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Cross Flick Online

 




 ――モノの評価と言うものは、自分と他人の中間点にある。
 これは高校時代に物理を担当していた教師の持論である。
 自分の主観と他者の主観の丁度中間点が物事の正当な評価であると言うものだ。
 全ての物事がそうだとは思えないが、あながち間違いだとも思っていない。
 この世界に――非常に癪では在るが、慣れ始めた頃にそんな言葉を思い出した。

 この世界は『中間』と言う意味では、それ以上に適切な言葉は無いだろう。
 ――仮想と現実の中間。
 現実でかつ仮想であり、また仮想でかつ現実である。
 世界にはゲームのシステムが確かに息づいており、また現実である事を見失っていない。
 例えば、左腕に嵌めている腕輪。
 これは8歳以上の人間が、冒険者ギルドに登録する事で支給される物である。
 この腕輪をしていない冒険者は大概の場合、過去にやましい事があると判断される。
 だからと言って酷い扱いを受けると言う訳では無いが、道具や金銭等を預かる『バンク』と言う施設や、場合によっては一定以上の武具等の購入、各職業の訓練施設などの一部地域への進入等を禁止されており、他にも様々な『冒険者特権』と言うモノを受ける事が出来ない。
 元の世界で言う所の、戸籍や免許証等の身分証明書に近い。
 この腕輪の取得方法は簡単で、冒険者登録する際に『名前』と『種族』『性別』を登録する。そして簡単な適性検査と実地訓練を数日受けた後で支給される。
 その後、支給された腕輪を嵌める事で、その登録者のステータスを読み取り、画面として浮かび上がらせる事が出来るようになる。
 最初に見た時には気が付かなかったが、2枚目の画面があり、そこに手持ちの金額と所属ギルドなどの詳細が入力されている。
 この腕輪は、自分以外の者には使う事が出来ない仕組みとなっており、身分証明書とキャッシュカードの役割を果たしている。買い物は大抵この腕輪で済ませるか、物々交換などが主だが『バンク』に持っていけば金貨・銀貨・銅貨に現金化も出来る。

 最初はあまりの高度な技術に戸惑い、構造を色々と調べようと試みたが『人は魔力を持ち、その波長は唯一無二で在りそれを感知云々――』と言う程度の事しか解らず、如何言う仕組みなのかは不明である。よくよく考えれば『魔法』の仕組みすら解ら無いのだから、一々考えていたら切りが無い。
 それに元の世界でも大雑把な知識は在っても、仕組みの良く解らない機械を平然と使っていたのだ。
 こっちが信用出来るとさえ思えるなら、理屈が解らなくても車は動く。
 自分はそう言うものだと受け入れる事にした。

 ココまでがゲームシステム――仮想の世界の部分である。
 もう半分である現実は何かと言えば、この世界にはレベルと言う概念は無い。
 また、ステータスも自分で割り振ることは出来ない。
 故に、獰猛な魔物と戦う必要も無く、腕立て等のウェイトトレーニングをこなしていれば画面上の『STR』等の能力値は上がっていく。この世界では筋力等の限界値が元の世界よりも高いらしく、鍛えれば鍛えた分だけ、それこそ漫画の世界のように、超人的に自分の様々な力が上がっていくらしい。自分にとっては不可解な事ではあるが、そう言うものだと認識するしかなかった。

 ならば、戦わずにウェイトトレーニングだけに励めば、強くなるのか。
 その疑問は半分正しく、半分間違っている。
 確かに何らかのトレーニングで『AGI』を限界まで挙げた人物が居るとしよう。当たり前では在るが、その速さは比類無き速さとなっているだろう。
 画面の数値は嘘を吐かない――だが、全てを語る訳でも無い。
 この世界は仮想であり、現実である。
 故にステータスは絶対ではない。
 どんなにAGIが高くても拳の振るい方が解らず、予備動作が一目瞭然で、力の伝え方の知らない、傍目にも見ても御粗末過ぎる実践を知らない人間の拳を、ステータスで劣って居たとしても、ある程度の技術と経験を積んでいる人間が避けれぬ道理は無い。
 ならばDEXを高くすれば、全ての攻撃が当たるのか。それも否である。
 ただ、一流の奇術師の様な器用さ、訓練によって鍛えられた動体視力の良さ、変化自在かつ巧妙な動きを可能だとする。そうすればもちろん戦術の幅が広がり技の入りや繋ぎが流水の如く相手は防ぎ難くなり、結果として攻撃は当たりやすくなるのは間違いない。
 しかし、これも技術と経験の上に成り立つものである。

 つまり――画面上の数値はその人物の潜在的な『身体能力』または『基本性能』の高さを表しており、修めた技術、培った経験、その日の体調、身体の負傷箇所の有無などの総合的なものを考慮はされて居ないのである。
 高校などの体育の授業で行われた体力測定で全て高成績を叩き出したとしても、身体を動かす全ての運動が得意と言う訳では無いのと同じである。
 極端な例を挙げれば、バスケと言う競技で世界の頂点に立った男が、ボクシングと言う格闘技で瞬く間に頂点へ立てるのか、と言う事だ。
 とは言え、身体能力が高いのには何らかの訳が在り、そこには血反吐を吐く程の努力が存在する筈だ。
 それは莫迦に出来るものでは無く、ステータス表記を大雑把な目安とするならば間違いでは無い。

 この様に、この世界は様々な場面で仮想と現実が表裏一体となって存在している。スキルと言う存在や戦い方、町での生活、人としての考え方――世界観の根本的な部分。
 最初は戸惑い、世界の在り方を把握するのに苦しみ、全てを投げ出し掛け、実践では死に掛けたりしたが人間は順応性に優れた生き物である。半年も生活している内に妥協し、色々な物事を受け入れながら大概の状況に馴染んで来た。



