葉に毒を含めて互いに争うとしている訳では無い。
 少なくとも自分にはそう思えた。
 とは言え、少々感情に任せて喋り過ぎたと反省が残らない訳では無いが。
 
「――思う所があった」

 会話が途切れてから数十秒の間を空け、彼女はゆっくりと椅子の背にもたれ掛かり両腕を組んだ。そして、彼女は片眉を僅かに上げながら吐息を零すように話し始めた。
 
「思う所があった」
「……ふむ?」
「色々と思う所があった。故に僕はココに残る選択をした」
「……何故、と訊いても良いのか?」
「訊かれたならば、答えなければならないのかい?」
「ふぅ……いや――そうだな、取り合えずは良いさ。最初の質問だけでも答えて貰ったからね、それだけでも有り難い限りだ」

 そう言われては立つ瀬が無い、とまでは言わないが聞き出そうとする程の事では無いだろうと思い、礼だけを伝える事にした。
 懸念事項の一つであった彼女の意思を確認出来ただけでも十分だ。
 それに助けた事なのか、料理を出した事なのか、こちらが誠意を持って対応しているからなのか――何故かは解らないが、多少は好意的に接してくれているようであるし、僅かでも心の内も知れたと思って良いのだろうか。
 もしそうなのであれば、素直に有り難い。
 人間、敵意より好意を向けられた方が嬉しいものだ。

「しかし……全く持って、君は変わっているな」
「そうだろうか?」
「そうともさ。その言動と対応はとてもじゃないがリザードマンとは思えない。ついでに言わせて貰えばその服装も」
「む?」
「僕も様々な事を見聞き経験して未だ死ねずに生きては居るが、そこまで君の様に理知的なリザードマンは初見だ。加えて、一人称が私で――そして何より皮肉屋なのもね」
「……むぅ」

 そう言われて思わず唸り声を上げた。
 何とも言えない心持ちになったのは別に『皮肉屋』だと指摘されたからではない。
 如実に、特に如実に『ガラ』と言う存在に引き摺られて居るのではと思ったのは、本能でも、食生活でも、また肉体的なものでもなく言葉遣いなのでは無いかと密かに思っていたからだ。

 元々、自分は言葉を巧みに操れる方ではなく、どちらかと言えば口数の少ない話下手と言われる人種だった『渡河健一』は、口が粗暴であった訳では無かったが一人称を『俺』と言っていた。
 それに関して間違いは無い――だと言うのに気が付けば自分は『私』と言う言葉を使っていた。意識して『俺』と言う事は容易いが、日常において無意識に『私』と使う程に、だ。
 日常に置いて口調を変えると言う事は、そうそう簡単に出来る事では無い。
 言葉に出さずに自身に問い掛ける時、物事を考える時は『俺』ではなく大概が『自分』と言う好んで使っていたが、それだけでは無い。
 意識して口調を変えて演技しても、必ず何処かで『解れ』が出てくる。

 そう考えると今の自分の口調や話術――これはゲームの影響だろう。
 その証拠に、この世界に来た当初はまだ『俺』と言っていた――気がする。
 別に根拠が無くそう考えている訳では無く、原因に一つ心当たりがある。
 それはゲーム中での会話だ。
 ゲーム中での会話は文字によるものであり、通常の会話と違って自分の中で言葉を整理し、吟味しながら流れや拍子を気にせず会話をする事が出来る。
 それに当たって――大方面白がってでは在るが、プレイキャラを多少演じながらゲームをしろと半ば強制されて、一人称を『私』にしていた。
 それでも変らず言葉数は少なかったが、振られた会話に対して、普段は言葉が纏め切れずに言えないような、言い回しや皮肉で切り返し答えて居たのを覚えている。
 また口調に関しては若干丁重になっていたような、いないような――。

