「ええっ、俺もッスか!?」
横島は驚いた。
学長室に着いて早々、意外な頼まれ事を受けたのだ。 3−Aの修学旅行に同行し、陰ながら木乃香嬢の護衛を務めて欲しい。これが学園長の要望だった。
「うむ。修学旅行の日にちが近付くにつれ、向こうの方がきな臭くなって来てのぅ。
まあそれは、こちらの教師に一人、魔法使いがおると打診したためなのじゃが……どうも、それだけではない気がするのじゃよ。
西も一枚岩ではない以上、強硬派がネギ君を襲撃したり、それを口実に木乃香を確保しようとする連中がおるかもしれん。
京都では班別行動が基本での。クラスにおる遣い手だけでは、木乃香を守りきることは難しいのじゃ。
それに、君ならば京都の地形にも詳しいじゃろうし、『鶴の懐剣』と謳われる男が護衛についていると知れたら、相手方も尻込みするかもしれん。
呪術協会をこれ以上刺激せんためにも、他の魔法先生をつける事はできんのじゃ。頼まれてくれるかの?」
「いや、そこまで心配するなら行き先変えればいいでしょーが」
「そういうわけにもいかんのじゃよ。これを機に、西との対立構造を打ち壊すためにネギ君に特使を務めてもらうつもりでの。
彼も京都に拘っておるようじゃし、そもそも今から行き先を変更する事など不可能じゃよ。
それに……君にはもう一つ、やってもらいたい事があるのじゃ」
やってもらいたい事?と首をひねる横島に、学園長は、できればでいいんじゃが、と前置きして語り出した。
「今回の木乃香の護衛には万全を尽くしておきたくてのう。
君と刹那君とに任せておいても大丈夫じゃろうとは思うのじゃが、まあ、念には念を、という奴じゃな。
それで……実は、それを青山に依頼しようと思っておる」
「…は? 本気で言ってるんですか、ソレ?」
横島が疑うような視線を学園長に向けるのも無理はない。
青山は関西呪術協会と深い繋がりがあり、呪術協会ほどではないが関東魔法協会との間には溝がある。
彼ら青山とて呪術協会の姫たる木乃香を守る事について異論はあるまいが、それが魔法協会の長からの依頼となれば、また話は違うだろう。
横島は言外にそう指摘するが、何か考えがあるらしく、学園長はその長いヒゲの下で微笑を作る。
「なぁに、心配いらんよ。これを見せれば、青山も……否、それどころか、あの青山鶴子直々に木乃香の護衛に当たってもらえるじゃろう」
そう言って懐から取り出したるは、麻帆良学園の校章で封がされた一通の封筒。
横島が知る由もないが、それは学園長からネギに託された親書と外見上は全く同じのものだった。
(こんなモンであの鶴子さんが、ねぇ…?)
