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■ 小説(SS)TOP ■
存外に満月照る夜空と言う物は明るいものだ。 現状への打開策を何も見出せぬまま、私が思考の末に見つけたのはそんな感想だけだった。 人工的な物が一切無い草原は満天の夜空と境界線無く交じり合い、実に程合い良く、『絶景』と言葉を飾っても過言では無い。 こんな状況で無ければ感動に心震わし、大自然に抱かれているような優しさを感じた事だろうが、今の私は我が身に降りかかっている、理不尽で非常識な現状の厳しさを受け入れる事だけで心が一杯だ。その点のみが、無念で仕方が無い。 「しかし、困った。本当に困った」 そう呟いて見たものの、常識と言う言葉を何処かに置き忘れてしまっている脳と、全く持って余裕の無い心ではやはり現実感は皆無。 こんな状況では何を呟いてみても、夢現の隙間に消え往く。 望んだ所で如何にもままならぬ状況故に、当然と言えば当然なのかも知れぬが――どうせ心身共に正常に為った所で、直視するのは『絶望』程度のものだろうから、このままの方が『具合が良い』と言えるかも知れないが。 「お兄さん、そんなに云々と唸っていると、息が青くなってしまいますよ?」 「顔が蒼白なのだ。息も青くなければ釣り合いがとれんだろ?」 ――自分が多少楽観していられるのは、孤独では無いと言う事もあるのだろうな。 ふと浮んできた思いを、そっと左心房へ押し戻しながら背後へと振り返る。 そこには風に揺れる黒髪に手を添えて、緩やかな弧を口元に浮かべる妹が、いつものように自然体のまま立っていた。 「余裕だな」 「一人ではありませんから」 随分と信頼されているものだ。 そう思うと、ほっこりと左心房が僅かに暖かくなる錯覚を覚えた。 しかし、妹がここまで超然としていられるのは、それだけが理由では無いような気がしないでも無い。 「ふむ……本当にそれだけか?」 「と、言いますと?」 「それにしたって綽綽と言った風情ではないか。如何にも『当て所が無い』と言う訳じゃ無さそうでな」 「そうですね、思い当たる節が無い訳でも無いですが……正直、自信は無いですよ」 「逆に絶大なる自信を持って、現状に至る原因を知っている方が恐ろしいわ。少し位、突拍子も無い方が今ならば現実味があるだろうさ」 大方の原因となる『切っ掛け』に関して言えば、何だかんだと認めたく無いが為にはぐらかしていたが、私にも検討が付く。 それは日常の中でならば余りにも幻想的(ファンタジー)過ぎて、論理的では無いと思うだろうが、ここまで来れば理論も整合性も関係無い。 「ん~、確かにそうですよね」 眉を少し顰めて小さく首を傾げて、妹は少しだけ身を乗り出して言った。 「ズバリ、夕食のデザートで食べた林檎が原因かと」 「……」 自分達がアダムとイブだと言う事を暗に示して居るだろうが、想像とは大分掛け離れた返答だった。 「いや、そうじゃないだろ」 「え~?そこは嘘だと思っていても認めましょうよ。もっと……ほら、解るでしょ?お兄さん」 「……何だい、その『SKY walker(凄く空気が読めない自己中野朗)』見たいな眼差しは」 「だって、そこで認めれば『私達は選ばれてしまったんですね。でしたら子孫を残す為に、子作りに励むのも仕方が無いですよね』って、合法的に肉体関係を迫る事も出来たんですよ?」 そう言って、まるで人間が信じられないとばかりに驚愕と偽悪に満ち溢れた眼差しを私に向けてくる妹。 ――ああ、駄目だ。早くコイツ、何とかしないと。 「如何やら、同じ地球上に居ながらにして私と瑠香は違う空気を吸っていたようだな」 「私の吐息はマイナスイオンと同じ性質だと巷で評判の私に対して、何気に酷い事を言いますね、お兄さん。何も間違った事は言って居ないのに……」 その思考がそもそも間違っていると思うのだがな。 「はぁ……先程の発言は少々言い過ぎたかも知れぬが、そもそも三段論法の世界新記録を樹立したような法律は存在せん。瑠香は一体全体、何処の『法』だと言い切るつもりだ」 私がそう言って尋ねると、妹は改心の笑みを浮かべて―― 「――自然界『法』則です」 と、如何だとばかりに妹は慎ましい胸を張った。 