「さて――僕は如何すれば良いだろうね」

 ――つらつらと、そんな事を懲りずにまた考えていると、突然そんな事を言い出された。
 先程から会話が唐突なような気がするが、自分は思考に沈んでしまうし、元々口数が多いほうではない。ましてや彼女と自分は知り合いでも何でも無い他人であり、話し始めてから数時間しかたっていないのだ。
 それに関しては彼女も同様だろうから、会話として探り探りの状況になるのは在る意味仕方が無い。
 なので会話が唐突だと言う点は理解するが、それにしても言葉の意味を図りかねた。

「……何が言いたんだ?」
「いや、別に何らかの選択肢を前にして判断を迷っている訳ではない。ただ、何と無く気持ちが落ち着かないのさ」
「?」
「言っただろ?僕は相手よりも優位に立っていないと不安なんだ。そして相手に借りを作っているという状況も我慢がならない。だからこその『僕は如何すれば良い』と言う質問に繋がる訳だよ」
「それは……何とも言い難いな。私としては、そこまで気にしなくても良いのだが」
「NON。それは頂けない。それを認めたら僕の僅かばかりの矜持をまた一つ失ってしまう」

 弱ったと、思わず唸りそうになる。
 自分は何事にも見返りを求めない変人では無いが、今回に関しては何かを求めてやった訳では無いのだ――言うならば『弾み』だ。
 それに何らかの要求をするにしろ、いきなり言われても咄嗟に何かが浮かんで来るものでも無い。

「――と言っても、身体で払うしか僕には無いんだけどね」
「なッ――!?」

 思わず言葉が飛び出した。
 「身体で払う」と言う言葉にも驚いたが、彼女が僅かでも笑顔と言うものを作れると言う事実に。

「なんだい、そんなに驚く話かい?」
「まぁ……なんだ」

 癖なのか、片眉を器用に上げながら呆れを含みながら言ってきた彼女に対して、反応に困り曖昧に頷いた。
 先程の笑みが眼の錯覚ではと思えるほどに冷たい表情だ。
 同時にその表情を見て「なるほど」と少なからず納得した。
 この世界に限らず、対価を支払うとするならば眼に見えるモノならば『物品』か『金銭』、見えないモノならば『情報』か『行動』だろう。
 それらを持ち得ないのであれば『肉体』を対価に差し出そうとする人も、少なからずは存在する。
 まだ把握を全てしていないとは言え、世界観の事を思えば、自分が元々居た世界よりも想像しやすい発想なのかも知れない。

「あぁ〜……出来れば、違う方法で御願いしたい所だな」

 確かに魅力的な誘いであった事には違いない。
 雄的な本能が軽く震えながら受け容れろと声を上げ、現に断った事に若干の後悔もあるが、涙を呑んで――とまでは言わないが、未練を残しながら丁重に断った。

「そうか――いや解っていた事ではあるのだがね。やはりダークエルフでは欲情しないかい?」
「……むぅ?」

 そう言った彼女の言葉は先程までと違う色を含み、唇の右端を僅かに吊り上げて小さく笑った。
 ――正直、あまり見ていたい表情では無い。
 まだ無表情で言われた方が良かった。
 僅かに動いた表情が、逆に何とも言えない心持ちにさせられた。

「……あぁ、そう言うことか」

 感情とは別に、彼女が何を意図して言っているのかと訝しんだが、彼女の肌の色を見て漸く思い当たった。
 この世界の歴史や常識等に明るいとは決して言えないにしろ、半年以上も居れば何と無くではあるが、この世界の至る所に走っている大小様々な『溝』の幾つかに気が付く。
 その縦横無尽に走る溝の中でもはっきりと眼に見える、一際深く刻まれている問題である人種――いや、種族差別と言えば良いのだろうか。

 元の世界でも『差別』と言うのは様々な形で在った。
 例えば細かく見れば、家庭環境や身体的特徴、漠然と大きく広げるならば国家同士の問題等。一番解り易い形で存在するのは――肌の色だろう。

