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自分と言う男――渡河 健一(とか けんいち)は如何言う男だったのかを思い出す。 愛称『トカゲ』。年齢23歳。身長186cm。体重94キロ。視力0.8。眼鏡。フェチ趣向。 口下手。朴訥(ぼくとつ)な人種。思考に潜る。フリーター。格闘家と呼ばれる人種。プロ未満アマチュア以上。キックボクシング。右利きのサウスポー。総合格闘技。立ち技主体。ウェイトトレーニングは殆ど行わない。 高校2年は黒歴史。死掛けた経験3回。好物は刺身と白米。機械類は苦手。ゲームは得意では無い。服装はジャージ主体。 それが、自分と言う人間を表す、他人の評価、自分の評価の大まかな総評の一部である。 渡河健一と言う『人間』に対しての評価はそう言うものだった。 今の自分――渡河健一が、いや渡河健一の『断片』によって中身を満たされた『モノ』に対しても、その評価は何処まで適用されるのだろうか。 身長は如何贔屓目(ひいきめ)に見ても2mを超えており、下手をすれば2.2mは有るのでは無いかと思える巨躯。両肩から手先まで、両足の付け根から足先までを覆っている蛇と鰐(ワニ)の中間の様な、妙に艶やかで柔らかく、力を込めると岩と言うよりは削りの粗い鉄のように硬くなる鱗。 膝元までの少し大きめのごわついた、動物か何かの皮をなめした簡素なハーフパンツを履いているので解らないが、蛇の腹を思わせる白さで『厚みのある』と表現するより『余分な部分を絞りきった』と表現するのが適切な、タイヤの弾力を思わせる筋肉が、首から胸部、腹部、腰部にかけて付いている。 顔はまだ見ていないが、見なくてもはっきりと解る。 実際の鰐(ワニ)や蛇のように平べったく口先が尖っており、それを前面に長く押し出したのではなく、人間の骨格に合わせて無理矢理トカゲの顔を構成した様な――端的に言ってしまえば、ファンタジー物で御馴染みのリザードマンを見栄えを良くし、人間に近い形にしたような顔だろう。 全身を部分ごとに確認して見たが、現実は非情にも変らぬもので在り、つまるところ顔どころか全身が、完全無欠にリザードマンである。 悲しいかな、この事実に間違い無い。間違う筈が無い。間違う事が出来ない。 何故なら自分は知っているのだ。 この『魂』が渡河健一の『断片』によって――または『断片』では無く寸分違わず本人だとしても、この『異形』を構成しているのは、『Cross Flick Online(クロス・フリック・オンライン)』において、渡河健一が使用していた自キャラである『種族:リザードマン』の『ガラ』であるからだ。 魂、断片、異形、本人、クロック、コモン。 そんな言葉達が状況を受け入れ纏める事が出来ずに、自分の周りを高速で回転している。 ――勘弁してくれ。 その言葉を無理矢理抑え込む為に歯を――いや、牙を噛み締める。 喉の奥で必死に繋ぎ止めている、自分のモノとは思えない獣じみた唸り声が、牢屋に張られた鉄柵のような牙の間から抜け出そうと暴れている。 それは具体的な例を挙げていくのが莫迦らしくなる程に、ふざけたこの現状から抜け出したいと渇望している自分自身のようだ。 だが、抜け出す事は絶望的だろう。 俺は解っているのだ。解ってしまっているのだ。 この現実を心の何処かで妙な確信を持って受け入れている自分がいる。 その事実に対して、この戯けた事態を真っ向から叩き伏せて、否定し尽くして、蹂躙の限りを行使し、この世のありとあらゆる有象無象の怨声と罵声を一心不乱に浴びせる事を行わない、自分自身に対して黒く濁った怒りが胸から込み上げてくる。 ――今はそれを表現する事を行うべき時では無い。 深く、深く、深く鼻から息を吸い込む。丹田を意識し、身体に溜まっている全てを鈍らす靄(もや)を一つに纏める様に想像し、それを口から不純なものを全て吐き出すつもりでゆっくりと息を吐く。 感情を抑制、理性で判断、正常な思考を持ち、如何なる異論、矛盾、浪漫、新説、矛盾、愚論、異説その他の類する全てのモノを同等に意識し、出来る限り理論的に見極めよ。個人的な私情は指先一つでゴミ箱に送る。幾ら手が震えようと、送ってしまえば関係無い。 