京洛奇譚(1) 近くて遠きは男女の仲 投稿者:毒虫 投稿日:08/05-23:03 No.1037



「ええっ、俺もッスか!?」

横島は驚いた。
学長室に着いて早々、意外な頼まれ事を受けたのだ。
3−Aの修学旅行に同行し、陰ながら木乃香嬢の護衛を務めて欲しい。これが学園長の要望だった。

「うむ。修学旅行の日にちが近付くにつれ、向こうの方がきな臭くなって来てのぅ。
 まあそれは、こちらの教師に一人、魔法使いがおると打診したためなのじゃが……どうも、それだけではない気がするのじゃよ。
 西も一枚岩ではない以上、強硬派がネギ君を襲撃したり、それを口実に木乃香を確保しようとする連中がおるかもしれん。
 京都では班別行動が基本での。クラスにおる遣い手だけでは、木乃香を守りきることは難しいのじゃ。
 それに、君ならば京都の地形にも詳しいじゃろうし、『鶴の懐剣』と謳われる男が護衛についていると知れたら、相手方も尻込みするかもしれん。
 呪術協会をこれ以上刺激せんためにも、他の魔法先生をつける事はできんのじゃ。頼まれてくれるかの?」

「いや、そこまで心配するなら行き先変えればいいでしょーが」

「そういうわけにもいかんのじゃよ。これを機に、西との対立構造を打ち壊すためにネギ君に特使を務めてもらうつもりでの。
 彼も京都に拘っておるようじゃし、そもそも今から行き先を変更する事など不可能じゃよ。
 それに……君にはもう一つ、やってもらいたい事があるのじゃ」

やってもらいたい事?と首をひねる横島に、学園長は、できればでいいんじゃが、と前置きして語り出した。

「今回の木乃香の護衛には万全を尽くしておきたくてのう。
 君と刹那君とに任せておいても大丈夫じゃろうとは思うのじゃが、まあ、念には念を、という奴じゃな。
 それで……実は、それを青山に依頼しようと思っておる」

「…は? 本気で言ってるんですか、ソレ?」

横島が疑うような視線を学園長に向けるのも無理はない。
青山は関西呪術協会と深い繋がりがあり、呪術協会ほどではないが関東魔法協会との間には溝がある。
彼ら青山とて呪術協会の姫たる木乃香を守る事について異論はあるまいが、それが魔法協会の長からの依頼となれば、また話は違うだろう。
横島は言外にそう指摘するが、何か考えがあるらしく、学園長はその長いヒゲの下で微笑を作る。

「なぁに、心配いらんよ。これを見せれば、青山も……否、それどころか、あの青山鶴子直々に木乃香の護衛に当たってもらえるじゃろう」

そう言って懐から取り出したるは、麻帆良学園の校章で封がされた一通の封筒。
横島が知る由もないが、それは学園長からネギに託された親書と外見上は全く同じのものだった。

(こんなモンであの鶴子さんが、ねぇ…?)

横島としては、半信半疑というのが正直なところだ。
横島の知っている青山鶴子という女性は、例え誰に言われようとも、自らの信念を曲げる行為はしない。
まあ、木乃香嬢を守るという点では彼女の理念に反しないだろうし、他の幹部連中と比べればまだ、東とか西とかいった認識は薄い。
老獪な学園長の事だ。上手いこと言って鶴子をだまくらかすつもりなのだろう、と横島は推測した。

「で、それ、俺が届ければいいんですか?」

「うむ。……じゃが、いくら護衛が必要なのは主に2日目からだとて、折角の人手を割いてしまうわけにもいかん。
 かと言って、誰か別の人間を派遣しようにも、魔法協会配下の人間では門前払いをくらうかもしれんしのう。
 まあ、そういうわけで……すまんが、これから早速、京都に赴いてくれんかの?」

「…はあっ!?」

いきなりとんでもない事を言い出す学園長。
遂にボケちまったのかこのジジイ…と失礼な事を考える横島を尻目に、懐から先程のものとはまた別の封筒を取り出す。

「この通り、新幹線の切符も用意してある。青山への連絡も済ませておるぞい。
 着替えなど必要なものはあちらにあるという事じゃから、着の身着のままでも大丈夫じゃな。
 修学旅行は明日からじゃ。何気にハードスケジュールをこなしてもらう事になるが、よろしく頼んだぞい?」

「ちょ、あの、待っ…」

「それと、向こうで清掃員をやらせるわけにもいかんじゃろから、ホレ。新しい変装セットじゃ。
 詳しい事は同封してある便箋に書いておる。まあ精々、勘働きの良い生徒に嗅ぎ付けられんようにの」

「……」

横島はもはや、無言で封筒と紙袋を受け取るしかなかった。
エヴァンジェリンの呪縛について話したい事もあったのだが、もうこれ以上話を続ける気力もない。

「ああ、今の今まで忘れておったが、新幹線の出発まで、あと2時間も残されとらんぞい。
 ちなみに乗り遅れた場合、新しい切符は君の財布から捻出してもらう事になっとるんじゃがのう」

「………ド、ドチクショーッ!!」

権力者なんか、権力者なんかーっ!!と走り去る横島を見送り、学園長はほくそえんだ。
横島という男、その力量は目を瞠るものがあるが、根は単純で扱いやすい。何とも都合のいい事だ。





そんなこんなで慌しく麻帆良を出立し……気がつけば、横島は京都の地を踏んでいた。
随分と久方振りのような気もするが、思い返すと、麻帆良に身を置いていた期間は僅か1ヶ月にも満たない。
それだけ密度の濃い生活を送っていたという事か。そう思うと、麻帆良にも多少の愛着を感じる。
出立の際購入し、新幹線の中で堪能しまくったえっちぃ雑誌をリサイクルボックスに投げ捨てると、横島は意気揚々と駅から飛び出した。
なに、青山へはもう少し遅く行ってもいいだろう。それより祇園にでも足を伸ばし、久し振りに白粉の匂いを嗅ぐのも悪くない……と。
そう思っていたのだが。

「お待ちしとりましたえ♪」

「…………」

駅を出てすぐに待ち構えていたのは、『おいでやす☆横島様御一行』の旗を持った、妙に見覚えのある巫女さんで。
御一行ちゃいますやん一人ですやん、とツッコミを入れる気力もなく。
横島はただ、へなへなとその場に膝をついた。



連行されるように鶴子と寄り添い歩きながら、横島は内心溜息つきっぱなしだった。
確かに鶴子は美人だ。その上巫女さんだ。通り過ぎる男どもがことごとく振り返り、自分に羨望と嫉妬が入り混じった眼差しを送るのも悪くない。
しかし、それでは駄目なのだ。鶴子と早々に合流してしまえば、もう横島に麻帆良からずっと溜め込んでいるリビドーを解放するチャンスはない。
鶴子相手にそれをぶつけるという手もあるにはあるが……その手段を選べば、取り返しのつかない事になりそうな気がする。
鉄拳制裁で済むのならまだいい。問題は、責任という名の下に、薔薇色の鎖で繋がれかねないという事だ。
具体的にそれを推測できる横島ではなかったが、長年の経験と野性の勘から、とても困る事になるだろうというのは直感していた。

「…………」

「〜〜〜〜♪」

横島は、ちらりと横目で鶴子を覗き見た。鼻歌を口ずさんでいる。いやに上機嫌だ。
さり気なく組まれている腕も気になる。いや、正確に言うならば、自らの二の腕に押し付けられている、とてもイイ感じの2つの膨らみが。
それに先程から、甘ったるいようでいて爽やかなような、とてもいい香りが横島の鼻先をくすぐっている。これは鶴子の匂いだろうか。
ウブなネンネじゃあるまいし、と時代錯誤なフレーズを思い浮かべる横島であったが、その胸のトキメキは隠せない。男のサガという奴だ。
このままではいけない、と横島は思った。何がいけないのかは分からないが、とにかくこのまま流されたら何やらマズイ事になる。
雰囲気を真面目で重苦しいものに変えるべく、横島は早速であるが学園長から預かった封筒を取り出した。

「鶴子さん、これ…」

「あら、ラブレターどすか?」

「ええ。学園長からの、ですけどね」

なんや、つまらんなぁ……と口唇を尖らせ、鶴子は面白くなさげに封筒を受け取った。
流石にこの場で開けるような事はせず、懐に仕舞う。

「木乃香嬢が京都に来るってんで、青山に……つーか、鶴子さんに護衛を頼みたいそうで。
 何でも、その封筒が学園長の切り札みたいッスよ。ソレ見せれば鶴子さんが動くって、自信満々に」

「ふう、ん……。
 …ま、そんなことはどうでもよろしわ。それより忠夫はん、これから遊びに行きまへん?」

「え? あ、いや、今は仕事の話をですね」

むにゅう。押し付けられる2つのカタマリ。

「よっしゃ、今日は遊び倒しましょう!! いやー、仕事なんてどーでもいいッスよ僕っ!!」

「男前やわぁ、忠夫はん♪」

恐るべし女の武器。
…単に横島の方がアレなんじゃ、という意見はこの際黙殺しておく。




遊ぶ、といっても、2人はぶらぶらとその辺を散策するだけだった。
横島は、あまり京都(のまともな所)で遊んだ事がなく、相手が鶴子であるのも相まって、どこに連れて行けばいいのやらと迷い……
鶴子に至っては、異性はおろか同性の友人と遊んだ経験さえほとんどなかったため、全て横島に任せきりだったのだ。
しかし、ただ店々を冷やかしながら歩き、益体もない会話を交わし、横島が京美人に目を奪われるのを制裁しているだけで、2人は充分楽しめた。
2人の間に、何も特別な事はいらないのだ。ただ相手がそこにいて、平和な環境がそこにあれば、それでけで。
特に、日常危険な仕事に手を染めている分、強くそう思う。何の心配もいらず、身の危険もなく、ただ、相手に没頭できる。その何と素晴らしい事か。
そんな、尋常の感覚とは程遠い点に幸せを噛み締めるしかない己の境遇に、多少思わないところもない。
しかし、この身に生まれついたからこそ、鶴子は横島に、横島は鶴子に出逢えたのだ。それを考えれば、2人は決して不幸な身の上ではなかった。

麻帆良の地で、己の身に降りかかった出来事を面白おかしく語る横島の横顔を眺めて、鶴子は思う。この人に出逢えてよかった、と。
横島はいつでも楽しそうだった。いや、人生を楽しんでいた。その努力をしていた。当初はそれが随分と滑稽で、また眩しくも見えたものだ。
場をわきまえずにふざけ、女性を口説く横島に対して、軽蔑の念を抱いた事もあった。しかしそれは、彼の事を深く知るにつれ、徐々に薄まっていった。
横島忠夫という男は、決して軽薄なだけの人間ではなく、また、それに気付くと、彼の様々な側面が否応なしに目に入って来たのだ。
底なしのお人好しであるとか、動物や子供に好かれるとか、何だかんだ言っても最後は決めるのだとか……心に傷があるのだ、とか。
横島に注目し、様々な顔を見つけている内に、いつの間にか……そう、いつの間にか、鶴子は横島に惹かれていた。
それは、一人の人間として、あるいは弟を思いやる姉のような感情なのだと思っていた。否、頭からそう決め付けていた。
ならば何故、当時いくつか持ち上がった縁談をことごとく断ったのかと問われても、その時の鶴子は首をかしげざるをえない。
しかし、最近になってようやく、鶴子は己の本意に気がついた。きっかけは些細な事。ある日横島が、使用人と親しげに話をしているのを目にしたのである。
その時に感じたのは、また性懲りもなく女性を口説こうとしている横島への呆れではなく、まぎれもなく、その使用人に対する嫉妬だった。
家族としての横島を大切に想いつつ、確かに女としての自分が彼を欲している。それに気付いた時は、それはもう愕然としたものだった。
女子校という危険すぎる所に横島を派遣すると決めた時も、相当複雑な気持ちだったのだが……横島は、そんな鶴子に気付いてもいないのだろう。
それを考えると頭を小突いてやりたくもなるが、今は2人きりのこの時を満喫せねばなるまい。そう思い、複雑な感情を笑顔の下に押し込める。

…気がつくと、そろそろ陽も傾きかけている。そろそろ青山に行かねばなるまい。
鶴子は溜息をついた。横島と2人でいられる時間は、策を弄しても、青山ではこの程度が限界だ。

「……あんまり遅れてもあれやし、そろそろ行きましょか」

「あ、そッスか?」

軽く返事を返し、2人は連れたって青山を目指した。
夕陽が2人の影を伸ばす。鶴子は、そっと横島の手を握った。




―――その夜。

あまり使用する頻度の低い青山邸の自室に腰を落ち着けると、横島は紙袋を手に取った。
麻帆良で学園長に手渡されたものである。中には、新しい変装セットが入っているとの事だ。
…また変装か、と溜息をつく。初めの方こそ、潜入スパイのような気分でいれたものの、さすがにもう食傷気味だ。
いちいち変装までして潜入せねばならないぐらいだったら、最初から3−Aの副担任に任命するなりすれば、もっと楽に事を運べたろうに。
まあ、実際なったらなったで、横島が生徒に教えられるような教科など、それこそ保健体育ぐらいなものなのだが。
世界各国を回り、いくつかの主要言語は覚えたものの、訛りやスラングがキツすぎたり、文法が全く解っていなかったりで、そちらは役に立たない。
若い男、それも横島忠夫が女子中学生に保健体育を教えるなど、まさに神をも畏れぬ所業であろう。それを考えると、裏方に回されたのも納得だ。
表舞台に立つことが叶わないのは嘆かわしい事だ。しかし、その屈辱にいつまでも甘んじている横島ではない。

(今回の修学旅行で、必ずや引率の美人女教師を落としてみせる……っ!!
 もし引率の中に女教師がいなくとも、バスガイドさんがいる! 二段構え! 上手く事を運べば、両手に花だっ!!)

ゴオオッ!と炎のエフェクトを背負い、横島は闘志とその他諸々の不純物を燃やす。
これはチャンスなのだ。鶴子という最強の監視の目があるが、それをかい潜らねばならぬがゆえ、逆に燃える。
美人バスガイドさんとのひとときのアバンチュール。ああダメよ、運転手さんが見てる! ……実にイイ。横島は頬を緩める。
地域に根ざした、『あらあの清掃員さんいつも頑張ってるわね働く男ってステキだわ作戦』とは違い、今回のはあくまで短期決戦なのだ。
数日の内に女性をメロメロに口説き倒し、チョメチョメ(婉曲的表現)まで持って行かなければならないのである。それも、鶴子の目を盗んで。
それを木乃香嬢の護衛を務めながらこなすのだから、まさに殺人的なハードスケジュールと言えよう。しかし横島は諦めない!

「なぜなら、俺は漢だからだッ!!」

力強く宣言すると、勢いに任せ、紙袋をひっくり返す!
中からぼとぼととこぼれ落ちる衣装の数々を目にして、横島は思わず息を呑んだ。

「こ、これは……!!」

最後に出て来た便箋に目を通すと、横島は拳をぐっと握り締める。
その瞳からは、ぼろぼろと心の汗が流れていた。サンクス、学園長!



便箋を折り畳むと、鶴子はそっとそれを封筒に戻した。
間違っても、他の人間に見られるわけにはいかない。あらかじめ用意していたライターで、封筒ごと燃やす。
はらはらとこぼれる灰を視界に入れながらも、鶴子は遠くを見詰めていた。

「これで、やっと……」

機は熟したのだ。
家族や横島以外、誰も寄り付かない自室の中で独り、鶴子は密やかな喜びを噛み締めた。

京洛奇譚(2) 蕾の花束、古都に到る 投稿者:毒虫 投稿日:08/09-22:58 No.1076


京都駅を出てすぐ。そこに、いかにも華やかな光景が広がっていた。
麻帆良学園女子中等部3−A生徒一同、2名の欠員はあるものの、揃い踏みである。
中に見知った顔があるのに冷や汗を掻きつつも、横島は満足だった。守備範囲外とはいえ、美少女揃いのメンバーだ。嬉しい事には変わりない。
それに、それに……ようやく探し求めていた美人女教師が、理想の知的美女が引率として同行しているのだ!
しかも、鶴子が道中に参加するのはまだ先になるとの事なので、何か行動を起こす絶好のチャンスである。
まあ今は修学旅行もまだ始まったばかり。女教師にアプローチをかけるのは宿に着いてからか、と計画を練る。

魔法使いのボウズは話に聞いていた通りにモノホンの教師らしく、はしゃぎ回る生徒達に向かって注意事項などを説明している。
あーあー誰も聞いちゃいねーよ、と鼻をほじっていたところ、不意にネギの視線が横島に向けられた。

「こちらは青山観光の添乗員さんです。皆さん、失礼のないようにしてくださいねー!」

疑う事を知らないのか頭が平和ボケしているのか知らないが、ネギは横島に気付かなかったようだった。
それに呆れる事もなく、流石は俺だ変装も板についてきたなぁと満足しながら、横島は29人の少女達に向かって頭を下げる。

「えー、この度、光栄にも皆さんのご案内を務める事になりました、古町 巡(ふるまち めぐる)と申します。
 正直、神社仏閣方面には疎いのですが、祇園や河原町などの繁華街に関してはかなりの自信がぁうッ!?」

余計な事を口走ろうとした瞬間、横島@古町巡は額に衝撃が走り、弾かれたようにのけぞった!
皆が添乗員の突然の奇行にざわめく中、長瀬楓は、冷や汗を流しているクラスメイトに感心していた。刹那殿は指弾も使えるのでござるなあ。
…後ろに倒れかけた添乗員だったが、バネ仕掛けの人形のようにピョコリと起き上がると、やけに爽やかな笑顔を振り撒いた。
額から血をダクダク流しながらなので、折角の笑顔も逆に不気味なものでしかなく全員ドン引きしているのだが、横島@古町は気付かない。

「いやぁ、実は最近、トレーニングに凝ってましてねー。
 今も突然、腹筋と背筋を鍛えたくなってしまいましたよ。あっははははは!」

言い訳にもなっていない言い訳に、旅行特有のテンションもあってか、なぁんだそうかー、と納得する大多数。
見るといつの間にか流血も止まっていて、怪我の痕すら見つからない。
それに安心したのか、それとも疑問を丸投げしたのか、面白い添乗員さんだねー、などという意見も飛び出す。
3−Aの面々にも負けないどころか、それさえも上回りそうな濃ゆい個性を持った添乗員の登場に、

(修学旅行先の添乗員まで変人なのかよっ!! つーか、今の言い訳で納得するのかよ!!
 まだ駅だってのに、いきなり幸先不安じゃねえかよ!! つーか私、三村ツッコミかよっ!! あーもーっ!!)

メガネの少女、長谷川千雨はいつものごとく苛つき、

(あの人って………)

大河内アキラは何かに気付き、

(あっれー? あの顔、どっかで見たような気がするなんだけどなー……?)

朝倉和美は首をひねり、

(ア、アイツ……こんな所にまで…)

神楽坂明日菜は天を仰ぎ、

(やはり、お嬢様をお守りできるのは、この私だけだ……!)

桜咲刹那は新たに決意を固める。
その他の面々は、アクが強い添乗員にむしろ喜んでいるようだった。
ちなみに古菲は、謎の添乗員・古町巡の正体に全く気付いていない様子だった。流石はバカレンジャー、といったところか。




3−A一行が最初に訪れたのは、かの名刹、清水寺。
景色がキレーイ、とかはしゃぐ生徒達に隠れるようにして、横島@古町は柱の影に刹那を引き込んだ。
その際、変質者を見るような目つきで刹那から軽く睨まれた気がしないでもないが、きっと気のせいだろう。頬を伝う液体は、決して涙なんかじゃない。

「よ、お疲れさん」

「……何のつもりか知りませんが、迂闊な行動は控えてください。お嬢様の護衛に支障が出ます」

「ごめんごめん。…で、道中、何もなかった?」

「………」

全く反省の色が見られない横島にこれ見よがしに溜息をつくと、刹那は新幹線の中での一幕を話した。
流石に、新幹線という限定された空間の中で事を仕掛けて来るとは予想外だった。横島は素直に感心する。

「カエルを、ねぇ……。宣戦布告だか警告だか知らんが、悪趣味なこった。
 しっかし、詰めが甘いし、やり口も手間が掛かってる割にはビミョーだけど……眼の付けどころは悪くないな。
 向こうもまだ様子見ってところだろうが、こりゃ気が抜けないぞ」

相手が誘拐や殺人のプロフェッショナルなら、横島にも気の配り方というものがある。
しかし今回に限っては、どうにもやり口が素人臭い上、変に凝っているため、次の出方が読めない。
となると自然、四六時中気を張っていなければならない事になる。相手はその間隙を突いて来る気なのかもしれない。
真面目に護衛のプランを考える横島を見て、刹那は少し認識を改めた。

(おちゃらけていると見せかけて、内心ではこうやって真面目に仕事の事を考えているのだろうか……。
 お嬢様をお守りするのは私の役目だが、この人も腕は立つようだし、あまり過小評価するのはよくないかもしれない)

真剣な目をして、ぶつぶつと何事か呟きながら考えを巡らしている横島。
そんな姿を見てそう思った刹那なのだったが、横島は内心……

(マズイ、マズイぞ……! いつ仕掛けてくるのは分からんようじゃ、暇を見つけて女教師にアプローチする事もできんじゃないか!
 バスガイドさんがいない以上、女教師だけは何が何でもゲットしなきゃならないのにッ!! 何か、何か策は……)

と、こんな事ばかり考えているのであった。
本当に真剣に考えているからこそ、刹那も好意的に解釈してしまったのだろう。
そんな、壮絶にすれ違う2人の間に、分け入る者があった。

「刹那? 何をしているんだい、こんな所で」

「ああ……龍宮か。いや、ちょっと」

集団から外れている刹那の様子を見に来たのは、褐色の肌の、とても中学生とは思えないプロポーションをした少女、龍宮真名。
一瞬、この子だったらいんじゃね?と傾きかけた横島であったが、脳裏に引率の美人女教師の姿を思い浮かべて誘惑を断ち切る。
そんな横島を放って置いて刹那は、龍宮には関係のない事だと目で合図した。そうかと返し、真名も離れる。
彼女の実力を考えれば是非とも仲間に入れて置きたいところだが、学園長から真名に依頼が行っていない以上、事情を話す事はできないのだ。
真名であったからよかったものの、横島と密談しているのを見られては都合が悪い。刹那は黙って横島から離れた。
それに気付いた横島だったが、追うような事はせず自然に3−Aの輪の中に混じって行った。

「ここが清水寺の本堂、いわゆる『清水の舞台』ですね。
 本来は本尊の観音様に楽しんでもらうための装置であり、国宝に指定されています。
 有名な、『清水の舞台から飛び降りたつもりで…』の言葉どおり、江戸時代に実際に234件もの飛び降り事件が…」

「おー、詳しいねー」

紙パックのジュースをすすりながら清水寺について解説している女生徒。珍しいものを見た、という感じで近寄ってみる。
解説を邪魔され気に触ったのか、少女はちらりと横目で添乗員を見やった。
2人の間をとりなすように、メガネっ子が口を挟む。

「夕映は神社仏閣仏像マニアですから。
 …あ、そうだ、添乗員さんもなんかそれっぽい解説してくださいよ〜」

「ぅえっ!?」

突然のフリに、ぎくりと身を強張らせる添乗員。
無理もない。ハナから本物の添乗員でないばかりか、歴史になど何の興味もないのだ。解説などできるわけもない。
しかし、いつまでもテンパっているようでは演技が露見してしまう。もう勢いに任せるしかない!と、横島は腹を括った。

「あ、あー……そう、清水の舞台ってのは、こう見えて……」

「こう見えて?」

夕映が、さあ何を喋ってくれるんだと言わんばかりに相槌を打つ。

「あ、案外、低いよねー……みたいなっ?」

「「「「「……………」」」」」

沈黙が、『それだけなのか?』と語っている。
白い視線が突き刺さり、余計に焦る添乗員。

「っとぉ! なんだ、電話? 電話カナっ!?」

鳴ってもいない携帯電話を取り出すと、添乗員は強引にフェードアウトしてみせた。
その背を見送る生徒達の間に、何とも言えない沈黙が残る。

「……じ、実際に234件もの飛び降り事件が記録されていますが、生存率は85%と意外に高く…」

とりあえず夕映は、なかった事にしておいた。




石畳の上を歩く。辺りには石灯籠や、小さい社のようなものが並ぶ。
ここが京都。父、サウザンドマスターゆかりの地。感慨もひとしおである。

「…いい所だねぇ、カモ君」

思わず、染み入るように呟いてしまう。
訪れた者を惹き込ませる様な、そんな魔力を京都は持っている。ネギにはそう思えた。
木漏れ日も頬を撫でるそよ風も心地好い。そんな、うっとりと目を細めるネギの背後にさり気なく近寄る影。

「…おい、ボウズ」

「? 僕ですか?」

どこかで聞いたような声に振り返ってみると……そこにいたのは、今回の修学旅行に同行する添乗員、古町巡だった。
しかし古町には、駅前で挨拶した時のような折り目正しさなどカケラもなく、不敵にニヤリと口許を歪め、ネギを見下ろしている。
その態度に不審を覚える前に、ネギは、はて、と首をかしげた。この声、この顔、どこかで……
ネギが思い当たる前に、その肩に乗るカモが嬉しそうに声を上げた。

『横っちじゃねぇか! 相変わらず元気そうだな!』

「おう、元気してたかカモ公」

親しげに挨拶を交わす一人と一匹に余計に混乱するネギだったが、添乗員の顔をまじまじと観察し、ハッと気付く。

「あ、あなたはあの時の清掃員さん! な、なんでこんなところに!?」

「いやー、このご時世、清掃員だけじゃ食ってけなくてなぁ。
 一応7年近く京都にいたんで、その経歴を活かし、こうやってたまに添乗員のバイトしてるってわけさ」

「そうなんですか……。あなたも、いろいろ大変なんですねえ…」

「いや、納得するなよ」

ぺし、と軽くツッコミを入れる。
あいた、と頭を押さえるネギに溜息をつき、横島はそっとネギの耳に囁いた。

「学園長から頼まれた仕事でな…。お前さんとはまた別の任務だが、ま、困った時はお互い様って事で頼むわ」

「あ、ハ、ハイ、分かりました!」

元気良く頷くネギ。横島は少し不安に思った。
ネギの側からしてみれば、横島こそが味方になりすまし、親書を狙っている京都勢なのかもしれないのだが……。
まだ子供のネギにそこまで用心深くなられても嫌なものがあるが、東と西の橋渡しという重要な役目を担う以上、もう少し頑張ってもらいたい。
まあ、その辺の問題はカモが代わりに用心してくれるのだろうから、余計な心配なのかもしれないが。

『横っち! 再会の祝杯に今夜、どうでえ!?』

「いいねぇ。また朝まで飲み明かすか?」

『応よ! 今夜こそ、巨乳が究極の乳の在り方である事を分からせてやるぜ!』

「フ、相変わらず甘いな。巨乳信奉もいいが、カモ公。乳ってのは大きさより美しさだぜ。
 ある程度の大きさは必要だがな、優先すべきは美しさだ。ブラジャー外したら垂れ下がっちまうような巨乳なんぞに意味はねぇ。
 美乳に魅力を感じるようになってから、男はようやっと一人前になるのさ」

『その台詞は聞き飽きたってんだ、この美乳原理主義者がッ!』

2人の間にバチバチと火花が飛び交う。
話の展開についていけなくなったネギは、まき絵達に呼ばれるままその場から立ち去った。
それにも気付かず、喧々諤々の様相を見せる2人であったが、

「あの……」

女性に話しかけられ、ピタリと矛を収める。
2人、というか横島に声をかけて来たのは、背の高いポニーテールの少女……大河内アキラだった。
カモが喋っているところでも見られたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。横島とカモはほっと息をついた。
では何の用か、と考えた時、横島は思わずぎくりとしてしまった。まさか、この完璧な変装が見破られたとでもいうのか!?

