師匠譲りの小細工を一通り仕掛け終え、その結果として悪魔は両腕を失っていた。
ここに至って『貴様、よくも俺様の腕を…!』と、月並みと表現するのも憚られる台詞を臆面もなく言い放つそれに、横島は疲れたように息を吐き出す。
その言葉回しから窺い知れるが、この悪魔はそれこそ典型的な、どこに出しても恥ずかしくないほどの、ベタな悪役だった。
魔力それ自体は世間でも一流とされているGSでも太刀打ちできない程のものを持っているのに、それを全く使いこなせていない。
しかもその上、人間を嘗めきっていて、油断も隙もあり放題。宝の持ち腐れとはまさにこの事。
横島としては、ちょこまか立ち回って、挑発しいの、罠仕掛けえの、と手馴れた作業ばかりで、まあ楽と言っちゃあ楽だったのだが…
いかんせんこの悪魔、あまりにもタフすぎたのだ。腕を切り落としたのだって、最高出力まで上げた霊波刀で何度も何度も同じ所を斬りつけて、それでやっとである。
それでもって、その間ずうっとベタな悪役的な台詞を延々と聞かされ続けていれば、心身ともに疲弊してしまうのも無理はない。
かてて加えて、最近、所長がようやく一人の仕事を回してきてくれるようになったのはいいものの、効率を重視して、横島だけ無茶なスケジュールを組まされていて、ここ数日、休む間もロクになかった。
更にその上、毎朝、バカ犬が遠慮もなしに、散歩と称した耐久マラソンに連れ出してくる。
もう踏んだり蹴ったりだ。いかに人間離れした体力を持つ横島といえど、さすがに疲れはピークへと達しつつあった。
この疲労が、油断を招いてしまった。
「ク、クククククッ……! 流石は『魔神殺し』、横島忠夫と言った所か! まさかこの俺様ともあろう者が、こうまで手酷くやられてしまうとはな…。
しかしッ! このまま大人しく調伏される俺様ではないぞ!! 死なば諸共!! 貴様を道連れに、壮絶な最期を遂げてくれるわッ!!」
そう叫ぶと、悪魔は己の生命の火を燃やし、限界を超えて魔力を練り始める。
自爆する気だ。横島は考える。最期までベタな野郎だ…。いや、そうじゃない。これにどう対処するべきか。
霊波刀でトドメを刺す。いや、そこは頑丈な奴の事、一撃では仕留めきれまい。
ならば文珠で、と考えるが、残念ながら完全に準備を怠っていた。今から文珠を作り出し、文字を込め、投擲しても……まず間に合わないだろう。
悪魔の魔力は、いつ暴発してもおかしくないほどまでに膨れ上がっている。やけに早い。最初からこうするつもりだったのかもしれない。
霊波刀では殺しきれない。文珠では間に合わない。
では、どうしろというのか?その判断の遅れが命取り。気がつけば、悪魔は得意げに笑っている。今まさに自爆する気だ。
結局横島は、右手に霊波刀を伸ばし、左手に何の文字も込められていない文珠を持つ、という中途半端な格好になってしまった。
「フハハハハハッ!! これで俺様の名は歴史に刻まれる! 感謝するぞ、『魔神殺し』!!」
「ちょ、マズ―――――」
慌てて文珠を発動させようとするが、咄嗟に何を入れていいのか思いつかない。
通称『アシュタロス核ジャック事件』の英雄が不恰好な様を見せている中、遂に悪魔の術式が完成する。
一瞬の空白。
次の瞬間には、凄まじい閃光と熱量が爆風となって押し寄せる。 しばらくし、破壊の波が通り過ぎた後、周囲には何も残されていない。
この日、世界は英雄を失った。
午後には裏の山へ足を向ける。それが彼女、青山鶴子の日課だった。
初秋の緑に朱の袴が映える。その手に持った刀といい、とても現代の風景には見えない。
しばらく適当に歩くと、足を止め、目を瞑る。それだけで精神が研ぎ澄まされる。
一呼吸し、剣を抜いた。緩く、何度か振る。感触を確かめているかのように。
この行為は修行の類ではなかった。剣の稽古なら道場ですればいい。父が相手を務めてくれるだろう。
気晴らし。散歩。それぐらいのものでしかない。が、それはそれで必要なものだ。
鶴子の日常生活は、ほぼ剣の修行に占められる。
幼い頃からの習慣なので、それを苦と感じる事はないが……それでも、息抜きぐらいはあってしかるべきだろう。
剣を納めると、鶴子は目を瞑った。考える事は色々ある。これからの事、これまでの事、妹の事、剣の事……。
…気がつけば、結構な時間が過ぎていた。どうやら、思考に没頭しすぎていたらしい。
そろそろ帰ろうかと踵を返したその時……ふと、異様な気配を感じ取り、立ち止まる。
(なんえ、この違和感は…?)