横島としては、半信半疑というのが正直なところだ。
横島の知っている青山鶴子という女性は、例え誰に言われようとも、自らの信念を曲げる行為はしない。
まあ、木乃香嬢を守るという点では彼女の理念に反しないだろうし、他の幹部連中と比べればまだ、東とか西とかいった認識は薄い。
老獪な学園長の事だ。上手いこと言って鶴子をだまくらかすつもりなのだろう、と横島は推測した。
「で、それ、俺が届ければいいんですか?」
「うむ。……じゃが、いくら護衛が必要なのは主に2日目からだとて、折角の人手を割いてしまうわけにもいかん。
かと言って、誰か別の人間を派遣しようにも、魔法協会配下の人間では門前払いをくらうかもしれんしのう。
まあ、そういうわけで……すまんが、これから早速、京都に赴いてくれんかの?」
「…はあっ!?」
いきなりとんでもない事を言い出す学園長。
遂にボケちまったのかこのジジイ…と失礼な事を考える横島を尻目に、懐から先程のものとはまた別の封筒を取り出す。
「この通り、新幹線の切符も用意してある。青山への連絡も済ませておるぞい。
着替えなど必要なものはあちらにあるという事じゃから、着の身着のままでも大丈夫じゃな。
修学旅行は明日からじゃ。何気にハードスケジュールをこなしてもらう事になるが、よろしく頼んだぞい?」
「ちょ、あの、待っ…」
「それと、向こうで清掃員をやらせるわけにもいかんじゃろから、ホレ。新しい変装セットじゃ。
詳しい事は同封してある便箋に書いておる。まあ精々、勘働きの良い生徒に嗅ぎ付けられんようにの」
「……」
横島はもはや、無言で封筒と紙袋を受け取るしかなかった。
エヴァンジェリンの呪縛について話したい事もあったのだが、もうこれ以上話を続ける気力もない。
「ああ、今の今まで忘れておったが、新幹線の出発まで、あと2時間も残されとらんぞい。
ちなみに乗り遅れた場合、新しい切符は君の財布から捻出してもらう事になっとるんじゃがのう」
「………ド、ドチクショーッ!!」
権力者なんか、権力者なんかーっ!!と走り去る横島を見送り、学園長はほくそえんだ。
横島という男、その力量は目を瞠るものがあるが、根は単純で扱いやすい。何とも都合のいい事だ。
そんなこんなで慌しく麻帆良を出立し……気がつけば、横島は京都の地を踏んでいた。
随分と久方振りのような気もするが、思い返すと、麻帆良に身を置いていた期間は僅か1ヶ月にも満たない。
それだけ密度の濃い生活を送っていたという事か。そう思うと、麻帆良にも多少の愛着を感じる。
出立の際購入し、新幹線の中で堪能しまくったえっちぃ雑誌をリサイクルボックスに投げ捨てると、横島は意気揚々と駅から飛び出した。
なに、青山へはもう少し遅く行ってもいいだろう。それより祇園にでも足を伸ばし、久し振りに白粉の匂いを嗅ぐのも悪くない……と。
そう思っていたのだが。
「お待ちしとりましたえ♪」
「…………」
駅を出てすぐに待ち構えていたのは、『おいでやす☆横島様御一行』の旗を持った、妙に見覚えのある巫女さんで。
御一行ちゃいますやん一人ですやん、とツッコミを入れる気力もなく。 横島はただ、へなへなとその場に膝をついた。
連行されるように鶴子と寄り添い歩きながら、横島は内心溜息つきっぱなしだった。
確かに鶴子は美人だ。その上巫女さんだ。通り過ぎる男どもがことごとく振り返り、自分に羨望と嫉妬が入り混じった眼差しを送るのも悪くない。
しかし、それでは駄目なのだ。鶴子と早々に合流してしまえば、もう横島に麻帆良からずっと溜め込んでいるリビドーを解放するチャンスはない。
鶴子相手にそれをぶつけるという手もあるにはあるが……その手段を選べば、取り返しのつかない事になりそうな気がする。
鉄拳制裁で済むのならまだいい。問題は、責任という名の下に、薔薇色の鎖で繋がれかねないという事だ。
具体的にそれを推測できる横島ではなかったが、長年の経験と野性の勘から、とても困る事になるだろうというのは直感していた。
「…………」
「〜〜〜〜♪」