「………………」

「………………」

沈黙が流れる。
思い切って声をかけたのはいいものの、どんな話をすればいいものか、アキラはあまり考えていなかったのである。
この添乗員があの時の清掃員の青年である事は、既に察しがついている。
忘れろと言われたが、例のガス漏れ事故の事に関してはまだアキラも思うところがあったし、色々と話も聞きたいのだが……
しかし首を突っ込むなと釘を刺された以上、正面切って訊くのはさすがに憚られる。
しばし考えあぐね、アキラは質問を練り上げた。核心には触れないが、単なる世間話では終わらない。

「また……何か、あるんですか?」

「う……」

図星を突かれたのか、添乗員が身を硬くする。

「あー……あるかもしれないし、ないかもしれない、としか言えないな。
 まあ、何かあったとしても君らには何の影響も出ないようにするから、安心してていいよ」

「でも……」

深く首を突っ込まなければ、事態はアキラの知らない内に収束するのだろう。
確かに、己の身に火の粉が降りかかるのは流石にアキラも御免こうむる。
しかし、理屈だけでは好奇心は抑えられない。それに……この青年は、おそらくはアキラの恩人なのだ。
何をするのかは分からないが、身を案じたくもなる。アキラにとってこの青年は、もはや赤の他人ではなかった。

「…と、あんまり一緒にいたらさすがに怪しまれる。そろそろ友達のところに戻りな」

「…………」

皆にはトイレに行くと言っておいた。添乗員の言う通り、そろそろ戻らねば怪しまれる頃合だろう。
結局アキラは、己の好奇心を満たしたいのか、添乗員の事が気になるのかがハッキリせず、無言のまま踵を返した。
時折チラチラと振り返りながら小走りで去る少女の背を見送り、添乗員…横島はぼりぼりと頭を掻いた。
呪術協会の強硬派、あるいは他の組織のアプローチのタイミングが掴めない事、刹那やネギとの連携が上手く取れそうにない事に続き、また厄介事が増えてしまった。
あの子、言いつけ通り大人しくしてくれるといいがなぁ……と思うが、どうもそれは期待できそうにない。
無論、アキラが事に巻き込まれないよう注意を配るつもりだが、世の中往々にしてままならぬものだ。都合良く思い通りの展開になるかどうか。

「また、ややこい事になりそうだなぁ……」

遠くで少女達の甲高い声が響いている。何があったか知らないが、相当はしゃいでいるようだ。
一体、何がそんなに楽しいのかと思うが、思春期の少女の事だ。箸が転げてもおかしいのだろう。
まして今は修学旅行の真っ最中なのだ。一生に数回しかない貴重な機会。横島にも覚えがある。修学旅行というのは、ただそれだけで楽しい。
…ふと横島は思った。3−Aの生徒達、木乃香嬢もオデコちゃん(言うまでもないが、刹那の事だ)も、この修学旅行を楽しい思い出にして欲しい。
級友との楽しい旅行を、大人達の醜い思惑などで汚してはいけないのだ。
木乃香嬢には、平和で、まるで何事もなかったかのような、皆と同じ時間を過ごさせたい。
オデコちゃんも木乃香嬢の護衛だけに心を囚われるのではなく、少しの時間でいいから純粋に修学旅行を楽しんでもらいたい。
そのためには自分が一肌脱ぐしかなかろう。オデコちゃんが出る幕も見せず、刺客など一人で撃退してしまえばいい。
実際問題難しいとはわきまえているが、それでも横島は願う。彼女達がずっと笑顔であるように、と。

『なんでえ、横っち。ンなマジメくさった顔しやがってからに……。
 …さてはアレか? さっきの娘を脳内で脱がせたりしてムフフな妄想でもしてやがんのか? おお?
 まあ確かにさっきのは中学生にしてはイイ体してるし、お前のキモチも解らんこたぁないが、さすがに真ッ昼間の往来でってのはあべしゃぁッ!?』

「口は災いの元ォォッ!」

げへへ、と下卑た笑みを浮かべながら詰め寄るカモに、げしげしとスタンピングをくれてやりながら、横島は切に思った。
あの娘の5年後が楽しみだ、と………。

「……あれっ?」

京洛奇譚(3) 白いオコジョの黒い腹 投稿者:毒虫 投稿日:08/12-22:50 No.1090



酔い潰れてグデングデンになってしまった生徒達を何とか旅館に押し込めると、横島とネギ達はロビーで顔を突き合わせた。
予定が随分繰り上がってしまい、やる事がなくなった他の生徒の事が気にかかるが、彼女らは彼女らなりに楽しんでいるらしい。
ネギも担任として、酔い潰れた生徒達や暇を持て余している生徒達の相手をしたいが、今は悠長にそんな事をしている場合ではなかった。
新幹線の時と違い親書を奪うような気配は感じられなかったが、先程の仕業は呪術協会のそれと見て間違いあるまい。
初日から続けての襲撃に、ただでさえ経験の乏しいネギはおおわらわだ。横島に助言を求めたくもなる。

「まさか、直接関係ないはずのみんなを狙ってくるなんて……」

『狙うつっても、酒飲ませただけなんだけどな』

「それでも、これからエスカレートしていくかもしれん。なりふり構わなくなった時が怖いな」

「ううぅ……」

流石に、たったの2人(カモは戦力外)で29人もの生徒達を守るのは無理がある。
ネギとしては、自らの持つ親書だけを守ればいいと思っていただけに、頭の痛い事態である。
横島が言うように、今はまだ子供の悪戯程度のものに留まっているが、いつ相手方が無関係の生徒達に牙を剥くか分からないのだ。
手段を選ばぬ敵に対する怒り、そして双肩にかかる大きなプレッシャーに押し潰されそうになるネギを見かね、カモは助言した。

『なぁ兄貴、やっぱアスナの姐さんに協力してもらった方がいいんじゃねぇか?
 それも、これまでのなんちゃって仮契約じゃなく、きちんとした形でだ。ま、そうじゃなきゃハナっから意味ねぇんだがよ。
 …いや、兄貴と横っちの力を疑ってるわけじゃあねぇんだぜ? ただ、2人だけじゃあフォローしきれねぇ部分も出て来るだろ?』

そう。ネギは明日菜に、今回の件に関して何も話していなかった。
エヴァンジェリンの事件の時のように、明日菜を危険な目に遭わせられないという気持ちは無論あったが…
それより、ネギは明日菜に修学旅行を楽しんで欲しかったのである。また魔法関係の厄介事に巻き込みたくない。
それに元々、明日菜とはまともな仮契約も結んでいないのだ。できればこのまま、彼女には平穏な生活を送らせたい。

「ダメだよカモ君。アスナさんだって生徒の一人なんだ。
 協力をお願いするって事は、仮契約(パクティオー)をお願いするって事でしょ?
 そしたらきっと、この先もアスナさんを僕らの事情に巻き込んじゃうよ。アスナさん、ああ見えて優しいから……。
 …僕、アスナさんに迷惑かけたくないんだ。いろいろお世話になってるし、忙しいの知ってるし。
 だからやっぱり、ダメだよ。僕達だけでなんとかしなきゃ!」

『けど兄貴、そんな事言ったって、手が足りねぇのはどうにもならねぇんだぜ。
 …ま、兄貴がどうしてもってんなら、俺っちも姐さんの事に関してこれ以上口出ししねぇが……
 そん代わり、戦力になりそうな娘を仲間に引き入れでもしなきゃやっぱ厳しいぜ。何かあってからじゃあ遅いんだぜ、兄貴!』

「で、でも……」

『兄貴、あしたっていまさッ!』

必死なカモだが、ネギや3−Aの生徒達の身を案じての事……だけではない。
主、つまりはネギが仮契約をする度に、カモの懐には馬鹿にならない報酬が舞い込んで来るのだ。
エヴァンジェリンの時は、あと一歩というところで横島に割り込まれ、結局ウヤムヤになってしまったが……。
だからこそ、このチャンスは見逃せない。『人手を増やす』という大義名分の下に、ガンガン仮契約をさせなければ!

「…なあ、さっきから気になってたんだが、そのパクリオーってのはなんなんだ? 海賊版の王様か?」

『パクティオー! 微妙に惜しいぜ横っち!』

「あ、あの、仮契約(パクティオー)というのはですね……」

一通り、横島に魔法使いの契約に関するシステムを説明する。

「なるほど……。パートナーのお試し期間、気に入らなけりゃクーリングオフってか。便利なシステムだこって。
 …しかしまぁ、半人前である今のボウズとって、頼りになるパートナーってのは必要不可欠な存在だろうな」

『だろ、だろぉ!? 横っちならそう言ってくれると思ってたぜ! 心の友よー!!』

「う、ううぅ〜……」

今のネギは、魔法こそそれなりに使えるが、接近してしまえばそれこそ赤子の手をひねるように倒せる。
相手がネギと同じようなタイプの術者ならまだしも、もし接近戦ができるようなら、あるいは戦士と組んでいようものなら、そこで終わりだ。
その時、横島がいるとは限らないのだ。カモが戦力にならない以上、やはり壁になる戦士系のパートナーが必要である。

「契約方法がキスなんかじゃなけりゃあ、どうせ仮だし、俺が引き受けてやってもよかったんだけど……。
 かわゆい魔女っ子なら大歓迎だが、流石にガキとはいえ、男と接吻かますのはゴメンだよなー」

『ん〜……じゃあ、兄貴が女装するってのはどうだ!? 結構似合うんじゃねぇかと思うんだが』

「うえぇっ!?」

「アホか! 根本的解決になっとらんわっ!!
 ったく……。大体、人手ならもう2人……」

何かを言いかける横島だったが、はたと口を慎む。
向こうから、誰かがぱたぱたと駆けて来るのに気付いたのだ。

「ちょっと、ネギ、ネギ!」

「あ……。アスナさん」

駆け寄って来たのは、明日菜だった。
ネギの向かいに座る横島に気付き、うえっ…と表情を歪めるが、とりあえず無視してネギに声をかける事にする。
よお、と挨拶したのを完全にスルーされ、横島はちょっぴりヘコんだ。

「とりあえず、酔ってるみんなは部屋で休んでるって言ってごまかせたけど……一体、何があったってのよ?」

「え、えっと……」

ネギは、気まずげに視線を逸らした。
明日菜に隠し事をするのには罪悪感が募るが、ここで事情を打ち明けてしまうわけにはいかない。
話したが最後、面倒見が良く、変なところで責任感の強い明日菜はこの事態を黙って見過ごす気にはならないだろう。
仮契約を了承しないまま強引に首を突っ込んで来そうだと、簡単に推測できる。それでは困るのだ。

「その…………ア、アスナさんには関係のない事ですから……」

「なっ……! ちょっ、何なのよその言い草は!? みんながあんな事になってるのに、関係ないなんて事はないでしょ!!」

「まーまー、落ち着いて……」

「これが落ち着いていられるかーっ!!」

「へぶろあっ!?」

止めに入る横島だったが、怒れる明日菜の逆鱗に触れ、鼻っ柱にいいのを喰らって吹っ飛んでしまう。
鼻血を撒き散らし、ベンチを薙ぎ倒して、横島は壁に叩きつけられた。そしてピクリとも動かなくなる。
その鉄拳の恐ろしき威力に戦慄しながらも、カモは興奮に打ち震えた。あのパンチは、世界を狙える…!

「関係ないって、アンタねぇっ!! あれだけあたしを巻き込んでおいて、よくも……!
 大体、今回もどうせ魔法がらみの厄介事なんでしょうが! ガキのくせに、何でも一人でしょいこうもうって生意気なのよ!!」

「ぼ、僕は、アスナさんのためを思って……」

「あたしのためを思って? よく言うわ! アンタ結局、あたしの気持ちなんて全然考えてないじゃないの!!」

「ア、アスナさんの気持ち…?」

「身勝手な正義感と自己犠牲に酔いしれて……バッカみたい! そんなの、ただの独りよがりのヒーローごっこだわ!!」

「う、うう、ぅ………」

「アンタなんて………って、あれ? ネ、ネギ…?」

ようやく、ネギの瞳にこんもり涙が溜まっているのに気付いた明日菜だったが……時既に遅し。
ネギの目から、堰を切ったように涙が流れ出した。

「う、うわぁーーーーーーん!! アスナさんのアホー! のうみそ! 小鳥ーーっ!!」

「あ、コラ! わけわかんない事叫びながら走り去るんじゃないわよ! っていうか小鳥って何!? 何か深い意味がーーっ!?」

思わず追いかけようとするが、何故か足が竦む。
明日菜自身、自覚していないが、今まで弟のように目をかけて来たネギに散々言われ、ちょっと傷付いているのだ。
それに今、感情の任すままに追いかけても、何を言っていいか分からない。下手すれば、また厳しい言葉をぶつけてしまうかもしれない。
ネギとの間にできた溝が深まるのを恐れ、明日菜は足を踏み出せなかった。

『姐さん……流石に今のは言いすぎだぜ。
 気持ちは分かるが、兄貴も兄貴なりに、姐さんの事を思っての言葉だったのによぉ』

「う……」

『それに、大人びてるからついつい忘れがちになっちまうが、兄貴はまだ10歳の子供なんだぜ?
 周りが見えねぇのも、気の配り方が下手なのも仕方ねぇだろ。それなのに、あんなに責めちまうのはどうかと思うぜ』

「う、うぅ……」

『相手の気持ちを考えてねぇってのは、姐さんも同じ事なんじゃあねぇのかい?
 自分が蚊帳の外に置かれてるって事だけに目が行って、兄貴の姐さんに対する気遣いに気付いちゃやれなかった。
 兄貴は、姐さんに修学旅行を楽しんで欲しかったのさ。言いたかないが、姐さんは苦労人の身の上だ。旅行なんて行ける機会、少ねぇだろうしな。
 そんで、姐さんには普段から色々世話になってるから、こういうトコで少しでも恩を返そうと思ったのさ、不器用な兄貴の事だから…』

「う、うううぅ……」

『ああ、可哀想な兄貴……。せめて平穏な日常を送って欲しいと思ってた相手に、ああまでボロクソに言われちまって…。
 今頃、部屋で泣いてんだろうなぁ……。傷付いてんだろうなぁ……。胸が痛いぜぇ……。そう思わねぇか、姐さん?』

「う、ううううううぅ〜……っ」

『あ〜あ、こりゃもうトラウマもんかもしれねぇなァ〜! 兄貴はナイーブだからなァ〜! ひょっとすりゃあ、自殺って事もあるかもなァ〜?』

「ううううううううううぅぅぅ〜〜〜〜っ………! あ、あたしにどうしろってのよっ!?」

『そりゃあ、ここは一つ、潔く責任取ってもらわなくちゃあ収まりがつかねぇってもんだわ…なァ?』

「せ、責任……?」

『そう、責任って奴をさぁ…。くけけけけけけけ……』

鼻白む明日菜に、邪笑を漏らしながら、カモはそっと耳打ちした―――




それから少しして。




湯をすくい上げ、ばしゃりと顔に叩きつける。明日菜に殴られた鼻が、じぃんと染みた。

「おお、いてぇ……」

露天風呂である。
意識を取り戻した直後、通りがかった美人女教師に言われるがまま、こうして早めに入浴している次第の横島であった。
ご一緒にどうですか、と誘ってみたものの、けんもほろろに断られ、心と体、両方の傷を洗い流したい気分だ。
…もう体も温まった。そろそろ頭でも洗おうかと、湯から出たところで……カラカラと戸の開く音。

(ん、誰だ…?)

この時間帯だと、入って来たのは教員の誰かだろう。そう当たりを付けてみるものの……湯気に隠れて見えないが、どうも小柄すぎるような?
しかし、ボウズにしては大きいしなあ、と思っていると、都合良く一陣の風が吹き、浴場の湯気を吹き飛ばしてしまう。
その向こうに現れたのは……手桶で体を流す、全裸の刹那だった。お互いがお互いに気付き、時が凍る。

(ち、小さいが、形のいい、美しい胸だ……)

俺はロリコンじゃなーい!といういつものアレも忘れ、横島は刹那の、慎ましくも健気に咲き誇るその胸に見入ってしまう。
一方の刹那はというと……

(な、なんだ、この体は……!?)

刹那は、横島の体を見て驚愕した。
まるで極太のワイヤーを束ねてよじったような、ヒトの枠から明らかに逸脱した筋肉に覆われた、その肉体。
服の上からでも中々ガタイがいいなとは思っていたが、まさか中にこんなとんでもないものが隠されていたとは予想もつかなかった。
大型の肉食獣のような……否、その例えすらも生ぬるい。地球上のどの生物も持ち合わせていないような、そんな筋肉を横島は全身に纏っている。
筋肉にはそれぞれ質というものがある。格闘家なら人体を素手で破壊するための筋肉、スプリンターならより速く走るための筋肉、というように。
例えば刹那なら、青山神鳴流の剣を振るうために効率の良い筋肉をつけている。しかし……横島のそれは、既存の概念の全てに異なる。
殴るための、投げるための、あるいは何かを振るうための。確かに、最適ではないといえ、そのどれにも適しているだろう。しかし本命は違う。
刹那には直感があった。横島の、まるで尋常ではない筋肉。あれは、効率良く『気』を全身に行き渡らせ、存分に行使するためのものだ。
そしてそれと同時に、どんな局面にも対応できるように極限まで鍛え込まれている。軽くしなやかで、それでいて限りなく強靭。
確かに理想ではある。戦う者として、敬意に値する肉体だ。しかし……横島のそれは、もはや人間のものではない。完全に異形の領域だ。
幸い、刹那にはそれがある種美しくも見えたが、見る者によっては、嫌悪や、あるいは畏怖さえ覚える事だろう。それほどまでの異形。
刹那は戦慄した。一体、何をすればこんな体になるのか。この異形を目にするだけで、横島が送って来たであろう壮絶な闘争の人生が目に浮かぶ。
よくよく見ると、横島の体は傷だらけだ。異常な隆起を見せる筋肉に目を奪われ気付かなかったが、大小含めて相当な数がある。
切り傷、刺し傷、火傷、果ては銃創まで。この世界に生きる人間にとっては左程珍しい事ではないが、横島の体にあると妙な説得感がある。
刹那はごくりと生唾を呑み込んだ。この人は、凄い人だ。そう思う。きっと、自分などでは想像もできないほどの死線を潜り抜けて来たのだ。
そして、今までの自分を反省した。横島の見せるふざけた態度を見て、刹那は内心横島を侮蔑していた。大した人ではなかろうと。
しかし、それは間違いだったのだ。あの態度はおそらく、自分を過小評価させるとか、何か狙いがあっての事だろう。
だって、本当におちゃらけた人間が、こんな見事な体を作れるわけがないじゃないか。今や刹那は、完全に横島に対する認識を改めていた。

「………………」

「………………」

奇妙な緊張感を張り詰めたまま、沈黙が重く圧し掛かる。
先に動いた方が負ける……そんなノリではないが、風に吹かれて湯冷めするのも構わず、2人はそのまま硬直していた。





ところ変わって。
ネギは与えられた一室で枕に顔をうずめ、布団にうつぶせになって鼻を鳴らしていた。

「う……ぐすっ……ア、アスナさんのバカぁ……ひっく」

全ては、ひとえに明日菜のためを思っての事だった。
確かに、明日菜の気持ちとやらを顧みず、自らの考えを押し付けていた事は認めよう。
しかし、何もあそこまで言う事はないではないか。今は、明日菜の気持ちをおもんばかるより、彼女の身の安全を確保する事の方が大事な筈だ。
自分は何も間違ってはいない。エヴァンジェリンの時とは違い、横島という頼れる仲間がいるのだ。無理に明日菜に助力を求める必要はない。
大体、明日菜は何故、何かと首を突っ込みたがるのだろうか。クラスメイトを守ろうとする姿勢は見上げたものだが、それは彼女の仕事ではない。
ネギにしてみれば、明日菜も守るべき生徒の一人なのだ。それを、戦いに駆り出すなどと……とんでもない事だ。教師失格である。

「……いつまでも、泣いてちゃ……ダメだよね」

ぐす、と鼻をすすり、布団から身を起こす。
そうだ、自分は明日菜をはじめ、29人の生徒を守らなければならないのだ。いつまでも情けなく泣いている場合ではない。
手始めに、旅館内の見回りでも……と腰を上げかけたその時、コンコン、と部屋の戸が叩かれた。

「は、はーい?」

少々声を上ずらせながら、ぱたぱたと応対に駆け寄る。
もう明日のミーティングの時間だっけ?と思うネギであったが、ノックの主は意外といえば意外な人物だった。

「あ、あのー、ネギ、いる……?」

「ア、アスナさん!?」

あぶぶ、と慌てふためく。さっきの今で、一体、どんな対応をすればよいものか。
涙を見せたのも恥ずかしいし、そういえば、テンパるあまり、去り際にかなり謎めいた捨て台詞を吐いた気もする。
もしや、改めて怒りに来たのでは……と危惧するが、明日菜の声音は意外にも優しかった。

「その、なんていうか………さ、さっきはゴメンね? さすがに言い過ぎたわ…。
 あたしはもう怒ってないから、あんまり気にしないでね。それじゃ…」

「ア、アスナさん……」

返事を返す暇もなく、足音が遠ざかる。
ネギは、明日菜に恨み言を吐いてしまった自分を恥じた。

「アスナさんって……やっぱり、優しいや」



「…ちょっと、ホントにあれで良かったの?」

『応よ、バッチリだぜ姐さん! 辛く当たった後で、掌を返したように優しい言葉をかける…。
 このふり幅ッ! これぞツンデレの黄金パターンよ! これに男心をくすぐられねぇような奴ァいねぇぜ!!』

「くすぐってどーすんのよ……」

『ハン、知れた事よ! ああ見えて、兄貴は筋金入りの頑固者だからな……意地でも姐さんとは仮契約を結ぼうとしねぇだろうよ。
 そこで発想の転換だ! 姐さんにホレりゃあ、仮契約うんぬんは関係なく、兄貴は姐さんにキスをしたくなる! まさに逆転ホームラン!!』

「ホ、ホレ……!? ちょっ、どういう事よ!?」

『どういう事って、そういう事だろーがよぉ。
 兄貴としては、ホレた姐さんと情熱のキッスをかませる。姐さんにしてみりゃ、仮契約を成立させて、クラスメイトのために戦える。
 これぞ一石二鳥! 持ちつ持たれつだろ? 兄貴も一旦仮契約結んじまわァ、こっちのもんよ。後はなしくずしでどうにかなるぜぇ。
 やっぱ、ホレた相手とパートナーになりたいってのが正直なところだろうからなぁ』

「き、聞いてないわよ!? てゆーか、その後の事はどうすんのよ!?」

『その後ォ? …ああ、仮契約結んだ後の事ね。
 まぁ、適当に相手してやって、兄貴を満足させてやってくれよ。10歳の子供なんだ、おかしな事にゃあなるめぇよ』

「で、でも、あたしは高畑先生の事が…」

『……なあ、姐さん。俺っちァ真面目な話、嘘でもいいから兄貴と姐さんにくっついてもらいてぇと思ってんだよ。
 俺っちと知り合ってからこっち、兄貴はずっと寂しい思いをして来た筈なんだ。ネカネの姐さんも離れた所で暮らしてたしな。
 誰に甘える事もできず、甘えようともせず、兄貴は独り、夢に向かって突き進んで来た……。
 兄貴はスゲェよ。まだ子供なのに自分の境遇に泣き言も言わず、ずっとずっと一心不乱に頑張り続けて……。
 でも、あんまりじゃあねぇか! 普通の子供が当たり前に享受できる幸せの一切を放棄して……いや、兄貴は放棄せざるをえなかった!
 不幸を不幸と気づく事もできず、兄貴はずっと頑張って来たんだ! 俺っちァ、兄貴に幸せになって欲しいんだッ!!
 嘘でもいいんだよ、姐さん! 兄貴に……兄貴に夢ぇ見させてやってくれよッ!! 頼むよォ………』

「カモ、アンタ………」

涙を流し、骨格上見分けにくいが土下座してまで懇願するカモに、明日菜は心を動かされた。
…明日菜の死角でカモがしてやったりとほくそえんでいる事など、気付く由もなかった。

「わかったわ……。あたしにどこまでやれるのかは分からないけど……できるトコまでやってみる!
 なぁに、ネギなんてこのあたしの魅力にかかればイチコロよ! 見てなさい! 絶対、幸せにしてやるわっ!!」

『お、恩に着るぜ、姐さん……! (くけけけけ! ちょろいもんだぜ!!)』

アルベール・カモミール。ある意味、エヴァンジェリンや呪術協会の刺客などより、よっぽど邪悪な存在だった。

京洛奇譚(4) チーム結成 投稿者:毒虫 投稿日:08/16-22:53 No.1119



露天風呂では十数分にも渡り睨み合いが続いていたのだが……横島はようやく、我に返った。
情けない話だが、愚息が反応しかけたのである。流石に男のビルドアップを、それもかぶりつきで中学生の少女に見せるわけにはいくまい。
刹那の精神衛生上を考えての事でもあるが、それよりむしろ、新しい扉を開けてしまうかもしれない自分の方が怖い。
僕を見て!僕の(パンツの)中のモンスターがこんなに大きくなったよ!みたいな。…いや、全くもって洒落にならない。以前から少し、そのケ(毛、ではない。断じて)が見られるだけに。
横島がそっと手ぬぐいで局部を隠すと、刹那もようやく己の置かれた状況に気がついた。

「あ、あ、ああぁっ……」

見る間に頭に血が昇る。顔はもう赤一色だ。
意味もなくわたわたと手を動かし……それが偶然、脇に置いてあった野太刀、夕凪に触れる。
絶賛混乱中の刹那の脳内CPUは、このピンチを打開するべく体に命令を下した。見敵必殺!殺られる前に殺れ!

「ざ、斬岩け―――」

夕凪を抜き放ち、何故か腰の引けている横島に一太刀浴びせようとしたところで…


「ひゃあああぁ〜〜〜〜〜っ!!?」


「!? この悲鳴……このかお嬢様っ!?」

絹を引き裂くような悲鳴。横島には判らなかったが、どうやらそれは木乃香嬢のものだったらしい。
羞恥心などどこ吹く風、刹那は夕凪の鞘も放り捨て、奮然と脱衣所に取って返す!
横島も後を追おうとするが……ぷりぷりと躍動する刹那の桃尻をしっかり網膜に焼き付けてしまい、その場から動けなくなる。男の事情という奴だ。
それでも果敢に、腰の引けた内股でよちよちと歩く横島だったが、刹那との差は広がるばかり。とても追いつけそうにない。
ついには鼻血を流し始めた横島の事などすっかり忘れ去り、刹那は思い切り脱衣所の戸を開けた!

「お嬢様ッ!!」

最悪の光景を思い浮かべていた刹那だったが……その実態を目にして、思わず固まってしまう。
脱衣所の中では、デフォルメされた小猿が意気揚々と木乃香と明日菜の下着を剥ぎ取っていた。
完全にシリアスモードで行動していただけに、その格差に混乱する。
そうしている内に、遂に小猿どもは、木乃香と明日菜の下着を全て剥ぎ取ってしまった!
…運がいいのか悪いのか、よりにもよってこのタイミングで横島が到着する。
こと女性関係に限り両眼6,0の視力を誇る横島アイが映し出すのは、全裸の木乃香&刹那と半裸の明日菜。
どばしゃーっ!と、まるでベスビオ大噴火の如き勢いで噴出する鼻血を片手で押さえ、横島は腰を引きつつ仰け反るといった奇妙な姿勢を取った。
繰り返し述べよう。これも男の習性ゆえの事である。情けない事この上ないが、誰も彼を責める事などできはしない。

「ぬぅぉっ!? と、桃源郷っ!?」

「あ、せっちゃん!? 添乗員さん!? あ〜〜〜ん、見んといて〜〜〜!」

え〜〜ん、と声を上げる木乃香。その周りを、まるで狂喜して踊り狂うように飛び跳ねる小猿達。
事ここに至り、刹那の堪忍袋は、尾が切れるどころか全体が破裂した。

「こ、この小猿ども……!! このかお嬢様に何をするかァァァァァァァァッッ!!!」

「きゃっ、桜咲さん、何やってんの!? その剣、ホンモノ!?」

叩ッ斬ってくれるわーッ!!と剣を振りかざす刹那に、まとわりつく小猿に難儀していた明日菜は瞠目した。
真剣を振り回し、クラスメイトに引かれるのも構わず、刹那は一匹の小猿のそっ首めがけて刀を振り下ろそうとするが…
突然、がしりと手首を掴まれる! 挟撃か!?と戦慄しながら振り返るが、

「も、もうちょっと! もうちょっとだけ! あと5秒でいいからッ!!」

「ア、アホかーーーーーーーーッ!!」

切羽詰った様子の横島に、カカトで蹴りをくれてやる。
それが見事、男の急所に直撃し、声もなく崩れ落ちる横島だったが……その先が悪かった。
後ろから刹那をはがいじめにするような形で膝から落ちたため、横島の顔が刹那の引き締まったお尻にジャストミート福澤。
壮絶な痛みと襲い来る吐き気の中、横島は束の間の天国を味わった。これぞまさしく地獄に仏。

「ひゃあぁぁあんっ!?」

横島の吐息が妙なところに当たったのか、刹那が歳に似合わぬ艶っぽい声を上げる。
目の前で繰り広げられる破廉恥な光景に、明日菜は頬を染めてあわあわと狼狽するより他なかった。
…狂乱して振り回していた肘が横島のテンプルを的確に捉え、豪快に薙ぎ倒したところで、刹那はようやく異変に気がついた。お嬢様がいない!

「お嬢様……おのれッ!!」

見ると、小猿どもが木乃香を抱えていずこかへと連れ去ろうとしている。
愛刀・夕凪を構え直すと、刹那は全力で地を蹴った! 僅かな滞空時間に充分に気を高め、そして…
間合いに入ったところで、練った気で筋力を補強し、目にも留まらぬ連続斬り!