林檎を食べて理性無き者が理性を得たならば、理性ある者達が食べたならば失うと言う訳か。 そこには思わず納得してしまいそうな勢いと、実に理に適った整合性が――無いだろうな、断じて。そんな無茶な理論展開に騙される訳が無いだろう、常識的に考えても。 「やはり古き時代より『一姫二太郎』が良しとされて居ますから長女は亞彎(あわん)、長男は渦殷(かいん)にしましょう」 「……長男が碌な末路を送りそうに無い名前だな」 史実的にも、名前的にも。 名前に到っては『読み』自体も酷いが、書き表すのに使える『漢字』自体が大分制限されてくるので、見るも無残な如何しようも無い『かんじ』になるのだろう。 まぁ、まだ意味が解らない分『羅妃多(らぴゅた)』とか名付けるよりは、僅かながらに救いがあるような気がしないでも無いが、正直微妙な所である。 「知ってますか、お兄さん?近親相姦は法では禁止されてませんし、古来より日本人は血を大事にする傾向がありますので異母兄弟姉妹間の結婚が数多いのですよ?」 「さすれば『作中の「母」や「妹」は直接の血縁関係を示すものではありません』と一筆欲しい所であるな」 「そんな弱腰じゃ駄目ですよ、支配者階級としての威厳と高い志を持たないと」 埒が明かぬと否定では無く、どちらかと言えば肯定寄りの返答をしても、やはり反応は変らないようだ――こっちの反応が如何とか関係無く話に乗るのだな。 そんな所に妙に感心してしまったが、基本的には犯罪者予備軍である事実は如何様にも出来そうに無い。 「まぁ、威厳は兎も角、瑠香の場合は『志』では無く『欲』と書きそうだな」 つらつらと言葉を並べながら、妹が言葉多く語るのは、場の流れを作り出す為では無いかとふと思い至った。 一翳眼にあれば空華乱堕――乱れ咲くのは桃色の花かも知れぬのが些か不安な所だが、心も乱れは言葉の乱れ。饒舌なのは不安の表れ。 自分の為、私の為、場の空気を払拭する為の言動と見て宜しいだろう。 「むぅ……先程からお兄さんの反応が冷たいです――けれども、それはそれで」 宜しく――無いかも知れぬ。 僅かに火照った頬に右手を添えながら、小さく小首を傾げる瑠香の姿に頭痛を覚え、思わず眉間を指で抑えてながら天を仰ぐ。 ここまで来ると『自己告白(カミングアウト)』と言うレベルでは無いな。 もう、あれだ。隠す、隠さないとかの次元を越えている。 不安だからつい本音が――とかを建前に、その流れに乗って一気に総大将の首を狙いに攻め込んでいる気がしないでも無い。 「――」 断定しない 例え疑う余地が無く、異論が無かろうとも断定はしない あくまでも『気がしないでも無い』と無理矢理思い込ませる。 それは一種の自己暗示。自己防衛。 「鈍感を装うのも実に楽では無いものだ……」 決して零れぬように、小さな溜息で言葉を包みながらゆっくりと口の中で転がす。 妹は確実に見破られているとは思う。 私が妹の真意を――兄妹の範疇を越えた『情念』を既に存じ上げていると言う事実を。 だからと言って、私には如何やって事を収めれば良いのか判断が出来ない。 妹は、強く、そして弱い。 自分に現状を巧く捌くだけの裁量が無いが故の優柔不断な判断かも知れないが、今少しだけ、間違いが起こる事が無い距離を維持しながら装い続けたい。 それが良いか、悪いかは解らないが――肝腎要の非常に重き事柄故に、もう少しだけ時間が欲しいと言うのが自分の本音である。 「もう、お兄さんも急に黙らないで下さいよ。ちょっとした冗談ですよ」 「――む」 目の前で風に逆らわずに揺らすように手を振られ、合わなかった焦点が戻ると同時に、深くへ沈んでいた意識を釣り上げられた。 そこで初めて妹がいつの間にか近付いて居て、私の目の前に立っている事に気が付いた。 「済まん済まん、瑠香の冗談が余りに素っ頓狂なもので呆れ惚けてしまってな」 「あー、その言い方はヒドイですよ!私が場を和らげようと身を張って頑張ったって言うのに……まぁ、良いです。これも愛だと思えば受け入れれますから」 そう言いながら頬を膨らませる妹の頭を、右手で軽く優しく撫でる様に叩く。 