 とは言え――人間為らざる身である状況に慣れ始めたのには、元人間としては危惧を覚えざるを得ない。





           『Cross Flick Online(クロス・フリック・オンライン)』
                Error02『遭遇戦≒そう、偶然』





 ――拳が疾る。
 指先から肘までを覆う銀のガントレットで固められた異形の右拳が、神速を持って人型の魔物――オークの顎先を的確に捉えた。
 人であれば確実に顎先を粉砕する事たやすい拳で打ち抜く。
 しかし、首周りが見えぬ程に肉厚な脂肪と筋肉に護られたオークの顎を砕く事も、意識を刈り取る事も出来なかった。
 大柄で骨太、頑強な巨躯には打撃が効き難く、また人間以上に痛覚が鈍いのだろう。
 だが、魔物であろうが何であろうが、人の身に近ければ近い程、人体が持つ急所を変わらずに存在する。砕く事は叶わずとも確実に脳を揺らす事は出来た。凶器の名に恥じぬ、刃こぼれの酷い鉄製の刃で作られた、鈍器に近い出来の大雑把な斧を振り上げようとしている動作のまま、膝が一瞬落ち、動きが完璧に止まった。
 地力で遥かに人間の上を行く魔物だろうが、進む事しか知らぬ『この程度』なれば恐るるに足りず。
 無様に正中線を晒しているオークの喉元に狙いを定める。
 突き出した右拳を引くと同時に畳まれていた左腕を放つ。さながら、限界まで振り絞られていた強弓から放たれる矢の如く――最短距離を最速で。
 後ろ足を前に送るように蹴り出す。
 左腰で突き出しながら重心を前に傾け、装備品であるブーツの特性で劣悪な足場をものともせず、足先から膝に、膝から腰に、腰から肩に、肩から肘、肘から指先――下半身からうねり上がる螺旋の本流のような力と勢いを、体幹の回転によって増幅させながら伝え、右拳を戻し畳む際に生まれた背筋の力と一緒に打ち出す。
 固められた右拳が鎚ならば、抜き手を作り出した左手は槍。
 肩、肘、手首、指先までを肩甲骨から伸びる一本のラインを意識し、一体化さるように固定しながら、内に切るのでは無く、真っ直ぐに伸びる槍の如くにオークの喉元を貫き徹す。
 弾力のある皮膚の表面に指先が入ると、後は妙に柔らかい肉を押し潰し、切り裂いていく嫌な感触がガントレット越しに伝わる。
 同時に、血飛沫が舞う。人と同じ真っ赤な鮮血だ。
 貫くと同時に拳を引き戻し、後ろに振り返る。

 その間、刹那的な速さと言っても差し支えない。
 左拳の抜き手は貫く事を主眼に置かれ放たれた為に、正中線を中心軸として打つボクシングのソレと違い、蹴り足を軸として身体ごと押し出すので威力は高いが、打ち抜いてからの戻しの速さが僅かに遅くなっているのにも関わらずだ。
 ミット打ちなどの当る事を前提とした練習でのコンビネーションブローならば、ヘヴィ級のプロボクサーでさえ1秒に満たない時間で打ち込む事が可能である。
 それは、グローブと言う通常の武器とは違い『殺傷』を主とする物では無く、拳を『保護』する武器だからこそ全力で打ち込むことで可能にする速さ。
 普通ならば不可能だろう。

 だが――この身は異形で在り、この世界に限界は無い。

 超人願望と言うものを残らず満たす事が出来る世界。
 ガントレットによって手首から指先までの関節を補強と固定をした、手首を傷める心配も無い強固で1m以上の長さを持つ異形の腕。
 AGI特化型と言う人種だから可能にする脅威の速さ。
 『Sへヴィ級』の規格を超える化け物であり、金属で出来たガントレットを身に付けて居ながらにして、世界屈指の速さを持つ『ライト級』の――いや全階級中最速の拳を持つ人種が多いとされる『フェザー級』世界トップランカー達に遜色無い拳速とキレの有る攻防を可能としている。
 だからこそ、牽制動作(フェイント)で敵を惑わし、心理の裏の裏まで読み合い、様々な技術を巧みに操る相手との攻防ならばまだしも、避ける事も出来ないような愚鈍な魔物相手ならば、最速を持って打ち抜ける。

 オークが喉元から血を噴出し背から地面へ崩れ落ちていく様を確認している暇は無い。
 ココは格闘技とは違い、1対1の『箱』の中では無く、1対多数を基本と認識すべき戦場なのだ。
 後ろへ振り向くと同時に軽くバックステップを行い、3m程の距離を取る。
 指に力を込めずに掌を見せるようにしながら右拳を若干遠くの方へ――肘が軽く曲がる程度に前に出し、左手も同じ様に拳を握らず喉と顎を護るように、顔から若干離れている場所に近づけながら肘を折り畳む。
 膝は軽く折り、腰を落とし、踵を僅かに浮かせ、右足を前に出す。左足に重心を乗せて両足を動きやすい幅に開き、身体をほぼ半身に近い形にする。そして、腰にある仙骨を意識しながら小刻みに動かし、全ての予備動作を巧みに隠す。
 急所の多い正中線を隠す為の半身、急所である顎と喉を護る為の左手の位置、相手が得物を持っていると想定して、なるべく近付けさせない間合いと牽制動作を作る為の右手の距離――足を活かすボクシングのサウスポースタイルを基礎として、それを崩し、実践に適応させた形になっている。
 コレがこの世界の自分――『ガラ』の基本的な構えである。

 構えを整えながら、素早く視線を動かし周りを確認する。
 場所は変らずにうっそうとした森の様子を浮かべている。
 苔の付いた太く硬そうな幹を持つ木々が空に向かって伸びており、ほぼ一定の間隔を置いて点在している。動き回る分にはあまり支障の無い程度の木々の数なのだが、両手を伸ばした枝は遠くまで広がっており、また鮮やかな緑色の葉が生い茂っている為に、日の光を殆ど遮っている。
 その為に空気は湿っており、足元には枯葉と苔が自らの領土を主張するかのように占領し、おかげで地面は殆ど見えない。
 苔と重なり合った枯葉は滑りやすく劣悪な足場と言えるが、足場の確認は軽く視線を走らせる程度で済ませる。ブーツのおかげで足場の状況は自分にあまり関係が無いからだ。

 そのような環境のここは、あまり人の入り込む事が無い『秘境の森』のような印象を受ける。
 ――ならば、目の前に居るのは遺跡を護る最後の番人だろうか。
 先程のオークと見た目は同じなのだが、通常のオークよりも一回りほど大きい体躯を誇る。自分と背丈は同じぐらいなのだが、肩幅と肉厚の差で相手の方が大きく見える。通常のオークが緑色に近かった肌と、出来の悪い斧と腰蓑の様な物だけだったが、肌の色は青白く、武器は同じだが簡素ではあるが胸当てらしき物を身につけている。
 決定的な違いとすれば――その身が纏う風格だろうか。