「そう言うことかって……君、僕はダークエルフだよ」
「だろうな。私にもそうにしか見えん」
「会話が噛みあって居ないのかな。僕には君が何を言っているのかさっぱりだよ、僕に理解出来るように言ってくれないか?」
「そうだな……まぁ、解り易く結論から言えば『些細な事』だと私は言っているのだ。それ以上もそれ以下も無い」
「――」

 絶句。予想外。唖然。
 表情の変化が無くてとも彼女の顔にはそう書かれているのが解った。
 いや、彼女が言おうとしている事は解る。
 元の世界でも色々な差別のようなモノを見て来ては居る。この世界でもリザードマンとなり、仕方が無いとは言え回りの風当たりが強いので何と無く理解はしている。
 肌の色の違いか、それともダークエルフと言う種族か、どちらかは解らないが少なからず問題とされているのは解る。だが、無知故に――と言っては何だが、正直その問題がどの程度の『重さ』なのか良く解らないのだ。こう言っては失礼なのかも知れないが。
 個人的に言えば、逆にリザードマンと言う自分の方が回りに受け容れられないのでは無いかと危惧する程だ。
 何せ、見た目の容姿で言えば彼女と比べるまでも無く、美しさと言う言葉の欠片どころか、今まであったと言う痕跡すら見当たらないのだからな。
 なので彼女が如何して其処まで驚いているのか解らず『こうして見ると表情の変化は僅かしか無いが、意外と表情豊かなのかも知れない』などと、そんな考えが頭に浮かぶ程の余裕が在るぐらいだ。

「ふむ」

 そんな彼女の表情を見ていて、一つの妙案が浮かんだ。
 それに、と小さく囁き――

「ならば、こう言おうか――私は君の褐色の肌が非常に好みだ」

 そう言って私は思わずを浮かべた。
 言葉に嘘は無いが、初めて顕然とした彼女の呆れた表情が見れたので、何と無く『勝った』と言う気分になり笑ったのだ。
 黒人まで行ってしまうと少々話は変ってくるが、彼女のような健康的な褐色の肌は嫌いではない。好みであるのは間違い無いと断言出来る程度にはだ。
 そんな自分の事を数秒の間、呆然と見ていた後で一度咳払いをし、気を取り直した彼女は僅かに微笑を浮べたのを見た。

「……もしかして、僕は今口説かれているのかな?」
「あぁ〜……いや」

 予想外の切り返しを受けて、思わず言葉に詰まっている間に彼女の表情から微笑は消え、三白眼の鋭い変らぬ無表情に戻っていたが、声色だけは心成しか優しくなったような気がする。
 ただ、空気の流れが『たおやか』になった事だけは解った。

「そう言う時は嘘でも「そうだ」言うものだ。そうすれば『グリコーグ劇団』で演じられる物語のヒロインのように、君に一目惚れをする場面だったよ」
「それは……惜しい事をしたようだ。ちなみに、その後は如何なっていたんだ?」
「君が思うがまま、御心のまま。まぁ、そう言わずとも君にだったら僕は、多少は納得して抱かれても良いと思っているよ」
「そいつは光栄だ」

 冗談と解っていても、現実の世界では言われた事が無いような台詞だ。
 如何やら今日は人生最初で最後の初体験をしたのかも知れない。
 この先の人生、一生言われる事も無いだろう。

「だが、やはり遠慮して置こう」

 先程よりも心がひどく揺さぶられたが、それをおくびにも出さずに断りを入れて眼鏡のずれを直し、呼吸を二度三度深く繰り返す。
 後ろ髪引かれる思いもあり――この空気を壊すのは忍びないのだが。

「非常に魅力的な誘いであったのは間違い無いが、今はそれよりも追われていた理由と、あの荷物の中身を教えて頂きたいな」

 思う所、と彼女は言った。
 それは彼女が追われていた理由と言う、自分から見た情報なのだろう。
 自分はそれが知りたかった。その意思を込めて淀み無くはっきりと言うと、たおやかになっていた空気がまた張り詰めたものに変った。