「神鳴流奥義、百烈桜華斬!!」

ほんの瞬きにも満たぬ間に、5体の小猿を斬り刻む! 両断された小猿は、その形を形紙に戻し、宙を舞う。
いちいち技の名前を叫んでしまうのはお約束だ。これをやらないと気合が入らない。
その手に抱いた木乃香を見やる。怪我はない。一安心だ……。



とりあえずの処置でバスタオルを巻いている間に、事態は全て解決していたようだった。明日菜は安堵の溜息をつく。
どうやら、刹那の獅子奮迅の活躍で、木乃香は無事に救われたようだ。何よりである。

「コイツ……いざって時に役に立たないわねー」

泡を吹き、白目を剥いて股間を押さえて横倒れになっている横島に、白い視線を向ける。
エヴァンジェリンの時は、格好こそ変態だったが、働きそのものは充分評価に値するものだった。
しかし、木乃香の…親友の一大事に寝ていただけとは……正直、ガッカリだ。

(って、何もできなかったのは、あたしもか……)

人の事は言えない。自分だって、突如現れた小猿や真剣を振り回す刹那に戸惑い、木乃香がさらわれかけたのにも気付けなかった。
ぎゅっと唇を噛み締める。何をやっているのだ、自分は。親友の一大事に、己の裸など隠している場合ではなかった。
そして、改めて思う。この修学旅行の最中に、只事ではない事態が動いている。それも恐らく、また魔法がらみの。
このまま見過ごすわけにはいかない。自分は既に巻き込まれたのだ。大人しく嵐が通り過ぎるのを待つなど、全く自分らしくない。
カモの作戦などでは生ぬるい。無理矢理にでもネギの唇を奪い、仮契約を済ませて戦う力を得なければ、親友を守る事だってままならない。
…と、今は決意を改めている場合でもなかった。とりあえず木乃香の傍にいてやらなければ、と脱衣所を出ようとした時……

「あれ、桜咲さん…?」

猛烈な勢いで駆ける刹那とすれ違った。
何を急いでいるんだろう、中で木乃香と何かあったのか、など疑問はあるが、今は木乃香の様子の方が気になった。

「このか、大丈夫ー!?」

「あ、アスナ……」

親友は、誘拐されかけた恐怖より、何故か、刹那に逃げられた悲しみの方が色濃くその表情に表れていた。





脳震盪から脱出した横島は、その後ロビーで刹那と顔を突き合わせていた。
気まずげに脂汗を流す横島。頬を、湯上りのせいだけでなく桃色に染め、横島と視線を合わそうとしない刹那。
空気が重い。といってもシリアスなそれではなく、ラブコメ調の気まずさだ。そしてそれは、横島、刹那の両方ともが苦手としている。
何とかその手の空気を打破すべく、刹那は思い切って口を開いた。

「――て、敵のいやがらせがかなりエスカレートしてきました。
 こ、このままではお嬢様にも被害が及びかねません。それなりの対策を講じなければ……」

「た、対策ね! うん、そういうマジメな事考えるの大賛成だぞお兄さんはっ!」

よほど雰囲気をかけるきっかけが欲しかったのか、横島は刹那の話に一も二もなく飛び乗った。
滑稽な横島の姿を見て、刹那の精神も少しは安定したようだ。紡ぎ出した声はもう上擦ってはいなかった。

「…横島さんはそのネームバリューの割には意外と対応が不甲斐なかったので、とりあえず情報を流して怯ませるという作戦は消えましたね」

「正直すまんかった」

がっくりと項垂れる。女子中学生に混じっての修学旅行という事で、横島も多少なりとも浮かれていたのかもしれない。
何にせよ、根拠地に敵の侵入を許すなどプロにあるまじきミスだ。何のために派遣されて来たのかわからない。
流石に思考回路をシリアスモードにスイッチさせる横島であった。

「とりあえず、式神返しの結界を張った事でさっきのような事態は防げるな。勿論、油断は禁物だが。
 …けど、守る事だけを考えてても、こっちは無駄に消耗していくだけだ。どっかで攻勢に出ないと厳しいだろう」

「言うは易し、ですね。攻勢に打って出ると言っても人員が少なすぎます。
 お嬢様をお守りする人員と敵を追撃する人員、最低でも2人ずつは欲しいところですね…」

「ボウズも含めりゃ3人だが、あいつは俺らとは目的が違うからなー」

「ボウズ……ネギ先生の事ですか?」

「ああ。俺らは、道中何があっても木乃香嬢を守り抜けばそれでいい。
 しかしボウズには、呪術協会の長に学園長からの親書を届ける仕事がある。
 常にボウズと木乃香嬢をワンセットにしておけば両立できる事なんだが、それだとどうしても敵が集中しちまうしなぁ」

一番簡単で確実な手段は、木乃香を麻帆良に帰してしまう事である。
しかし、それは酷というものだろう。せっかくの修学旅行なのだ、彼女にも存分に楽しんでもらいたい。

「しかし……青山が敵に回らなかったのは幸いですね。
 呪符使いと神鳴剣士に組まれてしまったら、正直、私でも厳しかったでしょうし」

「いや、安心するのは早いな。
 確かに青山も、木乃香嬢の立ち位置については概ね肯定的だ。
 しかし末端の人間にもなると、その考えはそれぞれだろう。上に従わず暴走する、血の気の多い連中もいるかもしれん」

「そんな……!」

「それに……言いたかないが、オデコちゃん。君の存在が、そんな連中を勢いづかせるのに一役買ってるんだよ。
 青山を出奔し、あろう事か東へついた裏切り者の粛清。実にいい口実だ」

「わ、私はただ、お嬢様をお守りしたいとっ……!!」

身を乗り出す刹那の頭にぽんと掌を乗せると、横島は優しく微笑んだ。

「分かってるよ。青山にも、オデコちゃんに肯定的な人もいる。
 そしてその、とんでもなく頼りになる人が、明日から助っ人に駆けつけて来てくれるんだ。
 人出の問題もこれで万事解決だよ。なんせ、あの人は最低でも100人分は働くだろうし」

「あの人……?」

刹那の脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。
しかし、刹那はすぐにそれを否定した。まさか、まさか『あの人』が来るわけがなかろう。
…横島の二つ名を思い出す。『鶴の懐剣』……。するとやはり、『あの人』としか…

思い悩む刹那を尻目に、横島は廊下の向こうからやって来る人影に気がついた。よく見かけるコンビ、ネギと明日菜だ。
しかし傍目から見ても、2人の間にいつもの姉弟のような雰囲気は微塵も感じられない。
ケンカしている、というわけでもなさそうだが何となく気まずそうだ。
声をかけようかと迷っていると、向こうが先に気がつき、小走りで駆け寄って来た。
そしてロビーに到着するやいなや、ネギは刹那に向かって頭を下げた。

「ご、ごめんなさい刹那さん! アスナさんから話を聞くまで……僕、刹那さんのこと、疑ってました!
 ぼ、僕も協力しますから、襲ってくる敵について教えてくれませんか!?」

「…………」

疑われていた事については正直複雑な気分だが、素直に手を貸してもらえるに越した事はない。
本当に『あの人』が協力してくれるのなら、これで最低限の人員は整った事になる。
刹那は襲撃者、そして彼らが使う術法について、自分に知りうる知識の全てを説明した。
神鳴流のくだりで横島の正体を明かしてしまいそうになるが、何とか踏みとどまった。

「じゃ、じゃあ、今のところは大丈夫そうだけど、神鳴流の人達の一部が僕達の敵に回るかもしれないんですね…?」

「可能性は低いと思いますが、ないとは言い切れません。
 それもお嬢様を狙うのか、ネギ先生と親書を狙うのか、私の命を狙うのかも分からない状態です。
 私と横島さんとで取り組めば、お嬢様の方は無事にお守りできると思うのですが……」

言いよどむ刹那に、カモはズバリと確信をついた。

『横っちと剣士の姐さんがこのか姉さんにかかりきりになるってぇこたァ、すなわち兄貴が一人っきりになっちまうって寸法だわな。
 そんで、敵がもし戦力の分断を狙ってんなら、まずは戦力の少ない兄貴から潰しにかかるのが定石だ。
 術者一人ならともかく、戦士系のヤツと組まれちゃあ、今の兄貴じゃ手も足も出ねぇ。こりゃあ、下手打ちゃ死ぬな』

「ええっ!? そ、そんなぁ…」

半泣きになるネギの肩に、カモは任せておけと言わんばかりに前足を置いた。
元々ネギの肩に乗っかっていた分、誰も気付かなかったが。

『兄貴……この期に及んでパートナーもナシでってのは、やっぱ無理ありまくりだぜ。
 死んでまで意地張るこたァねぇだろうがよ。それに、嫌がる娘を無理からに、ってわけでもねぇんだ。騙してるわけでもねぇしな。
 …よく考えろよ、兄貴。姐さんには姐さんの考え、信念がある。姐さんの進む道を、どうして導き手たる兄貴自身が阻害しちまうのさ?
 姐さんだけじゃあねぇ、ちったァ周りの人間の気持ちも考えてやりなよ。人のために戦おうって決めてんのは、何も兄貴だけじゃあねぇんだぜ!』

好機と見るや、『兄貴×姐さんラブラブ契約作戦』をほっぽりだし、ゴリ押しに押す。
ネギも明日菜も、修学旅行、そして敵の襲撃という特殊状況下に置かれ、その思考回路が鈍っている。今こそがチャンスなのである。
そしてカモの言う事は、取りも直さず正論だ。傍目からしてみれば、兄貴分のネギの事を案じての言葉にしか聞こえない。
…ただ、横島だけは悪巧みの匂いを嗅ぎつけていたが、それをわざわざ口に出すほど野暮ではない。分類すれば、横島もカモ側になるのだ。

カモの熱弁に後押しされ、明日菜の瞳にも炎が宿った。
膝を折りネギと視線を合わせると、ぎゅっとその手を握り、切実に訴えかける。

「ネギ……あたし、このかを守りたいよ。このかは、あたしが麻帆良に来てからの親友なの。
 あの子が危険な目に遭ってるってのに、ただ指をくわえて見てるだけなんて……そんなの、とても我慢できない。
 このかのためなら、あたしは何だってできる。化物と戦う事だって恐れない。お願い、ネギ。あたしに戦う力を、このかを守れる力を貸して!」

「アスナさん……」

ネギはただ純粋に、明日菜と木乃香の友情に感動しているようだったが……刹那は懇願する明日菜を、とても複雑な視線で眺めていた。
自分が木乃香と離れている間にこれほどまでに絆を深めた明日菜へ、嫉妬にも似た感情を覚えてしまう。
しかしその反面、木乃香の事をこんなにも想ってくれている人間がいる事を嬉しくも思う。複雑だ。
この感情は……そう、寂しさに似ている。

何かを噛み締めているかのように俯くネギだったが、やがて勢いよくその顔を上げる。
その目にはもう迷いは映されていなかった。決意が固まったのだ。

「わかりました、アスナさん! 仮契約を結びましょう!
 そして僕らで、関西呪術協会からクラスのみんなを守るんです!
 3−A防衛隊(ガーディアンエンジェルス)の結成ですよ!!」

その微妙極まりないネーミングセンスに辟易しながらも、前に差し出した手を合わせる刹那と明日菜だったが…
横島だけは、その輪に加わらず、難しげに表情を歪めながら、アゴに手を当て考え込んでいた。
何か問題でも発生したのかと、刹那が恐る恐る声をかける。

「あ、あの、横島さん……? 何かあったのですか?」

んー……とひとしきり唸り、何かを思いついたように、横島はパッと顔を明るくした。

「ケント・デリカッターズってのはどうだろ?」

「「「「……は?」」」」

「いや、チームの名前だよ。今時、『ガーディアンエンジェルス』もないかと思って。
 それにホラ、昔からよく言うだろ?」

呆然とする面々に、人差し指をピッと突きつけ、自信満々に言い放つ。

「メガネを笑う者は……甘党だ!」

「「「「聞いた事ねぇーーーーっ!!」」」」

皆から一斉につっこまれる横島。
図らずもこの時、横島を除いた『3−A防衛隊(あるいはケント・デリカッターズ)』は、チアリーディング部もかくやのチームワークを見せていたのだった。

京洛奇譚(5) 令嬢を奪還せよ 投稿者:毒虫 投稿日:08/19-23:29 No.1133


仮契約を結ぶには、ただ単純に口づけを交わせばいいというわけではない。
口づけこそが仮契約を結ぶ手段の中でも最も簡単な方法だが、それにしたって色々と準備が必要なのだ。
話がまとまると、善は急げとばかりにカモは部屋に引っ込み、仮契約の魔方陣を用意し始めた。
その間、ネギは外の見回りに行くと出かけ、刹那と明日菜は班部屋の警護に就き、横島はとりあえずロビーで待機。
女子部屋に居座るわけにもいかず、カモの手伝いもできず、暇を持て余す形になった横島だったが……
ネギと入れ違いで入って来た女性従業員に早速目をつけた。玉砕覚悟で声をかける事にする。暇つぶしだが、引っ掛ければ儲け物である。

「そこの、メガネの似合う美しいおぜうさんっ!!」

「ッ!?」

タオル類の入った台車を押し、ロビーを通り抜けようとしていた女性従業員が、ぎくりと身を竦ませる。
声をかけられただけで大袈裟な反応に見えたが、男慣れしていないのかもしれないと横島は都合の良い判断を下した。

「遅くまで大変ですね、手伝いましょうか?」

一転、紳士的に手を差し伸べるが、反応は芳しくない。

「い、いえ、お客様のお手を煩わせる事は……。お気持ちだけ、ありがたく受け取らさせていただきますわ」

「そうですか。いや、逆に困らせてしまったかな? もしそうなら申し訳ない。
 …ところで、綺麗なおぐしをしてらっしゃる。まるで、上質なシルクのようになめらかで……ああ、すいません、不躾に。
 あまりにも見事なものでしたから、ついつい魅入ってしまいました」

「は、はぁ……」

戸惑っている従業員に、横島はとっておきのジョンブル・スマイルを放った!
長年を費やして遂に会得した、歯をキラリと光らせる例のアレである。
生まれ付きの2枚目ではない男が身につけるには、それこそ血の滲むような努力が必要なのだ。
それが実際に女性に効くのかどうかは、また別の話だが。

「いつもなら、こんな醜態を美しいレディの前に曝したりはしないのですが……
 貴女があまりにも美しいので、つい我を失ってしまいましたよ。全く、罪な女(ひと)だ、貴女は」

「………」

女性従業員は苦笑いを返すのみだったが、それでも横島は諦めない。
ここまで行くと、この路線をやり通すしかない。寒いギャグも、突き詰めれば一種の芸風になるのだ。

「おお、天上の女神よ! 我がヴィーナスよ! 貴女は何故もそうまで美しいのか!
 私の心は貴女の虜! 私は薔薇色の鎖で繋がれた愛の奴隷! 貴女が望むなら、私は何だってするだろう!」

「ほんなら、まずはウチの前から消えてもらえます?」

「まことに遺憾ながら、それは無理です。貴女の輝かしい美貌に足が竦み、一歩たりとも動けません。
 いやはや、ご期待に沿えず申し訳ない。そのお詫びといっては何ですが、これから軽く夜食でもいかがです?」

「結構どすわ。あんたのクッサイ台詞で、もうウチ、おなかパンパンや」

「では、食後の一杯はいかが?」

「喉は渇いとるけど、あんたと一緒に呑むぐらいなら、ドブの水すすっとる方がなんぼかマシやね」

「では、食後にドブの水はいかが?」

ぷっと吹き出すと、従業員はひらひらと手を振った。

「あんたの話、聞いとって楽しいけど……ウチ、これから仕事どすねん。ほなな」

「ウィ、マドモアゼル。お仕事頑張って。ツァイツェン!」

何人やねん……と軽くつっこみ、従業員はカートを転がし去って行った。
横島はその後姿を見送ると、またソファに腰を下ろした。黒のミニスカに黒のニーソックス……実にイイ、と反芻する。
明日の宿もここの筈だ。また出逢う機会もあるだろう。その時には……と算段を立てていると、ふと疑問を感じた。
宿では、もう客が就寝するような時間帯だ。風呂も閉まっている。そんな頃合に、さっきの従業員は、あのタオルをどこに運んでいたのか。
それも裏口からならともかく、正面入り口からカートを押して……。いささか不自然ではないだろうか。
どうにも気になり、横島は腰を上げた。確かあの従業員は客室の方向へ行った筈だ。嫌な予感がする。
間違ったら間違ったでいいや、と軽い気持ちで後を追っていると……案の定、木乃香の属する5班の部屋の前がいやに騒がしい。
そこに刹那の姿を見て取ると、横島は慌てて駆け寄った。

「何かあったのか!?」

「お嬢様がかどわかされました! 後を追いますッ!!」

あちゃー、と天を仰ぐ。まんまとしてやられた。
飛び出す刹那の隣に明日菜を認めると、横島はその腕を掴んで制止させた。

「仮契約は?」

「う……。そ、それが、まだ…」

「んじゃ、居残りな。何とかして、場を取り繕っといてくれよ!」

言うやいなや、横島も刹那を追って駆け出す。
一瞬、明日菜も後に続こうとしたが、思いとどまる。今の自分がついていっても、足手纏いになるだけだ。
口惜しいが、ここは彼らを信じて待つしかない。そして、自分には自分の仕事がある。

「も、もるですー!!」

「…………」

まず手始めに、明日菜は切羽詰ってトイレに駆け込もうとする夕映の肩を掴んだ。
何を!?と、殺意すらこもった視線で明日菜を射抜く夕映だったが、明日菜も負けじと気合を入れてメンチを切る。

「夕映ちゃん、よく聞いて。このかは桜咲さんと遊びに外出したの。
 喋るお札とか、桜咲さんがポントー振り回してた事とか、そーゆーのは一切合切、全部ひっくるめて幻覚だから。オーケイ?」

「そ、そそそんなことはどーでもいいですっ!! い、今はともかく、私におしっこをぉぉぉ!!」

明日菜の腕を振り解き、トイレのドアに手をかけるが……明日菜はフェイントを織り交ぜながら素早く前に回り、巧妙に夕映をブロックする。
夕映はもう、半泣きから全泣きへと移行しつつあった。メルトダウンまであと5秒。

「よくないのよねー、これが。とにかく、この件については口外無用。約束できる?」

4。

「や、約束でもなんでもしますからぁぁぁぁぁぁっ!!」

3。

「じゃあ悪いけど、一筆したためて……」

2。

「URYYYYYYYYYYYYYYYYY!!!!!」

そして遂に残りカウント1秒まで達した所で、夕映の理性は崩壊した。内なる獣性の命じるままに、横殴りに明日菜を殴り飛ばす。
げに恐ろしきは生理的欲求……とさすがに反省しながら、明日菜も道を譲り渡す。
夕映はゼロコンマ1秒でトイレに駆け込み、エチケットタイム。

「……あ゛」

そして聞こえる、絶望の呟き。
もしやギリギリアウトか?と心配し、恐る恐る声をかけてみる。

「ど、どうしたの夕映ちゃん? ダム決壊?」

「………ふ、蓋上げるの、忘れてました………」

合掌。





どうやら敵は、無闇にデカイ猿のキグルミを着込んでいるらしい。
それを目撃したというネギと合流し、しばらく駆けていると、確かに特徴的なシルエットが目に入った。
風呂場の脱衣所で木乃香と明日菜を翻弄した小猿をそのまま大きくしたような後姿。間違いない。
木乃香を奪取した敵を追う……。緊迫したシーンの筈なのだが、何だかもうブチ壊しだ。気合が入らない。それが敵の狙いなのか。

「あのキグルミ、バランス悪いなぁ。よくあんなんで人一人抱えて走れるもんだ。
 つーか、頭のてっぺんに飛び蹴り喰らわしたら、そのままポキッと首の骨折れるんじゃね?」

「恐らく呪術協会の呪符使いなのでしょうが……正体を隠すだけなら、もっと都合の良い格好があるはず。
 皆さん、注意してください。あの大きな頭の部分に、何かとんでもない秘密兵器が隠されているのかもしれません!」

「お、恐ろしい敵ですねっ……!」

「……あれ? これ、俺がつっこまなきゃなんないの?」

微妙に緊張感に欠ける会話を交わしながら、駅に逃げ込んだ敵の後を追う。
人払いの呪符で結界が張られており、駅構内には乗客はおろか、駅員の姿さえ見かけない。
それをいい事に改札を飛び越えると、ホームに停車してあった車両に飛び乗る。敵はもう、すぐそこにあった。

「ネギ先生、横島さん! 前の車両に追い詰めますよ!!」

刹那は、いつでも抜け放てるよう夕凪を構える。
ネギも既に携帯用の杖を構え、横島も何やら背広のポケットに手を突っ込む。
敵が呪符を取り出したのは、その時だった。

「お札さんお札さん、ウチを逃がしておくれやす」

それをキーワードに、呪符から水が溢れ出す!
が、それが刹那達を襲う前に、呪符は空中で弾かれたように四散した!
猿のキグルミの下で、敵の顔が驚愕に歪む。

「な……!? ウチのお札が!!」

おかしい。術返しを喰らったのならともかく、何故も突然……
と思案する暇もなく、真直ぐその顔に向かい、高速で何かが飛来する! 咄嗟に小猿を盾にし、バックステップで次の車両に移動した。
盾にした小猿は、やはり真中の腹の辺りに大穴を開け、形紙に戻り破れ散った。
カラン、と乾いた音を立て、床に転がったのは……一粒の、何の変哲もない小石。道中で拾っていたのだ。
呪符使いは慌てて扉を閉めた。その直後に、ガッガッガッガッ!!と、まるでマシンガンで狙い撃たれたような衝撃が扉に走る。

「チィッ! かつてシチリアで『ヒットマンの横ちゃん』と恐れられた俺の精密射撃を躱すとは……アンタなかなか大したモンだぜ」

今手元にある唯一の武器、指弾をことごとくかわされ、横島は舌打ちした。
気と判別つかない程度に霊力が込められた小石の速射。当たりどころによれば、人間ならば簡単に死に至る。
次は外さねえぜ、とニヒルに笑う横島だったが。

「お嬢様に当たったらどうするんですかっ!!」

「大丈夫だ。シチリアでそんなヘマをするようなヤツなら、今頃生きちゃいない」

「ノリと雰囲気だけで大法螺吹いてると痛い目見せますよっ!?」

「あ、すいませんごめんなさいホント。もうしません。許して!」

目が血走った刹那に夕凪を大上段に構えられ、横島は平身低頭しながら手に持った小石を捨てた。
有効な手だと思ったのだが、ただでさえいいとは言えないチームワークを乱してしまうようなら仕方がない。
いや、真に責められるべきはその攻撃手段ではなく、マトモな弁解もせず更にボケに走った横島の芸人根性なのだが。
そうこうしている間にも、敵はどんどん前の車両へと逃げて行く。一行は慌てて後を追ったが、電車は次の駅に到着してしまった。

「なかなかやりますな……。しかし、このかお嬢様は返しまへんえ」

そう言い残し、また猿のキグルミは走り出す。
すぐさま後を追う刹那と横島だったが、ネギは敵の捨て台詞が気になるようで、なかなかペースが上がらない。

「せ、刹那さん、一体どういう事なんですか!?
 彼らの狙いはこのかさんで、親書は関係なかったんですか!? でも、それなら何故…!?」

東の勢力の一員であるネギに呪術協会の内情を話していいか、少し迷ったが……刹那は話してしまおうと決めた。
もう自分は西の人間ではない。それに、疑問を残したままではネギも思い切って戦えまい。

「実は以前より、関西呪術協会の中に、このかお嬢様を東の麻帆良学園にやってしまった事を心良く思わぬ輩がいて……
 おそらく、奴らはこのかお嬢様の力を利用して呪術協会を牛耳ろうとしているのでは……」

「な、何ですかそれ〜〜〜!?」

ちらつく陰謀の影に驚くネギに、己の見通しの甘さを悔やむ刹那。
横島は、殊更明るい声で口を挟んだ。

「ま、所詮そんなもんは絵空事だ。ここに俺達がいる限り、奴らの思い通りにはならないさ。だろ?」

「……そうですね。過ぎた事を悔やんでも仕方がない。今は、ベストを尽くしてお嬢様を救出せねば!!」

「その意気ですよ刹那さん! 大丈夫、正義は必ず勝つんです!!」

改めて気合を入れなおすと、改札を飛び越える。案の定人払いの結界が貼られており、やはり猫の子一匹見当たらない。
計画的な犯行にしては、色々とずさんだな……と思いながら走っていると、先頭の刹那が足を止めた。
京都駅ビル大階段。とあるローカル番組の企画で、ここで巨大流しそうめんが作られたのは、関西圏ではあまりに有名な話である。
それはさておき、大階段のちょうど中腹あたりに、呪符を片手にたたずむ影があった。
腰まで届く長い黒髪。光を映さぬ闇の瞳。それを覆う丸眼鏡。猿のキグルミは、脇に置かれている。
見覚えのある人物の登場にネギは驚愕し、横島は、ああやっぱり……と天を仰ぎ、顔を手で覆う。おおジーザス、なんてこった!
敵の眼鏡美人も横島の存在に気付き、僅かに片眉を上げた。

「へえ……あんた、そっち側の人間やったんか。
 一仕事終わらしたら、一杯ぐらい付きおうたろかと思てたんやけど……残念やわぁ」

「そんな事言わずに。今からでも遅くないぞ? いい店知ってるんだけどなあ」

「なに敵を口説いてるんですか! ぶった斬りますよ!?」

夕凪構えて、刹那が吼える。
横島は、おお怖い……と、大袈裟に身を竦ませ、首を振った。

「そりゃ勘弁。……ちゅー事で、残念ながらデートはお流れだ。また来世、縁があったら会おうや」

「死ぬんはそっちやえ? 三枚目のお札ちゃん――」

言って、札を構える。
そうはさせじと飛び出す刹那だったが……遅かった。

「お札さんお札さん、ウチを逃がしておくれやす―――喰らいなはれ! 三枚符術・京都大文字焼き!!」

大の字に、灼熱の炎が出現する!

「しまっ―――」

まさかこう来るとは思っていなかった刹那は、突出しすぎていた。
炎に呑み込まれる!そう思った瞬間……ぐい、と強い力で引き戻され、そのまま後方に投げ飛ばされる!

「受け取れ、ボウズ!」

「よ、横島さん!?」

「えっ……う、うわっ!?」

反射的に、刹那を受け止めるネギだったが……
救出された刹那の代わりに、横島が業火の中に呑み込まれてしまう。
いくら青山で実力者と目されていた男でも、あの炎の中ではとても助かるまい…。
必死に伸ばされた刹那の手は、指先が微かに横島の袖をかすっていた。

「ぐっ……!!」

血が出るほどに唇を噛み締める刹那。
主戦力を失ってしまったのは確かに痛い。しかし何より、彼を死に追いやってしまった間抜けな自分が心底憎い。
自分では、この炎を消す事はできない。この隙に敵はまんまと逃げおおせるだろう。
守れなかった!木乃香の事も、横島の事も……!

「そ、そんな……っ!?」

ネギは、その表情を絶望に染めた。
人が命を失う瞬間を、人が人によって殺される瞬間を、初めてその目に焼き付けて……闘志は、見る影もなく消沈した。
横島には色々と世話になった。大切な事にも気付かせてくれた。父親という存在を知らずに育ったネギは、横島に微かな父性さえ感じていた。
そんな人が……目の前で、理不尽に命を奪われた。怒りよりも先に出て来た感情は、恐怖と絶望。
これが戦場なのだ。今の今まで元気に冗談を飛ばしていた戦友が、一瞬にして物言わぬ骸と成り果てる。
ネギは、心胆から恐怖した。

「並の術者では、その炎は越えられまへん……。おもろい男やったけど、まず助かる事はありえまへんな。
 あとで、ウチの代わりに花でも手向けといたって。……ほな、さいなら」

判別のつかない笑みを浮かべ、眼鏡の呪符使いは背を向けた。
――と、その時。

「だああああああああッッ!!! 熱いッ!! けど熱くないッ!! 全ッ然熱くなァァいッッ!!」 

やせ我慢気味の声が聞こえたかと思うと、爆風に消し飛ばされるように、あれだけ猛威を揮っていた炎が四散した!
その中心に、拳を天に突き上げて立っているのは……服までボロボロに焦げた横島だった。
お約束通り、上半身の服は焼け焦げて原形を留めなくなっているが、下半身、特に股間の辺りは綺麗に残っている。

「「横島さんっ!!」

「ン、ンなアホなッ!?」

常識外れもいいところ、まさかの出来事に、刹那とネギは歓喜の声を上げ、呪符使いは体面も忘れて、アゴが抜けるほど驚く。
奇蹟の実態は、炎に呑まれた直後に文珠で身を守り、その後高密度の霊波を全方位に向けて打ち出し、炎を消し飛ばしただけなのだが。
敵符術師は炎を喚び出しただけで、その炎には霊的・魔術的な威力はこもっていなかった。無力化させるのは、実は簡単な事だったのだ。
しかし横島は無闇に格好付け、振り返ってニヤリと男臭い笑みを2人に向けると、ビシッと敵に指を突きつけた。

「ヌルいヌルいッ! 俺を焼き殺すんなら、某宇宙恐竜でも連れて来るこったな!
 さあ反撃だ! 行くぞボウズ、オデコちゃんッ!!」

「「はいっ!!」」

横島に応え、刹那は夕凪を抜いて、ネギは始動キーを唱えながら、駆ける!
迫り来る3人を前に、眼鏡の符術師もさすがに動揺を隠せない様子だった。

(ウチの炎が消された…! ちゅーか、なんやねんあのデタラメさは!?
 こ、これが西洋魔術師とそのパートナーなんかぁっ!?)

思いっきり勘違いしながらも、また呪符を取り出し構える。
刹那と横島がすぐそこまで迫り、刹那の刀が振りかざされたその時に……呪符を発動させる!