 それが本日の戦闘七戦目を飾る相手――ハイオークだ。

 中心となる職業や装備品、ステータス等によって多少変るが、オークなら大体レベル15前後で狩りを行える。近接戦闘の職業者ならば最初に迎える難関であり、一人で倒せる事で初心者の名を返上する目安となっている。
 そして次に来るのがハイオークである。目安となるレベルは大体30前後。
 オークとは格が一つ二つ違う相手と言える。
 厄介な事にオークと同一のマップに現れる事が多い事もあり、初心者には恐怖以外の何者でも無く、対処方法は見つけ次第に尻尾を巻いて逃げるしかない。ゲームの中では時折、逃げ遅れた初心者が殺されているのを見かける事もある。
 だが、ある程度ゲームを進めレベルが上がり中級者になると、経験値と稀に落とすレアアイテム目的で好んで狩りが行われた相手でもあった。

 この世界に入り込む前の自分のレベルは、最高レベルが『75』の中『57』レベルだった。
 レベルの概念が無いので調べる事が出来ないが、自分のステータスを見た限り、そのレベルで間違い無いだろう。
 それに加えて自分にはキリコとの『契約』で恵んで貰った貴重な装備があり――この世界で最初に目が覚めた場所である宿屋には、しっかりと自分が装備していた装備品の数々が置いてあった事に対して、心底安心したのを覚えている――その装備品の補正等が在って相性が良ければレベル以上の狩りが出来ていたキャラである。
 ゲーム中のプレイヤーを大雑把に『1〜10』までランクを付けるなら、装備品等の総合的な強さ見るなら自分は『7』前後だろう。プレイ時間は少ないが、強さ的には上級者程度。廃プレイヤーには後二歩三歩遠いと言った所だ。
 故に、ゲームが進みレベルが上がるにつれて、装備の補正が重要な役割を果たすのはどのMMORPGでも同じ傾向らしく、ハイオーク程度の敵ならば相手にならなかった。
 本来ならば友人と会話をしつつ欠伸を浮かべて、のんべんだらりとして居ようが間違い無く負ける事無い、あっさりと終わってしまう戦闘だろう。
 友人の職業イベントに必要なレアアイテムを手に入れる為に狩っていた頃は、ハイオークの事を『雑草狩り』または『精進料理』と友人との間で言って居た事から、戦闘の味気無さが解るだろう。

 だから断言出来る。
 ――ゲームならば下手を打たない限り負ける事は無い。
 これは過信ではなく、事実だ。
 実際その事実はこの世界に来てからも変っていない。
 確かにハイオークは弱く、自分は強い。

 だが、これは現実なのだ。

 ゲームの様に何処に当たろうがダメージは同じで、傷を付けられようが毒を食らおうが無視を決め込み攻撃の手を休めずに居られる、等と言うゲームと同じような事は出来ない。
 傷付いた箇所によっては戦闘不能を余儀なくされ、掠った程度でも痛みを感じれば攻撃が鈍る。
 如何なる相手との戦闘でも――集中力を切らし油断を見せ、運悪く一撃を貰えば死に繋がる。それを意識すると同時に、以前ハイオークに傷付けられた左肩に熱が篭もるのを感じる。
 敵を殺すと言う事に恐怖を感じ、戦闘毎に嘔吐していた程には神経が『まとも』だった3ヶ月前にやられた傷痕だ。
 今では完治し、戦闘にも日常生活でも支障は無いが、それでも焼けるような痛みと死を感じた恐怖は忘れない。
 だが、少しだけ傷付けられた事に感謝をしている。
 この左肩の熱が自分の油断などを戒めてくれる――戦闘には非情も、卑怯も、予想外と言うことも何も無いと言う事を。あるのは戦闘での生死のみ。全ての結果は後から付いてくるものだと。

「ふぅ――」

 最速の自分を、戦闘に勝利する自分の姿を想像しながら息を吐き――正中線を主軸として緩やかに身体の内を満たし、流動と離合、集散を繰り返す暖かな『モノ』を意識する。
 この世界に来て初めて体感する事が出来た粒子と粒子の交わり。
 自分の身体の中にはそれらが満たされており、まだまだ余裕があるのが感覚でわかった。
 種族による体格、職業毎の特性、戦闘技術、積み重なった経験、使用する武具、基本的な身体能力、それらを含めた総合的な相性――これらと同等に、場合によってはそれ以上に重要な要素となるこの世界特有の『魔法的な技能』または『悪魔的な異能』の存在――『スキル』を意識する。

「呼ッ―――!!」

 スキル発動――<闘気呼吸>
 全身に『気』と言う概念を纏う(まとう)闘士の基本的なスキルの一つ。
 補助や防御のアクティブスキルには必要無いのだが、攻撃関連のアクティブスキルを使用する際に必ず纏っていなければならないスキル。
 攻撃系のスキルを発動する為の土台と捕らえがちなのだが、使用中は物理攻撃が108%へと上昇して継続時間も長い事から、雑魚狩りでは意外と使い勝手が良く重宝する。
 発動と同時に――全身の細胞が燃焼し、躍動しているのを体感する。

「――――ッ!!」

 自分がスキルを発動している間に、ハイオークが斧を持った右腕を振り被り、叫び声を上げながら駆けてくる。見た目同様にその足は遅い。余りにも遅い。

 ――自分の方が何倍も迅速に、敏捷に駆ける事が出来る。

 両足に力を込める。
 膝下から足先までを保護する細工の施されていない、銀色の鋭利な刃物を思わせるブーツに力が篭もる。
 『ダ・ヴェルガ』――人間に近い容姿と、猫の特性である俊敏さを持つ獣人である、リンクス(山猫)の種族イベントでしか手に入らない、優秀な装備品であるこのブーツの銘である。
 設定ではリンクス達の古い言葉で『風と共に駆ける者』と言う意味があるらしく、足部の装備品として見ると守備力は普通だが、物理回避率と攻撃速度を大幅に引き上げ、装備としては珍しい移動速度を上昇させるものだ。
 エルフの様な線の細い美しさとは違う、獣の研ぎ澄まされた肢体を持つ美しい容姿の山の民であるリンクスらしいアイテムと言える。
 おかげで射程距離が短く、遠距離戦闘が出来ない闘士にとっては非情に助かる。この世界の『現実』に置いてもその性能はゲーム中と比べても遜色無い程に優秀だ――もっとも、使いこなせるまでに二ヶ月間は、身体全身を使い色々な場面や場所で受身を取るはめになったが――今では自分に無くてはならない相棒の一人である。