嗅ぎなれた魔の気配、ではないと思う…。 しかし、では何か?と問われても答えられない。
雰囲気が一瞬にして変容したのは確か。強いて言うなら、山が怯えているような……
「!!」
説明できない衝動、言うならば第六感に衝き動かされ、咄嗟にその場から飛び退く!
流石と言うべきか、鶴子が元居た所から4,5メートルほど離れたその場所に……突然も突然、何の前兆もなく、大きな爆発が起こった!
閃光が一瞬視界を奪うと、次に吹き付けてくるのは爆風と、これまで感じた事のない、強い強い瘴気。
爆風が木々を薙ぎ倒し、瘴気が倒木を腐らせる。突然の破壊が通り過ぎた後、その森は、見るも無残な姿になっていた。
爆発が起きた瞬間に、更に遠くへと退いていた鶴子の顔が不快に歪む。
(森が死んでしもとる……。こら、只事やありまへんなぁ)
いや、そんな事を考えている場合ではない、とかぶりを振る。原因を探らなければ。
まず一番初めに思いついた可能性は、何者かの襲撃。青山という組織が持つ性質上、いつあっても不思議ではない事だ。
しかし、ここは青山神鳴流の総本山、その敷地内にある森。そうそう容易く侵入できる場所ではない。
それに、そもそも、あの爆発は本当に唐突なものだった。予兆を感じ取ったのは、あくまで鶴子の直感。事前に何者かの気配など、微塵も感じ取れなかった。
地雷のような罠が設置されていた可能性も考えられるが、しかしあれほど強力な瘴気を何らかの形で留まらせる技術など聞いた事もない。
それに、もし罠だとしたら、仕掛ける場所があまりにも不自然だし、仕掛ける罠が一つだけ、という点も腑に落ちない。
かと言って、まさか自然発生するという事もありえないだろう。言うまでもなく、森に火の気はなかった。
…考えても結論が出ないのならば、現場を調べるより他ないだろう。そう思い、爆心地辺りに歩を進める。
強力な瘴気に汚染されている一帯、普通の人間が一秒でも留まれば、命の危険さえ伴う。そんな地も、鶴子にかかればどうという事もない。
爆心地は、それはもう酷い有様だった。瘴気が森に清められる事もなく漂ってい、大気さえ若干の黒味を帯びる。
鶴子は鼻と口を袖で覆った。彼女なら吸い込んでも平気かもしれないが、汚染されきった空気をそのまま吸い込もうとはとても思えない。
一歩足を踏み出すごとに、ぐじゅ、と地面に足裏がめり込む。見ると、土が奇妙に汚れた色合いをしている。どうやら、瘴気は一帯の土壌までをも侵してしまっているようだ。
腐った倒木も、爆心地まで近付くとその様相を変える。黒ずんだ表面が粉を吹いているのだ。少しの衝撃があれば、木としての形を崩して塵に還る。
鶴子も、若年ながら様々な戦地を渡り歩いた剣士だ。悪しき術に汚染された土地も見た。が、こうまで惨い有様は見た事がない。
幸い、爆発的に汚染が拡がるという最悪の事態は避けられているようだが……それでも、じわりじわりと腐食は進んでいる。
今頃、下では大騒ぎしている頃だろう。彼女は目に見える敵と戦うのが専門で、それ以外の事はあまり得意ではない。ここまで汚染された土地を清めるのは不可能だ。
お気に入りの場所が穢され尽くした事に憤りを覚えるが、原因も見当たらず、これ以上自分が出来る事は見当たりそうにない。
大人しく引き返すかと思ったその時……視界の端で、動くものが。
よくよく見ると、既に砂と化した倒木の中に混じって、人間……のようなモノが倒れている。強い瘴気に騙され、不覚にも気付けなかったようだ。
「……………」
一層警戒を強め、それの元へ歩み寄る。
鞘に収められたままの愛刀を振るい、堆積した塵芥を取り除くと、倒れているのが男と判った。