そう思いながら、二度三度、深呼吸を繰り返した。 深呼吸を――繰り返していた。 半年前、確かに自分は混乱や憤怒、怨念、絶望を感じながら、繰り返していた。 そんな事を思いながら――この世界に意識を持って眼が覚めた当時の事を、順々に思い出していた。 『Cross Flick Online(クロス・フリック・オンライン)』 Error01『Why : Hold me & Call me』 眼を開ける前から違和感を覚えていた。 普段よりも身体が重くて、軽いのだ。不思議な感覚だった。 人よりも体格が一回り大きく、また鍛え抜いた身体は筋肉で覆われているので力を入れず投げ出していると、普段から若干重く感じるのだが、今日に限っては掛かる負荷がいつもよりも重い。 だと言うのに身体を動かすと『内に篭もる活力』とでも言えば良いのだろうか、妙に身体が軽く、古い表現ではあるが羽が生えたようだ。 ――そう言えば、自分は何処で寝ているのだろうか。 身じろく度に軋むベッドの甲高い音を耳にしながら、ふとその様な事実に気が付いた。寝起きにしては滞り無く回転をする思考が、寝入る前の状況の記憶の断片を手探りで掘り出していく。 大雨。休日。電話。友人。誘い。ゲームセンター。クロック。 検索されたキーワードを一つずつ並べながら、思い出して行く。 ボックスの中で未だに上手く行えない操作に四苦八苦しながらも、毎度の事ながら友人の助けを借りて自分のレベルに見合わぬ狩場で戦闘をしていた最中―― 「急に目の前が――」 ――真っ暗になって。と、言葉を繋げる事が出来なかった この声は誰の声だ。 自分の口から零れた筈の声の筈なのに、ラジオ越しに聞いている他人の声の様に思えた。 人の声である事は間違い無いが少しだけかすれており、自分の声よりも若干低音の音の篭もった、耳馴染み無い声だ。 思わず右手で自分の喉を押さえて起き上がり、周りを見ようとした。 そう、確かに周りを見ようとしたのだ。 上半身を起き上がらせた後、目の前に広がる奇々怪々な現実を突きつけられて、脳は驚きの余りに身体へ命令する事を放棄した。その代わりに思考へとベクトルを全力で傾けた。 まず最初に、視界に飛び込んできた光景から処理をする。 結論から言ってしまえばそこは『宿屋』だった。本来、宿泊施設ならば『ホテル』や『旅館』と言う表現を使うのだろうが、自分が宿屋と表現したのには訳がある。 部屋の間取りは16畳程在るのではないだろうか。床、壁、天井が木で出来ており、だからと言ってフローリングのような雰囲気ではなく、簡単な加工程度しかされていない、良く言えば木の温かみある、悪く言えば鮮麗されていない印象を受ける。 部屋に置かれている調度品は多くない。自分が寝ていたスプリングの入っていないベッド、それと同じ造りらしい使用されていないベッドが、黒色の彩色加工されている簡素なサイドテーブルを挟んで部屋の中央に、頭を預ける側を壁に当てる形で置かれている。 サイドテーブルの上には丸みの無い角ばった黒フレームの眼鏡と、照明具のようなものが置いてある。それは地球儀のような形をしており、地球がはまって居る所にガラスらしき素材で出来た球体が付けられ、下の方に水が僅かに溜まっている。 ベッドが接触している壁側に自分の背を預ける形だと言う前提だとして、自分から見て部屋の右側の壁には横幅の広い長机が置いてあり、その上に誰かの持ち物らしい頑丈そうな大きめの袋、金属製の物体、また乱雑に置かれた服らしき質の良さげな布の塊など、色々なものが置かれている。 正面の壁には出入り口らしきドアと、小さめの絵画が飾ってある。左側の壁にはドアの無い出入り口が備え付けられている。 他にも長机の前には、恋人と一緒にワインを傾けたら似合いそうな大きさとデザインのテーブルと椅子が二つ置いてあったり、窓からは柔らかな日差しが入り込んで居たりなど、見た事が無い――『ヘッドギア』越しにしか見た事が無い『宿屋』の光景だったからだ。 無意識のうちに喉が唾を飲み込もうとした。 が、口の中は水分が既に無くなっており、ぎこちなく喉仏が動いただけで――今まで触れた事が無いような皮膚の動きを右手に感じた。 自分はゆっくりと右手を離しそのまま腕を見る。 