「馳(ち)ィ――!!」

 短く息を吐きながら左足で地面を蹴だすと『カヒュ』と、空気が抜ける様な音が踵から鳴る。その瞬間、爆発的な速さで全身が前へ、ただ前へと疾走する。
 5m程離れていた距離が、一瞬にして自分の間合いとなる。
 こちらの速度に対応出来ずに、振り被っているままの状態のハイオークに右ジャブを突き出す。踏み込みの速さと体重を乗せた右拳。
 ハイオークの顔が後ろに弾け飛び、背骨が僅かに後ろへ反れる。
 ジャブ――と一言に言っても何種類かあり、これは繋ぎのリードジャブではなく、蹴り足の鋭さと体重を拳に乗せた『ストレート』に近いジャブ。
 右利きのサウスポーの利点の一つであるジャブと言う武器の性能の良さ。
 破壊力、精密さ、速さ――全ての面に置いて通常のジャブとは段違いである。
 踏み込んだ右足に蹴り足である左足を引き付けて相手の懐に入る。
 この距離ならば斧を振り下ろされた所で右腕が当たる程度、脅威では無い。

 ――この距離は自分だけの間合い。

 様々な武器が存在するこの世界に置いて『自分の間合いで戦う』と言うのは、何を行ってでも奪わなければならない。
 互いの攻撃手段が違う場合、自分の間合いを奪い取ると言う事は、相手が持つ武器を半ば無効化し、自分の攻撃を活かせると言う事。
 言わば領土の奪い合い。
 得るのは戦闘に置いて絶対的に優位な場所に立つ領域主と言う立場――極論を言えばその空間の支配権を持てる。例外はもちろんあるにせよ、間違った認識では無い。

 つまり――今、この戦闘を自分が掌握している。握り続けるも手放すも己の采配次第。
 戦術とは論理的に組み立て、数手先を読みつつ幾つもの行動選択を作り出し、その中から状況を分析して取捨選択を直感で選び、素早く行動に直結させる。
 ならばこの場合、狙うは左半身の肋骨(あばらぼね)に守られている肝臓ではなく、腕を振り上げてがら空きになっている右脇の窪み。
 重心を軸足に掛け、身体を沈める。右拳を戻す勢いを乗せたまま腰を捻り、沈めた身体を起き上がらせた勢いを、左拳に乗せて下から上へ突き上げる。
 最初に拳に感じたのは張りの有る皮製のベルト。次に、そのベルトに包まった密度の少ない軽岩を思い切り殴った感触、それと同時に『コキャ』と言う何かが外れる軽い音が拳を通して伝わってくる。球形の関節頭が関節窩から外れた嫌な感触だ。
 ハイオークには異質の痛みだったのだろう。
 生まれて始めて腕を上げた際に伸びきった靭帯を殴られ、それだけではなく脱臼の激痛も同時に味わったのだ。悲鳴じみた叫び声を上げながら斧を手から落とし、身体を大きく震わせ一歩下がる。

 綻(たん)――と、打ち抜いたままの体勢で無造作に軽くステップを踏み、相手の右側に足を運ぶ。不意に、と表現しても良いほど軽やかに。
 自分でも驚くほどに、己惚れてしまう程に如何なる姿勢であっても、フットワークはぶれる事無く進む。望むがままに、風がそう囁きながら、自分の持つ想像の先へと運ばれているようだ。

 ハイオークには突然消え去ったように見えたのかも知れない。
 距離が近ければ近いほど、視界は狭くなる。ただでさえ、相手にとっては初めての距離感だったのだろうから、僅かに視界から外れただけで姿形を見失うのも無理は無い。
 痛みをぶつける筈の相手が消え、ハイオークは痛みに任せて左腕を虚空へと振るうだけだった。その勢いで体勢が崩れた。

 好機――次に狙う箇所は、耳裏に存在する急所。
 左拳がまだ戻しきれて居ない状態で、左足を鋭く前に出し『スイッチ』を行う。
 軸足が左足に変わり、右拳が『主砲』に成り代わった。
 右腕の弛みを捻り込む様に脇に仕舞い込む。下半身を意識しながら腰を落とし、安定した土台を作り上げる。

「呼ッ――!!」

 短く息を吐き胆力を込め、左腕を内に仕舞う力で背中の筋肉を引っ張り『トリガー』を引き絞る。
 己の渾身の力を右拳に込めて、肩、肘、手首を内側に捻り込みながら――撃ち出す。
 ボクシングのストレートと言うよりは、空手の正拳突きに近い。
 自分が幾つか持っている一撃必倒を主眼に置いた『とっとき』である決め手――スイッチ後に利き腕で放つ右コークスクリューブロー。
 回転を加えて突貫していく銀の手甲を纏った右拳は、正しく弾丸のソレである。
 ゴギャともゴギともする、何かに包まれた湿気っている木材を叩き割った様な鈍い音が響く。頭蓋骨を粉砕し、脊髄を折り、骨が砕けた嫌な感触だ。
 拳が突き刺さり、痛みに我を忘れて暴れ回っていたハイオークの即頭部が変形し。首が直角に横に曲がると同時に、眼や耳からは血が流れ、口から赤く染まった泡状の液体を吐き出しながら崩れ落ちる。

「かはっ……はぁ……」

 緊張のし過ぎで息を吐くだけ吐いて、吸うのを忘れていたらしい。
 細胞が酸素を望み、全身を使って呼吸をする。
 上手く――と言うと嫌なのだが、一撃で殺す事が出来た。
 当たり所にもよるが、普通の人間でさえ骨と言うのは存外に硬いもので、ましてや魔物であるハイオークは骨が硬いだけでは無く、幾重の筋肉に守られている。
 ジャブからの繋ぎの時点で首に多少のダメージと、右脇の痛みで首に力を入れぬ様にしたとは言え、正直な所、一撃で頭骨を砕いたり、頚椎を折る事が出来る確立はそれほど高くないだろうと思っていた。
 もっとも例え折れなくても、少なくとも三半規管は狂い、重力に屈して崩れ落ちた所を右足の踵で砕ければとは思っていたので問題は無かったのだが、決着が早くなる事に越した事は無い。