男は意識を失っているようだ。先程微かに動いたのは、最後の力を振り絞ったからか。 警戒を乱さぬまま、男の息を確かめる。
「あれ、まぁ……生きたはるわ」
果たして、男は生きていた。
あの爆発の中、そして溢れ出す瘴気の中、一体、どうして生き延びる事が出来たのか。
体中に酷い火傷を負っているようだが、不思議と呼吸は安定している。今すぐにでも危ない、というほどのものではなさそうだ。
ともかく、犯人にしろ、巻き込まれたにしろ、当事者の一人には違いあるまい。そして、怪我をさせたままにしておくのも気が引ける。
例えこの男が何者であろうと、やる事は一つだ。完全に意識を失っているのを改めて確認し、鶴子は謎の男を背負った。連れて帰らねばなるまい。
青山邸の一室に、体中包帯に巻かれた男が寝かされている。
脇には、その寝顔を何とも言えない顔で見詰めている鶴子の姿。
謎の男が担ぎ込まれてから、既に数日が経過していた。
その間、男に意識が戻った事はない。
何かあるといけないので、なるべく鶴子が面倒を見る事にしているが……一体、いつまでこうしていなければならないのか。
怪我人の世話を診るくらい苦でもないが、それも相手による。この男は、山を穢した者かもしれないのだ…。
「ん……」
「!」
やる事もなく寝顔を眺めていると、初めて反応が見られた。 誰かを呼びに行った方がいいかと思ったが、その間に何かあるといけない。
食い入るように見詰めていると、男の瞼が薄っすらと開かれる。
「あ……?」
「…もう何日も眠ってはったんえ。お体のほうはよろしおすか?」
寝起きの、何も映されていない瞳に、徐々に、薄ぼんやりとだが、意識らしいものが光り始める。
男は鶴子の声に反応し、首を微かにそちらに傾け、緩慢な動作で鶴子と目を合わせ……
「う、う………」
呻く。苦しんでいるのだろうか?
やはり誰か呼んで来ようと、鶴子が立ち上がりかけたその時……大火傷を負い、動かす事もできない筈の男の手が、鶴子の手首を掴んだ。
驚いて振り返ると、男はしっかりとした目で、鶴子の瞳を射抜いていた。
(え……?)
とくん……。何故か鼓動が跳ねる。
鶴子は、男の、真摯でいて、不思議な光を放つ瞳に魅入られる。 そして、ここでようやく、男が何か言おうとしているのに気が付いた。
(こ、この人……何を言いはるんやろか…?)
期待する。鶴子は何故か期待していた。
それに応えるかのように、ゆっくりと、しかし確かに、男の口が動く……
「う……生まれる前から愛してましたぁーーーーーーーーーッ!!」
「きゃあああああああぁぁぁぁっっ!?」
男は、唐突に元気になって鶴子に飛びかかった!
鶴子は相手が怪我人だという事も忘れ、つい反射的にその顔面に肘を落とす!
「げばあッ!?」
珍妙な声を上げ、男は倒れ伏した。 呼吸を乱し、頬を桜色に染め、少し乱れてしまった衣服を整える。鶴子は混乱していた。
(さ、さっきまで意識を失のうとったのに、なんで突然……!? ……で、でもうち、あんなこと言われたん、初めてどすなぁ…)
…混乱の末、妙な所に落ち着いてしまったようだ。
確かに、鬼のように…むしろ、鬼よりも強い鶴子に言い寄って来るような男は、彼女の人生の中では皆無だったが…。
鶴子の悲鳴を聞きつけ、廊下が騒がしくなって来る中、鶴子はただ、布団を血に染め上げる男の事を、ぼんやりと霞がかった瞳で見詰めていた…。
これが、横島忠夫と青山鶴子の出逢いだった。
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