両眼に映し出されたのは、僅かに震えている鱗に覆われた異形の腕。 いや、腕だけではない。脚も、胴回りも、全てが人ならざる『馴染み深い』ものに摩り替っていた。左手首には、透明な水色の『ターコイズ』のような宝石が埋め込まれた細い腕輪を付けているのが、それが余計に異形の腕を際立たせた。 ――心が死んでいた、そう表現すれば良いのだろうか。 自分も人間なので、その時もっとも恐れていた事態や、信じられない出来事などを目の前にすれば心取り乱し、冷静さに欠く事もある。 だが、今の自分は現状を認識し、冷静に分析した上で僅かに体が震えるだけだった。 現実感が無さ過ぎて心が受け入れようとしても、現実が幻の如く透けて揺らめき通り抜けて行く。そんな感じだろう。 皮膚感覚が如何だ、嗅覚が如何だ――等と言う事は一切考えなかった。そんな理屈を考えられる程にこの状況を受け入れてない。もっと言ってしまえば、これが夢なのか現実なのか幻なのか、如何でも良かった。 自分は夢遊病者のように覚束無い足取りで、左手にある入り口を目指して歩いていく。 そこが何処に繋がっているのかは解っていた。 入り口を通り抜けるまでも無く立ち止まり、簡易的な『洗面所』の全身鏡に映し出された自分の姿を見る。 ああ――間違うはずが無い。 「――ガラ」 たまたま祝日だったので捻りの無い名前と解っていながら、悩むのが面倒で決めた自分の名前を呆然と呟いたその瞬間、左手の腕輪から半透明の画面が目の前に現れた。 NAME。RACE。SEX。MAIN JOB。STR。AGI。VIT。INT。DEX。LUK。 これら計10単語が画面に映っており、隣には見覚えの在る数字や文字が書かれている。 名前が『ガラ』、主な職業は『闘士』。種族は『リザードマン』の男性。 AGIが最も数字が高く、次にSTR、VIT、DEX 、INT、LUKの順で数字が高い。書かれている数字から、回避と速度重視のタイプで在る――それらの情報が画面から読み取れる。 それと同時に確信を得た。得る事が出来た。得てしまった。 「ココは――ゲームの中か」 言ってから後悔した。笑ってしまえば良かった。そんな筈は無い、在り得ない話だと一笑すればそれで済んだ話だ。 なのに、なのにだ――何故、自分は慌てて口を右手で押さえてしまったのだ。 馴染みすぎていたのだ。 あまりにも馴染みすぎていたのだ。 自然に出た言葉は疑問系にすらならず口から零れ落ちた。同時に、大事なものが自分から零れ落ちているのを実感してしまった。 今、自分が落ち着いているのは、取り乱さなかったのは、心が死んでいたからでは無い――この状況を『最初から受け入れて居た』からだ。 その考えは間違っている。そんな筈は無い。在り得ない話じゃないか。 思いを言葉にして吐き出したかったが、駄目だった。 何故かは解らない。何故なのかは全く解らない。 阿鼻叫喚たる心境になってもおかしくなく、将来規制されても仕方が無いような罵声をこの世に吐きつけても良かった。 その権利が自分にはある筈なのだ。 「くっ……!!」 矛盾と混乱、何よりも理不尽に対する憤怒を抱え、思わず拳を洗面所入り口の縁に叩きつけた。 ――ガキッとも、ボギャとも聞き取れる鈍く篭もった音をたてながらいとも容易く木材が砕けた。 確りと木材が固定されていたのか、割り箸が折れるような形ではなく、砕けたと言うよりは抉られたと表現した方が適切かも知れない。 怒りに任せて強く叩いたとは言え、本気で叩き付けた訳でも無く、腕の力だけで殴ったのにも関わらずだ。 「……はぁ」 疲れ果てた。 それが正直な感想だった。 驚く事にも、怒る事にも、悩む事にも、今の自分を取り巻く様々なものに疲れた。 「――」 だからと言って全てを投げ出し毛布に包まれて、夢から覚めるのを待つなどと言う『夢物語』を語る程にはまだ腐っていない。 そう自分に言い聞かせながら鼻から大きく息を吸う。丹田を意識して、空気を身体全身に廻らせる事を意識しながらゆっくりと時間を掛ける。 吸い終わったら身体の不浄なモノや負の感情を一つに纏めるように意識し、今度は口から纏めたモノを、時間を掛けて全て吐き出す。 二度三度繰り返し、心を静める。 疲れた時、思考を纏める時はこの深呼吸をしてから行うと、澄んだ思考で冷静になれる。 