「普段以上に強く打ち込めたのはスキルのお陰か……」

 まだ<闘気呼吸>が継続しているのか、運動で熱を帯びている以外の細胞の躍動を感じる。
 今回は<闘気呼吸>のみ使用したが、戦闘が終わると何時も『スキル』と言うこの世界に根付く『システム』の使い勝手の良さを思う。
 本来技術と言うものは拳の振り方一つを取っても様々なものが在り、それを試行錯誤し、膨大な時間の反復練習と実地練習を繰り返し、その上に成り立つものだと認識している。
 確かに『スキル』にもそう言う一面は在るのだが基本的にコレは、取得後は発動するだけで身体が勝手に反応するのだ。
 別に誰かに操られるように全自動で身体が勝手に動く訳では無い。
 魔法関係の『スキル』を持っているが数える程度――それも半ば無我夢中で使っていたので未だに良く解らないので何とも言えないのだが、肉体に影響する『スキル』の場合は、発動効果の結果へ至る過程が幾重にも広がっており、その道筋が感覚で解る。自分は幾つもの中の一つを直感で選び、自らの意思を持って流れに身を置き走らせる。
 世界の概念としての補正――この世界が行動の手助けをしているとでも言えば良いのだろうか。いかに実戦経験も、戦闘技術を学んだ事が無く――この様な言い方は嫌いなのだが――才能の欠片さえ無い少年でもスキルを発動すれば、高度な動きが可能なのである。
 もちろん経験も技術があり、スキルを良く理解し、巧く流れを操作する事が出来るのならば『にわか者』よりも効果の高く、複雑な動きへと応用する事が可能ではあるのだが、それを差っ引いたとしても『スキル』と言う存在は強力無比である。
 これは何らかのゲームで遊んだ事が在れば解るだろう。
 しかも、幾つかの初級スキルと一部のスキルは金で買う事や、アイテムで取得する事が出来るので、場合によっては恐ろしい限りだ。

 とは言え、普通に取得するならば戦闘や訓練である程度の経験を積まなければならない。
 そして大概のスキルは『ひらめく』と言うのだろうか。
 実際に自分も経験したが言葉にするのは難しい感覚だった。
 左肩の傷が治り、2週間程経った頃に戦闘後、ふと新しいスキルと言うものを理解したのだ。
 何と言えば良いのだろう。
 昔、自分はストレートの練習している際――自分は利き腕が右であるのにサウスポースタイルを目指していたので、左ストレートの切れが無く、インパクトの瞬間に巧く力の伝えようと、当たる瞬間に左腰を瞬間的に押し出すなどの試行錯誤を繰り返していた。
 そんな事を練習し続けていると、ある日ふと『キレ』と言うものを何と無く理解し、それから上体や腰が走るようになった経験がある。
 『スキル』と言うのはそれを極端にしたような感覚である。
 またコレも説明すると難しいだが、スキルと言うのはステータスボードに現れるわけではない。が、スキルと言うのを意識すると、自分の持っているスキルと言うのが何と無くわかるのだ。
 頭の中に一冊の本があり、それには自分の取得しているスキルが書き込まれており、ページを捲る事を意識しながら一つずつ内容を理解していく。
 そして使おうとする際はページを開くのでは無く、読んだ内容を自分なりの大雑把な解釈で想像する事に効果が発動する。
 その際に自分の正中線を中心軸に流動している『モノ』が消費される。
 どれ位の消費量で、自分は後どれ位の回数を使用出来るのか――明確な数字では現れないがある程度は感覚で掴める。
 自分の取得したスキルは自身の肉体に影響を与えるものだった為、魔法関連のスキルの感覚は未だに掴めていない。

 それを考えると――格闘技をそのままこちらで応用出来る、自分の戦い方にはスキルとの相性も良い『闘士』と言う職業を選んでおいて良かったと心底思う。
 闘士――その名の通り闘う事に特化した人種であり、イベントをこなす事で転職出来るのだが、大抵は僧兵(モンク)から闘士を目指すので、僧兵の上級職と認識されている。
 大まかに分けて闘士には3つのタイプが居る。
 全職業の中で、一番の瞬間最大火力を誇る闘士の破壊力に魅了された一撃必倒型。
 常時発動スキルの性質と、回避等の能力の底上げをしてくれる防具類が装備可能で、また種類にも恵まれている利点を活かした疾風迅雷型。
 そして、その両方を極めてしまった廃プレイヤーのみが辿り着く究極の阿修羅型。
 いちいち名前が大仰しいのも闘士ならではと言えよう。
 ゲーム中では自分は、疾風迅雷型を経由しての阿修羅寄りであった。
 とある理由――と言っても、キリコは女性キャラでかつ種族も違い、自分が近接戦闘特化であったように、完璧な遠距離特化の後衛型と言う真逆のキャラであった為、装備出来ないレアアイテムを互いに譲合う事を友人との約束でしていただけだが――また、自分がキリコとプレイする時は常にコンビだった為、廃プレイヤーのキリコとの実力やレベルの差が大きく、無理矢理にでも装備品でステータスの底上げを行わなければ遊べなかったと言う部分もあったのだろうが、流石は廃プレイヤーだけあって渡される装備品はかなり良い物が多く、プレイ時間に見合わぬ物を装備できた。
 そのお陰で阿修羅寄りになっているのだが――全ての型に共通するのは、闘士は重装備が出来ず、武具に至ってはガントレット系しか装備出来ない。また、スキルも全て肉体に依存するものとなっている事だろう。
 攻撃の際に拳や肘などが鉄の如くに強化される<鉄拳>や、格闘での攻撃間隔が短くなる<流水>等のパッシブスキル。
 闘士ならば誰もが必須とする最も使える一定時間の間は命中率と回避率ともに大幅に上がる<心眼>や、画面に見える範囲のある程度の距離ならば一瞬で移動する事が出来る<瞬動>等のアクティブスキル。
 良い意味でも悪い意味でも『闘士』らしいスキルが多い。

「あぁ……駄目だな。疲れに流され余計な事を考えるのは私の悪い癖だ。いかんな、こんな所で『ぼぅ』としてしまうとは」

 連戦七戦を終えて精神的に疲れた。
 リザードマンには御世辞にも似合うとは言えない角ばった黒フレームの眼鏡を左手でずらし、右手の親指と中指で手甲越しにかろうじて窪みのある眉間を押さえながら首を振るう。

「取り敢えず、ココから離れるか……」

 最近人と行動を共にしていないせいか独り言が多くなってきた気がしなくも無い、などと思いながら敵は近くに居ないかどうか、周りを見ながら確かめる。
 いつも通り倒したハイオークが目の前から消えている。ハイオークだけでは無く、他の倒したオーク達は居ない。
 森はすっかりと元の姿を取り戻していた。
 ――この世界では魔物の死体は残らず、光の粒子と粒子がぶつかり合い、舞い上がるように消えていく。
 大抵の場合、何も残らず消えるのだが、時折相手が装備していた物が残っている時が在る。こう言う所はゲームと同じで、時折自分はこの世界に存在しているのではなく、気が付かないだけで普通にゲームをプレイしているだけなのでは、などと思ってしまう。