「……なるほど」

 と、彼女が呟いて深く腰を掛けたまま、ゆっくりと右手で前髪を横に流す。

「正直に言おう。出来るならば遠慮して貰いたい。これ以上君に迷惑を掛けてしまっては、それこそ身体で支払うしか無いのだが?」

 軽く冗談を交えながら言葉を返してきたが、その言葉の重みと視線の鋭さが先程までのものとは違って剣呑なモノを忍ばせている。
 彼女の言葉は、こちらを案じているように聞こえる。
 こっちも別に自分から厄介事に首を突っ込んで行くような真似をしたくない。安っぽい御節介が働いたと言うわけでもない。
 なので、彼女の心遣いを受けて自分は――彼女に対してあからさまに溜息を吐いた。

「……迷惑なら既に掛かっているんだ」
「だからこそ、これ以上は――」
「それは私に気を使って、と言う訳では無いだろ?」
「――」
「私に構わずはっきり言ってくれて構わないさ――自分の問題に手を出されて欲しくないと、君自身が人と関わりたくないと言うのが本音かな?」

 三白眼が細く釣り上がり、刃物の切っ先を突きつける様な彼女の視線と、自分の視線が絡み合う蛇のように交わる。
 こう言う場合は視線を逸らしたほうが負けだと良く言われているが、今回のような話し合いに勝ちも負けも無い。
 睨み合っていても要求は通らないので視線を外し、もう一度溜息を吐いてから彼女に――懇願をした。

「私も解っているんだ。結果として助けたとは言え、勝手に君の問題に顔を突っ込んだのは認める。それに対して謝罪しよう。だが、少しでもそれに対して感謝をしているのであれば――私を『見殺し』にしないでくれ」

 見殺しにしないでくれ。
 そう言ったのは卑屈になった訳でも、遜った訳でも、ましてや皮肉を言った訳でも無い。
 何てことは無い――事実、心底そう思ったから願い出たのだ。

「君を助けた際に、私は顔を見られているかも知れない、既に君の仲間と思われているかも知れない。既に『敵』として見なされているかも知れない」
「――」
「希望観測はしたくないので言わせて貰えば、きっと私は望む、望まないに関わらず、君と一蓮托生になって居るのだろう」

 自分の部屋に戻った際に、彼女に逃げられて居らずに安堵した理由――それは状況が把握出来ると言う事。
 あのまま彼女が逃げていたら自分は何一つ知らずに、訳も解らずに襲われていたかも知れない。
 それも頼る人間も居らず、未だに生きる事に不安が残るこの世界でだ。
 情報すら無く、理由も解らず、相手は誰なのか――全て不明瞭なままで、何時襲われるとも解らない靄のような敵対して気を張り詰めながら生活をする。
 それが現実と為り得たならば『筆舌に尽くしがたい』『言語を絶する』『形容をこえた』と言った語彙を使って表現出来る程に、骨格の全てが冷たい鉄の棒と差し替えられたと錯覚する程に、魂は竦みあがり筋肉は硬直し微動にする事が出来ないだろう。
 希望観測や楽観で如何にかなるならば、そこまで考えを誇張して神経質になる事は無い
 しかし――ココは人が一人居なくなった所で『日常』と見なされる『異常』な世界なのだ。
 この世界に来て自分が何より学んだのは――無知で居る事の恐怖。
 何せ――知らないでは、済まされない。

 だから助けた相手に頭を下げて懇願すると言う事にも、躊躇は無かった。
 その姿は非常に情けないものだろうが、こういう事態になるのではと助ける瞬間に思って居たので、それは今更と言う話だ。予想が付いて助けた自分が悪い。
 だから人助けは嫌いなのだ。
 だから他人と関わるのが苦手なのだ。
 こう言う経験は何度目だろうか――アレだけ手痛い目を見たと言うのに、学習能力無く懲りぬものだ。