「「!?」」

横島と刹那の攻撃は、突如動き出した敵の脇に置かれていた筈のキグルミに受け止められた。
熊と猿。見た目こそ間抜けそのものだが、意外に動きは俊敏で、見たところ耐久性もそれなりに高そうだ。
追撃を入れるのを忘れ、横島は思わず距離を取った。

「おおぅ、100円玉も入れてないのに動き出したぞっ!?」

「知ってると思いますが、さっき言った呪符使いの善鬼護鬼です!
 間抜けなのはみてくれだけです! 気をつけて横島さん!!」

刹那がそう言い終える前に、横島は猿の放った拳を捌き、返す刀でその腹に霊力のたっぷりこもった突きを見舞った!
それに耐え切れる筈もなく、猿の腹は爆発したように大穴を開け、そのまま空気に混じるように霧散する。
あっけなく倒された式神に、敵符術師はまたも驚愕し、横島は力強くガッツポーズをとる。

「中の人などいねぇーーっ!!」

「す、すごい、横島さん…」

熊の式神に手こずっている自分とは違い、何と早い仕事だ。刹那は素直に感心した。
先程の、炎を打ち破った圧倒的な気の力といい、どうやら横島忠夫という戦士は、稀代の気の遣い手らしい。
普段は……というか、むしろ戦闘中もどこか抜けた感のある横島だが、やはり実際に戦場に立つと、その圧倒的な実力が際立つ。
これでもう少し頭も切れて真面目にやっていたのなら、今頃、青山は横島に掌握されていてもおかしくはなかっただろう。

横島は眼鏡の呪符使いに注意を払いながら、横目で刹那を確認した。まだ式神と戦っている。
刹那ほどの実力であれば、あれしきの相手、瞬殺してもおかしくはないのだが……おそらく、間合いの取り方に手間取っているのだろう。
この場面では、横島と、伏兵状態になっているネギとで本丸である呪符使いを叩くのがセオリーなのだろうが、横島には考えがあった。
何やら刹那と木乃香の間には、浅からぬ因縁があるらしい。ならば、花を持たせてやる意味でも、刹那にやらせた方が粋というものだろう。

「オデコちゃん! そのクマ公は俺に任せて、木乃香嬢を助けてやれ!」

「すみません、お願いします!!」

返事を返し、すぐさま反転して木乃香の許へ馳せる刹那。
刹那が追撃されないようその背後を確保すると、横島はニヤリと熊のキグルミに笑いかけた。

「クマちゃん楽しく遊びましょ、ってか?」

京洛奇譚(6) ヨコグルイ 投稿者:毒虫 投稿日:08/23-23:00 No.1152



刹那は焦っていた。
横島から木乃香の事を託されたのはいいものの、月詠とかいうゴスロリ神鳴剣士に阻まれ、辿り着く事ができない。
そして、そのふざけた格好とは裏腹に、二刀を自在に操る月詠は強かった。いや、正確に言うなら、戦いにくかった。
格別に身体能力が優れているわけではない。捌き切れぬほどに剣筋が冴えているというわけでもない。
月詠は二刀を振るうというメリットを最大限活かし、野太刀・夕凪に不利な間合い…すなわち懐へと斬り結んで来る。そのやり口が巧いのだ。
まるで刹那の思考を先読みしているかのように、先手先手を打ってくる。刹那はそれをどうにか凌ぐので手一杯だ。攻勢に転じられない。
そうして時間を稼ぐのが目的かと思えば……

「ざ〜〜んが〜〜んけ〜〜ん♪」

「くッ……!」

こうして、時たま大技を放って来るから油断できない。
緩急・大小織り交ぜ、ちくちく、ちくちくと。やり方こそ地味だが、手強い事この上ない。
しかし月詠と剣を交えていて、刹那は疑問に思う事があった。恐らく、月詠の剣は妖の類を相手とするそれではない。人間相手のものだ。
それも、魔法使いなどを相手取るのではなく、その前衛である戦士を屠るための剣術……。そのように思えてならない。
無論、青山にもそうした技術はある。しかし、それは一歩間違うと邪道とされ、学ぶ者はいても、究めんとする者はいなかった。
月詠はどう贔屓目に見ても刹那と同年代だ。この歳でこれほど遣えるという事は、かなり幼い頃から修行を積んでいる筈。
幼い月詠に殺人剣を授けた人物。それは一体、何者なのか……。

(いや、今はそんな事を考えている場合じゃない)

とにかく、距離を取らなければどうにもならない。
逆を言えば、距離さえ取れれば、何とかする自信はあるのだ。中距離は、刹那が最も得意とする間合いである。
…しかし、相手もそれを察しているのか、そう簡単に引き離されてはくれない。
そして刹那自身自覚できていないが、募る焦りに、刹那の剣は鈍ってしまっていた。



熊は猿より若干手強かった。ポイントは長い爪だ。
夜風が火傷に沁みる。明日の風呂どうすっかなぁとか思いながら、横島は振り返って刹那の方を仰ぎ見た。

「…うわ、なんか新キャラ出ちゃってるし」

刹那は、ゴスロリ少女剣士と激戦を繰り広げていた。
幸い、やられるような気配はないが、劣勢である。どうやら相手は強いと言うより、巧いタイプのようだ。
この機に乗じて呪符使いは遁走を開始しているが、見るとネギが勝機を窺い、息を潜めているようだ。心配は無用だろう。
しかし、あの曲者相手にネギ一人で立ち向かわせるのも気の毒だ。やはりもう一人必要か。
そう考え、横島は階段を駆け上がって勢いをつけると、颯爽と刹那とゴスロリ剣士の間に割って入った!

「ここは俺が引き受けた! お前は先に行けいッ!!」

「くっ……! 任せました!」

月詠に悔しげな一瞥をやると、刹那は木乃香目指して階段を上って行った。
『分かった、死ぬなよ!』と言い残して行って欲しかったところだが、それだと死亡フラグ確定なので、やっぱり撤回。
自分の役目を理解していないのか、戦う相手がいればいいのか、月詠は刹那を見送り、今度は横島に構え直した。

「月詠いいます〜〜。ひとつ、お手柔らかにお願いしますわ〜〜」

「あ、こりゃご丁寧にどーも」

2人して頭を下げる。何とも間抜けだが、不幸な事にここにツッコミはいない。
ほな行きますえ、と前傾姿勢を取る月詠を手で制し、横島は焼け焦げたズボンから、まだ形を留めているベルトをしゅるりと抜いた。
自然、短パンに姿を変えたズボンがずるりとずり下がる。横島は取り繕うように咳払いした、

「…言っとくけど、露出狂なんかじゃないぞ? 勘違いしないでくれよ。
 二刀流相手に素手でってのは、さすがにちょいとキツイからな」

外したベルトを、胸の前でスッと伸ばすと……驚くべき事に、ベルトはピシリと、まるで剣のように硬直した!
ほえぇ〜、と感心しているらしい月詠に、自慢げな笑みを向ける。

「マスタークロス! 布じゃないけどッ!」

ひゅんひゅんと振り回す。ベルトは、時には剣のように固まり、時には鞭のようにしなった。
厄介な武器だ、と月詠は見定める。気を通わせて、ベルトの硬度に幅を持たせているのだろうが……
剣と鞭、両方の機能を持ち合わせている武器。間合いが測りにくい上に、安心して切り結ぶ事もできない。
…だからこそ燃える。強敵、難敵と死合う事こそが、月詠の生き甲斐にして最大の娯楽だった。

「ほな、行きますえ〜〜」

「ダヴァイッッ!!!」

月詠は吼え猛る横島に斬り込もうと、脚に気を込め、一歩踏み込んだ!
神鳴剣士の一歩は、常人のそれとは一線を画する。気による脚力の補強、それに特殊な足運びにより、ただの一足で相手の懐に飛び込めるのだ。
その勢いをもって、横島の持つベルト剣ごと斬りさかんと、刃先を滑らせ……

「ッ!?」

月詠は咄嗟に片足を前に出し、ブレーキをかけ、上半身を沈めた!
それとほぼ時を同じくして、頭上を帯状のものがかすめて行く。髪の一房が持っていかれた。
おかしい。まだギリギリ、双方の間合いまで踏み込んでいない筈だ。ベルトを一杯に伸ばしたとしても、ここまで届くわけがない。
何が起こったのか察する前に、月詠はぎくりと動きを止めた。

(――機を逸してしもたわ〜)

この時。
横島の焦げた指先が、月詠の拳に絡み付いていた。
横島は、立会いが始まるやいなや、唯一の武器を投げ、その隙に月詠の懐中へ迫っていたのだ。
背骨からつま先にかけて、煮えた鉛を流し込まれたような激痛に襲われ、月詠は全く動く事ができなかった。
横島の指が押さえているのは、月詠の両掌のそれぞれわずか2箇所に過ぎない。
骨子術。人体の経路を利用するという、得体の知れぬ技。

「指搦み…」

誰に聞かせるでもなく、ぽつりと横島が独りごつ。指搦み、それがこの技の名前であるらしかった。
月詠の左掌はそのままに、右掌の人差し指と中指を、骨子術の理合のままに柄から剥がし取る。
そして横島は、その力を利用するべく、月詠の足を払った。面白いように、少女の体が中空で反転する。
このまま二指をへし折りながら地に叩きつけるのが本来なのだが、横島は情けをかけた。途中で指を離したのである。
それでも月詠は、体の前面から、コンクリートの地面に落下した。
衝撃。息が詰まる。視界が揺れる。意識が明滅する。

「あ……ッは」

強い。月詠は地に這いつくばったままに、歓喜に身を打ち震わせた。
何と強い敵か。先程の正統の神鳴剣士も、確かに遣えた。しかし、この男はそれとは住んでいる世界が違う。
伝統、正道、作法、礼儀、その全てを捨てた、ただ敵を打ち倒すだけの術を、この男は躊躇もなく揮う。
最後に情けをかけなければ、それこそ月詠の求めていた理想像なのだが、それだと自分は生きてはいなかったろう。
落胆はあるが、まずは感謝を贈ろう。そのお陰で、また次の機会にでも、この強者と戦えるのだ。

「これまで」

月詠が立ち上がれないと見て取るや、横島は身を翻した。
まだ齢15にも満たぬであろう少女の双眸には、確かに狂気の光が宿っていた。
負けた事を悔やむのではなく。敗者に成り下がった己への憤り、諦観、そのどちらでもなく。
月詠はただ、悦んでいた。自分をいとも簡単に打ちのめせる相手と出逢えた事を、心底から悦んでいた。
それを空気で察し、横島は怖気を覚えた。この少女は、その身の内に怪物を飼っている。あるいは、ここで殺しておくべきようにも思えた。
が、そうすると後々の処理が面倒だ。しかも、今は他にやるべき事がある。
段上を見やると、ネギと刹那が攻めあぐねているのが分かった。呪符使いが木乃香嬢を盾にでもしているのだろう。
もう一度だけ倒れている月詠を一瞥すると、横島は階段を上り始めた。




激昂した刹那が飛び出す! それに合わせ、ネギは呪文を唱えた。
狙うは眼鏡の呪符使い。刹那ほどではないが、ネギも彼女に対して憤っていた。

「風花(フランス)!! 武装解除(エクサルマティオー)!!」

「なぁ〜〜〜〜ッ!?」

突風が呪符使いを吹き飛ばし、彼女の持つ呪符、そして服までもを花吹雪と化す!
それでも諦め悪く、無事だった呪符を構えようとするが……

むにゅう!

「うむっ! やっぱし、ええ乳やぁ〜〜!!」

「ひいぃぃぃぃぃぃぃっっ!!?」

無駄に高い身体能力を発揮し、背後に回りこんだ横島の思うさまに胸を揉みしだかれ、つい必殺の呪符をぐしゃりと握り潰してしまう。
この好機を刹那が見逃す筈もなかった。未だ横島は呪符使いの胸にご執心だが、激憤に駆られた刹那にとって、そんな事は些細な問題だった。
呪符使いプラスアルファの真下に潜り込むと、必殺の気と共に、夕凪を全力で振るう!

「秘剣・百花繚乱!!」

「ぺぽーーーーーーーーっっ!!?」

「ミギャアアアアアアア!!!」

大階段を上り切った所まで吹っ飛ばされ、そこから更に地面をだだ滑り、呪符使いと横島はワンセットで壁に激突した!
その際、全裸の呪符使いと横島が複雑に絡み合って、とても子供には見せられない状態になってしまい……
この時点で、横島の霊力は戦う前より充実した。もはや眼福どころの騒ぎではない。あえて言うなら、触福?
まだ怒りの残る刹那とネギの眼光に射竦められ、離脱を図ろうと試みる呪符使いだったが……

「に、逃げ……あふぅっ!? そ、そんなトコ、触らんといてぇ……!
 ふひゃあ!? い、息! 息が当たっとるぅ! ちょ、な、舐めるのはアカンて! シャレならん……あひぃ!?」

「ふもっ! ふもふもふもふもっ!!」

「「……………」」

ネギと刹那は互いに顔を見合わせると、こくりと頷いた。
刹那は静かに絡みもつれ合う2人の傍に立つと、無言で横島の頭に、鞘に収めた夕凪を割と本気で振り下ろす。
目も眩むような衝撃に一瞬動きを止める横島だったが……再起動したその時には、瞳に妖しい輝きが燈っていた。

「お…恐ろしいッ、俺は恐ろしい!
 なにが恐ろしいかって オデコちゃん! 頭の傷口が痛くないんだ。快感に変わっているんだぜーーーーッ!!」

「〜〜〜〜〜ッッ!!!」

本能的な恐怖を感じ、刹那は何度も何度も横島の頭を殴り続けた。
感触がそろそろ水っぽくなって来たあたりで、ようやくその手を止めて一息つく。横島は、もうピクリとも動かない。
それに安心している刹那の隙を突いて、呪符使いはその場から離脱した!
今頃立ち上がって来た月詠を回収すると、最後の呪符を使い、また猿の式神を出現させる。

「お、おぼえてなはれ――あ、いや、やっぱり最後のんは忘れてしもてーーーーーー!!」

間抜けな捨て台詞を残し、式神に飛び乗り、襲撃者達は月夜に消えた。
反射的に後を追おうとしたネギを、刹那が制す。

「追う必要はありません、ネギ先生。深追いは禁物です」

「は、はい。……あ、それより、このかさんは!?」

「あ、そうだ、お嬢様!!」

2人は、未だに目を覚まさない木乃香の許へ駆け寄る。
血溜りに沈んでいる横島の事を、完全にスルーしたままで。





「あー、死ぬかと思った……」

しみじみと呟くと、横島はぐびりとビールを呷った。
ホテル嵐山、古町巡名義で横島に宛がわれた部屋での事である。
あれから何とか復活した横島は、這う這うの体で旅館へ戻ると、慌しく迎え入れたカモと、こうして部屋で一杯呑っているのであった。

『その様子だと、大分苦戦したみてぇだな、横っち』

「まあな…。実際、死ぬかと思ったぜ」

最近、斬られたり蹴られたり殴られたり吹っ飛ばされたりする事がやたらと多い。まるで、美神除霊事務所で働いていた時のように。
昔を美化するような歳でもないが、やはり楽しかったあの頃に戻れたようで嬉しくない事もないかなとは思う。が、やはり体力的に厳しいものがある。
戦闘技術や霊力そのものは当時よりも大分成長したが、若さに任せた勢い、人並み外れた回復力などは徐々に衰えつつあるのだ。
煩悩以外でも霊力を安定供給できるようになったのだが、その反面、どうも何かを失ってしまったような気がする。
…まあ、今でも煩悩を高める事で霊力を回復させたりする事は充分できるのだが。

(いい加減、おどけてるのもしんどくなった、ってとこかね……)

しかし、それ以外の生き方を知らないのだから仕方がない。
物心ついてからこっち、わざと醜態を演じてみせる事でしか、横島は自己を主張できなかった。
自分はいつも2枚目の引き立て役。舞台の片隅で面白おかしく踊るピエロ。そんな風にして生きて来た……と、横島自身は思っている。
本当は自分自身が舞台の真中に立っているのに、その事に気付かない。そもそも他の人間とは舞台の見方が違うのだから、気付く筈もないのだ。
だから大人になった今でも、あの頃のように振舞う事しかできなかった。真剣な顔の作り方を忘れてしまっていた。
しかし、別に無理して道化を演じているわけでもない。長年の習慣で、それが当たり前の事に横島の基幹になっているのだ。
最近になって、それにも多少の疲れが伴うようになって来たが、それでも道化を辞めようなどとは思わない。

(…ま、俺がシリアスやってると、大概ロクな事にならんしなぁ)

心底、横島には道化が肌に馴染むのだ。
いつまで続けられるのかと思わない事もないが、とりあえず続けられる限りは道化でいたい。
横島が身を置く世界には、綺麗な事など何一つもない。だからこそ、自分のような間抜けな存在が一人ぐらいいてもいいのではないか。
下らない馬鹿をやっている事で、ほんの少しでも心が救われる人がいる限り……横島は、道化を演じ続ける。

     ―――ほんま、忠夫はんがいてくれはって良かったわ―――

彼女は、そう言ってくれた。
その言葉が胸にある限り、横島は迷わない。

『――っち、横っち! オイ、聞いてんのか横っち!?』

「ん、あ、ああ……悪い。何の話だっけ?」

ふと我に返ると、器用におちょこを前脚に持ったカモに詰め寄られていた。
考え事に耽るあまり、完全に外界を遮断してしまっていたようだ。
いつもと違い、何となく頼りなげな横島に、カモは大丈夫かよと溜息をついた。

『ッたく……。そんなにこっ酷くやられちまったのかよ。今日はもう寝た方がいいんじゃあねぇのか?』

「そうだな……明日の事もあるし、そうするか」

修学旅行だけあって、流石に朝は早い。あまり深酒すると仕事にも支障が出る。
何となく物足りないものを感じながらも、横島は手に持っているビールを飲み干すと、後片付けを始め……
ふと思いつく事があって、今夜は横島の部屋で寝るつもりで寝転がっていたカモに話しかける。

「そういやカモ公。お前、ボウズと嬢ちゃんの仮契約はどうしたんだよ?
 俺らが戦ってる間に、なんかいろいろ準備してたんじゃなかったんか?」

『その事なんだけどよ、準備を進めてる内に、ちょいと閃いてな。
 まだ構想中の段階なんだが……やっぱ、せっかく手頃な女が何十人も集まってんのに、姐さんだけってのももったいねぇだろ?
 そんで、ここはひとつ、兄貴と俺っちの明るい未来のためにも、もっとスケールのデケェ事をだな……っと、これ以上は野暮ってもんか。
 とりあえず今のところは考えてくれなくてもいいぜ。俺っちも、これで色々考えてるしな……。ま、明日の夜を楽しみにしといてくんな』

ククク、とタバコをふかしながら笑うカモ。
どうせ下らん事でも企んでんだろ、と当たりをつけ、横島は布団を敷いた。

「何だかよく分からんが、ま、程々にしとけよ。……んじゃ、電気消すぞー」

パチン、と蛍光灯の紐を引く。
すぐに寝息を立て始める横島の傍で、カモはいやらしい笑みを浮かべながら、頭の中で算盤を弾く。

(この旅館の周りに大規模な魔方陣を敷く。そうすりゃ、誰が誰とブチュっとやっても仮契約の成立ってわけだ。
 兄貴はまぁどうとでもなるとして、何とか横っちも巻き込んじまいてぇな……。
 最悪でも1人ずつブチュッといってもらうとして、そこに姐さんも加えると、3人……つまり、15万オコジョドルだ!
 15万……くはー! たまんねぇぜ、マジで! 15万ありゃ、オコジョ銀座でかなり遊べるな! いや、オコジョ新宿歌舞伎町ってセンもありか!
 兄貴たちがもっとハッスルすりゃあ、20万、30万と……! こりゃあ、何としてでも実現せにゃあなッ!!)

豆電球の薄暗い照明の下、カモの両目が金欲にぎらつく。
渦巻く邪念に影響されたのか、横島がうんうんうなされていた。

「う、う゛う゛う゛う゛……! ダ、ダメですってば美神さん! そこは、そんなコトするところじゃ……!
 や、やめっ! は、入るわけないじゃないスかそんなもん! か、勘弁してくださいよぉぉ!!
 こ、この前、黙っておキヌちゃんと出かけたのが悪かったんスか!? それなら謝りますから許して……うぎぃぃぃぃっっ!?」

(横っち、おめぇ……。
 安心しな。この計画で、必ずお前に桃源郷を見せてやるぜ。待ってろよ、横っち…!)

寝ながら尻を押さえ、涙さえ流してうなされている横島を前に、カモは改めて決意を固めた。

京洛奇譚(7) ツッコミなしのWボケは正直収拾つかない 投稿者:毒虫 投稿日:08/26-23:05 No.1163

―――修学旅行、2日目。

朝食の席に着きながら、箸も動かさず、刹那は添乗員に扮した横島を凝視していた。
横島は、これまた箸も動かさず、近くに座る源しずな教員に果敢にアタックしている。
誰の目から見たって脈がないのは明らかなのだが、横島に諦める気配はなさそうだ。
しかし、しつこく付きまとっているという風には見えない。袖にされるのを分かった上で、冗談で口説いているように見える。
まあ、横島の本意がそのどちらにしろ、周囲から笑われている事には変わりはないのだが。
…そんな、横島の情けない姿を見て、刹那は胸中に複雑な感情を覚えると同時に、ますます横島の事がよく分からなくなった。

(一体何なのだろうか、あの人は…)

終始ふざけっ放しで、軽薄な男なのかと思えば、真剣に女性を口説いているというわけでもなく。
刹那や明日菜のツッコミに吹き飛ばされ、毎回死にかけている割には、戦闘の際にデタラメな強さを見せたり。
特に普段の横島を見ている限り、昨夜、自ら炎に身を投げてまで必死に刹那を救った人間とは、とても同一人物に思えない。
…そういえば、その際に負っていた結構酷かった火傷は、今日の横島には見られない。あれはどう見ても、昨日今日で治る傷ではない筈なのに。
よく見れば見るほど、考えれば考えるほど、ますます謎は深まっていく。
馬鹿をやっている横島。必死になって自分を助けてくれた横島。一体、どちらの顔を信じればいいのか。
横島の横顔を見詰めたながら、そう思案していると……

「…?」

「!!」

ふとした拍子に、横島と視線がかち合ってしまった。
ずっと観察していたと知られたわけでもないのに、何故か刹那は狼狽してしまう。
目を見開いて硬直してしまった刹那に、とりあえず横島はへらりと笑いかける。
笑顔を向けられ、刹那は咄嗟に顔を伏せた。この気まずさは何なんだ、と思うが、すぐにその答えに辿り着く。
刹那は、昨夜助けられた時や、助太刀してくれた時の礼、そして鞘に収めた夕凪でタコ殴りにしてしまった謝罪を、まだ横島に言っていない。
つい最近まで蔑視していた男が、意外にも強くて優しい面も持ち合わせていると気付いてしまい、そのギャップに戸惑い……
刹那はまだ、横島にどう接していいのか決めかねていたのだ。ようやくそれに気付き、胸のモヤモヤも少しは晴れた。

(し、しかし、今更お礼を言ったり、謝ったりするのも……。
 それに、謝るなら、これまでずっと見くびっていた事に関しても謝らなければいけないし……)

お気楽な横島といえど、そんな事を言われては流石に気を悪くするだろう。
協同して木乃香を守っていく以上、嫌われて連携が取れなくなるのは極めてまずい。
ではとりあえず、お礼だけでも言っておこうかと、そう決めた時……

「……あ、せっちゃん♪」

「!?」

聞き覚えのある声に、刹那は思わず身を硬くした。
絶対に視線を合わせないようにして、そっとお膳を手に取ると、そそくさと席を立つ。
無論、木乃香の事を嫌っているわけではない。しかし、今はまだ食事を一緒に取る勇気は持てなかった。

「せっちゃん、なんで逃げるんーーー!?」

「わ、私は別に……!!」

追いかけて来る木乃香に、刹那は遂に走って逃げ出した。



(ほおぉ〜…。ちゃんと女の子してんじゃん、オデコちゃんてば)

戦闘の際とは打って変わってコミカルな表情を見せる刹那に生暖かい視線を送りながらも、横島は安心していた。
格闘系中華娘・古菲の事もそうだが、やはり年頃の女の子は、それらしく青春してるのが一番だ。
普通ではまだ親元も離れていない歳の少女が、何がしかの使命を帯び、剣を手に執り血を流して戦うなどと……無責任な感想だが、見ていて楽しいものではない。
刹那には刹那なりの事情や想いがあって戦場に身を置いているのは分かるが、それとこれとは別に、横島の勝手に胸が痛む。
そんな重苦しい使命なんて大人に任せて、子供は楽しく明るい青春を送って欲しいのだ。だから、楽しそうな刹那を見ると、横島まで嬉しくなってくる。
……この光景を壊してはいけないな、と、横島は改めて実感した。





足下に転がる黒い粒……鹿の糞をなるべく踏まないように心掛けながら、横島は5班の後ろを歩く。
刹那は居心地悪そうにしているし、木乃香と、名前の知らない前髪の長い子はそわそわと落ち着きないが、皆それぞれに楽しんでいるようだ。
はしゃいだネギが、差し出した手ごとしかせんべいを鹿に食われて一笑い取っているのを横目に捉えながら、横島は周囲に気を配っていた。
昨日の今日でまた襲撃して来る可能性は低いが、それでも気は抜けない。

うまい具合に事情を知らない4人が離れると、横島達は早速密談を始めた。

「今のところ、おサルのお姉さんは来ませんねー」

「おそらく今日のところは大丈夫だと思いますが……念のため、各班に式神を放っておきました。何かあればわかります。
 横島さんも専属でこのかお嬢様の護衛を務めてくれる事ですし、勿論私もお嬢様の事は陰からしっかりお守りしますので……
 せっかくですし、お二人は修学旅行を楽しんでください」

「なんで陰からなの? 隣にいて、おしゃべりしながら守ればいーのに」

明日菜が苦笑気味にそう言うと、刹那はぎくりとして顔を赤くした。

「いっ、いえ、私などがお嬢様と気安くおしゃべりなどするわけには……」

「なんでそこで照れるんだよ、怪しいなー……。オデコちゃん、ひょっとして百合の人なのか?」

「な゛っ……!? ひ、人聞きの悪い事を言わないで下さいっ!!」

「…? あの、アスナさん、百合ってどういう意味なんですか?」

「……子供は知らなくていい事よ。とりあえずアンタには関係ない事だから、安心しなさい」

「か、神楽坂さんまで! いい加減にしないと、怒りますよ!?」

ごめんごめーん、と誠意のカケラもなく横島と明日菜が謝る。
刹那は諦めの溜息をつき、ふと思い出したように口を開いた。

「そういえば横島さん、昨日から気になっていたのですが……その、『オデコちゃん』というのは、ひょっとして私の事ですか?」

「ひょっとしなくてもそうだけど。ナイスなネーミングだろ?」

「最悪です。今すぐ変えて……というか、普通に名前で呼んでください」

「え、名前って……確か、桜咲デコ子とか、そんなんじゃなかっぎょぼあッ!?」

「……」

刹那は無言で、竹刀袋に入れたままの夕凪で、横島の脳天にキレのいい面を入れた。
頭を押さえてしゃがみこみ、プルプル震えてる横島を見下ろし、刹那は思った。やっぱコイツ、ロクな男じゃねぇや。
ふう、と溜息をつき、歩き出そうとしたところで…

「せっちゃん! お団子買ってきたえ、一緒に食べへんっ!?」

「えっ……」

突然、物凄い勢いで木乃香に迫られ、思わずたじろいでしまう。
助けを求めて明日菜の方を見るも、既に早乙女ハルナと綾瀬夕映に捕まっていた。
横島も横島で、いつの間にか復活しているかと思えば、ニヤニヤ笑いながら刹那に生暖かい視線を送っている。とても頼りにできそうにない。
木乃香に誘われたのは嬉しいのだが、素直に応じる勇気はなく、また、大切なお嬢様の誘いを冷たく断れるほど、刹那は感情を制御しきれなかった。
結果、みっともなく狼狽しまくった挙句、うそ臭い言い訳を残して駆け去る事になる。

「す、すいませんお嬢様! 私、急用が……っ!!」

まって〜、と呼び止める木乃香の事が気になったが、今の刹那には、どうする事もできなかった。




「うぅ〜〜〜……。なんも、逃げんでもええやんかぁ……」

無駄になった団子を頬張りながら、木乃香はとぼとぼ歩いていた。
刹那に逃げられただけでも悲しいのに、気がつけば班の皆とはぐれていて、余計に切なくなる。
麻帆良に来てからこっち、何かと刹那に避けられているなと思っていたのだが……昨日の出来事で、嫌われているわけではないと判った。
ならば今日からでも、失われた時間を埋めるべく親交を深めようと決めた初っ端からこれでは、先が思いやられる。
まあ、以前までとは違い、自分が厭われているのではなく、何か理由があって避けられているのだと思えば、まだ気も楽なのだが。
しかし、せっかく修学旅行で同じ班になったのだから、もっと楽しくお喋りしたい。

「なんやしらんけど、アスナとはよぉお喋りしてるみたいやのに……」

アスナずっこいわぁ、と姿の見えない親友に愚痴る。
そう。何故だか知らないが、修学旅行が始まってから、刹那と明日菜、そしてネギ。この3人が急に仲良くなったように見える。
昨夜も、具体的に何をしていたのかは分からないが、その3人で行動していたようだ。(横島は死んでいたので目に入っていない)
どうも、自分を追いかけてくれていたようだから、自分ひとりだけ仲間はずれにされているわけではないだろう。それが唯一の救いだ。
明日菜に昨日の出来事を訊いてみても、あからさまにはぐらかされたり話を逸らされたりして、イマイチ全容が掴めない。
つまらんなー、と溜息混じりに呟くと、ふと、ある疑問に思い至った。