 だが、全てのリアルが自分にコレは現実だと訴え掛ける。
 ガントレットに付着している血痕が事実だと雄弁に語り、肉を切り裂き、骨を砕く感触は、幾ら手を洗っても忘れる事は出来ず、肉と血飛沫を撒き散らし朽ちていく魔物は夢に現れる。
 プロでこそ無かったが自分は格闘家だった。
 喧嘩もしたし、やんちゃな時期もあった。
 故に人を殴った事もある。鈍器で殴られた事もある。何人の人間相手に立ち回った事もある。練習中に誤って人の骨を砕いた事もある。
 逆に、殴られた事もある。大勢に囲まれてボコボコにされた事もある。刃物で切られた事も一度だけあった。
 だが人間を、いや生き物を殺した事は無かった。
 それがこの世界に来てからは、命の遣り取りが日常である。
 日常になったからと言って、別に嬉々として行っていない。行える筈が無い。
 最初の頃程では無いが、今でも恐怖や罪悪感、嫌悪を覚える。
 いつまで経っても慣れる筈が無い。
 最初はそれこそ、夜毎うなされて居た。今でも悪夢を見る時もある。

 しかし――ある程度、馴れてしまった。
 この身体は様々な傷と血を浴びて別の者となり、四肢は人ならざる生物を躊躇する事無く破壊する凶器となった。心は今では世界の在り方を理解し、血を流しながらも全てを背負い受け入れている。
 この世界で生きて行くには仕方が無いとは言えだ。
 ――それでも自分は生きている。
 泣いた。吐いた。傷付いた。寝込んだ。死にたくなった。
 だが、発狂はしなかった。
 そして、幾つも有る選択肢の内――自分は拳を振るう事を選んだのだ。
 
 世界に縫い付けられた影響なのか、それともこの世界で今まで過ごしていた『ガラ』と言う人間の影響なのかは解らない。
 幾ら言葉を並べた所で、自分は闘争を選んだのだ。
 確かに最初の内はそんなつもりは無かったのだが、日を重ねる毎に心の何処かで闘争に駆られたのはきっと、自分の魂は『渡河健一』で在ったが、気が付けばこの『ガラ』と言う存在に少しずつ塗り潰されて居たのだろう。
 いや――言葉を訂正しよう。
 塗り潰すと言う一方的な部分では無く『融合』に近い。
 実感する、本能が――特に闘争本能と言う面で強くなってきている。
 恐怖や嫌悪以上に、戦闘の極限状態に魅力を見出している部分が自分にはある。
 ――性欲などが強くならずに良かったのが不幸中の幸いか。
 自嘲気味に少し笑ってしまった。
 ふと、両腕を見て考える。

 ――自分は行き着く先は何処だろうか。

 元の世界に帰りたいと今でも思う。それは間違いない。
 だが、それ以外の感情も確かに在る。
 この世界に存在が縫い付けられてきた時から感じていた予感めいたものを抜かしても、闘争を本質とした世界に足先からどっぷりと使った自分が、元の世界に帰って如何なると言う。
 今更、普通に生活する事が出来るだろうか。
 そう思うと自分の立ち位置が解らなくなり、心が無重力状態のように浮いて足場がひどく不安定になる。

 そんな理由も在ってか――キリコに会っていない。

 この世界に馴染むのに余裕も無く必死だったと言う事や、自分がガラとしての記憶が無い事など色々な理由が在ったが、それを逃げ場にして連絡を取ってないのだ。
 取れない訳ではない。
 この世界の街にはゲームと違い『耳打ち』等の機能は当然の様に無い。
 その代わりに『情報屋』と言う商売が存在する。
 やはりと言うべきか『ギルド』と言う集まりは存在する。
 その際に集まり易くする為に、自分達のホームとなる街を決めている場合が多い。だが、根無し草の風来坊のような、ふらふらと自分勝手に動く連中が多いので、連絡が容易に取れずに、集まろうとしてもいつ集まれるのか解ったものでは無い。
 そこで出てくるのが『情報屋』である。
 情報屋と言う施設は何処の街にも必ず在り、そこに足を運べば街の情報や、個人同士の連絡の受け渡し、ギルド内、またはギルド同士の連絡の交換や、賞金首や依頼等の様々な『情報』と名の付く物全てを取り扱っている。
 相手にする人数が人数だけに、料金の方も冒険者に優遇されており、また仲介役も勤めているのでそれなりの儲けをしているらしい。また大抵の場合『酒場』と共営しており、一階が情報屋、二階が酒場となっているので、そちらでも儲けが出ているのでは無いだろうか。
 携帯電話などが無いこの世界ならではの連絡手段だが、個人的にはある意味自分達の世界よりも、高い技術が使われているような気がしてならない。

 眼鏡のずれを直し、何度か瞬きを繰り返して目の疲れを取りながら、左腕にはめている腕輪からステータスボードを開く。
 ステータスボードの二枚目を見ると元の世界でゲーム中に溜めていた分の莫大なルーク――この世界の金額を単位――と、所属ギルド『DOG HOUSE(犬小屋)』と書かれている。
 ゲーム中でも知り合いが多い筈のキリコがわざわざ他のギルドに入らずに作った、自分と友人のみの所属ギルドの名前が確かに刻まれている。
 自分がガラになる前にどれぐらい連絡を取っていないかは解らないが、少なくとも自分は情報屋に行っていないので半年以上は連絡を取っていない計算になる。
 なので、情報屋に行ってみれば自分宛に連絡があるかもしれない。連絡が無いにしろ、こちらから連絡を取る事も出来る。

「そろそろ腹を括るべき……か」

 優柔不断と言われても仕方が無いが、いまいち踏ん切りがつかない。最初の内はキリコと連絡を取るのが目標だった筈なのだが、ココまで来るのに色々と在り過ぎてしまって、何と無くタイミングを逃した感がある。

「正直、悩むのは戦闘だけで今は手一杯なんだがな」
 
 足首を捻り関節を鳴らすし、方角を確認して町へ歩き出しながら思わず呟く。
 左右に首を動かし肩をほぐしながら、連戦と緊張のし過ぎで大分身体に負荷が掛かっている自分に対して溜息が零した。
 ――戦闘の問題は何も内面だけではない。
 最初の頃は精神的な問題の方が自分には切実だったが、今では戦闘自体の方が問題だ。