横島は、ちらりと横目で鶴子を覗き見た。鼻歌を口ずさんでいる。いやに上機嫌だ。
さり気なく組まれている腕も気になる。いや、正確に言うならば、自らの二の腕に押し付けられている、とてもイイ感じの2つの膨らみが。
それに先程から、甘ったるいようでいて爽やかなような、とてもいい香りが横島の鼻先をくすぐっている。これは鶴子の匂いだろうか。
ウブなネンネじゃあるまいし、と時代錯誤なフレーズを思い浮かべる横島であったが、その胸のトキメキは隠せない。男のサガという奴だ。
このままではいけない、と横島は思った。何がいけないのかは分からないが、とにかくこのまま流されたら何やらマズイ事になる。
雰囲気を真面目で重苦しいものに変えるべく、横島は早速であるが学園長から預かった封筒を取り出した。
「鶴子さん、これ…」
「あら、ラブレターどすか?」
「ええ。学園長からの、ですけどね」
なんや、つまらんなぁ……と口唇を尖らせ、鶴子は面白くなさげに封筒を受け取った。 流石にこの場で開けるような事はせず、懐に仕舞う。
「木乃香嬢が京都に来るってんで、青山に……つーか、鶴子さんに護衛を頼みたいそうで。
何でも、その封筒が学園長の切り札みたいッスよ。ソレ見せれば鶴子さんが動くって、自信満々に」
「ふう、ん……。
…ま、そんなことはどうでもよろしわ。それより忠夫はん、これから遊びに行きまへん?」
「え? あ、いや、今は仕事の話をですね」
むにゅう。押し付けられる2つのカタマリ。
「よっしゃ、今日は遊び倒しましょう!! いやー、仕事なんてどーでもいいッスよ僕っ!!」
「男前やわぁ、忠夫はん♪」
恐るべし女の武器。 …単に横島の方がアレなんじゃ、という意見はこの際黙殺しておく。
遊ぶ、といっても、2人はぶらぶらとその辺を散策するだけだった。
横島は、あまり京都(のまともな所)で遊んだ事がなく、相手が鶴子であるのも相まって、どこに連れて行けばいいのやらと迷い……
鶴子に至っては、異性はおろか同性の友人と遊んだ経験さえほとんどなかったため、全て横島に任せきりだったのだ。
しかし、ただ店々を冷やかしながら歩き、益体もない会話を交わし、横島が京美人に目を奪われるのを制裁しているだけで、2人は充分楽しめた。
2人の間に、何も特別な事はいらないのだ。ただ相手がそこにいて、平和な環境がそこにあれば、それでけで。
特に、日常危険な仕事に手を染めている分、強くそう思う。何の心配もいらず、身の危険もなく、ただ、相手に没頭できる。その何と素晴らしい事か。
そんな、尋常の感覚とは程遠い点に幸せを噛み締めるしかない己の境遇に、多少思わないところもない。
しかし、この身に生まれついたからこそ、鶴子は横島に、横島は鶴子に出逢えたのだ。それを考えれば、2人は決して不幸な身の上ではなかった。
麻帆良の地で、己の身に降りかかった出来事を面白おかしく語る横島の横顔を眺めて、鶴子は思う。この人に出逢えてよかった、と。
横島はいつでも楽しそうだった。いや、人生を楽しんでいた。その努力をしていた。当初はそれが随分と滑稽で、また眩しくも見えたものだ。
場をわきまえずにふざけ、女性を口説く横島に対して、軽蔑の念を抱いた事もあった。しかしそれは、彼の事を深く知るにつれ、徐々に薄まっていった。
横島忠夫という男は、決して軽薄なだけの人間ではなく、また、それに気付くと、彼の様々な側面が否応なしに目に入って来たのだ。
底なしのお人好しであるとか、動物や子供に好かれるとか、何だかんだ言っても最後は決めるのだとか……心に傷があるのだ、とか。
横島に注目し、様々な顔を見つけている内に、いつの間にか……そう、いつの間にか、鶴子は横島に惹かれていた。
それは、一人の人間として、あるいは弟を思いやる姉のような感情なのだと思っていた。否、頭からそう決め付けていた。
ならば何故、当時いくつか持ち上がった縁談をことごとく断ったのかと問われても、その時の鶴子は首をかしげざるをえない。
しかし、最近になってようやく、鶴子は己の本意に気がついた。きっかけは些細な事。ある日横島が、使用人と親しげに話をしているのを目にしたのである。