「あれ? みんな、どこ行ったんやろ?」

皆がそれぞれ、どこかに行ってしまったのは分かっている。しかし、それぞれ向かった場所が分からない。
一人で回っていても面白くないだろうし、そもそも、これは班別とはいえ自由行動だ。旅館に帰る以外は、特に集合時間などは決められていない。
そして困った事に、木乃香はネギや添乗員の先導に従い、ついて来ただけで……この奈良公園からの帰り道など、全く頭に入っていなかった。
土地勘もクソもない所で迷子。そう認識したが最後、急速に木乃香の胸に不安が湧き上がる。

「……せ、せっちゃ〜〜ん! アスナ〜〜! ネギ君〜〜!」

不安に駆られ、恥も外聞もなく助けを求めるが、無論、誰も現れる気配はない。
元来た入り口に戻るとか、しおりに記載されている緊急連絡先に電話するとか、やり方は色々あるのだが、混乱する頭では何も考えられない。
半狂乱に陥り、涙さえ浮かびかけたところで……ぽん、と木乃香の肩に手が乗せられた。

「っ!?」

ぎくりとして振り返ると、そこにあったのは………添乗員の、心底から安堵した顔だった。

「や、やっと見つかった……。
 いやぁ、焦ったよ。まさか、速攻でばらけるなんて思ってなかったし」

「あ………す、すみません」

「や、君が謝る事ないんだけどさ。どっちかっつーと、俺と一緒で、おいてかれた組だろ?」

切ないよなー、と苦笑する添乗員。
気がつくと、木乃香の不安は跡形もなく消え去っていた。
あのメンバーの中では一番大人で、添乗員という地理にも詳しい、最も頼りにできる人間だ。
友達とはぐれてしまったのは寂しいが、とりあえず迷子センターに駆け込む事は免れた。それだけでも結構、嬉しい。

「で……とりあえず、どうする? はぐれた皆、探す?」

「ええんですか?」

迷子が出た場合、普通、担任の教師に連絡を入れて、どこかで落ち合うなりするのが普通だろう。
しかし今回に限っては、ネギがいたにもかかわらず、こうして木乃香が迷子になっている。正直、あまり頼りになりそうにない。
折角の自由行動の中、自分だけ旅館に帰されるというのもまっぴらだし、添乗員の申し出は都合が良かった。

「ま、ボウズ……もとい、先生もあんましアテにできないからなあ。
 旅館に戻るのも正味めんどいし。このまま合流できるんなら、それに越した事ないんじゃないの?」

随分アバウトな添乗員もいたものだ、と木乃香は思った。人の事を言えた義理ではないが。
とにかく、一も二もなくこの話に飛びつくと、2人は早速、皆を探して歩き出した。



「ほえぇ〜〜……! 大仏さん、おっきぃなぁ〜」

「全長は、確か……5メートルか6メートルのどっちかだったかな? ガイドブック見たんだけど、あんま憶えてねーや。
 あ、ちなみに、大仏の鼻くそって土産もんも売ってるぞ。しかもお菓子だ。
 まったく、考えた奴の顔を見てみたいね。そして褒めてやりたいね。俺、こーゆー馬鹿っぽいの大好きなんよ」

「へぇ〜。……あれ? なんやろこれ? 柱に穴あいとる」

「さあ、構造欠陥なんじゃないの? いやー、昔っからあったんだねぇ」

「メチャこわやなぁ〜」

「さっさと直せって話だよなぁ。ったく、これだから日本の建築業界は……」

「うわぁ、添乗員さんが、なんや難しい話しとる! インテリさんや!」

「いやー、それほどでも! ……ところで、昔から疑問に思ってたんだけど、インテリって何の略なんだろ? 知ってる?」

「そんなん簡単やで! ズバリ、『インモラルなテリーマン』! これや!」

「な、なるほど! 確かにテリーマンて一見頭よさげに見えるもんな! あくまで一見だけど!
 俺も今までインテリぶってきたけど、さすがに君にゃあ脱帽したよ。君こそが真のインテリだ! 記念に額に『米』と書いてあげよう!」

「そらいらんわぁ」

「そ、そか? じゃあ、『生米』でどないだ?」

「や、それなら『もち米』の方がかわえーなぁ」

大仏殿の中で、きゃいきゃいとはしゃぐ木乃香と添乗員。
当初の、はぐれたメンバーを探すという目的などすっかり忘れ、奈良を思いッきり満喫していたのだった。

京洛奇譚(8) 絆の在り処 投稿者:毒虫 投稿日:08/30-22:52 No.1182



木乃香と奈良の街を散策していると、ネギが熱を出して旅館に運ばれたという連絡が入り、横島達も旅館に戻る事になった。
幸い、集合時間とそう違わなかったので、結局自由時間を充分満喫して、木乃香も不満を抱いている様子はないので、それ自体はいいのだが。
こんな時に熱を出すなんて随分とタイミングの悪い奴だと若干呆れながら戻ってみると、もうネギの熱は収まったという。
なんだってんだ一体、と一言文句を言ってやろうと訪ねてみれば……何やら廊下でゴロゴロと転がり回っているネギを発見したのであった。
熱で脳がやられたのか?とか思いつつ、近くにいた刹那と明日菜に話しかけてみる。ちなみに木乃香は部屋に戻っていた。

「なあ、大丈夫なんか、あのボウズは。熱出したって聞いて戻ってみりゃ、あんな調子だし……」

刹那と明日菜は、お互い顔を見合わせ、苦笑した。

「とりあえず、体壊してるとかじゃないから、心配は要らないと思うけどねー……」

「しかし、別の意味で心配ですね。あまり悩みすぎないといいのですが」

「……なんかあったのか?」

「まあ……あったといえば、あったんだけど」

「こういう問題は、他人が無神経に口にしていいものではないでしょうし……」

「?」

さっぱり要領を得ない話に、首をかしげる。
まあ、木乃香やそれに関する保安上の事では神経質なほどに念を入れている刹那がこの口ぶりなのだから、大層な事ではないのだろうが。
しかしそれにしても、自分一人だけが蚊帳の外に置かれたようで、あまりいい気分はしない。
横島が尚も問いたげな顔をしていると、明日菜が邪魔臭そうに片手を振って、言い捨てる。

「そんなに気になるんだったら、ネギに直接訊いてみれば?
 あたし達これから明日の準備とかあるから、それじゃね」

言うや、ひらりと身を翻す。
刹那もそれに続きかけたが、はたと足を止めると、振り返って頭を下げた。

「今日一日、このかお嬢様のお傍についてくださり、ありがとうございました。
 本来ならば私の役目なのですが、その、なんと言うか、非常にデリケートな事案に関わっていたもので……」

「いいよいいよ。俺も結構楽しんでたし」

そうですか……と呟くと、刹那はじっと横島の顔を見詰める。
鼻毛でも出てたか!?と、戦々恐々とする横島だったが、刹那は少し頬を朱に染めると、またぺこりと頭を下げた。

「それと、あの……先日はお助けいただき、どうもありがとうございました。
 横島さんに助けていただかなかったら、あの時、おそらく私は……。本当に、ありがとうございました!」

「あー、いや、そんな恐縮されても、逆に困るっつーか……。
 ま、前途有望な美少女を助けるのは男の義務だからなあ。それに、5年越しの無駄に壮大な下心とかあったりするかもだし?」

「び、びしょっ……!? な、何をいきなり!!」

さらりと言われた褒め言葉に、刹那は顔を真っ赤に染めて言葉に詰まった。
そのインパクトのせいで、後半に含まれた不穏当な台詞には気付けない。
ツッコミが欲しかった横島、内心は少し気落ちしていたが、男臭く笑うと、あうあう言っている刹那の頭に、ぽんと掌を乗せる。

「ま、そーゆー事だから、そんなに頭下げてもらわなくてもいいよ。
 ……どーしてもお礼がしたいってんなら、4,5年後にでも払ってくれりゃいいさ。体を張って、な」

にひひ、と下卑た笑いを浮かべる。
一瞬ぽかんとする刹那だったが、すぐに意味を理解すると、顔を真っ赤にして俯いた。
先程の赤面とは、その趣が全く異なる。今回のものは、純粋な怒りから来るものだ。
夕凪を握り締める刹那の手が、ぶるぶると震える。

「う、う……!!」

キッと面を上げた刹那のその双眸は、白と黒とが逆転していた。神鳴流剣士のみに見られる、あの凶相である。
その効果は、まだ幼い子供や気の弱い者にトラウマを植えつけたり、ちょっとお漏らしさせたり……などなど。
横島は刹那に睨み据えられ、だらだら脂汗を流しながら、調子に乗りすぎた事を後悔していた。が、もう遅い。

「ウダラ何ニヤついてんがァーーーッ!!」

「――――ッッッ!?」

喉元に亜音速の突きをキメられ、横島は何か面白げな絶叫も発する事なく吹っ飛んだ!
ここまでいくと流石にお約束の範疇を超えていると思うのだが、天辺に血が昇った刹那に躊躇や情けといったものはなかった。
吹っ飛んだ先で後頭部を思いッきりぶつけた事もあり、横島も割と真剣に生死の境をさまよっていたりするのだが……
そんな半死人を顧みる事もなく、刹那は肩を怒らせながらその場を去った。
……結局、横島が意識を取り戻したのはそれから30秒後の事なので、結論から言うと彼女の判断は正しかったりするのだった。





喉をさすりながら、廊下をとぼとぼと歩く。
生真面目っぽいオデコちゃんにそっち方面のジョークはNGだったか、とも思うが、まあ予想外なリアクションを見れたので問題ない。
しかし、流石の横島も、日に何度も三途の川で水遊びするのは勘弁なので、そうそう簡単にはからかえないのが残念だ。
…それにしても、まだ喉が痛む。自分だったからよかったものの、普通の人間だったら死んでいる……

(……って、それじゃあ自ら『普通の人間』じゃないって認めてるみたいだよな)

と一瞬思ってしまうが、それも間違いだ、とかぶりを振る。
実際、横島はもう『普通の人間』どころか、『生物としてのヒト』の範疇からも、半分足を踏み外しているのだ。
先日刹那も目にしたが、横島の身体はもはやヒトのそれではない。かと言って完全に逸脱しているわけでもなかった。
人間と魔族の霊気構造が入り混じった横島の魂に引き摺られるように、何年もの月日をかけて、じっくりと……横島の肉体は、変貌して行った。
それは、あるいはルシオラの遺した一つの愛の形だったのかもしれない。愛する人を護るように、彼の体を、強く、頑丈に造り変える。
そしてその愛は、横島の魂までをも変容させた。人間の要素と魔族の要素が共存するのではなく、その境界を失くして、混じり合う。
愛する人とひとつになりたい。それが、彼女の残滓が望んだ形だった。

横島の中に幽かに残るルシオラの欠片は、純粋すぎる想い、何よりも横島を求める願いで構成されている。
ゆえに、『ひとつになりたい』という願いが彼自身を侵す事になろうとも、歯止めをかけることができないのだ。
かつての彼女らしい横島への思いやりは既になく、ただ彼女が望んでいた結果のみを追い求める。
確かに横島の気持ちを無視するならば、それは究極の悦びだった。魂から、愛する人と完全に混じり合える。永遠に共にいられる。
その欠片に彼女の人格が僅かでも残っていれば、そんな一方的な想いを横島に押し付けはしなかったろう。

横島の中にあるのは、彼女の完全ではない。しかし、それでも彼女である事には変わりがない。ゆえに、横島はその想いを完全には拒めなかった。
自分が人間で在り続けるかどうか。それはまだ決められない。だから、少し待ってもらおうと、逸る彼女の欠片に封印を施した。
二人の融合を永遠に止める手段も存在したが、それは彼女の想いを否定する気がして、受け入れる気にはなれなかった。
結局、今現在、横島忠夫という存在は、人間とも人外とも言い切れぬ、非常に半端なモノとなってしまっているのだった。

しかし、人間であるかどうかなど、横島にとっては、そう深刻な問題ではない。
寿命の関係上、惚れた女と添い遂げられるかどうか、それだけが心配事だ。
その『添い遂げたい女性』が数人いて、しかもそれが種族入り混じっている場合はどうしたらいいもんか……と悩む事もある。
そう考えると、実は結構大変な問題だったりするのかもなあ、とぼんやり考えていると、いつの間にか部屋の前に到着していた。

無造作にドアを開けようとした手が、ふと止まる。気のせいではない。確かに、中に微弱な気配を感じる……。
どうやら侵入者は気配を隠しているつもりのようで、それは男のものであるか女のものであるかも判別つかない。
基本的にビビリ屋の横島だからこそ見抜いた気配であって、尋常の遣い手では気付きもしなかっただろう。
緩んでいた思考を引き締め、離しかけていた手を、またドアノブにかける。空いた手は拳を作っていた。
本来なら、文珠を駆使して中の様子を探ったり、あるいは部屋ごと爆破したいところだが、今この場では霊能を使うべきではなかろう。

(式神除けの結界は張ってあったか? くそ、オデコちゃんに確認するの忘れてたな。迂闊な事に。
 敵も、流石に警察を呼ばれるような真似は避けるだろうから、あまり派手なトラップは仕掛けられてない……と、思う。
 ボウズはあの調子だし、オデコちゃんは木乃香嬢についてる。援軍はない。……覚悟決めるか)

元より、滅多な事で死ぬ体ではない。
霊力だと悟られない程度に全身に薄く霊波を張る。気休め程度にはなるだろう。
そして、拳を一段と強く握り締めると………一気にドアを開いた!
身を屈めた警戒体勢で部屋に足を踏み入れた横島の目に飛び込んで来たのは――

「あ、忠夫はん、帰ってきはったん?」

「……な、何やってんスか、鶴子さん」

横島の目に飛び込んで来たのは、鶴子がすっかりくつろいでお茶をすすっている光景だった。
へなへなと膝から崩れ落ちる。折角ののシリアスモードだったのに、と愚痴をこぼすが、鶴子は『えらいすんまへんなあ』とお上品に笑うのみ。
いつまでも落ち込んでいても仕方がないので、鶴子の対面に座ると、すっとお茶が差し出される。
旅館定番の梅昆布茶をすすりながら、横島は溜息まじりに鶴子に話しかけた。

「勝手に入んないでくださいよ……。てか、確かに鍵かけて出かけたと思ったんですけど」

そういえば、室内に突入する際、鍵を開けた記憶はない。
しかし、確かに出かける際、鍵をかけ、フロントに預けて来た筈だ。現に今、ポケットの中に入っている。
首をひねる横島に、鶴子は悪戯っぽく微笑むと、袖から太目の針金を取り出した。

「神鳴流奥義、開錠閃どすえ♪」

「んなアホな」

脱力気味にツッコミを入れるが、何故か鶴子はキリリと面持ちを直した。

「開錠技術を馬鹿にしたらあきまへん。
 昔、青山の剣士は、悪徳商人や、所業が目に余る武士を成敗する事もあったんどす。
 でも、それは妖怪退治と一緒で、人目に触れてええ仕事やありまへん。闇に紛れて仕打ちする、ゆう形になります。
 そこで、派手な技を使って門を破壊する事なく、密かに錠を開けて侵入する際に用いられた技が……この開錠閃なんどすえ!」

「な、なるほど…!」

「……まあ全部、今適当に考えたことなんどすけど」

「なんじゃそらっ!?」

ちら、と舌を出す鶴子。
その仕草が彼女らしくなく可愛らしいものだったので、横島もそれ以上怒るに怒れない。
はあ……と、横島は疲れたように溜息をついた。

「鶴子さん、なんかキャラ変わってません?」

「そうどすか?
 そうなんやとしたら……きっと、忠夫はんに逢えて、嬉しくて羽目を外してしもてるんどすわ」

「あーはいはい。そりゃ嬉しっスねー」

なげやりにぼやく横島。鶴子は苦笑する。相変わらず、鈍感な男だ。
できる事なら、このままずっと、こうして下らないやりとりを続けていたいが、そういうわけにもいかない。
鶴子は咳払いして、居住まいを正した。

「そろそろ、仕事の話でもしましょか……」

「…そうですね」

横島もそれに倣い、表情を真剣なものに変える。
お茶で喉を潤すと、横島は、この2日間で起こった出来事について、話し始めた……。




横島の報告を聞き終えた鶴子には、思うところがいくつかあった。
呪術協会の者らしい呪符使いの事も気にかかるが、やはり一番注目したのは、謎のゴスロリ神鳴剣士だ。
月詠という名らしいが、鶴子には覚えがない。一口に神鳴流といっても、青山がその全てを把握しているわけではないのだ。
青山の与り知らぬところで亜流の神鳴流が生まれていたとしても、ありえない話ではない。
しかし、神鳴流はあくまで人に仇なす存在を討つための剣。それを名乗る以上、横島達に手を出した事を看過するわけにはいかない。
それに横島の印象だと、月詠という少女は戦いそれ自体を愉しんでいる節があるという。そんな人間が神鳴流の力を揮うのはあまりに危険だ。
青山の名を担う人間として、一人の神鳴剣士として、鶴子は月詠を討たねばならぬ。

「月詠っちゅう子は、うちが斬ります。
 年端もいかん女子や、どないしても気がすすまんけど……仕方ありまへんな」

その口ぶりとは反対に、鶴子の瞳はどこまでも冷たい。
敵と決めた相手には容赦しない。一切の慈悲も与えず、殲滅する。それが神鳴剣士、青山鶴子である。
しかし横島は知っている。それは、鶴子が本当は優しい女性だからであるという事を。
自らの感情を封じ込め、迷いを捨て、ただ御役目を果たす事のみに徹する。そうしなければ、鶴子の心が壊れてしまうからだ。
青山は決して正義の味方であるというわけではない。それゆえ、時には心を鬼にしなければこなせない任務もある。
『仕事』にいちいち私情を挟んでいては、取り返しのつかないミスにも繋がりかねない。鶴子はそこのところをよく理解していた。
感情を押し殺す鶴子を見て、横島も何も思わないでもないのだが、青山の事情においそれと口を挟むわけにはいかなかった。
それでもこの重苦しい雰囲気を払拭したく、月詠の事から話題を逸らす。

「…オデコちゃんもいるし、鶴子さんが付くんじゃ、俺はもう木乃香嬢の護衛はお役御免ですかね。
 それよか、ボウズの事が気にかかる。あの嬢ちゃんをパートナーにするとしても、所詮は付け焼刃のコンビだし…。
 学園長の命に反する形になるけど、やっぱボウズ達には俺が付いた方がいいと思うんですが、どうざんしょ?」

「それはまあ、件の魔法先生とその相方さんの実力次第どすなあ。
 実際に仕合うなりなんなりして、いっぺん確かめてみる必要あるんとちゃいます?」

「それができりゃあいいんですけどね…」

確かに明日は完全自由行動の日程である。試合を行う時間はない事もない。
しかし、いつ敵が襲ってくるか分からない状況で、自ら時間と体力を消費するのも何だか馬鹿げているように思える。
それに、偵察などがあれば、こちらの手の内を我から曝す事になってしまうだろう。
どうしたもんやら、と気を揉む横島に、ああそうや、と何か思いついた様子で鶴子が話しかけた。

「お嬢の護衛は忠夫はんにやってもらう方がええかもしれまへんえ。
 うちと二人きりになれば、あの子、変に緊張しやって動きが硬なるかもしれへんし」

「……? オデコちゃんと知り合いなんですか?」

完全に刹那の事を『オデコちゃん』として認識している横島。
上手く特徴を言い表しているその渾名に、くすっと鶴子は噴き出した。

「刹那には、一時期、うちが剣を教えてた事もありましたからなぁ…。
 あの子、緊張しいやし、青山抜けたちゅう事でうちに思う事もありますやろ。
 うちはあんまり気にしとらんし、久し振りにいっぺん会ってみたいんどすけど……」

ふう、と悩ましげに吐息を漏らす。
青山を離れたとはいえ、刹那には真っ当な志がある。それに従って神鳴の剣を振るうには、鶴子には何の異論もない。
しかし、刹那の方はそうは思っていないだろう。今でも鶴子、というか青山全体に、少なからず引け目を感じている筈だ。
刹那自身が義理を重んじる性格をしているのも相まって、ここで顔を合わせてしまっては、まともに仕事ができるかも怪しい。
ゆえに鶴子は、生徒達が出払っている時間帯にこうして旅館にやって来て、戻って来るまでに横島の部屋に腰を落ち着けたのだ。
横島は、そんな鶴子の複雑な心中を察する事はできたが、今はそんな事を言っている場合ではなかった。

「ま、気持ちは分からない事もないですけどね……。
 けど、主戦力が2つに分かれる以上、ある程度は我慢してもらわなきゃしょうがないですよ。
 ボウズ達の方に回るっつっても、面識もなく、互いの戦闘スタイルも知らないんじゃやりようがないでしょ。
 それに昨日、鶴子さんが来るって事を、それとなくオデコちゃんに匂わせちゃってますし……。
 まあ、本当にオデコちゃんの方が使いもんにならなくなるんなら、今の内から何か考えとくべきでしょうね」

しばらく考える素振りをして、横島はぽんと掌を叩いた。

「鶴子さんには親書の方に付いてもらうかは置いといて、とりあえず今日の内にボウズと顔合わせしときましょっか!
 どーせ自由時間にゃ女の子達に連れ回される事だろし、消灯時間頃にでも、ここに連れて来ますよ」

うんうん、と満足気に頷く。実際、悪くない案に思えた。
鶴子も、頼みますえ、と賛成している。
…ふと時間を確認すると、そろそろ夕食の時間が差し迫っていた。

「そいじゃ、もう時間なんで。……あ、鶴子さん、夕食は…?」

「早いどすけど、もう食べて来ましたえ。気にせんとっておくれやす」

そッスか、と席を立つ。
鶴子を一人部屋に残していくのもどうかと思ったが、夕食の席を外すわけにもいくまい。
後ろ髪を引かれつつ、横島は退室した。




ぽつん、と一人取り残される形になり、鶴子は少し目を伏せた。
横島の傍にいると、改めて実感できる。彼の隣にいるのは楽しい。この上なく楽しい。
闘争に追われる人生の中で、横島だけが唯一、自分が一人の女である事を実感させてくれた。
誰と会うにも、実の妹と会う時さえも、青山最強の剣士、という肩書きが付いて回る。
それを忘れさせてくれるのは、それを全く気にせず接してくれるのは、横島を置いて他にいないのだ。

霧が晴れたような気がした。

今まではずっと、神鳴流の剣士として生きて来た。人生を剣に捧げて来た。
しかし……それには、もう疲れたのだ。7年前、唐突に現れた横島が、自分に剣以外の生き方を教えてくれた。
女としての自分。女としての人生。強烈に惹かれた。7年間考え抜いたが、今ここでようやく決心がついた。

「うちは……」

鶴子はそっと、胸に手を当てた。
今は、この高鳴りを信じたくて。

京洛奇譚(9) 人にあらずは 投稿者:毒虫 投稿日:09/02-22:56 No.1189



そろそろ消灯時間も近付き、生徒達もそれぞれの部屋に戻り、思い思いに修学旅行の夜を楽しみ始める頃。
ネギは横島と連れ立って横島の部屋から出て来て、ふう、とひとつ息を吐いた。つい先程、鶴子との顔合わせを終えたところの出来事である。
文字通りの顔合わせなので、ものの10分もしない内に終わったのだが、それでもネギは緊張していたのだ。
鶴子と対面する前に、横島から散々、青山鶴子という女性がいかに強いかという事を聞いていたのだが、逆にそれがプレッシャーになった。
いざ会ってみると、思っていた以上に優しくおっとりとした女性だったので、内心かなり安堵していたのだった。
ひとしきり胸を撫で下ろすと、ネギは恨みがましく横島を見上げた。

「もう…。あんまり脅かさないで下さいよ、横島さん!」

「や、別にそんなつもりはなかったんだが……。
 実際、最強の魔法使いがサウザンドマスターだとすると、最強の戦士は鶴子さんだろうし。
 大体、700キロ級の白熊を魔法も気のサポートもなしで、しかも素手で殴り殺せるってんだから、もはや人間業じゃないよなぁ」

「ど、どこのオーガですか、それは……」

呆れたようにツッコミを入れるネギであるが、実はこれ、ウソのようなホントの話なのである。
他にも、核をもってしても殺せないとか、彼女一人で一国の軍事力にも匹敵するとか、そんな話をしている内に、2人はネギの部屋へと到着していた。
流石に鶴子と一緒の部屋で一夜を過ごすのも問題があるので、今夜、横島はネギの部屋に泊まる事になったのだ。
別にうちはかまいまへんえ、と鶴子は言っていたのだが、自分の理性ほど信じれらないものはない横島なのだった。
…むしろそれが鶴子の狙いであったりする事は、勿論、当の横島が知る由もなかった。

中へ入ると、先客がいた。刹那と明日菜の2人である。
2人の見回りの報告によると、館内に特に異常はないが、カモが妙な魔方陣を敷いているとの事で。
カモも彼なりに結界でも張っているのでは、という事で落ち着いたのだが、何故か陰謀の匂いを察知する横島だった。

(昨日、なんかそれっぽい事言ってたし……また怪しげなことでもおっぱじめるつもりかよ、カモ公の奴。
 でもまあ、あいつが自らに危険が及ぶような余計な真似するとは思えんし、ここは目ぇつぶっといてやるか。
 ……って、今はそれより、オデコちゃんに鶴子さんの事言っとかないと)

用事も終わり、部屋を後にしようとしていた刹那を呼び止める。

「オデコちゃん、真面目な話があるんだけど、ちょっといいか?」

「……分かりました。神楽坂さんは先に行っていてください」

「あ、うん…」

いつもチャラチャラしている(刹那主観)横島からの思いもよらぬ言葉の中に、刹那は真剣さを感じ取った。
明日菜も場に流れる雰囲気を察したのか、大人しく引き下がる。ネギは刹那から渡された身代わりの紙型に悪戦苦闘していた。
しばらくの間を置いて、横島がいつになく真面目な声音で切り出す。

「まどろっこしいのは苦手だから、単刀直入に言わせてもらうぞ。
 ……今、この旅館に鶴子さんが来てる。そして、君がここにいる事も知ってる」

「!!」

思わず絶句。
最強の助っ人が来る、と先日横島から思わせぶりな台詞を聞いてから、そうなるかもしれないとは思っていた。覚悟も決めていたつもりだった。
が、いざその事実を聞いてしまうと、反射的に身を竦ませてしまっていた。要は、実のところ、覚悟などできてはいなかったのだ。
自分は青山を裏切った。粛清……とまではいかないかもしれないが、それでも何らかの制裁が下される事は容易に想像がつく。
問題は、その任を鶴子が請け負っているかもしれないという事。彼女の実力や、一旦敵と決めた相手に見せる冷酷無比な一面。それも勿論だが…
刹那は一時期、鶴子から剣の指導を受けていた。その身の上を知られた上でも、彼女は親身に接してくれた。
その鶴子を、鶴子の思いやりを裏切ってしまった。怒っているだろう。軽蔑しているだろう。失望しているだろう。
そんな感情を鶴子から向けられるのが恐ろしく、そして、悲しかった。

蒼褪めた顔で俯き、全身を硬直させる刹那を見かね、横島はぽんと刹那の頭に手を置いた。

「大丈夫。そんなに怖がる事ないって。
 確かに、自分に何の相談もしてくれずに飛び出した、って鶴子さんは怒るかもしれないけど……
 けど、それはあくまで家出した妹を叱るようなもんであって、鶴子さんはオデコちゃんの事を『裏切り者』だなんて思ってないから」

「で、ですが、私はっ……」

まだ悲痛な声を上げる刹那を、横島は優しく撫でてやる。

「……オデコちゃんはさ、自分の事を過小評価しすぎなんだよな。
 みんな、君が思ってるほど、君の事を嫌ってない……つーか、むしろ好かれてるよ」

優しく、諭すように語りかける横島だったが、刹那はますます顔を俯かせてしまう。
横島からはもはや見えないが、刹那の顔には罪悪感が一面に張り付いていた。
力なく首を横に振り、横島の手をどかすと、正座にした膝の上で拳をぎゅっと握り締める。

「違う……違うんです……。
 私、皆さんに嘘をついてっ………!」

「自分が人間じゃない……って事か?」

弾かれたように顔を上げたが、刹那は横島から視線を逸らした。
半分部外者のようなものだが、横島はこれでも青山の人間である。刹那の出自を知っていてもおかしくはない。
今、横島からどんな視線が送られて来ているのかが怖くて、まともに見る事もできない。

「別にそんなん、気にするような事でもないだろ」

「ッ!! あなたに、私の何が分かると言うんですッ!! 知ったような口を……ッ!!」

立ち上がり、激昂する刹那。
涙さえ浮かべるその姿に、少し罪悪感を感じながらも、横島は苦笑した。

「おいおいオデコちゃん。君、この前、俺のカラダ見ただろ? アレで分からなかったんか?」

「え……? そ、それでは、まさか……」

言いつつも、刹那の脳裏に横島の肉体が浮かび上がる。
鋼のような、という形容詞が比喩でもなくそのまま丸ごと当てはまる、もはや生物離れした筋肉。
鍛錬の賜物かと思っていたが、確かにあれは、冷静になって思い返すと、とても人間のものには見えなかった。

「そ。アレ見りゃ分かるだろうけど、俺ゃ人間じゃないよ。半分くらいは、な」

「そう、だったのですか……。
 …あ、あのっ! わ、私は烏族との混血なのですが、あなたは…?」

生まれてこの方、完全な人外は見た事があれども、自分と同じような存在を目にするのは初めてだった。
奇妙な嬉しさを感じつつも質問してみる刹那だったが、横島は何やら難しげに考え込んでいる。

「あ、あの……?」

「ん、ああ……いや、ゴメン。
 俺の場合、ハーフとかそういうのじゃなくて……なんて言ったらいいのか…
 まあ要するに、生まれた時は純度100%の人間だったんだけど、まぁいろいろあって、今は混じり合ってるって感じかな。
 オデコちゃんとはちょいと毛色が違うっつーか、俺の方が異色なわけなんだけれども、まあお仲間っちゃあお仲間って事になるのかね?」

「は、はあ……。複雑な事情がおありなのですね……」

首をかしげながらも、何か深い事情があるのだろうと、刹那はこれ以上踏み込むのはやめた。
そのへんの事情を明かすのは、刹那自身、あまり好きではない。横島もそうだろうと思ったのだ。
…結構大事な話が飛び交っていたのだが、その間、ネギは身代わりの紙型に奮闘していて、全く聞いちゃいなかった。

「…ま、今はそんなどうでもいい話は置いといて。
 とにかく、鶴子さんも寂しがってたみたいだし、できれば顔見せてやって欲しいところだな。
 どうせ仕事上、顔合わせなきゃならんかもしれないんだ。今夜じっくり、考えといてくれよ」

「は、はあ……」

突然話を元に戻され、戸惑う刹那。
いつの間にか消灯時間になっていたので、腰を上げたところに、ネギが嬉しそうな声を上げた。
見てみると、その手にネギの名前が書かれた紙型が。ようやく完成したらしい。

「上手に書けましたー!」

えへへ、と笑いながら実際に術を発動させてみると……
紙型が一瞬強い光を放ったかと思うと、次の瞬間、ネギそっくりにその形を変えていた!