 自分は恵まれている方だろう。
 自キャラ製作時に美形キャラを――せめて『人』で在りたかったと思わないでも無いが、それを差っ引いても恵まれている。
 漫画を例に出すのも変な話だが、何も無い状態で放り投げられた訳では無いのだからだ。
 流石に絶対無敵、全知全能、拍手喝采等と言う状態ではないが『ガラ』と言うキャラを上手く育てていた事も在り、レベルも高く、スキルやステータスの配分も間違っていない。
 何よりも廃プレイヤーでさえ中々装備していないような、優秀な装備をしていると言っても良い。装備品と言う面では自分は殆ど完成した感じである。

 ゲーム内には職業や戦闘スタイル、相性等の多くの要素があり、自分の求める装備品の『理想』はあるが最強の装備と言うのは存在しない。確かにレア度が高くなればなるほど、効果の高い装備品であるのは否定しないが。
 装備に関する感覚としては昔やっていた『ミニ四駆』等に似ているのかもしれない。
 絶対に勝てるチューンナップは存在しないと言う意味で。
 『Best』は無いが『Better』は在る。
 そう言う意味では今の自分の装備は最良だろう。
 もっと上を目指すには単純にレベルが足りない。
 この世界に引っ張られた事を脇に置いておいて、現状を考えれば自分は恵まれていると思う。思わない方がおかしい。
 そのおかげで自分は死なずに済んだ。また、現在進行形で済んでいるのだ。

 だからこそ、今後の戦闘に対して不安を隠せない。

 そう、ハイオーク程度の敵を余裕で倒せるようにならなければ――元の世界へ戻る方法を探し出す事が出来る筈が無いのだ。
 先程の戦闘では僅か数十秒で圧勝して居たが、あれだけの緊張を覚えていた自分に対して『余裕』の言葉は使えないだろう。
 これだけの条件でありながら危機感を持つようでは、正直この先やっていく事が出来ないだろう。

 何故なら、ハイオーク以上の強敵は数限りなく存在している。

 中級者で『楽勝』である筈のハイオークに、これだけの条件を持っている自分は倒せたとしても『余裕』を失っている。
 ゲーム中の事を思い出す。ハイオーク以上に強かった相手の存在を。そして、一対一の戦闘で倒せない『多く』の敵を思い出す。嫌になる位にだ。

 ――『人型』だからこそ、この程度の精神的な重圧で済んでいる。

 その事実が背中に大きな猫を飼わせしまう。
 命懸けの戦闘で肉体と精神に掛かる重圧と言うのは、想像以上に重く圧し掛かると言うのに相手が人型以外の『異形』となると、思い出すのが嫌になる程に心身共に磨り減っていく。
 アレはステータスや装備品云々の問題では無い。

 勝手が解らないだ。

 『ステック』と言う地を這う、成人男性の腕程の太さで全長1m程の大きさの異様に艶やかな肌を持つ毛虫の様な魔物と戦った。『コワード』と言う空を飛ぶ、羽を広げると40cm近い大きさの蝶の姿をした魔物とも戦った。
 オーク達が現れる森と町を挟んで逆の入り口から伸びる、隣町と繋ぐ平原に現れる敵で、レベル10前後のキャラでも倒せるほどの相手。

 その筈なのだが――想像以上にひどく追い詰められた、特に精神的に。

 コワードとの戦いでは当然の様に空中に拳は届かず、移動速度も速く小回りが利く為に間合いが掴めない。また、体躯が小さく攻撃できる箇所が少ない。大きさは全然に違うが、まるで部屋に入り込んだ蚊を叩き落そうとしている時のようだった。
 ステックとの戦いも大変だった。
 まず何よりも嫌悪を覚える姿。それに慣れるのが最初の難関だった。
 それに慣れたとしても寝ている相手と戦っているようで戦い難い。身体をうねらせながら近付いてくるのだが、中々素早い動きで少しでも戸惑うと一気に襲われる。
 自分が出来る戦い方と言えば真っ先に思い付いたのが踏み潰し、拳での鉄槌、ローキック程度。
 人間相手ならば関節技やポディショニングを奪うなどの色々なやり方があるが、それすらも出来ない。

 人以外の相手をするのが、こんなにやりにくいものだとは思わなかった。
 まだ<心眼>と言うスキルがあったので良かったが、それが無かった場合を想像もしたくない。
 戦闘が終わった後、ひたすらそのイメージを身体に染み込ませるように戦闘中の身体の動きを思い出しながら拳を振るった。

 忘れてはならない――ゲーム中ならばレベル10程度で倒せる相手なのだ。

 その事実が何度も、何度も拳を振るわせた。
 これ以上の強敵と戦うことを考えると恐怖で魂が竦んでしまいそうになる。
 スキルを駆使し、アイテムを使い、極限の集中力の中戦えば、ゲーム中で狩りをしていた相手と、もしかしたら戦えるかも知れない。
 だがそれは『戦える』と言うだけで、今のままでは勝てるとは思えない。それだけの条件で在りながら1対1でかつ1試合が限度だろう。
 それ以上なら命を落とす可能性は限り無く『絶対』に近くなる。
 また、違うタイプの相手とは戦えるのだろうかとも思う。
 上の狩場に出てくる強敵には空か強襲を行う相手も居る。通常攻撃が効き難いアンデット系に対して、未だにスキルやアイテムを全て使いこなせて居ない自分は如何なる。

 ――現実帰還を目指すならば、もしかしたらBOSS級の相手と戦わなければいけないのではないか。

 それは恐怖以外の何者でもない。
 自分はまだ大丈夫だ。
 これから戦いに慣れていく過程で様々な事を学べる筈だ。
 自分自身に何度も言い聞かせ、心を奮い立たせる。
 だから自分はまだ絶望しない――決して明るい見通しでは無いが。

「早急に戦闘に慣れなければいかんな……明日からはオーク以外の相手で異次元戦闘の練習をせざるを得ないか」

 正直、戦うならば人間相手が良い。せめて人型が良い。
 そう弱音を吐きそうになる自分を叱咤しながら、明日以降の自分が行うべき日程に修正を入れる。背中に飼っている猫が、先程よりも重くなった気がするが気にしては負けだ。