「はいはい、解った解った……で、実の所は如何なんだ?やはり原因は――」 「流されたのが気に入りませんが……十中八九『お告げ』でしょうね」 困ったような顔で笑う妹に、困ったような笑みを返す。 幻想的(ファンタジー)過ぎやしないかとも思わないでも無いが、一番妥当な線だろう。 現実離れした現実には、それ相応の答えが許されると言うものだ。 もっとも、答えが出た所で如何しようも無いのがこの問題の厄介な所である。 「なんで、こんな摩訶不思議な事態になった事やら。『つき』に見放されているんでは無かろうか」 「さぁ、如何でしょうね?まぁ『雨の世にも星』と言いますし『つき』もそのうち見えますですよ」 「随分とお目出度い奴だな、楽観のし過ぎじゃ無いか?」 「やだなぁ、そこまで楽観はしていませんよ。それに人の苦楽は壁一重です、次に期待しましょうよ」 「ならば次に起こる事は、このような現状に巻き込んだ人物に釈明して頂ければ幸いだな」 「事が始まったのが『お告げ』ならば、事が動き出すのもきっと『お告げ』でしょうからね――」 「汝、我の声に応えし者か」 「そうそう、こんな声で語――」 それ以上、妹の口から言葉が出なかった。 いや、本当は尻つぼみになりながら言葉は零れていたかも知れないが、少なくともその瞬間、私の思考は完全に停止していたので拾う事が出来なかった。 「……何事、だ」 訳も解らず漠然とした思いを意思とは関係無く呟きながら、ゆっくりと辺りを見渡す。 奔る風。 波打つ草原。 連なる山。 身を隠すような場所は何処にも無いと言うのに、音は聞こえど姿は見えず。 「――お兄さん」 直傍に立つ妹が、呟くように私を呼んだ。 「如何、した?」 巧く呂律が回らない。 何故か妙に耳に残る心臓の音。 恐怖とは言わないが、得体の知れない不安がゆっくりと身体に『痺れ』を残して這いずり回る。 「エデンか如何かは解りませんが、私の発言はあながち間違っては居ないかも知れません」 妹の視線の先――真上に照る月の方向へ視線を向ける。 そこには在る筈の満月が消えていた。 厳密に言うと『覆い隠され』ていた。 「――」 覆い隠している『ソレ』は月光を背に受けて『明瞭』には解らなかったが、それでも『明白』に解る事があった。 月の逆光を浴びる形で影になって居ると言うのに、渾然と輝く白金の両翼。 常人のそれとは大きく異なる、長い四本の腕。 されど、そこに居る『モノ』は人だと思える姿を、かろうじて形作っていた。 とどのつまり、想像し得る存在は唯一つ。 言葉を無くしていた私達の口から同時に言葉が零れた。 「天使、なのか?」 「悪魔、ですよね?」 しょうみな話、どちらも似たようなモノである。 あぁ――やはり今夜は『つき』が無い。 異世界迷走史 2話『不可抗力のススメ』 既存常識に捕らわれ、新たに構成されつつある常識を受け入れる事が出来ないならば、如何様にすれば良いか。 答えは簡単である。 その常識と言う枠を完膚なきまでに叩き壊せば良い。 もっとも、それこそが言うは易し、行うは難しの現実なのだろうが――ここまで目の前に超重量級の非常識と言う鉄槌を叩き付けられたら、後は際限無く何事も受け入れる事が出来ると言うものである。 少なくとも私はそうだ。正直な話、何が起ころうとも今ならば全てを受け入れる自信がある。 目の前で『最近働かない会社員が増えていると為に法律が改定されて、年収の金額によって娶れる妻の数が1000万単位で増える事になった』と言われても、すんなりと騙されてしまうだろう。 それ程までに、天つ乙女のように目の前にゆらりと風と戯れる様に降り立った『御伽噺(おとぎばなし)』の如くに現実感の無い存在は衝撃的だった。 端的に言えば――姿身からして筆舌尽くしがたく、辺りを払う程に整っていた。 通った鼻筋、艶やかな僅かに肉厚の口唇、長い睫と鋭さを残す双眸には翡翠石を埋め込んだような輝きがある。 また、燃え盛り揺れる炎を彷彿させる、緩やかに波を打つ紅髪は月光に照らされて陽炎が踊るかのような輝きを見せる。 数少ない語彙で顔立ちを表現するならば『絵に描表わした美貌』と言った所だろう。 そして、身体は『完成された彫刻』のようだと表現出来た。 