「こんにちわ、ネギです〜」

多少マヌケな印象を与えつつも、しっかりと身代わりしているそれに、おおー、と3人は感嘆の声を上げる。
身代わりに命を下すネギや、失敗したところがないか確かめる刹那の脇で、横島は割と真剣に思案していた。

(なかなか精巧な出来だな……。言うなれば、究極の1/1リアルアクションフィギュアみたいなもんか? しかも会話機能付きの。
 となれば、何とかして残りの紙型にあの美人女教師の名前を書かせれば、かなりムフフな事になるんじゃないか!?
 ……男として、つーか人としてかなり道を踏み外してるような気がしないでもないが、意識的に気にしないようにしよう。
 だって俺ってば、かなり前から我慢の限界を迎えちゃってる状態にあるし、もう背に腹は代えられないっつーの!)

男のプライドや、人としての尊厳やなんかをまとめてほっぽり捨て、横島は手をワキワキと蠢かせながら、ネギへと近付く。
窓からパトロールに出かけようとしているのを捕まえ、部屋に引き摺り戻すと、なるたけ優しげな声音で話しかける。
幸い、刹那は既に部屋を後にしている。こうなれば、もう誰に気兼ねする事もない。

「なあボウズ、オデコちゃんから渡された身代わりの紙型の残り……とりあえず、おいちゃんに渡せや。な?
 ありゃあ、ああ見えて実はとっても扱いが難しいもんでな? 半人前が迂闊に持ち歩けるような代物じゃないわけよ。
 悪いようにはせんから……。何ならホラ、この飴ちゃんと交換だ!」

目を血走らせ、パイナップル飴片手に迫る横島だったが……ネギは、申し訳なさそうに首を横に振った。

「す、すいません……。ちょっと失敗しちゃって、全部使いきっちゃいました」

「……サノバビイィィィッチ!!」

飴を握り潰すと、横島はネギの腰を掴み……ハラショーセルゲイッ!!と窓から放り投げた!
幸いというか、横島も流石に分かってやったのだが、ネギは杖を持っていたので、中空で体勢を立て直し、そのままパトロールへ出かける。
はぁ、と溜息をつくと、不貞寝でもするかと振り返り……ネギの身代わりと目が合い、ちょっと後じさる。

(な、なんか気まずい……てか、いやに茫洋としてるとこが何となく怖いな、コレ。
 あんましマジメに働く気なかったんだが、コレと2人っきりにされんのもしんどいし。俺も館内の見回りでもするか……。
 …待てよ。そういやさっきの美人女教師、生徒の見張りとか何とか言ってたよな、確か)

一晩中というわけにもいくまいが、それなりに遅い時間まで、各部屋を見回ったり、廊下で見張りについたりするのだろう。
仕事だから仕方がないとはいえ、楽しい事でない筈だ。人が良さそうなあの女教師も、少々うんざりしてしまうかもしれない。
そんな中、自分が颯爽と現れ、缶コーヒーでも差し入れつつ小粋なトークなど披露なんかしてみれば、相当に好印象を与えられるのではないか!?
そこまで上手くいかなくとも、雑談程度はできるだろう。どちらにしろ、大きく開いている2人の距離を縮めるにはもってこいのプラン。
少なくとも、こうして狭い部屋の中で話も通じないネギの身代わりとまんじりしているより、はるかに建設的だ。
身代わり一人(一体、と言った方が正しいか)残していくのは少し不安だが……まあ大丈夫だろう。多分。
そうと決めると早速、横島は部屋から飛び出した!

(修学旅行の夜ッ! 学生でなくとも、多少は浮かれてるハズッ!!
 それに、今だと鶴子さんも部屋にこもってる! 邪魔はない! だったらイケるぜッ!!)

どこから来るのか分からない自身を胸に、横島は意気揚々と狩りに出かける。

「こんにちは、ぬぎです〜」

「みぎです〜」

「ホギ・スプリングフィールドです〜」

後にした部屋の中が何だか大変な事になっているなど、横島には知る由もなかった。




部屋から出てしばらくは浮かれ気分が続いていたのだが……やがて、横島は旅館全体を包み込む妙な雰囲気に気がついた。
全体的に浮き足立っている感がある割に、まるで館内に肉食獣を放したような……。今にも、角の向こうから獣が飛び出して来るような気配を感じる。
狩猟者の気配は何も一つだけではない。気配は館内に点在し、そのどれもが、ある者は素早く、ある者はゆっくりと、しかし確実に移動している。
ついに敵が徒党を組んで乗り込んで来たのか、とも思ったが、それにしては気配が露骨すぎる。どうしたって素人のものだ。
横島は廊下の真中に立ち止まり、腕を組んだ。

(何が起こったのかは分からんが、服装が浴衣ってのはマズイな。
 けど、一旦部屋に戻って着替えてる間に何かあったらコトだし……ふうむ)

帯を利用したり、動きにくければ浴衣そのものを脱ぐ事もできる。そういう意味では、別に浴衣自体に大した問題があるわけではないのだが…
いかんせん、状況が悪い。女子中学生が大量に寝泊りしている旅館の中を半裸で闊歩するなど……どう贔屓目に見てもド変態だ。
その上、刹那や明日菜あたりに見つかろうものなら、今度こそ死ぬまでしばかれる恐れがある。
かといって、やはり部屋に戻って着替えているなどと悠長な事もできず、もうどうにでもなれ、と浴衣のまま歩き出す。
そして、何気なく角を曲がったところで……ばったり、浴衣の少女達と出くわした!

「うおっ!?」

「「!!」」

本気で気配を探っていなかったとはいえ、2人の気配を察知できなかった。
しかも一人は初見だが、出くわした少女のもう一人は見覚えのある黒い肌、カンフー中華娘の古菲だった。その事に驚く。
仰け反る横島に、反射的に手に持つ枕を構える少女2人だったが、相手が添乗員である事に気付き、胸を撫で下ろして構えを解く。
そろそろ落ち着いて来た横島は、頭をぼりぼり掻きながら2人に話しかけた。

「…何してんの? つーか、もう消灯時間すぎてんだから、大人しく部屋帰って寝た方がいいぞ」

「「……………」」

古菲とその相方の長身の少女は、じっと横島を凝視すると、無言で顔を見合わせる。
そしてじりじりと後ずさると、こそこそと密談を始めた。

(み、見つかてしまたアル……ど、どうするカ!?)

(ん〜〜〜……拙者、やはりここは、口封じというのが定石かと思うのでござるよ)

(それはいい考えアル! では、イー、アル、サンで同時にかかるヨロシ!!)

(いまいち馴染まん掛け声でござるなぁ……)

そうして2人頷き合うと、パッと身を離す。
一気に緊迫し始めた雰囲気に、横島も面持ちを変えた。
どんな事情か知らんが、どうやらこの娘達は闘るつもりらしい。
さりげなく半身に構える横島に、古菲はニヤリと笑いかけた。

「2対1……。しかし、卑怯とは言うまいネ?」

京洛奇譚(10) 対決・功夫娘々+くノ一 投稿者:毒虫 投稿日:09/07-23:01 No.1218


ごくり……と誰かが生唾を飲み込む音が聞こえる、それほどの静寂の中で。
古菲は上体を屈めるような構えを見せ、もう一人の長身の少女…長瀬楓は、その後ろで茫洋と立っている。
眼を爛々と輝かせ、さあ今にも飛び掛らんとする気迫が見て取れる古菲とは違い、楓はあくまで自然体だが…
しかし、横島は敏感に感じ取っていた。傍観するようにただ突っ立っているだけに見える楓から、確かな闘気が漏れている事に。
古菲に関しては横島も心当たりがないでもない。しかし楓の方には、襲われる事をした覚えなど一切ない。というか、初めて見る顔だ。
古菲にしたって、正体が露見したような雰囲気ではないのだが……それならば何故、こうした状況になってしまったのか。
逃げる、という選択肢がないわけではない。しかし、彼女達とは明日からも顔を合わす事になるのだ。今逃げたところで、どうなるというのか。
説得が通用する雰囲気でもなさそうだ。溜息が出る。戦うしかないのか。

「イー……、アル……」

「…?」

何とかならないものかと頭を悩ませる横島の耳朶が、古菲の、まるで独り言のような囁きを捉えた。
唇をほとんど動かせないその喋り方からして、対峙している相手に知られてはマズイ事……さては、合図でも送っているのか。
退却の合図だといいんだが、と横島は切望したが、その願いが天に届く事はなかった。

「サンッッ!!」

それを気合の掛け声とし、まずは古菲が飛び出した!
屈んだような構えから、頭を一切浮かせる事なく、そのまま滑るように踏み込む。
と、同時に―――突き!

「よッ……とぉ!?」

様子見の拳打を難なくかわしてみせる横島だったが、息つく間もなく素早く屈む!
その上を、いつの間にか横島の背後に回っていたらしい楓の、首を刈り取らんばかりのハイキックが通過する。
仕掛けて来る古菲に気を取られ、知らぬ間に背後に回られたらしい。しかし、この狭い廊下で何故気付く事ができなかったのか…。
その答えを考える暇などある筈もなく、矢継ぎ早に攻撃が仕掛けられる。

「ハイィッッ!!!」

古菲の、低位置にある横島の顔を狙った蹴撃を何とか捌くと、横島は屈んだままのサイドステップで壁際にスライドした。
壁を背負うのはあまり好ましい事ではないだろうが、それでも挟撃を受けるよりはマシだ。
と、そう思っていたのだが。横島の目に映るのは、また構え直している古菲のみで、楓の姿は視界のどこにもない。
思わず息を呑む横島。脳天に鋭い殺気を感じ、その場から飛び退いた!と同時に、それまで横島が居た場所に、数枚の手裏剣が突き刺さる!
体勢を立て直しながら頭上を見やると、驚くべき事に、なんと楓が、まるで天井が床であるかのようにしてそこにいた。
こんな芸当ができるのは、忍者か某怪盗の三代目ぐらいしか思いつかない横島だったが、まずつっこむところは他にあった。

「って、手裏剣ッ!? 刺さる! 痛い! 死ぬッ!!」

驚きのあまり何故か片言になっている横島に、楓は天井に張り付いたまま、にこやかに応える。

「大丈夫でござるよ。練習用ゆえ、ちゃんと刃引きしたものでござるから」

「いや、バッチリ床に刺さっちゃってるからッ!」

「…………ニンニン♪」

笑ってごまかすと、楓はシュタっと地に足を下ろした。
どうつっこんでやろうかと息巻く横島に、冷静に忠告する。

「忘れっぽいのでござるな、添乗員殿は…」

「! しまッ…」

慌てて振り返るが、時既に遅し。
振り返ったその先、古菲は既に拳打を放っていた。この間合い、このタイミングでは……避けられない!

「ハアァッッッ!!!」

片足を残した爆発的な踏み込み、そして突き。
一見、何の変哲もないただの突きに見えるが、その実、古菲の拳には恐るべき威力が込められていた。
気・拳の両方をもって打撃を行うのが尋常の中国拳法だが、今古菲が放った拳には、そこに更なる一要素が加えられている。
気、拳、そして地。地の利を活かした重心移動により、その拳には従来より術者の体重が上乗せされる。これを三合拳といった。

古菲必殺の拳が、横島の土手ッ腹に吸い込まれ―――横島の体が、大きく吹っ飛んだ!
早くも決着か、と思われたが、吹き飛ばされた筈の横島は、中空でくるりくるりと見事な宙返りを披露すると……
すとん、と。まるで何事もなかったかのように着地した。古菲の目が大きく見開かれる。

「消力(シャオリー)……ッッ!?」

消力。打撃を受ける際、極限まで脱力し、力の流れに逆らわぬように自ら吹き飛ぶ事で、その威力を殺す高等技術。
こうまで完璧に近い消力の遣い手など、中国全土を隅々まで捜したとて、見つかるかどうかというほどの巧夫だった。
相手に触れたはずの拳には、しかし衝撃の余韻はない。この感触、確かに古菲には覚えがあった。
先日立ち合った、恐ろしいほど腕が立つ謎の清掃員。彼も同レベルの消力の遣い手だった……と回想し、ふと古菲は思い当たった。
この顔、この動き、この技……。よくよく見てみれば、この男は以前立ち合った清掃員に間違いない。

「この拳筋……さてはおヌシ、こないだの清掃員アルなッ!?」

言いながら、差し迫り、突きを繰り出す!
横島は、古菲の拳を受け、空いた方の手を古菲の顔に添えたかと思うと……

「ホイなッ」

「ッ!?」

くるり、と古菲の体が、いとも簡単に中空に投げ出された!
拳を受け様に足を掛けられていたらしい。投げ飛ばされるまで気付きもしなかった。
投げられたのみで追撃はなく、古菲はクルクル回転すると、見事に着地した。目が回るが、ダメージはない。
しかしこの技にもやはり覚えがある。合気。一度喰らったものだ。
楓は2人の間に何か事情があるのを察したのか、今度こそ静観している。古菲はキッと横島を見据えた。
口では何も語らずとも、その眼が詰問していた。応えざるを得ない。誤魔化しも効かぬだろうなと、横島は溜息をついた。

「ああ……その通り、君とは一度立ち会った事がある。あの時の清掃員はこの俺だ」

「やはりそうだたアルか…。ワタシの目をごまかすとは、なかなか見事な変装ネ」

「ふ、まさか見破られるとは思ってなかったぜ」

なかなかやるな、と互いに口許を歪める。
ここに明日菜がいれば見事につっこんでくれるのだろうが…。
しかし2人もツッコミのいないWボケ漫才を続けるつもりはないようで、古菲は楓に何やら後ろ手で合図を送った。

「ホントは、ここであの時の決着をつけたいところアルが……ワタシ達には、崇高な目標があるのネ。
 今、こんな所で足止めを喰らうわけにはいかんアル。2人がかりというのが少し不本意アルが……そうでもしないと、勝てそうにないネ」

言いつつ、本気の表情で構える。
その後ろでは、楓も手裏剣を構えていた。今度こそ本気らしい。
横島は思案する。この2人、中学生にしては異様に強いが、それでも何か余程の事がなければ横島を倒す事などできはしない。
が、2人がかりで攻めて来られては流石に困るのだ。叩きのめす事は可能だが、無傷で降伏させるのが難しくなる。
締め技か何かで落とすとしても、その隙を残った一人が見逃す筈もなく、しかし一撃で戦闘不能に追い込むのも憚られる。
何せ、相手はまだ年若い女の子なのだ。攻撃するのも気が進まないのに、意識を失うまで攻撃を加えるなどとてもできない。
これが仕事であったなら、また話は違ってくるのだが……。

(…待てよ。正面切って戦いたくないんなら……)

ここで、ふと妙案を思いつく。
次の瞬間、横島は反転し、古菲と楓に背を向け走り出した!
突然の遁走に驚く2人だったが、騒ぎを拡大して鬼の新田を始めとする教師陣に感づかれてはマズイ。

「に、逃がさないネ! 追うヨ、楓ッ!」

「あいあい」

我に返ると、すぐさま横島の後を追って走り出す。
そして、角を曲がったところで……突如、糸の切れた人形のように古菲が膝から崩れ落ちた!
反射的にその体を支えてしまう楓だったが、両手が塞がったところで、ようやく己の失態に気付く。が、もう遅い。
周囲を探ろうとする楓は、首筋にひやりと冷たい感触を感じ……そこで、プツリと意識が途切れた。

バチッ、と、少女の首筋に火花が散る。
気合と根性と昔取った杵柄(ノゾキの技術)で、ヤモリの如く張り付いていた天井から舞い降りると、横島は倒れる少女2人の体を支えた。
…しかし、身体に傷が残らないとはいえ、少し手荒な方法を取ってしまったな、と頭を掻く。
横島は、2人の体に直接少量の霊波をぶち込み、2人の意識を刈り取ったのである。
チャクラを乱し、ほんの一瞬、霊的なショックを与えただけなので、数分もすれば意識も戻るだろうが、今はそれで充分事足りる。
完全に意識を失っている2人を廊下の脇に寝かし、横島は憂鬱そうに溜息をついた。

「いつもそうだ。君たちはいつも……つまらぬ勝利をもたらせてくれる」

とあるペテン師を真似て呟くが、セリフに深い意味はない。ただ単に、何となくカッコよさげな事を言ってみたかっただけだ。
俺ってイカス?とか調子にのりつつ、横島はその場から可及的速やかに離脱を開始する。
今この瞬間が誰かの目に留まれば、少女2人を気絶させてよからぬ事をイタす変態に間違われる事になりそうだと、長年の経験が告げていた。




『いつもそうだ。君たちはいつも……つまらぬ勝利をもたらせてくれる』

強い。モニターに映る横島を凝視し、カモは生唾をゴクリと呑み込んだ。
先の吸血鬼騒動の際、横島の実力はある程度把握したつもりだったが……こうして見ると、改めてその力が分かる。
年少とはいえそれなりの遣い手2人を相手に無傷で立ち回り、突然遁走したかと思うと、気配を殺して即座に奇襲に移る…。
横島の体術より、カモはむしろその戦法に注目した。横島の戦い方は、武術家のそれではない。
最小限の犠牲で、自分の目的を最大限に実現させる。これは戦いを道としてではなく、手段としている者の考え方である。
ネギや明日菜、そして古菲にはできない、しない戦い方…。プロフェッショナルのそれだ。
相手が相手だけにふざけている部分が見られるものの、本気になれば、それはもうこずるく、汚く立ち回ってくれるだろう。
ヨコシマンとかいうたわけたコスプレが気になるが、それを除けば、現状でこれ以上頼りになる戦士はいまい。

(まだアマアマな兄貴には、むしろこんぐれぇやってくれる相手の方がいい…。
 アスナの姐さんや剣士の姐さんも欲しいところだが、それは策次第でどうにかなりそうだしな。
 男同士ってのがちょいとアレだが、どうにかならねぇモンか……)

一度は考えた案ではある。しかし横島の性格を鑑み、今の今まで捨て置いていた思いが、先程の戦いを見てくすぶり始めてしまった。
今は朝倉和美とつるんでこの騒動の中継をやっているが、狙うならばその決着がついてからか。
当初はネギと同時に、横島の唇までも争奪戦にかけるつもりであったのだが、和美からダメ出しされてしまい、丁度腐っていたのだ
まあ冷静に考えれば、お世辞にも美形とは言えない添乗員とキスしたがる者など、某吸血鬼とロボ娘を除いてはいないのだろうが。
仮契約の魔方陣自体は、カモが解除するか、維持できなくなるまで効力を保つ。結界の範囲を広げてしまったので、あまり時間は残されていなかった。

(けど……俺っちの話力じゃあ、とても横っちを動かす事はできねぇ。
 知力で出し抜くにしても、結局のところ、運が大きく関わってくるだろうし……はてさて。
 兄貴ぶん殴って気絶させて人呼吸って事にしても、わざわざ横っちがやるまでもなく、立候補者が続出するだろうしな…。
 ……ま、いいさ。今はそれより、このゲームで仮契約者を一人でも多く作るのが先決だぜ。横っちの事は、その後で考えりゃいい)

なるようになるさ、とカモは匙を投げた。
横島が実は切れ者なのかただの馬鹿なのか、心友のカモでさえ判別できないのだ。
策士を自負するカモだが、横島だけはどうにもできそうにない。彼が次にどう動くのか、想像すらできない。
…だからこそ面白いんだがな、とカモは笑みを浮かべた。




先程の戦いは、朝倉和美の情報基地を通して、各部屋のテレビに送られていた。
分割された画面のひとつではあるが、まるでアクション映画のような攻防に、各部屋は大いに盛り上がった。
ネギの影武者の登場、そして思いがけない本格的なバトル。エンターテイメントとしては上々であり、下手なドラマよりよほど面白い。
同室の和泉亜子が目を輝かせてテレビ画面に食い入っているのを尻目に、大河内アキラは人知れず冷や汗を流した。

(あんなにも目立ってしまって……大丈夫なのかな、あの人)

おそらく、撮影されている事など知りもしないのだろう。横島は堂々としたものだ。
しかし、彼の役目はあくまで極秘の筈。それがクラス中の注目を集めてしまう事になれば、流石にマズイのではないか。
そんな風に横島を心配する一方で、自分でも気付かない内に、アキラは複雑な感情を胸に持て余していた。
これまで自分しか知りえなかった横島の存在が公にされ、そして亜子のように、格好いいと賞賛さえ浴びているこの状況。
それが何か、気に入らない。自分しか知らなかったお気に入りの場所を、無遠慮に踏み荒らされたような……そんな気分さえする。
アキラは無意識の内に、浴衣の胸のところをギュッと握り締めていた。




乙女心が炸裂しているアキラの隣で、龍宮真名は密かに感心していた。
一般人最強である古菲と、あの長瀬楓の連携を見事に防ぎ、そしてあろう事か無傷で倒してしまうとは。
刹那の関係者である事から、こちら側の世界の人間であるとは容易に推測できたが、これほどの手練だとは思っていなかった。
無論、古菲はともかく、楓は忍術の一端も見せていなく、本気を出していたとは言い難いが……それは相手も同じ事だろう。
それに何より、専門家の楓に気付かれず背後から攻撃を加えたというところに目を瞠る。
楓に奇襲を仕掛けるなど、刹那はおろか、自分でもできない。それだけでも、あの男の力の一端を測れた。
それはいいのだが、今のこの状況には、少しマズイ点がいくつかあった。それを思うと、少し憂鬱になる。

(身代わりの紙型に、潜入調査員の存在の露見にも繋がる力の行使…。
 マズイな。『こちら側』の情報が漏洩しすぎてる。幸い、今回は朝倉の演出という事でごまかせるだろうが…。
 次に何かあれば、流石にこのクラスでも、疑問を持ち始める人間が出て来るだろう。
 私には直接関係のないことだが、とばっちりを喰らわないとも言い切れない。とにかく、穏便に済んでくれればいいが…)

フォローしきれない問題を起こしてくれるなよ、とモニターをはらはらしながら見守る。
真名にしては珍しく、その感情が面に出ているのだが、今はそれに気付く者はいなかった。



各部屋の少女達を大いに盛り上がらせている原因を担っている内の一人、横島は現在、ある危機に陥っていた。
美人女教師を探して館内を徘徊している途中、『ソレ』とばったり遭遇してしまったのである。
『ソレ』は潤んだ瞳で、頬を染めながら、それでも凛々しく横島を上目遣いに見詰めていた。

「その……お願いがあって……。あの、キスを……」

「………へ?」

大ピンチであった。

京洛奇譚(11) それが漢の☆一大事っ! 投稿者:毒虫 投稿日:09/10-22:54 No.1232


「キス……したくなっちゃった」

ふるふるふるむーん。
ネギの瞳はキラキラととても綺麗な光を放っている。純真だ。本心からそう思っているのだ。
横島は思わずその場にしゃがみ込んで頭を抱えた。ナニ考えてやがんだこのガキは!?
確かに仮契約の相手が問題になっていたが、それは神楽坂明日菜で決定した筈だ。本人も了承してくれた。
それが今、何をトチ狂ったらこの自分にお鉢が回ってくるのか。それも、ネギは恥じらいの表情を浮かべ、満更でもないといった様子。
まさかその歳で薔薇族の一員なのか? 阿部さんなのか? こいつをどう思う?とか訊かれたら、俺はなんて答えればいいんだ!?
とにかく悪寒が背筋を奔り抜ける。瞳に星を浮かばせて迫るネギに、横島はちょっとビビリながらも呆れ果てた声を装った。

「ちょ、おまっ……あ、頭大丈夫か?
 言うまでもないが、俺もお前も男同士で……。言っとくが、俺にそんな趣味はないぞ?」

あくまで拒絶する横島だが、それでもネギは怯まない。
ずずい、と横島に一歩詰め寄ると、情熱的にその目を見詰めた。

「それでも僕は、あなたとキスがしたい。
 まるで歯痛のように……何をしていてもあなたが消えないんです」

「歯痛…って……」

横島はたじろいだ。
何だかんだ言って、ここまで情熱的に口説かれたのは初めてなのである。
無論ときめく筈もないが、こういう場合、一体どういう対応をしていいのか分からない。
後ずさりをする度にネギが詰め寄る。気付けば横島は壁を背負っていた。後がない。大ピンチだ。




分割された画面の内の一つの中で、背景に薔薇が飛び交う光景が繰り広げられている。
一人のヲトメとして見過ごせないこの場面に、声を抑えるのも忘れ、早乙女ハルナは身悶えていた。

「ラ、ラブ臭が! 狂おしいほどのラブ臭がアァンッ!!」

ドン引きしている木乃香の目も恐れず、ゴロゴロと転げ回る。
その弾みで眼鏡のレンズが割れてしまうが、それでもハルナは怯まない。

「な、なんてラブ臭だ! スカウターが壊れやがった!!」

壊れた眼鏡もそのままに、創作意欲が湧いて来たァァァァァッッッ!!!と、どこからともなく紙とペンを持ち出す。
タガが外れたように執筆を始めるハルナを放置し、木乃香はモニターの中のネギにニヤリと笑いかけた。

「ネギ君……色を知る年齢(とし)か!」




「さあ………キスを……」

壁を背にした横島に、ネギは両手を広げてじりじりとにじみ寄る。
横島は背中を冷や汗で濡らしながら、イヤイヤとジェスチャーするも、ネギに止まる気配はない。
貞操の危機である。まさか男の自分がこんな事態に追い込まれるとは夢にも思っていなかった。それも、相手も男なのだ。気が狂いそうだった。
確かにネギは子供で、その上どちらかというと女顔だ。脂ぎった中年とキスするよりは大分マシだが、それでも嫌なものは嫌だ。
何か、何か手はないか……と考えあぐねた末、横島はおもむろに頷いてみせると、そっとネギの肩に手を乗せた。

「……分かった。目をつぶれ、ネギ…」

お耽美な雰囲気を醸しつつ、甘く囁く。ネギも『はい…』と頬を染めて、素直にその言葉に従う。
各部屋では、突然現れた大穴に、そりゃもう大変な騒ぎになっているのであるが、無論そのような事を横島が知る由もない。
そしてハルナが鼻血の出しすぎで失血死しかけている事も、当然ながら横島が知ったこっちゃなかった。

「…………ネギ…」

「あ……」

そして、2人の距離は狭まり、あと少しで唇が接触する……と、思われたところで、

「シャイッ!!」

「〜〜〜ッッ!!?」

横島渾身のヘッドバットが炸裂した!
その衝撃に、声もなく吹っ飛ばされるネギ。
まさかの展開に各部屋のモニターの前の乙女達が呆然となるが、横島は彼女らの落胆をあざ笑うかのように拳を天に突き上げた。

「ダーーーーーーーーーッッッ!!!」

3カウントも待たずに勝利宣言。どこからかゴング鐘の音が鳴り響く。
妙に虚ろな目で倒れ伏すネギを一瞥すると、横島は身を翻した。勝利はいつだってむなしい。
精神衛生上、倒れるネギを極力視界に入れないようにしながら、横島は何故このような惨事が起こってしまったのか、その優秀とは言えない頭脳を働かせる。
子供ながらに異性の集まりに放り込まれ、色々と振り回され弄くり回され、極度にストレスが溜まっていたのだろう。
そしてそのストレスは解消される事なく、少年の胸の内にはいつしか女性に対する苦手意識が生まれ、やがてそれが恐怖心に変わり……
女性恐怖症によるストレスまでかかり、それが今、この場で爆発してしまった。そしてトチ狂って、アッチの世界の住人になってしまった、と。
これは1から10まで横島の推測でしかないのだが、横島自身はこれこそが事の真相であると決め付けた。
本来、世の男性諸氏から羨ましがられるポジション、女子校の教師という立場にありながら、何とも不憫で不器用な奴だ。
お前の生き様は俺が看取った、安らかに眠れ……と黙祷を捧げると、横島は思考からネギの事をすっぱり切り落とした。早く忘れたかった。
それにしても喉が渇いた、ロビーで一服しよう。首をコキコキ鳴らし、あー疲れた、とぼやきながら歩を進める横島の耳に……もそり、と背後で何かが蠢く音が入る。
冷や汗を一筋頬に流しながら、恐る恐る振り返ってみると……そこに、ゾンビがいた。

「キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……キスを……」

「キャーーーーーーーーーーッッ!!?」

ヘッドバットの衝撃で折れてしまったのか、首をぶらぶらさせながら、ネギは執拗に横島を追う。
もはや恥も外聞もなく、みっともなく駆けずり回って逃げる横島だったが、ネギが案外すばしっこく、なかなか撒く事ができない。
必死こいて逃げ回りながら、横島は今まで自分が行って来たナンパまがいのセクハラについて、深く深く反省していた。
今でこそ高校時分のような無茶なナンパはしていないが、まさか男に追いかけ回される事がこんなにも恐ろしいとは思わなかった。
もし生きて帰れたのなら、鶴子さんを筆頭とする青山の女性陣に謝っておかねばなるまい。

と、そうこうしている内に、いつの間にかロビーに辿り着いていた。何か騒がしいな、と注視してみれば……何と、ネギが3人もいるではないか!
それを追っているらしい生徒達も入り混じり、何だか大変な騒ぎになっているようだ。
事ここに至ってようやく真相に気付くと、横島はくるりと反転した。ネギゾンビが迫るが、もう恐れる事はない。

「散々ビビらせてくれやがって……。覚悟しやがれッ」

言うと、横島は槍投げの溜めのような体勢を取り……迫るネギ(偽)に、思い切りその拳を叩きつけた!