その時に感じたのは、また性懲りもなく女性を口説こうとしている横島への呆れではなく、まぎれもなく、その使用人に対する嫉妬だった。
家族としての横島を大切に想いつつ、確かに女としての自分が彼を欲している。それに気付いた時は、それはもう愕然としたものだった。
女子校という危険すぎる所に横島を派遣すると決めた時も、相当複雑な気持ちだったのだが……横島は、そんな鶴子に気付いてもいないのだろう。
それを考えると頭を小突いてやりたくもなるが、今は2人きりのこの時を満喫せねばなるまい。そう思い、複雑な感情を笑顔の下に押し込める。
…気がつくと、そろそろ陽も傾きかけている。そろそろ青山に行かねばなるまい。
鶴子は溜息をついた。横島と2人でいられる時間は、策を弄しても、青山ではこの程度が限界だ。
「……あんまり遅れてもあれやし、そろそろ行きましょか」
「あ、そッスか?」
軽く返事を返し、2人は連れたって青山を目指した。 夕陽が2人の影を伸ばす。鶴子は、そっと横島の手を握った。
―――その夜。
あまり使用する頻度の低い青山邸の自室に腰を落ち着けると、横島は紙袋を手に取った。
麻帆良で学園長に手渡されたものである。中には、新しい変装セットが入っているとの事だ。
…また変装か、と溜息をつく。初めの方こそ、潜入スパイのような気分でいれたものの、さすがにもう食傷気味だ。
いちいち変装までして潜入せねばならないぐらいだったら、最初から3−Aの副担任に任命するなりすれば、もっと楽に事を運べたろうに。
まあ、実際なったらなったで、横島が生徒に教えられるような教科など、それこそ保健体育ぐらいなものなのだが。
世界各国を回り、いくつかの主要言語は覚えたものの、訛りやスラングがキツすぎたり、文法が全く解っていなかったりで、そちらは役に立たない。
若い男、それも横島忠夫が女子中学生に保健体育を教えるなど、まさに神をも畏れぬ所業であろう。それを考えると、裏方に回されたのも納得だ。
表舞台に立つことが叶わないのは嘆かわしい事だ。しかし、その屈辱にいつまでも甘んじている横島ではない。
(今回の修学旅行で、必ずや引率の美人女教師を落としてみせる……っ!!
もし引率の中に女教師がいなくとも、バスガイドさんがいる! 二段構え! 上手く事を運べば、両手に花だっ!!)
ゴオオッ!と炎のエフェクトを背負い、横島は闘志とその他諸々の不純物を燃やす。
これはチャンスなのだ。鶴子という最強の監視の目があるが、それをかい潜らねばならぬがゆえ、逆に燃える。
美人バスガイドさんとのひとときのアバンチュール。ああダメよ、運転手さんが見てる! ……実にイイ。横島は頬を緩める。
地域に根ざした、『あらあの清掃員さんいつも頑張ってるわね働く男ってステキだわ作戦』とは違い、今回のはあくまで短期決戦なのだ。
数日の内に女性をメロメロに口説き倒し、チョメチョメ(婉曲的表現)まで持って行かなければならないのである。それも、鶴子の目を盗んで。
それを木乃香嬢の護衛を務めながらこなすのだから、まさに殺人的なハードスケジュールと言えよう。しかし横島は諦めない!
「なぜなら、俺は漢だからだッ!!」
力強く宣言すると、勢いに任せ、紙袋をひっくり返す!
中からぼとぼととこぼれ落ちる衣装の数々を目にして、横島は思わず息を呑んだ。
「こ、これは……!!」
最後に出て来た便箋に目を通すと、横島は拳をぐっと握り締める。 その瞳からは、ぼろぼろと心の汗が流れていた。サンクス、学園長!
便箋を折り畳むと、鶴子はそっとそれを封筒に戻した。
間違っても、他の人間に見られるわけにはいかない。あらかじめ用意していたライターで、封筒ごと燃やす。
はらはらとこぼれる灰を視界に入れながらも、鶴子は遠くを見詰めていた。
「これで、やっと……」
機は熟したのだ。
家族や横島以外、誰も寄り付かない自室の中で独り、鶴子は密やかな喜びを噛み締めた。
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