胸のふくよかさの良し悪しも含めて人の好みは千差万別かも知れない。 例えそうだとしても、眼を引く程に洗練された曲線が、胸元や腰回りは勿論の事、四肢の隅々に到るまで行き届いていた。 露出は少ないが身体の線がはっきりと見て取れる服装の為、私でなくても一般的な男性ならば否が応でも網膜に焼き付ける様に見惚れてしまうのは仕方が無いだろう。 「――」 知らず知らずに感嘆の溜息が零れた。 生涯を通して、ここまで女性に見惚けたのは始めてでは無いだろうか。 しげしげと両眼を開いて凝視するのは失礼だと解っていても、自制心を振り切って本能やら探究心やらがこぞって理性を蹴り倒して、視線を向けてしまう。 どのような構造なのかは解らないが、肩や鎖骨を覗かせる切口で首元から緩やかな直線を描いて胸元を隠す薄手のイブニングドレスのような服装に、濃紺の深い色合いの青を基調とした細かい装飾が施された光沢のある薄手の布を纏うように羽織っている。 漫画に登場する神殿を守護する女神や天使と言った服装なので、抽象的に形容する事しか出来ないが、その身を包む神聖な雰囲気は肌で感じ取れた。また、そのような服装でなければ『身体の特徴上』着こなすのは難しいのやも知れぬと、不謹慎にも考えてしまった。 眼や眉、足や脳、胸や心房、それらと同じ様に人ならば二本一対で存在する筈の腕が、両肩から二本ずつの計四本存在して居り、下に位置する両腕は指先が膝に並ぶほどに長い。 しかし、その異形と言える姿に受ける衝撃は少なかった。 何故ならば、それ以上に眼を奪う『モノ』が背中から大きく伸びているからだ。 両翼――折り畳められた姿からも静かに尊厳な気配を漂わせ、羽根の一枚一枚が磨き上げられた美しい銀細工で出来ているような錯覚を覚える両翼。 それら一つ一つが欠ける事無く嵌った存在。 月の下に立つその姿は神々しさに溢れ、跪いてしまいそうになる存在。 それは正しく、少なくとも私の眼には――天使に映った。 「驚かせてしもうたかや」 「――」 ただ一言。 それだけの事で、私は言葉無く驚いた。 ――その日本語に驚いて居ります。 とは流石に言えず、ただ黙って口を噤んで阿呆な面のまま天使を見た。 古風な言い回しで少し言葉の崩れており、聞き慣れない発音ではあったが、それにしても流暢な日本語だった。 思わず空耳だったのではと疑ってしまう。それ程までに今まで固唾を飲んで見惚れていた天使から発せられた『言葉』は衝撃的で、違和感極まりないものだった。 「あ……いえ」 言葉に詰まる。 それでも緊張や違和感、衝撃、思考停止とその他諸々の症状とも言えるものに支配していた今の私からすれば、返事をしただけでも自分自身を褒めてやりたい気分だ。 これほどまでに整理する――心を整理する時間を欲したのは久方振りである。 「趣向を凝らして登場せしめた言うのに微動だにせぬとは……中々如何して豪胆のようじゃな」 右の腕――より正確に言えば『右上の腕』を動かし、指先で顎をなぞりながら口の端を持ち上げた。 十二分に驚いている上に、眼をこれでもかと大きく広げているつもりなのだが、妙にざっくばらんな口調で話しかける天使には伝わらなかったらしい。もっとも、それが良い事なのか、悪い事なのかは解らないが。 「肝が据えとる者は嫌では無いぞ」 「お兄さんを驚かそうとするなら、雷鳴を轟かせ、大地を切り裂き、魑魅魍魎を従えて登場するぐらいで無ければ顔色一つ変えませんよ」 「ほうほう、なるほどの。それほどまでとは恐れ入ったよ」 妹の言葉を聞いて、心底感心したように頷く天使。 会話に割って入ってきた妹の物怖じしない豪胆な態度を見て、驚きながらも心底呆れ返る私。 当の妹はと言うと、すんなりと信じた天使に対して笑顔を浮かべながらも少し驚いているようだった。 こいつは一体全体、何処のどいつの夢か――胡蝶の夢にしても悪趣味だ、等と思いながら、私は天を仰ぎたい気持ちを必死で抑えるのに苦心した。 「これは……その……何なんだ?」 聞きたい事、尋ねたい事は山ほどあるが、何から聞けば良いのか解らず、曖昧な問い掛けを投げてしまった。それも誰かに投げ掛けた訳ではなく、それすらも解らず放り投げた。 「これは失念しておった。