「ダッシャッ!!」

決まった!ナックルアローーーッ!!と和美の実況が冴え渡る。完全に主旨から逸脱しているが、盛り上がればそれでいいらしい。
殴られたネギ(偽)はというと、その衝撃で1回転、2回転すると、備えつけのソファに激突し、爆発して消えた。
ダーーーッッ!!勝ち名乗りを上げる横島をよそに、生徒達は逃げ出した他のネギ(?)達を追って、あっと言う間にロビーから姿を消した。
残ったのは宮崎のどかと綾瀬夕映のみで、特に夕映からの冷たい視線が身に染みて、横島はそうっと突き上げた拳を下ろす。
物凄く気まずい沈黙に包まれるロビー。誰も何も言い出せない中、沈黙を破るように、玄関の自動ドアが開いた。

「あっ、ネギ先生……!」

「おお、やっと帰って来やがったか…」

ようやくの真打登場。
場の空気も読まず、ったくこいつはよー、と無造作に場に割って入る横島を、夕映は鬼の形相で止める。
…が、それがいけなかった。手を引かれ、何だ?と後ろを振り返った横島の目に、鬼気迫った夕映の顔が飛び込み…
思わずビビってしまった横島は足を滑らせてしまった。そしてタイミングの悪い事に、その先にいるのは……ネギ。

「「あ」」

先程の悪夢(ネギゾンビ)が脳をよぎり、反射的に身を硬直させてしまう横島。
状況がよく把握できず、倒れくる横島をぼんやりと眺めるネギ。
己の犯した失敗に愕然とするしかない夕映。
ネギに話しかけるタイミングを失ってしまい、未だにオロオロしているのどか。
まさかに次ぐまさかの展開に、胸躍らせつつ事態を生暖かく見守る視聴者達。
そんな中、いやにゆっくりと倒れる横島とネギの唇が――重なった!

ズギュゥゥゥゥン!!

やたらと濃ゆい効果音。
そして、ザ・ワールド。その時、確かに世界は静止した。
しかし、そんな沈黙がいつまでも続くわけもなく――そして時は動き出す。

「……んのぉぉぉぉぉぉぉっっ!!?
 お、男とッ! ガキとはいえ男とッ! 男の唇が! むにゅっと! むにゅっとぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!?」

血の涙を流し、頭を抱え、ゴロゴロと床を転げ回る横島。
初めての相手は明日菜ではない!この横島だーーーーッ!!とふざける余裕すらなかった。

「ぼ……僕、キス、しちゃったんだ……。よ、横島さんと……」

そして、何故か頬を赤らめるネギ。

「そ、そんなバカな……! ゆ、夢です。これはきっと夢なのです……」

打ちひしがれたように地に崩れる夕映。

「……………………」

立ったまま気絶しているのどか。

「うっわ〜………」

マジなの!?と柱の陰から顔を出し、口に手を当ててまじまじと2人を眺める明日菜。

「な、な、なあぁ!? き、きす、接吻ッ!? しかも衆道ッ!?」

明日菜の隣で、よほど耐性がないのか、顔を真っ赤にしてあわあわしている刹那。

「我が生涯に一片の悔い無しッッッ!!!」

謎のオーラの柱を天までそびえ立たせ、完膚なきまでに萌え尽きたハルナ。

「ネギ君、添乗員さん……ラブラブやなー♪」

何か間違った感想を漏らす木乃香。

「て、添乗員さんの勝ちだーーっ!?」

「だ、誰か賭けた奴いるの!?」

「い、いるわけないじゃんっ!」

宙に舞う食券食券食券。

『ウオシャァーーーッ!! 天は俺っちに味方した! 横島忠夫・パクティオーカード、ゲットだぜぇーッ!!』

狂喜乱舞するカモ。

「ん〜〜〜……。なんかインチキくさい結果に終わっちゃったけど、私のせいじゃないし、まあいいよね?」

後でリンチとか喰らわないかな、と少し不安になる和美。

「! 巨星堕つ、どすか……」

消えゆく流星に、横島の(ある種男としての)最期を視た鶴子。

大混乱の中、『ラブラブキッス大作戦』は、添乗員の優勝という意外すぎる形で幕を閉じた。
この後、復活した新田教諭が暴走を続ける横島を諭そうとして逆に八つ当たりのパンチを喰らったりしたのは、また別の話である。

京洛奇譚(12) 手に入れた力 投稿者:毒虫 投稿日:09/13-23:19 No.1251



『ラブラブキッス大作戦』にて見事カモの本願が成就した、その明くる日。
朝食が終わった後から完全自由時間となるのだが、横島達はネギの部屋に集合していた。
昨夜、ネギと横島の間で結ばれた仮契約についての説明会だ。本来なら鶴子も出席してしかるべきであるが、刹那の心情を考えて欠席となった。
先程からカモが延々と仮契約(パクティオー)カードについて講釈を垂れているのだが……
肝心の横島は、部屋の隅に向かって体育座りし、虚ろな目をして何やらぶつぶつと呟いているばかり。かなり精神を病んでいるようだった。

「キス……男とキス……男と……相手はガキでセーフかと思ったら、よく考えてみりゃショタコン……
 ショタコン……俺がショタ……もはや、俺はロリコンじゃねぇーとか言ってる場合じゃない……想定の範囲外……
 しかも、なんか金髪の子に正式にライバル認定された……ヤツもショタ……強敵と書いてともと読む……嬉しくねぇー……
 そんでその後、眼鏡の子に漫画見せられた……なんか、俺とボウズがマッパでイチャイチャしてた……有害図書だった……飛びてェ……
 ホモでショタ……2重苦……復帰は絶望的……社会不適合者……ブタ箱まっしぐら……お先真っ暗……う、うぅぅぅぅぅ……」

ついには、さめざめと泣き始める。
皆はそれぞれ気まずげに顔を見合わせるものの、かける言葉が見つからない。
特に事態の張本人であるカモと和美は、ちょっと調子に乗りすぎたかな……と冷や汗を流している。
放っておけば自殺まで考えかねないほどの負のオーラを背負う横島。このままだと、とても仕事にならないだろう。
そう判断して、刹那はそっと横島に歩み寄り、肩を叩いた。

「あ、あの……げ、元気出してください」

「ああ〜ん? ホモでショタ確定な性犯罪者予備軍のボクに何か用ですかー?
 ああ、あんまり近寄ると妊娠したりヘンな病気がうつったりするだろうから注意してくださいねー」

完全にいじけている。
死んだ魚の如く濁った瞳を向けられ、刹那は狼狽した。まさかここまでヘコんでいるとは。
何か言わなければ、何かフォローを、と焦るあまり、刹那は何も考えないまま、勢い任せに口を開いた。

「だ、大丈夫です! あなたは同性愛者などではありません!
 だ、だってほら、この間、私の裸に欲情していたじゃないですかっ!!」

浴場で欲情、なんちゃって!と、刹那らしくなく寒いギャグをかますが、返って来たのは全員分の沈黙。
地滑りどころか土石流並みの勢いでだだスベり、刹那はぶわっと冷や汗を流す。関西出身の人間として、これほどイタい事はない。
しかし、皆の沈黙の理由は、どうやら刹那の放ったギャグのせいではないようで……

「は、裸って、アンタたち……い、いつの間にそんな関係に……!?」

「よ、横島さん! 僕の生徒に手を出すなんて……ヒドイですよ!!」

『さすが横っち、手がはえーぜ! 俺っちも見習いてぇもんだなッ!』

「ス、スクープだわ! 剣道少女と修学旅行先の添乗員のひとときのアバンチュール!
 京の山に燃え上がる恋の大文字焼き(意味不明)! 露天風呂での深夜の逢瀬! 売れる! これは売れるわっ!!」

「お、俺はショタじゃないけど、ロリでもねぇーーーーーーっっ!!!」

「えっ!? あっ、いやっ! そ、そんな意味で言ったのでは! ご、誤解です! 誤報ですぅぅぅっ!!」

大混乱。大喧騒。朝もはよから元気な連中である。
…しばらくして騒ぎが収まると、流石に横島も落ち着いたようで、今では昨日の事も、野良犬に噛まれたものとして諦めがついた。
野良犬扱いされて内心不満なネギだったが、またいじけモードに入られてはたまらないので、渋々口をつぐんでいる。
余計な時間を食ってしまった、と残り時間を気にしつつ、カモは足早に仮契約カードについての説明を終わらせた。

「あ〜……つまり、仮契約を交わす事で、魔力が供給されたり、念話が可能になったり、なんか便利グッズが出せるようになるんだな?」

『ま、大まかに言うとそんなトコだ。手許にカードがなけりゃダメだけどな』

ふうん、と頷きつつ、横島は渡されたカードを観察する。
何語かよく判らない文字が刻まれていて、真中に人物が描かれているのだが……何故かシルエットになっていて、何の事だか分からなかった。
スカカードでさえ何らかのコスプレのような装いをしているという話なのに、自分だけ顔さえ判別できないただの影。納得がいかない。
むう……と横島は眉をしかめる。カモもここで初めてカードの内容を目にし、困惑の表情を作った。

『な、何だこりゃあ? 横っちのシルエット、なのか…?
 こんなもん初めて見たぜ。つーか、アーティファクトもなんも分からねぇな。
 字は普通に読めるんだが……称号は、と。なになに、『誰かのヒーロー』……? なんだこりゃ?』

誰かのヒーロー。何とも曖昧で思わせぶりな称号だ。
内心、カモは『地上最強の助平』あたりではないかと思っていたのだが……予想が外れて逆に安心である。

「『誰かのヒーロー』……。何か意味深な感じですね。横島さん、何か心当たりでも?」

「ん? ん〜……さあ、どうなんだろね?」

興味深げに訊ねてくる刹那を曖昧にはぐらかすと、横島はぽりぽりと頬を掻いた。
ヒーロー。自分には全く似つかわしくない称号だと心底思う。『誰かの』と前置が付いている分まだマシだが、正直、照れくさい。
後先顧みず熱血した経験など、横島にそうそうあるわけでもなく……心当たりがあるとすれば、今はもう思い出になったあの事件ぐらいだ。
あの時は実力差など全く考えもせず、ただヤりたい一心で魔神に喧嘩を売ってしまったが、それも一般的なヒーロー像とは程遠いように思う。
まあ、『誰か』のために命を懸けて戦ったのは確かなのだが。

ネギなどは、ヒーローという単語に気を取られ、横島さん凄いですっ!と、何やら尊敬の目で見詰めてくるが、その期待には応えられそうにない。
今の横島は、自分が一番大切なのだ。正確には、自分の命が。彼女の未来を孕むこの命を、何としてでも守っていかなければならない。
死にたくなければ戦わなければいいのだが、戸籍もクソもないこの世界では、横島は戦う事でしか飯を食えない。
生きるために他者の命を奪い続ける。これがどうしてヒーローと形容できようか。
自嘲めいて口を歪める横島に何かを感じ取ったのか、カモは殊更明るい声を出した。

『…ま、物は試しだ! 横っち、実際にカードを手にとって、アーティファクトを呼び出してみようぜ!』

「あ、おお。やってみるか!」

頷くと、ネギから複製カードを受け取る。
教えられた呪文はごく簡単だった。これならいかに横島でも間違えようがない。

「アデアット!」

唱えた瞬間、横島の腰のあたりがパァッと光った。
光が収まってみれば……服の上から、腰に何やらメカメカしいベルトが巻かれている。
何となく懐かしげなデザインだなあと思いながら、横島はベルトを撫でてみた。ゴツい。

「『誰かのヒーロー』にこのベルト、ねえ。つーことは、やっぱアレだよな?」

「変身ベルト、でしょうね……」

戸惑いがちに首をかしげながら、刹那。
変身ベルト。二昔前の昆虫系変身ヒーローには決して欠かせないアイテムだ。直撃世代でないとはいえ、刹那もそれぐらいの知識はある。
しかし……何故に仮契約のアーティファクトにそんな代物が。横島忠夫とヒーロー。点と線が全く繋がらない。
一方、横島とヒーローと聞いてピンと来るメンバー、ネギは期待に表情を輝かせ、明日菜は疲れたように頭に手をやった。
思い出すのも嫌だが、ヒーローと言えば対エヴァンジェリン戦の際に見せた変質者丸出しのアレなのだろう。まさかここに来て再臨とは…。
己の視力の良さと、こういう余計なものに限って発揮される記憶力を呪う明日菜を差し置き、元来露出癖のある横島は内心ワクワクしていた。
俺の体は美しい!とか、そういう歪んだナルティシズムは持ち合わせていないが、人前に肌を晒すのには、何かこう名状しがたい快感を覚えるのだ。
そのまま人通りの多い往来に飛び出し、力の限り『フリーダーム!!』と咆哮したくなってくるような。
善(?)は急げとばかりに、横島はノリノリでそれっぽいポーズをキメた!

「変ッ身ッ! とおーーうッ!!」

丁寧にジャンプまでしてみせるが……外見に全く変化なし。何やってんだこの馬鹿は。凍てついた空気が流れる。
頬に冷や汗を伝わせ、横島はあれれと小首をかしげた。全く可愛くない。視線の温度が更に下がった。
特に刹那の眼光からは殺意すら感じられる。お嬢様の護衛という重要極まりない任務なのに、何をふざけているのか。そう言いたげな。
流石にいたたまれなくなったのか、宙を見据えて自分にしか見えない妖精さんと語り始めた横島に、カモは忠告した。

『横っち横っち、何か説明書っぽいのも一緒に出てきやがったから、まずこっちを最初に見ようぜ』

「お、おお、そんな便利なもんがあったのか! ったく、先に言ってくれよぅ」

ばいばーい、と妖精さんに手を振ると、横島はカモから説明書を受け取った。中を確認する。
まず、『ぼくがかんがえたへんしんひーろーべると』と人とおちょくったようなフォントで書かれている題名はすっ飛ばす。
使用方法の欄だけを見てみると、やはりと言うべきか、微妙に細かい制限がかかっていた。

ひとつ、変身は隠れて行うべし。(誰かに見られていたとしても、本人がそうと気付かなければセーフ)
ふたつ、変身はそれっぽいポーズを決め、恥も外聞も捨て、それっぽいフレーズを力の限り叫ぶべし。
みっつ、友情パワーは無限大。煩悩パワーも無限大。
よっつ、武士道はシグルイなり。

――と、これくらいか。あとは『保管する際は直射日光が差し込まないところに…』とか、『お子様の手の届かないところに…』とかそんなんだ。
男の魂をくすぐるアイテムだが、何とも使用を持て余す代物に、横島は複雑そうな表情を浮かべた。

「ううむ……。 やっぱ、そう簡単にゃあヒーローは名乗れないって事か?」

『まあ、使用制限があるってこたァ、その分強力なアイテムなのかもしれねぇやな。
 本来なら、その性能を確かめときたいトコなんだが……時間的にそう悠長もしてられねぇか』

今は各班自由行動出発前の時間を割いているだけだ。あまり暇はない。
『アベアット』と唱え変身ベルトを仕舞ってから、横島は気を取り直すように口を開いた。

「ま、不本意ながらボウズのパートナーになっちまったって事は、俺は親書の方に回る事になるな。
 んで、オデコちゃんはやりづらいかもしれんが……鶴子さんと組んでもらう。仕事だからな、我慢してくれよ」

「……了解しました」

苦渋に満ちた表情だが、刹那はしっかりと頷いてみせた。
同じ神鳴剣士という事で、互いの手の内は分かっている事だろうし、連携も取りやすい筈だ。
横島というオールラウンダーが護衛から外れたのは刹那にしてみれば痛いのだが、経験の足りないネギにはむしろ丁度いいのかもしれない。
理屈は理解している。この組み合わせが、最も双方のためになるものであると納得できるからこそ、刹那は頷く事ができた。
しかしまだ振り切れていない様子の刹那に、横島は苦笑して軽く頭に手を乗せた。

「そんなに気張らんでもいーよ。鶴子さん、木乃香嬢と面識ないそうだから、べったりくっついて護衛する事はないだろうし。
 多分、気配を消して、人ごみに紛れた形で周囲を警戒するんだと思う。何にせよ、直接顔を合わす機会はそうないだろ。
 …何度も言うけど、そもそもあの人、別に怒ってるわけじゃないしな。もっと気楽に構えて大丈夫だって」

「で、ですが……」

「とにかく、木乃香嬢が出発したら、鶴子さんも鶴子さんで独自に動き出すから、挨拶とかはいいってさ。
 でも、流石に襲撃されたりした際には、きちんと連携取るんだぞ」

「それは……言われずとも承知していますが…」

ならいいんだ、と満足気に頷くと、横島は刹那の頭から手をどけた。
事の成り行きを見守っていた面々を見渡すと、少し真剣な顔を作る。

「じゃ、あんまり待たせて勝手に出て行かれても困るし、そろそろ準備しようか。
 しっかし、ムカつく事にボウズは引っ張りだこみたいだから、一緒にいて目立つのも困るな……。どっか適当な場所で落ち合うか」

はいっ、と元気良く頷くネギ。パートナーができて浮ついているのか。
横島は、思わず殺意の波動に目覚めそうになったが、寸でのところで思いとどまった。

これから各自私服に着替えて出発、という流れになるのだが……
解散ムード漂う中、明日菜は憤然と立ち上がった。

「ちょっと待ちなさいよ!!」

皆が皆、ポカーンと一人憤る明日菜を見上げる。
どうしたんだコイツ、と若干引き気味になるが、明日菜の昂奮は冷めやらない。

「なんか意外な展開になってうっかり忘れちゃってたけど、ネギ! アンタ、あたしとの契約はどうなったのよ!?」

「「「「あ……」」」」

そうだった。皆、すっかり忘れていたが、そもそも、ネギと仮契約を結ぶ相手は明日菜の筈であった。
それが、カモが欲を出して和美とつるみ、妙な計画を打ち出したあたりから、いつの間にか蚊帳の外に置かれていたのだ。
折角、親友のために戦う覚悟を決めたのに、それを忘れられていたのでは、こうして激憤するのも無理はない。
自分のせいではなかろうが、申し訳なさそうにしているネギ。カモは気まずそうに頭を下げた。

『いやあ……なんか色んな事がありすぎて、うっかり忘れちまってたぜ。悪かったな、姐さん』

「それはいいから、ホラ! さっさと契約結ぶわよ! 時間ないんでしょ!?」

早く準備しなさいよ!と急かす明日菜だが……カモはそれに応えず、冷や汗を頬に流すと、明後日の方向に視線を向けた。

『あ〜……そ、それなんだけどな、姐さん。
 実ァ、その……昨日、ちょいと調子に乗りすぎちまって、あんなデケェ魔方陣描いちまったろ?
 アレのせいで、もう魔力残ってねえんだわ、これが……。いや、マジですまねぇ。勘弁してく…ふぎょお!?』

「こ、こンのクソオコジョがぁ〜〜……!!」

まるで雑巾を絞るように、明日菜はカモをひねり上げる。
な、中身が!中身がーッ!?と悲痛な声が上がるが、明日菜に容赦の色は一切見当たらない。
カモの口から、エクトプラズムと共に出てはいけない何かが顔を出し始めたところで、ようやく明日菜はカモを解放した。
床に打ち捨てられたカモは、白目を剥いて時折ビクンビクンと痙攣している。が、見慣れた光景なのか、特に心配する者はいなかった。
特に横島など、ざまあみろと言わんばかりに暗い笑みを浮かべている。実は相当根に持っていたようだ。
絶賛放置プレイ中のカモは捨て置いて、話は進む。

「まあ……そういうわけだから、木乃香嬢に何かあっても、嬢ちゃんは自重してくれよ。
 友達が危険な目に遭うのを見過ごせないって気持ちは解るが、俺達の仕事を増やすような事になりゃ、本末転倒なんだからな?」

「け、けど…っ!」

「すいません、神楽坂さん……。
 正直なところ、何かあっても、私はお嬢様をお守りするのに手一杯で、あなたの事まで手が回りそうにないのです。
 というより、その、むしろ……」

言いにくそうにしている刹那を目にし、明日菜は肩を落とした。
言葉にされなくとも、刹那が何を言いたいのかぐらい察せる。要は、足手纏いだから勝手にしゃしゃり出てくるな、という事だろう。
親友を守ると大口叩いておきながら、実際は、守るどころか守られる立場にある。それの何と不甲斐なく、口惜しい事か。
仮契約を結べなかったのは、直接明日菜の責任ではないのだが……しかし実際、刹那はそんなものをせずとも戦っている。
頭では分かっている。それは、彼女が幼い頃から、木乃香を守りたい一心で、恐らく自分などには想像も浮かないような厳しい鍛錬に励んで来たからだ、と。
腕力にはそれなりの自信があるものの、まともに実戦経験もない人間など何の役にも立たない事ぐらい、誰に言われなくとも分かっている。
そしてスカとはいえネギと仮契約を結んでいても、命の奪い合いに発展するかもしれない戦いに身を投じるにはあまりにも力が足りない事も。
しかし。しかし、納得できない。事情を知りつつも、親友のために何もできない自分がいる。その事実が何より腹立たしい。
俯いて拳を握り締める明日菜を、ネギが心配そうに覗き込んでいる。今はそれに応える事もできそうになかった。
…場の重い空気を払拭せんと、言葉を選びながら、おずおずと横島は口を開いた。

「なんつーか、その……そんなに気を落とすことない、と思うぞ?
 そりゃあ、実際に矢面に立って戦うってのが一番、何かを守ってるって実感できるかもしれないけど、何もそれだけが全てじゃないだろ。
 上手く言えないけどさ、もっと別なところから支える事もできるんじゃないか? 
 守るために戦うって言ったら聞こえはいいかもしれんが、戦いってのはすなわち、相手を打ち倒す事なんだ。
 誰かを傷つける事でしか何かを守れないってのも、悲しい事だと思うけどな、俺は」

「…………」

「横島さん…………」

肝心の明日菜の気分が晴れる事はなかったようだが、刹那とネギは、横島の言葉に何か感銘を受けたようだった。
戦う事と守る事。特に刹那は感じ入るものがあったのだろう、横島を複雑な感情が混じった瞳で見詰めている。
らしくない事を言ってしまったと自覚したらしく、あ゛〜…、と気まずげに呻くと、横島は乱暴に頭をがりがり掻いた。

「まあ、戦う事しかしてない俺が言っても、説得力なんてないわけだけども……。
 それに、もう手は足りてるんだから、嬢ちゃんが無闇に危ない目に遭う事もないだろ。
 それでも気になるってんなら……そうだな、木乃香嬢を目一杯楽しませてくりゃいいさ」

「楽しませる……?」

胡乱げな視線を向ける明日菜に、横島は大きく頷いた。
実は何の根拠もない思いつき発言だったのだが、何とかこれで押し通さんと、高速に脳内で理論を組み立てる。
こういう言い訳技術は、昔と比べて無駄に進歩している横島なのだった。

「ああ。どんなにこっちが気張ったって、木乃香嬢がこれっぽっちも巻き込まれないで襲撃をやり過ごすなんて難しいだろうからな。
 でも、一生の内に何度もない修学旅行なんだ、嫌な思い出だけを持ち帰らせるなんて事はしたくないだろ?
 だったら、嬢ちゃんが木乃香嬢を思いっきり楽しませて、この修学旅行に少しでも多く、いい思い出を残して欲しい。
 ボウズならまた話は別だが、俺やオデコちゃんにはそんな真似、できそうもないからな…。まあそんなわけで、頼めるか?」

「……………」

黙考する明日菜。
横島の言いたい事は解る。直接前線には出ず、陰ながら木乃香を支えてやって欲しいという事だろう。
戦いばかりが手段ではない。こうした日常の中でも、見えにくい形で誰かを支える事ができる。それは素晴らしい事だと思う。が…
そんな事、明日菜にとっては言わずもがなだ。木乃香は親友。普段から支え、支えられ、互いに助け合っている。
横島に言われるまでもなく、明日菜は木乃香に付き合うだろう。従う事しかしようとしない刹那にはできない事だ。
…それに気付き、少し納得してしまった。このメンバーの中で木乃香と真に対等なのは、やはり自分だけなのだと。
ネギはこう見えても教師で異性。木乃香はそれを忘れかけているような気がしないでもないが、やはりどこかに壁があろう。
刹那に関しては、その立場上対等とは言い切れない上に、互いを思い合っているのに妙にギクシャクしてしまっている。
横島は……まあ、言うまでもないだろう。あまり親しいようならむしろ問題がある。
そして増援だというもう一人については、明日菜は何も知らないが、それは木乃香とて同じ事だろう。
このメンバーの中で、木乃香と最も距離が近いのは明日菜なのだ。そんな明日菜がピリピリしているようでは、木乃香も観光を楽しめまい。
横島の言葉を完全に承服する事は未だ納得がいかないが、それでも明日菜は頷いた。

「……わかったわよ。あんまり駄々こねてる時間もなさそうだし…。
 でも、言っとくけど、このかが目の前で襲われても大人しくしてろってのは無理だからね!」

「そこは大人しくしてて欲しいところだけど……ま、流石にそりゃ酷な話か」

明日菜はその道のプロでもなければ大人でもない。言っても無駄だろうと苦笑する。
息巻く明日菜とは対照的に、何だか複雑そうにしている刹那を見やり、青春だねぇ、と呟きながら、横島はパンと手を叩いた。

「ほんじゃ、話もまとまったところで、そろそろ準備に入ろうか! 急げよ、ちょいと時間もヤバめだからな!」

各々返事を返し、それぞれの部屋に散らばっていく。
横島も、落ち合う場所を決めると、すぐにネギの部屋を出て、その足で自室へ向かう。
ノックしてから入ってみれば、鶴子は目を瞑って正座していた。

「あの、鶴子さん……?」

「はい、なんどすか?」

横島の方を振り向き、ニコリと笑う。
それで、それまで漂っていた、どこか静謐な雰囲気が霧散する。

「言ってた通り、俺はボウズの方に付く事になったんで、鶴子さんには悪いんですけど、その……」

「分かっとります。うちはお嬢の方につけばよろしんどすな?
 忠夫はんに気ぃ遣ってもらうんは嬉しいけど、うちかて仕事どすから。私情は挟みまへんえ」

そう言って、事もなげに笑ってみせる。
刹那に対して思う事もあろうが、確かに言う通り、鶴子はきちんと仕事をこなすだろう。
妙な気負いも見られないその様子に、横島はほっと胸を撫で下ろした。

「それじゃ、もう時間も押してるんで……俺は行きます」

言うと横島は、しゅた、と手を挙げて部屋を出て行った。
心配事が一つ減り、足取りも軽く廊下を歩く横島を陰から見つめる影一つ。

(あの人……どこへ行くんだろう?)