「――ん?」
 
 音が聞こえた気がした。
 幾ら意気消沈としていても、まさか自分が踏みしめた枯葉の音と言う訳では無いだろう。
 ならば魔物か、それとも人か、はたまたその両方か。
 そう思いながら周りを見渡してみるが森は別段と姿を変えた様子は無い。少し木々の量が少なく思えるのは、町の近くまで来たせいかも知れない。
 自分は念の為にと森の奥まで入らないようにしている。さきほどまで戦闘を行っていた場所は町まで徒歩10分程度の場所だ。
 時折自分以外の冒険者も見かけるので、その人達が戦闘を行っている音かとも思ったが如何やら違うようだ。戦闘を行っていたとしても、積極的に関わっていく必要も無いので関係無いのだが、また遭遇戦となったら少々面倒だ。
 
「町の近くにはそんなに『沸き』はしないので安心していたが……横着し過ぎたか」

 金銭面は腕輪で如何にかなっているのだが、道具はゲームのように何も無い所から取り出す事は出来ない。
 この世界でも元の世界同様に普通に何かに入れて持ち歩く。
 遠出する際は少々手間だと思っているが、今のところその予定は無い。
 回復剤などのアイテムは、僧兵の際に覚えていた『ヒール』があるのである程度は大丈夫だと思って持ち歩いていないのだが、流石にエンカウント率を減らすスキルなどは持ち合わせていない。
 横着をせず多少のアイテムを持ってくれば良かったかも知れない。

「……この音は何だ?」

 耳を澄ましていると段々と音が近づいてくるのが解った。
 快速である。オークではこの速さは出せない。
 良く解らないが人の喚き声のようなものも聞こえる気がする。
 気になって音が聞こえた方向へと視線を向けると、木を縫うように誰かが駆けてくるのが見える。
 距離が遠いので詳しい服装等は分からないが、何かを抱くように持っているのだけが分かった。体格的に見て女性だろう。また、遠目にも目立つ鋭く伸びた耳が見えたのでエルフだろうと見当がついた。
 普段ならばあまり人に関わらない様に心掛けているので、一瞥をしただけでそのまま町へと歩き出すのだが、思わず足を止めてしまった。

「エルフ……いや、ダークエルフか?」

 ダークエルフ――種族でエルフを選び、種族イベント上で特定の条件を満たすと、なる事が出来る種族。エルフが弓や細剣を得意とし、器用さが上がりやすく弓兵等の職業と相性が良いのに比べて、ダークエルフは短剣等の暗器系を得意として俊敏が高く盗賊等の職業と相性が良い。またエルフの里には入る事が出来ず、NPCのエルフが近づくと攻撃を受けたり等、ダークエルフらしい仕様が施されている。
 自分はリザードマン以外の種族を使ったことが無いので解らないのだが、施されている様々な仕掛けの大概がプレイヤーに不利なものなので、廃プレイヤーが好んで使っていると言う事位しか知識として持ち合わせていない。
 が、どうやらその条件が難しいらしく、キャラとしての絶対数が少ないらしい。
 一度だけゲーム中で見た事があったが、普通に選ぶことが出来たならば人気が出たのでは無いかと個人的には思っている。あのグラフィックは嫌いじゃなかった。

 そんな事を考えている間に、気が付けば近い距離まで接近されていた。とは言え、別にこちらから何かする訳でも無く、相手もこちらに見向きもせず全力で駆けているので別に危惧する事では――

「むっ?」

 ――無いのだが、と思いながら物珍しさに目を向けていたので気が付いた。
 追われていたようなのは何と無く解っていた。遠くで数人分の人影が見えていたからだ。
 気が付いたのはその追っ手達が何かを構えている事に――アレは弓だ。

「――避けろ!!」

 咄嗟に叫んで居た。気のせいかと思ったが、確かに弓を構えている。

「――えっ!?」

 ダークエルフの女性は初めて自分に気が付いたのだろう。
 自分の声に驚きながらこちらへ視線を向け――その瞬間に崩れ落ちた。
 ――何とタイミングが悪いんだ。
 弓の存在を教えたのは判断としては間違っていないのだろうが、こちらに気を向けた際に速度を緩めた為に、放たれた矢が足に当たってしまった。

「チッ、大丈夫かっ!?」

 後悔の念に捕らわれ思わず駆け寄りながら女性の側に寄り足を見る。
 幸いな事に矢は刺さっていない。掠っただけのようだ。
 だが、脹脛がやられている。
 毒を塗られていない限り命に別状は無いだろうが、駆ける事は無理だろう。
 カヒュン――と、甲高い空気を切り裂く音と聞いたと同時に、自分のすぐ近くの地面に矢が刺さった。

「糞ッ!何だってんだ!」

 何時だって事態はこちらの都合を無視して自分を混沌の坩堝に叩き落す。
 別に1週間前に連絡を入れろとまでは言わんが、これはあんまりじゃないか。
 訳も解らず、気が付けば巻き込まれたらしい現状に悪態を吐きながら、如何すべきかを考える。
 目の前に倒れているのはダークエルフ。疲れと痛みせいか、息荒く返事すら出来ないようだ。そして何かを抱えており、それのせいで追われているのかも知れない。自分の声に気を取られてやられた。
 射ったのは人間――ではないエルフだな。確認出来るほどに距離が近くなってきている。今では僅かに確認を取れる位置まで来ており、何か叫び声を上げながらこちらへ走ってきている。
 あまり宜しくない状況だ。実に宜しくない状況だ。
 自分は自分の問題だけで手一杯なんだ。
 そう言いながら、このままダークエルフの女性を放っておいて逃げだしたい衝動に駆られた。
 苦悶の表情を浮かべながらも、袋に包まされている物を決して離さないように大事そうに抱えている。明らかに厄介事では無いか。

「――これだから、厄介事は嫌いなんだよ!!」
 
 厄介事だと解っていて助けるのも癪だが、助けないのも癪に障る。
 自分自身の学習能力の無さに呆れるが、今回は自分に非が在ると無理矢理納得しながら大事そうに抱えている物と一緒に女を両手で抱きかかえる。思った以上に軽い。

「ッ!!」

 舌打ちをしながら飛んでくる矢を見ずスウェーで避けると両足に力を込める。
 呼応するように『ダ・ヴェルガ』が鈍く光る。
 頼りになる相棒だと軽く笑いながら、如何動くべきかを考える。
 瞬動を使用して一気に距離を稼ぎ、そのまま脚力と速度に物を言わせて一気に町へ逃げ込むのが最良だろう。

「流石にそろそろ心が挫けそうだッ!!」

 そう吐き捨てるように言いながら身体を反転させ、内に流れる粒子の集まりで出来た暖かなモノを意識する。
 スキル発動――<瞬動>



 神速を持って――世界から音が一瞬消えた。





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