「――そこまで解っていながら何故僕を助けた?」

 彼女も疑問に思ったのだろう。
 視線の鋭さはいまだ変らないが言葉に硬さは無く、純粋な疑問として尋ねて来た。

「……私は良くも悪くも普通の人間だ」

 そう、別に自分は変った人間ではない。

「実直に言えば厄介事は御免だ。自分が起こしても居ない厄介な問題に、好き好んで関わりたくは無い」

 漫画の主人公のように、見返りを求めず人を助けたりはしない。
 厄介事は出来るだけ避けて通りたい。
 しかし――

「なら――」
「だが、人助けをしない理由にはならない」
「――」

 そう――それが人を助けない理由にはならない。

「目の前で誰かが倒れている、そして自分は助ける事が出来る。見捨てて後味が悪い思いはしたくない――ならば、助けようと思うだろ。それは別に偽善でも打算でも何でも無い、如いて言えば『性分』だな」

 そう、性分。
 その言葉が一番正確で適しており、何よりも馴染んでいる気がする。
 困っている人間が目の前に居り、そこに手を差し伸べて届くならば、誰でも手を伸ばすだろう。
 利害が一致しない時。
 障害として立ち塞がる時。
 自分の目的や使命の為――そう言った時に人は非情になる。
 最初から噛み付かんばかりに構えて、他人を蔑ろにしようとする人間は居ない。
 誰だって他人の手や願いを無理にでも蹴散らして生きたいとは思わない。
 助けれる人を助ける――これは意外でも何でも無い話だ。

 それでも自分に人と違う点を見出すとすれば――他人に臆病と言う事だろうか。

 他人の悪意ある目が気になる。
 他人を見捨てると言う罪悪感を何時までも引き摺る。
 他人に裏切られた痛みは忘れても、他人を裏切った痛みは忘れる事が出来ない。
 そう言う人間なのだ。
 だから、自分の責任は全て抱き抱えようと思っている。
 良く言えば――自分の行動の全てに責任を持つ覚悟。
 それは誰もが持っている『モノ』ではあるが、それを意識して心に秘め続ける努力をしているか如何かで変ってくるのかも知れない。
 弱音を吐こうが、挫けようが、絶望しようが――腕の力が弱くなったとしても、最後まで責任を握り締める。
 全てが全て出来た訳ではないが、そうありたいと願って行動をしている。
 自分とは――そう言う普通の人間なのだと思っている。
 そこに少しは理想も含まれているが――まぁ、許される程度だろう。

「なんとも――物好きだな」
「いや、性分さ」

 そう言って自分では上手く笑ったつもりだが、如何だろうか。

「ふぅ……解った。話す、話させて貰うよ」

 肩を竦めて溜息を吐いた彼女を見る限り、皮肉気には笑えなかったようだ。

「唯、約束をしてくれ」
「ん?」
「僕を裏切らないと」
「――」
「正直に言わせて貰えば、僕は君の事を一切信用も信頼もしていない」

 彼女はそう断言した。
 その言葉に暖かみは無く、氷柱のような冷たく尖った事実しか無かった。
 当たり前と言えば当たり前ではあるが、正面を切って言われると僅かながら心がぶれる。

「なので――切っ掛けが欲しい。嘘でも構わない。裏切られている事には慣れている。だから、僕は人を信用しないし、信用しようとも思わない」
「――むぅ」
「故に人を信頼する事に慣れて居ない。だからと言ってこれから慣れるつもりも無いが――非はこちらにあり、巻き込んでしまった責任はやはり僕にある。その事で申し訳ない気持ちもある。だから、行動を共にするには間は少なくとも君に背中を見せても良いと思っていたい」

 ――でなければ、僕は君を殺したくなる。
 小さく言葉を呟きながら真剣な表情で言ってくる。
 嘘ではないのだろう。
 しかし――と、また逆にこうも思う。
 何故、彼女はそこまでして自分を仮にでも信じようとしてくれるのか。
 恩義や借りを返す為、自分の矜持の為――と言うのだけでは説明出来ない何かが在るように感じられるのだが、考え過ぎだろうか。