陰から横島を観察しているのは、忘れ物を取りに戻っていた大河内アキラであった。
偶然横島を見かけ、何となく隠れてみたのはいいのだが……さて、声をかけていいものやら。
横島も基本的に鈍感な人間であるから、別段敵意のこもらない視線や気配には気付かない。
声をかけるタイミングを失い、さりとてこのまま見送るのは好奇心が許さず、アキラは何となく追跡を続ける。
横島が何故か旅館の裏口から出るに至り、アキラは決断を迫られた。さて、進むべきか退くべきか。
忘れ物を取りに行くと言って友人達を待たせているので、普通ならばこのまま引き返すのが筋なのだろう。
しかし、謎の清掃員が、今度は添乗員になって、何をなそうとしているのかも非常に気になるところだ。
しばしの逡巡の後……アキラは、ポケットから携帯電話を取り出した。

「……もしもし、ゆーな? ごめん、一緒に行けなくなった」

『え、ちょ、何? どういう事? え?』

「……ごめん」

謝りつつも、ロクな説明もせずに通話を切り、そして携帯の電源をも切る。
裕奈は怒るよりもむしろ心配するだろう。しかし、アキラは既に決心がついていた。
清掃員……もしかしたら添乗員かもしれないあの男が言う、踏み込んではいけない世界。
関わるなと言われたそれに、関わってやろうと思う。そして恐らく、今日、今、この時こそがそのチャンスだ。
アキラを駆り立てているのは、好奇心だけではない。しかし、確かに胸の内にある、この靄がかかっているような感情を何と呼べばいいか、彼女は知らなかった。

京洛奇譚(13) 閉鎖空間 投稿者:毒虫 投稿日:09/16-22:58 No.1278
数分遅れ、ネギは待ち合わせ場所に現れた。のだが。
何故か出発前から疲れ気味な顔をしているのが気になる。服も若干ボロボロだ。
横島が説明を要求する前に、カモは心底疲れた、といった風に話し始めた。

『わ、悪ぃな横っち……。いや、旅館出る時に生徒達に捕まっちまってよぉ。
 ま、グループ間抗争とアスナの姐さんと剣士の姐さんの奮闘、そして俺っちのオコジョフラッシュで何とか煙に巻いたんだが…
 しっかし、あの年頃の娘のエネルギーはスゲェな…。俺っち、出発する前からクタクタだぜ……』

「つ、疲れました〜……」

「あー…。なんつーか、ごくろーさん」

ぽふぽふ、とネギの頭を軽く撫でてやる。
思春期の少女特有の食いつきの強さは、かつて横島も己の馬鹿弟子で経験済みだ。同情的にもなる。
しかしこの近辺で休憩などしようものなら、すぐにでも捕捉されるだろう。疲れた体に鞭打って、ネギ達は出発した。
そして、その一行を後ろからこっそり尾け回す少女、大河内アキラ。

(ネギ先生と合流した? というか、今、オコジョが喋って………? つ、疲れてるのかな、私)

しきりに首をかしげながら、彼女のスニーキング・ミッションは続く。




真直ぐ目的地、呪術協会本山に向かうのがベストなのだろうが、ネギとカモの憔悴があまりにも目に付くので、一向は一度小休止を取る事になった。
とは言っても精神的な疲弊が主だったので、お茶屋の軒先に座り、団子を頬張りながらはんなりしているだけで事は済む。
アキラがどこに身を隠そうか慌てているのも知らず、横島達はひたすらに和む。

「…お茶、うまいな〜」

「そうですね〜…」

『だな〜…』

「団子もうまいな〜」

「そうですね〜…」

『だな〜…』

「空、晴れてるな〜」

「そうですね〜…」

『だな〜…』

「……和むよなぁ〜〜」

「和みますね〜〜……」

『和むな〜〜……』

なんかもうそろそろ任務とかどうでもよくなってきたあたりで、スッとネギに近付く人影があった。

「――となり、ええか?」

ニット帽を被った長髪の少年。
ネギは快く了承したが、横島は少し眉根を寄せた。
違和感。獣臭。既視感。横島の感覚は、少年が人外の者である事を示していた。
少年は刹那とは違い、立ち昇る妖の匂いを隠しきれていなかった。横島にとっては懐かしい、イヌ科っぽい匂いを。
ネギの隣に腰掛けた少年は、言葉を発する事をせず、横目でネギを観察するようにしている。
往来でややこしい事になるのはまずい。そう判断し、横島は席を立った。

「そろそろ行くぞ、ボウズ」

「あ、はい」

少年は、席を立った2人に特に反応を示さなかったが。しかしその人ならざる耳は、確かに捉えていたのだ。
支払いの際、財布を取り出した横島に、ネギが言った事を。
『ありがとうございます、横島さん』。それだけ確認すると、軽く口許を歪め、少年も席を立つ。

茶屋を出て、少し路地裏を入った所で……闇が、渦巻いていた。
その中心にいるのは、先日横島達が対峙した呪符使いと月詠、そして白髪の少年、この3人。
背後に式神らしき鬼が佇む異様の中に、長髪の少年は帰還した。

「かたっぽの方はわからんかったけど……大人の方は、苗字、横島やて」

「横島……? 横島ゆうたら、あの青山の……いや、まさかな」

少年の報告を聞くと、呪符使いは眉をしかめた。
関西呪術協会の中において、『横島』の名はそれなりに有名である。
まさか、あのいかにも馬鹿そうな男が、あの『鶴の懐剣』のわけがない……と鼻で笑うが、一抹の不安が残る。
気になって月詠の方を振り返るが、当の月詠はいつも通りぼんやりと笑っているのみ。感情が読めない。

「……ま、ええわ。仮にあの男が横島忠夫やったとしても、相手にとって不足はないわな。
 どこまでホンマか分からんけど、あのガキはサウザンドマスターの息子やっちゅう話やし、手応えのある連中やで。
 とにかく……別に相手がどんなんでも関係ない。一昨日の借り、耳揃えて返させてもらうえ」

一昨日の借り。それを思い出し、若干赤面しながらも、呪符使いは禍々しく嗤う。




延々と続く石段。次々と立ち並ぶ鳥居。
一行は、遂に……というほど険しい道のりではなかったが、関西呪術協会本山の入り口に立った。
相変わらず後方15メートルほどでこそこそしているアキラは、そろそろちょっと寂しくなって来た頃だ。
気付かれて撒かれても困るが、ずっとスルーされ続けて一言の台詞もないのも寂しい。そんな乙女心。
いっそ自分から出て行こうか行くまいか悩み始めたところで、アキラはようやく非日常に出くわした!
横島達の方を見ると、何と、UFOキャッチャーの景品のぬいぐるみのようなものが、ふわふわと宙に浮いているのである!
遠目に見る限り、その人形めいたモノは、浮遊するばかりではなく、何やらちょこまかと動き回っているようだ。

(何だろう、あれ……。手品じゃない……よね?)

イマイチ自信がもてない。しかし、こんな観客もいないような所で手品の披露もないだろう。
写メールに撮っとこうかなあとか思っている内に、今度はネギが、背負っていた棒状のものの梱包を解き始めた。
そして中から出て来たのは、いかにも漫画や映画の中の魔法使いが使っていそうな杖。これが不思議と、ネギが持っても違和感がない。
コスプレにしてはインパクトがないし……どういう事だろう、とアキラが悩んでいる内に、横島達は石段を上り始めてしまう。
慌てて後を追いかけつつも、アキラはある種の期待、そして予感を胸に抱いていた。

「何故だかわからないけど……何かが、起こりそうな気がする…」




場所が場所だけに、何が起こっても不思議ではない。幸い、妙な魔力は感じないが、油断は禁物だ。
一刻も早く任務を果たさんと、ネギと横島は駆け抜けるように走る。走る。ひたすらに走る。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。
鳥居をくぐる。鳥居をくぐる。鳥居を――……いい加減、30分は走っているだろうか、横島は足を止めた。

「長ぇーーーよッ! 通勤大変だなオイ!」

「ハァ、ハァ……さ、さすがに疲れました〜…」

自身の体重を超える荷物を背負いながら鼻唄まじりで妙神山を踏破できる横島はともかく、ネギはそろそろ体力の限界のようだ。
ちびせつなは、へたりこむネギを尻目に、何やら眉根を寄せて考え込んでいる。

『こ、これはもしや……
 ちょっと先を見てきます! 横島さん!』

「あいよー」

ちびせつなに先導されて、横島は走り出した。
しかし、そう大して走らぬ内に……何故か、ネギの背に出くわしてしまう。

「あ、あれ!? 横島さん!?」

おかしいぞ、と横島とちびせつなは顔を見合わせた。
どう見ても一本道なのだ。ハツカネズミでも迷わない。

「こ、この状況ッ……何者かのスタンド攻撃を受けている可能性があるッ!」

『馬鹿な事を言うのは後にしてください! 横の竹林から脱出を試みますよ!』

ゴゴゴゴゴ、と謎の効果音を背負う横島を軽やかに無視し、柵を乗り越え、走るが……今度は、反対側から戻って来てしまう。
事ここに至り、ちびせつなは自らが置かれた状況を完全に把握した。

『…これは無間方処の呪法です。
 今、私達がいるのは、半径500メートルほどの堂々めぐり(ループ)型結界の内部。
 つまり……閉じ込められました。この千本鳥居の中に』

「「「な、なんだってーーー!!」」」

ガビーン!と硬直する一同。AAは省略。

「ど、どういう事なんだキバ○シ!?」

『ああ、まずは無間方処という字をローマ字に直して (中略) …要するに全てはノストラダムスの陰謀だったんだよ!! って何やらせるんですかー!!』

紫電の如き剣閃。ちびせつなのミニ夕凪が横島の額に突き刺さる!

「うおぁッ!? ち、血が! まるで噴水のごとくううぅぅぅ!!?」

額を押さえてのた打ち回る横島を放置し、ネギが空を飛んで脱出を図るも、また失敗。
刹那の本体も、鶴子が付いているとはいえ、襲撃が予想される状況で木乃香の傍を離れるわけにも行かず、救援は期待できない。
焦るネギを尻目に、いつの間にか復活していた横島は、軽く笑ってネギの頭の上に手を置いた。

「ま、このままここにいたってしゃーないし、ゆっくりのんびり歩いて行こうや。なあに、何となるだろ、多分!」

「た、多分って……ほ、本当に大丈夫なんですか…?」

疑わしげなネギだが、横島には文珠がある。どこで誰が監視しているか分からないので、そう易々と使う事は躊躇われるが…
それでも、結局はいつでも脱出できる状況にあるのだ。今は様子見の段階だが、そう焦る必要もない。
それにこの結界、性質上、人除けの効果も兼ねている。もしかしたら、直接に襲撃があるかもしれない。
ネギ達も余裕を見せる横島に感じるものがあったのか、不安を残しながらものんびりと歩く。
しばらく歩いている内に、一行は無人の休憩所に辿りついた。

「おぉ、助かるねぇ」

「あ、自販機…。よかった、喉渇いてたんですよー」

『……急に現れたのはいささか不審ですが……まあ、少しここで腰を落ち着けましょうか』

『誰もいねぇのか…。ジュースに毒でも入ってんじゃあねぇだろな?』

刹那とカモは警戒心を残しながらも、結局、一行は少しの間休憩を取る事になった。
ジュースにも特に不審な点はなく、何かの罠という事もなさそうだ。
ならば、敵は徹底的にここで足止めするつもりか、と横島は見た目ぼんやりしながらも、そんな事を考えている。
場所も開けているし、敵が何か仕掛けてくるのなら、まずここになるだろう。何もなければ、休憩を終えてすぐにでも文珠で脱出してもいいか。
のほほんとジュースの缶を傾けているネギと横島を尻目に、使い魔組は議論を戦わせていた。

『とにかく、まずは現状を把握して、何とか打破する方法を考えませんと……』

『それより、今のこっちの戦力を分析した方がよくねぇか?
 この状況じゃ、いつ敵が現れるかわからねぇし、一昨日とは違って戦力が減ってるしな。
 …ま、正味なところ、横っちが本気モードになりゃあ、大抵の相手ならどうにかなりそうなんだがよ』

『横島さんの実力は、青山でもそれなりに話題になっていましたが……
 一昨日の戦いを見る限り、正直、あまり過信するのは危険だと思うのですが』

『俺っちはその戦闘に参加してなかったから、どんなもんだったのか知らねぇがな。
 少なくともエヴァンジェリンと戦った時ァ、デタラメな強さだったぜ、横っちは。
 まあヤツも本気出してねえみてぇだったが、どうもそりゃあ横っちの方も同じだったみてぇだしな。
 それに兄貴と仮契約したから、術を使えば身体能力も大幅UPだし、アーティファクトもある。鬼に金棒ってのァまさにこの事だぜ!』 

『はぁ、そうなんですか…。しかし、私は実際にこの目で見た事しか信用できないタチですので、あまり参考にはなりませんね。
 それに、今は横島さんの事を議論している場合ではないでしょう。この結界から脱出する術を考える方が先です。
 奴らも、さすがに呪術協会の総本山で事を犯すつもりはないでしょうし、通常空間に復帰すれば手出しできない筈です』

『結界から脱出って、簡単に言ってくれるけどよぉ……ンなもん、実際どうすりゃいんだよ?』

『それを今考えてるんじゃないですか!!』

喧々諤々。
お互いマスコットのポジションが被っているせいか、あまり相性がよろしくないようだ。
カモとちびせつながギャーギャー騒いでいる中、ネギと横島は何か間違った方向に切迫していた。

「た、大変です横島さん! おしるこの最後の粒がなかなか出てきません!」

「な、なんてこった…! そいつはなかなか手強いぜ、ボウズ!
 いざとなったら、ちびデコちゃんの刀で切ってもらうのもアリだが……やっぱ怒るよなぁ。
 しかし、おしることいい、コーンスープといい、なぜ神は人間にこうも厳しい試練をお与えなさるのか!?」

「ああっ、そうこうしている間に熱がどんどん冷めていってますー!
 こ、このままじゃ、最後の一粒を口にする頃には、ただの冷たくどろっとした小豆という何の魅力も感じられない食べ物にぃ!?」

「クソッタレ! 文珠か!? 文珠を使うしかないのかぁっ!?」

4人が4人ともコメディ調の空気をかもし出す中……突然、辺りの空気が変容した。
竹林がざわめく。横島達はすぐさま戦闘態勢へと思考を切り替えた。
…ネギだけは未だにおしるこの缶を底からポンポン叩いているが、どうせ天然なのだろう。
と、

「おしることか正直どーでもええやろがいッ!!」

「だ、誰です!? おしるこを馬鹿にすると許しませんよっ!!」

突然、何者か……まだ声変わりもしていない少年の声が響く。
そして、ネギの声に応えるように、上空から大質量が落下した!
ズズウン!!と一行を押し潰さんばかりに現れたのは、トラックほどあろうかという巨大な蜘蛛と、その頭の上に立った少年。
虫嫌いな人間が見ればすぐさま卒倒してもおかしくないその蜘蛛の上から、少年は厳しい目でネギを見下ろす。

「襲撃に備えるとか、なんかもっと他に色々やる事あるやろが! やる気マンマンやった俺がなんか恥ずかしいみたいな事になってるやん!!
 それともアレか!? おしるこ以下か!? 俺らはおしるこ以下の存在なんかッ!?」

怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らす少年を、横島達は若干引き気味かつ遠巻きに眺める。

「テンション高けぇーな。大きい声出してりゃいいってもんじゃないだろーに…」

『つーか、突然出て来て、いきなりそんな事言われてもなー』

『何と言うか、温度差を感じますね……』

「おしること比べられても困るんですけどねえ…。
 あ、それより横島さん、何かお箸とか持ってませんか? 最後の粒、もう少しで取れそうなんですよ」

「箸ぃ? あー、悪いけど持ってないなあ。ま、缶を上向けて叩いてりゃ出るだろ」

『それより、発想の転換という事で、たまには横方向に揺さぶりをかけてみてはどうでしょうか?』

『いっその事、舌捻じ込んじまうってのはどうだ? 切れるかもってリスクはあるが……いや、人間の舌だと構造的に届きゃしねえか?』

「舌は無理だけど、小指なら入るかも……って、痛ッ! 指切っちゃった…」

『だ、大丈夫ですか、ネギ先生? 惜しいですね、本体の私なら、絆創膏があったんですが…』

「咥えてりゃその内治るさ」

『ここで横っちが指チュパすりゃあフラグ成立だぜ!』

「アホ! ボウズ相手にフラグ立ててどうすんだ!」

話の方向が逸れに逸れ、わいのわいの騒ぐ4人。
放置プレイ中の少年の拳がプルプル震える。よく見れば、その目尻には薄っすらと涙が浮かんでいた。

「う……うがぁーーーーーー!! 無視すんなぁーーーーーーッッ!!」

未だにコメディ調の空気漂う中、蜘蛛を従え、少年は踊りかかった!

京洛奇譚(14) 敗北と再生 投稿者:毒虫 投稿日:09/20-22:59 No.1325


「う……うがぁーーーーーー!! 無視すんなぁーーーーーーッッ!!」

少年のヤケクソ気味な咆哮と共に、蜘蛛の巨体が一行を押し潰さんと迫る!
が……脅威が届く前に、蜘蛛の巨体は煙と消えた。少年は宙に放り出されるも、くるりと回転して見事に着地。
しかし何が起こったのか把握できず、きょときょとと辺りを見渡していると……

「いやー、一目で判る場所に弱点あっちゃマズイだろー…」

「!!」

振り向いてみれば、年長の男……横島が、札を片手に苦笑している。
どうやら、冷静さを失った少年の目を掻い潜り、カウンター気味に蜘蛛の懐に飛び込み、その頭に貼ってあった札を剥がしたらしい。
鬼蜘蛛は札を依代として現世に顕現しているので、それを剥がされては消えるしかない。
不測の事態に、しかし少年は逆に冷静さを取り戻した。

「そうか……。今までのマヌケな会話は、全て俺を逆上させる罠やったっちゅう事か!」

流石にやるな…!と舌なめずり。
しかし横島達は互いに顔を見合わせ、気まずそうに頬を掻くばかり。

「いや……悪い。特に何も考えてなかったわ」

『考えすぎってヤツだな。自意識過剰とも言える』

『何と言うか、ご期待に添えられなくて申し訳ないですね……』

「っていうか、今でもおしるこの最後の粒が気になって気になって仕方ないんですけど」

「こ、こいつら嫌いやぁーーーーーーっっ!!!」




大河内アキラは混乱していた。
鳥居の陰から横島達を眺めていたら、突然、ありえないほど巨大な蜘蛛が出て来たのだ。
別段虫が嫌いだというわけでもないが、あそこまで大きい蜘蛛を見れば流石にビビる。
しかもその上、添乗員は信じられないスピードで動くわ、なんか札一枚剥がしただけで手品のように蜘蛛が消えてしまうわで、もう何が何やら。
巨大蜘蛛登場のインパクトで薄れがちだが、宙に浮く人形はオコジョと言い争いしてたし、全く理解が追いつかない事態になっている。
これではまるで漫画やライトノベルの世界、それもちょっと頭の悪い部類のソレだ。

「夢………じゃないよね」

ありがちな事に頬を引っ張ってみるが、当然の如く痛い。
そりゃあ、あの添乗員の秘密、そして彼が言う『踏み込んではいけない世界』への興味はあったが、ここまで突飛なものだと流石に困る。
アキラとしては、もっとこう、ハードボイルドというか……映画でいうところのスパイ物やガンアクション的な、スタイリッシュな展開を期待していたのだ。
しかし現状は、何とまあメルヒェンというか、ファンタジックというか。いやまあ、見てて面白いから別にいいかもしれないとか思うのだが。
これが壮大なドッキリ企画や、あるいはヒーローショーの練習とかだったらいいなあ、とか思いつつ、アキラはしっかり観戦モードに入っていた。




フーッ、フーッ、と荒い息を吐く少年。
殺気と怒気が溢れ返っているその様子を、カモは鼻で笑い飛ばした。

『やる気マンマンってとこだが……空しいなぁ、オイ。虚勢張ってるってモロバレだぜ!
 前衛がやられちまわぁ、もうテメェに勝ち目なんざねぇよ! 今の内に降参すんなら、特別に俺っちの舎弟になるって事で勘弁してやるぜぇ?』

「…勘違いすんなやクソイタチが。俺は術師やないわッ」

『誰がイタチだコラァッ!! オコジョナメてっと痛い目見せっぞ!? 主に兄貴と横っちがなぁ!!』

『どこに食いついてるんですかっ!』

ぐさり。

『イギャァァァ!! ブスッて! なんかブスッてしたあぁぁぁっ!?』

ヒートアップするカモをミニ夕凪の威力をもって黙らせると、ちびせつなは声を荒げた。

『気をつけてください! もしや彼はっ……』

その言葉も最後まで効き終わらない内に、少年が動いた!
爆発的な瞬発力をもって踏み込むと、一足で横島の懐へと飛び込み……

「何だその足運び。ふざけてんのか?」

「ぶみっ!?」

着地後の一瞬の硬直を狙われ、無造作に頭を蹴たぐられる。
勢いよく踏み込むなら踏み込むで、直接飛びかかればいいものを、一旦着地などするからこうなってしまうのだ。
瞬発力は人間離れしているし、身のこなしもそれなりにいいんだが、と横島は少し呆れた。
そのままぐりぐり踏みにじるのもアレだし、引っ掻かれても困るので、足をどける。
ぐう、と呻きながら身を起こした少年は、横島を見上げると、ニヤリと口許を歪めた。

「……なかなか戦るやん、おっちゃん」

「んなっ!?」

おっちゃん。その単語に固まる横島の脇をすり抜け、少年は狙いをネギに変えて襲いかかる!
後方で激しいバトルが始まった中、横島は愕然とその場に膝をつき、指でアリの巣穴をほじくり返していた。

「お、おっちゃんて……俺まだ25なのに……いや、でもあれぐらいの子供からすると、俺って既におっちゃんなのか……?
 そりゃあ、確かに10代だった頃の勢いとかハツラツさとかは失われてるかもしれないさ……それでも、おっちゃんはないだろぉ……
 25っつったらまだまだ若者の世代だろ……むしろ男の全盛期だろ……人生これからだろ……おっちゃんはねぇよ……ひでぇよ……」

おっちゃん……おっちゃん……と、ひたすらヘコむ横島。戦うどころか立ち上がる気配すらない。完全に戦力外だ。
どーすんだよアレ。無言の擦り付け合いの末、ちびせつなが渋々といった感じで横島に近寄る。
どうやらちびせつな、カモの口八丁には敵わないようだった。

『ええと、その………げ、元気出してくださいよ、横島さん…』

その声にくるりと振り向いた横島の顔には、見事な縦線が入っていた。目尻には軽く涙すら浮かんでいる。

「なあ、ちびデコちゃん……。俺ってもう若くないんか? 加齢臭プンプンなんか? 娘と洗濯物は別々なんか?」

『だ、大丈夫ですよ! 横島さんはまだまだ若いです! ヤングです! ハッスル爆発です!』

「え、マジ? マジで俺、爆発? 爆発ってる?」

『はい、見事なまでの爆発っぷりです! というかむしろアフロです! アフロってます!』

「そっか、アフロか……! よっしゃあっ!!」

常人には理解不能のプロセスを経て、横島は何故か復活を果たした!
その一端を担ったちびせつなでさえ、途中からテンパって何を言ってるのか自分でもよく分からなかった状況だ。
アフロの何が横島の琴線に触れたのかは分からないが、結果オーライ。ちびせつなは内心首をかしげながらも、ホッと胸を撫で下ろした。

横島達がマヌケ時空を発生させているその後方では、相変わらず激しいバトルが繰り広げられている。
そして今……少年の掌底が魔法障壁を突破し、ネギの頬に入った!

「へへ、今のは効いたやろッ!」

「う……!」

呻きながら身を起こしたネギの口から血が垂れる。口の中を切ってしまったようだ。
苦戦しているネギに、カモはチッと舌打ちした。

『マズイぜ、こりゃあ勝てねぇな。横っちはなんか使い物にならねぇっぽいし……いよいよ俺っちの出番か!』

腕が鳴るぜ!と、カモは何やら準備を始める。
一方少年は、ネギに止めも刺さず、ただ傲然と敗者を見下ろしていた。

「ハハハ! やっぱ西洋魔術師はアカンな。弱々や!
 そこのおっちゃんに守られとるだけで、自分は後ろの方で直接戦わんと……。そんなんで俺に勝てるわけあらへんやろッ!!
 西洋魔術師はみんな臆病もんで卑怯もんや! この分やと、お前の親父のサウザンなんとかゆーのも大した事あらへんな!!」

「……!!」

その一言は、ネギの逆鱗に触れた。
激昂のままに飛び出そうとするネギだったが、その前に小さな影が躍り出る!

『兄貴ッ! ここは一旦、撤退するぜ! オコジョフラーッシュッ!!』

飛び出したカモの体が激しく発光し……次の瞬間には、カモが抱えていたジュースのペットボトルが爆発する!

『アーンド、オコジョスモーク!! 横っち、兄貴をよろしく頼むッ!!』

「あいさーっ!!」

煙幕に紛れてネギを回収すると、横島は一目散にその場から離脱する。
少年の罵声を背に浴びながら、一行は撤退を成功させた。
…念を入れてしばらく距離を開け、ちょっとした崖下の祠で休憩を取る。
その間、横島に横抱き…いわゆるお姫様抱っこ状態にされていたネギが何故か頬を赤らめていた事は、横島は努めて記憶から抹消する事にした。

「しっかし、詰めが甘いガキだったなぁ。勝ち誇るぐらいだったら、トドメ刺しときゃいいのに。や、今回の場合、刺されても困るけど。
 挑発にも簡単に乗ってくれるし……何にせよ、戦りやすそうな相手で助かるな」

『妙なコント始める前に横っちが始末つけてくれりゃあ、それで済んだ話なんだがなー』

「正直すまんかった」

速攻で頭を下げる。
それこそ漫才のようなやり取りに視線を向ける事なく、ネギは何やら考え事に没頭している。
チームワークの欠片もない一行に辟易しながら、ちびせつなは敵の分析を始めた。

『あの身体能力、身のこなし、そして特徴的な耳……。あの子は狗族ですね。
 狼や狐の変化、つまりは妖怪の類で、もちろん能力的に人間とは一線を画しています。
 その上、呪符まで持っているようですし……厄介な敵、と言わざるを得ないでしょうね』

『狼男みたいなもんか。そりゃ強ぇわな。
 ま、そんでも真祖とは比べもんにならねぇだろ。エヴァンジェリンに勝った横っちの敵じゃねぇよ』

『え、勝ったって……あのエヴァンジェリンさんにですか?』

あからさまに訝しげな表情を作るちびせつな。
カモのコメカミあたりに青筋が立った。

『ちょっと前に言っただろーが! つーかなんだよその顔。絶対信じてねーな!?』

『それはまあ…。だってエヴァンジェリンさんは真祖ですし、攻城級の魔法でも使えない限り、行動不能に追いやるのは難しいんじゃないですか?
 横島さんの実力を疑っているわけではありませんが、やはり少し信じがたいものがあります。オコジョの口から聞くと余計に』

『テ、テメェ……! オコジョナメんじゃねぇぞゴルァッ!!』

「落ち着けこの馬鹿! ったく…」

カモの首をキュッと絞めて強制的に落ち着かせると、横島は苦笑気味にちびせつなに向き直った。

「ま、あん時はエヴァちゃんも相当手加減してくれたみたいだしな。真祖の力も使ってなかったし。
 それに、勝ったって言うけど、実のところは途中で勝負がウヤムヤになったってのが真相だよ。大声上げて自慢できるような事じゃない」

『戦った、というのは事実なのですか…。
 まあ、エヴァンジェリンさんと戦って五体満足でここにいる、というだけでも凄いのかもしれませんね』

「いや、そんなに激しい戦いでもなかったんだけど……。
 ま、いいか。今はそれより、ボウズ。お前ケガしてるじゃないか。血ぃぐらい拭けって」

ハンカチを取り出し、ネギの口許を拭いてやる。
ついと視線を上げると、ネギは横島と視線を合わせた。

「横島さん、僕……僕、父さんを探すために戦い方を勉強したんです。
 父さんを探す内に、必ず戦う力が必要になると思ったから」

「ほぉ。それで?」

真剣な語り口調のネギ。
流石に横島も茶々を挟むような事はせず、しゃがんだまま大人しく話を聞く。

「でも……僕は、エヴァンジェリンさんに負けました。さっきの男の子にも負けてしまった。
 いえ、さっきの場合は違うんですけど……エヴァンジェリンさんの時、実は僕、ホントはもっと戦えてた筈なんです。
 魔力を使い果たしたり、体が動かなくなるほどのケガもしてなかった。僕は……諦めちゃったんです。もうダメだって。
 怒ったエヴァンジェリンさんがどうしようもなく恐くて、逃げたんです。戦える力があったのに。戦えるのは僕しかいなかったのに。
 あの時、横島さん…じゃなくてヨコシマンさんが戦ってる時、僕、横島さんの言葉を思い出しました。そして、僕自身が言った事も。
 本当は、覚悟なんてできてやしなかった。誰かが傷付くのは確かに恐くて、でも自分自身が傷付くのはもっと恐かった。
 …情けないって、思ったんです。魔法使いの力は、誰かを、大切な人達を守るためにあるんです。でも僕は、そこから逃げた。
 あの後、ベッドにもぐって、たくさんたくさん泣きました。悔しかったんです。情けない自分が嫌だったんです。
 ……もう、あんな思いはしたくありません。僕は未熟です。技術はもちろん、心構えだってなっちゃいなかった。
 だから……僕、強くなります。強くならなくちゃ、父さんを探す事も、大切な誰かを守る事も、自分の身を守る事すらできない。
 僕、あいつと戦います。正直、恐いです。痛い思いをするのも嫌です。でも、ここで戦わなくちゃ……きっと、強くなんてなれない!!」

「………そっか」

戦いを知り、敗北を知ったネギの、新たな決意。
横島は軽く微笑んでネギの頭に手を置いた。

「じゃあ、任せたぜ――ネギ」

「! …はいっ!!」

これ以上何も言わずとも、横島の目が何よりも雄弁に語っていた。横島は今、ネギを一人前の男として認めたのだ。
ちびせつなも、10歳の少年らしからぬ心の在り方に感心した様子で、しきりにコクコク頷いている。
しかしカモは、ネギと横島の間に結ばれたアツい友情を眩しく思いつつも、きっちり現実を見ていた。

『で、でもよぉ、だからってどうやってヤツに勝つんだよ兄貴!?
 言いたかないが、ヤツとの相性は最悪だ。気合や根性で埋められるような差じゃねえぜ!』

「大丈夫だよ、カモ君」

ネギはやけに自信ありげな笑みを浮かべると、騒ぎ立てるカモに、グッと親指を立ててみせた。

「僕に、勝算がある」