冷静に、ただひたすら冷静になる事に努めて、現状を理解する事にベクトルを束ねる。一つずつ把握していく。 ――この現状は一体何なのだ。 如何やら自分はゲームの世界に居るらしい。 それと多少なりとも冷静になって解った事が在る。 これは人為的に起こった事だ。確証は無いが、確信はある。もしかしたら間違って居るかも知れないが、今の所はどちらでも構わないだろう。 そして最悪な事に自分と言う存在が、この世界に固定されてきて居るらしい。元々違う布にくっ付いていたボタンを、違う布に縫い付けられたようにだ。 だから先程から自分の発想は『この世界を基準』とした方向に傾いているのだろう。 ガラと言う名前を呟いた際に、キャラクター名ではなく『自分の名前』と認識していたのが最もたる例だ。 そこまでは良い。ある意味『如何でも良い』と言っても間違いじゃない。 ――自分はこれから如何すれば良いのか。 これが一番の問題である。 自分も小説や漫画をそれなりに読む。 だから漫画の主人公などが現実から仮想の世界へ引っ張られる、または乗り込む話と言うのは読んだ事もある。 が、それらの主人公達には目的があった。 『物語として』と言うのも在るが、『人間の心理として』自由過ぎると言うのは不自由と同義であるからだろう。目的が無いと言う事は、最終地点も解らず、何の情報も無く放り出されるようなもの。砂漠にコンパスだけを持って立たされ「君は今日から自由だ。好きなようにしなさい」と言われているのと同じである。 だから人間は目標を置いて行動するのだ。 デスゲームを征しようとする者、その世界で何か目的がある者、現実帰還を探し出す者―― 「しっかりしろ、俺ッ!」 ――何故、自分は現実への帰還を自分の目的から除外しようとしているんだ。 いや、理由は解っている。 自分がこの世界に固定されていると言う事が、その先にある結果を暗示しているようなものだ。 だからと言って、目指さない訳には行かない。認めてはいけない。 最終的な目標は『現実帰還』で良い。それ以外で在ってたまるか。 「気に入らん」 全くもって糞ったれだ。 その一言に、結論を出した自分の全ての思いが集約された。 発想が前向き――悲観になるよりは何倍も良いのであろうが、自分の思考でありながら、何かに指向を決められている感が気に入らない。 きっとこの発想すらもその内消えてしまうかも知れない。如何しようもない事かも知れないが、言わずには言られない。 「慣れるしか……それしか俺には無いのだ」 どちらにしても行動を起こさなければ生きていけない。 今、自分の置かれている立ち位置が解らないのだから、死に物狂いで現状把握に努めて、現実と割り切って受け入れていくしか自分に手立ては無いのだ。 今の所あるのはゲームの知識のみ。 それがどれだけの手助けになるかは解らない。 ココには、俺一人しか――そこまで考えて、ふと思い当たった。 「……本当に俺一人だけか?」 解らない。が、解らないからこそ、俺以外にも誰か居るかもしれない可能性がある。 いや、もっと単純に言えば―― 「俺がガラであるならば、キリコは居るかも知れない」 友人である『キリコ』が居るかも知れない。 本名を『常葉 霧子』と言う、ゲーマーでありヘンテコで『オモチロイ』のを集めるのが趣味の小学校からの腐れ縁の友人。 自分はキリコに誘われてゲームをやっていた最中だったのだから、巻き込まれている可能性も在る筈だ。いや、巻き込まれていないとしても、何らかの形で『キリコ』が存在しているかもしれない。 「ならば……まずは、キリコに会おう」 心は決まった。 目標も定まった。 ならば駆けるのみだ。 そう思い、慎重に事を探りながらこの世界での一歩目を踏み出そうとしていた。 まだ、自分は『渡河 健一』であるとしっかりと認識していた時期の話である。 それから半年。 解った事は、この世界は現実とゲームの中間であると言う仕組みと、自分は渡河健一であると同時にもう既にガラでもあると言う事と、辛くもあり、楽しくもあり、悔しくもあるが、この世界に既に馴染んでしまっていると言う事。 そして――自キャラを美形な人間種族にしておけば良かったと、少しだけ後悔している事ぐらいである。 |