「その切っ掛けをくれないか?」

 そんな自分の考えを知ってか知らずか、彼女はそう言って訊ねてきた。
 訊ねると言うよりは、訴え掛けると言うべきか。
 いや、その表現も違う気がする。
 適切な言葉が思い浮かばない。
 もしかしたら彼女の言葉に含まれていたモノは、単語で説明出来るようなモノでは無いのかも知れないが――ただ、ココを少しでも躊躇し違えれば、何かが終わると言う事だけは、妙な確信があった。
 だから歪まず、揺るがず、弛まず、捩れず、弱らず、折れず、捻れず、曲がらず、緩まず、鈍らず、衰えず、屈せず――心を定め、言葉に、身体に真直ぐな『なにか』を通す。

「――私からも言っておく。私は厄介事が嫌いだ」

 迷わず。

「裏切られるのも嫌いだ。だが――それ以上に私は裏切るのが嫌いだ」

 ぶれず。

「約束した以上は守り抜く。君が如何思うともだ」

 故に、断言した。

「そう、か――なるほど。なるほどね」
「……」
「しかし良いのかい、話を聞く前にそんな事を言って。後悔するかも知れないよ?」

 そう言われて早々に少しばかり心が騒いだ。
 実に情けない話だ。
 確かに、場の空気に後押しをされたと言う自覚もある。
 もう少し慎重になっても良い場面であったとも冷静に思える。
 が、流されたと言う訳では決して無い。
 それに今更どうにもなる話でもない。
 言った言葉に責任を持つ。
 その言葉に嘘偽りは無い。
 今回の事を言えば自分が望んだ所もあり、後悔も無い。
 心は定めた。
 違える事も何も無い。

「ああ、そうだ」
「む?」

 急に、何かに気が付いたとばかりに彼女が言葉を呟いた。

「大事な事を忘れていた」
「?」
「名前だ。『君』とお互い言うのも如何かと思わないかい?」
「……あぁ」

 自分でも解るほどに間抜けな声が口から零れた。
 そこまで自分達は余裕無く会話をして居たのか。
 彼女の場合は興味がただ単に無かっただけかも知れないが、自分の受容量と処理能力の底の浅さに苦笑を浮かびそうになっていると、目の前にゆっくりと拳が差し出された。 

「ロゼッタ――僕の名前は『ロゼッタ』だ。『ロゼ』と呼んでくれ」

 こう言う時にこそ、笑みの一つぐらいは浮べてくれても良いだろうに。
 そう思いつつも、またそこが彼女――ロゼらしいのだろうかと思いながら、ロゼの拳の前に如何贔屓目に見ても二回り程以上大きい、岩と岩をかち合わせて無理やり丸く削った様な拳を差し出す。

「私の名前はガラ。そう呼んでくれ」
「ふむ、偽名かな?」
「……一応本名だ。それと、私からすれば君の方こそ偽名を名乗っていそうなものだがな」
「いやいや、コレばっかりは誤魔化せないのでね、悔しいが本名さ。本当なら偽名を名乗りたい所だが……やはり謎が在る女性の方が魅力的だと思うかい?」
「かも知れないな。しかし、謎が多過ぎる女性が魅力的か如何かと聞かれたら、言葉に詰まるがな」
「それはお互い様と言うものだ」
「……ああ、確かに違いない」

 そう言って、互いに妙な思いを抱きながら肩を竦め、拳を軽くぶつけ合った。



 その暫く時が流れた後、互いが妙な思い――言うなれば歪な歯車同士が噛み合ったかの様に思えた事を『とある理由』で互いに思い浮かべてこう称した。

 確かに、様々な理由が互いにあった。タイミングもあった。思惑もあった。
 運命も偶然もあったかも知れない。
 しかし突き詰めた所、その根源に在ったのは二つに一つ。

 『同属愛執』か『同属嫌悪』

 ――そこに在ったのは、きっとどちらかだろう。
 そう語り合った時、二人の関係が如何なっていたかは――まぁ、黙して待たれるが宜しい。





前へ << 小説(SS)TOP >> 次へ