そなたは事情をてんで知らぬのだったな」 律儀に拾ってくれたのは、一番可能性が薄かった天使だったのはかなり意外だったが、その言葉を聞いた瞬間に、頭の奥に朧げな何かが擡げた。 しかし、『それ』は明瞭な形にならずに意識の中に沈んでいく。 追い掛ける事も出来たが、それをせずに違和感を覚えながらも話に意識を切り替えた。 「御初に御目に掛かる次元の隔たりを越えし異界の知者よ。我(わ)の名は『リーセンリ』。呼び難かろうから『リセン』と呼ばれよ。何、気を張る程の名ではあらんのでな、親しみを込めて呼ばれよ。して、そなたの名はなんぞ?」 ――これは、やられるな。 何処か遠い所から淡々とした自分の声が聞こえた。 いや、声『だけ』が冷静だったと言い換えた方が適切だろう。 ただの微笑を浮べられただけだと言うのに、行う人物によってこれ程までの『兵器』と為りえると言うのを、私は始めて目の当たりにした。 一目惚れとはベクトルは違うが――意識は焼き切れる前の導火線のように放電して火花を散らしながら爆発した時と同等の衝撃。気恥ずかしいのか、照れているのか自分でも解らない緊張が一瞬で身体を支配した。 「……紀一、です」 名を言うだけで精一杯だった。 喉の渇きが酷く、水分が足りない。眼を反らさずに言った代償に、私は耳の辺りが僅かに熱を帯びて行くのを感じた。 生まれてこの方、女性に免疫の無い。特に美人に弱い――生来、自分はそう言う人間だと言う事を、改めて実感させられてしまった。 「キイチ……きいチ……いや、発音は『紀一』かの。うむ、良き名じゃな」 「……いえ」 そう言葉を返し、ぎこちなく頭を掻く私の姿と言ったら、油の切れた絡繰り人形よりも滑稽だったであろう。 そんな自身に対して、羞恥に似た気恥ずかしさを感じて俯きそうになった――。 「さて、互いに簡易的ではあるが紹介も済んだ事であるし、先に御礼をば――この度は我(わ)呼び掛けに応えて貰い、心底感謝の意を伝えとう願うよ」 「……は?」 が、私はその言葉を聞いて、暫く唖然とした表情で天使――リセンさんを見詰めた。 「……よびかけに、こたえた?」 耳から脳へ届いた情報を理解出来ず、反芻するように音にして呟いてみても、私には異国の呪文にしか聞こえなかった。 「――」 「――」 両者図らずとも、互いに顔を見つめ合う形になってしまった。 緊張していたので、その僅かな時間が随分長く感じられたが、そこには気恥ずかしさは無く、私は疑問の表情をただ浮かべるだけだった。 対するリセンさんの顔にも少々困惑のした面持ちで苦笑を浮かべていた。 「……如何やら、そなたと我の間には大きな誤差が生じているようだな」 「……」 何も言えず、失礼と思いながら無言で返事をした。 右上の手で顎を擦り、両下の腕を組みながら笑みを小さく残して呟く天使――リセンさんを横目に入れながら、うんともすんとも言えぬ思いを込めて、両者の『差異』を正す事が出来るであろう唯一の人物の名を呼ぶ。 「――瑠香」 「何ですか、お兄さん?」 その声は、何も変らない。 普段と何も変らない。 この両者に生じた情報の齟齬を目の当たりにしながら、動じず、また疑問も持たず変らぬ妹。 それ故に――疑心の思いが募る。 「……まさかとは思うが――何か胸に収めちゃおらんだろうな?」 「もう、何を言ってるんです。私は見ての通りですよ?」 その言葉に迷いは無く、相変わらずふくふくと妹は柔和な笑みを浮かべて居る。 事実が如何であれ――何やら、怪しい雲行きのようだ。 とは言え、ここで問い詰めて見ても雲を掴むようなもので埒が空かないのは眼に見えていた。また、普段から嘘を吐かない――もっとも虚言に聞こえた『御告げ』の件すらも、現在進行形で進む今回の『騒動』で、真実であった事が判明した――妹の性格を知っているので、私も語尾を強く話せる自信が無かった。 故に、柔和な笑みを浮かべて、私の様子が然もおかしいと言わんばかりに小首を傾げる妹の姿を見ると、何とする事も出来ずに押し黙る。 「まぁ……御両人、互いに含む所あるようだが、少々此処は肌寒い。各々思う事は一端収め、話を円滑に行う為に場所を移す事を提案するが如何だろうか?」 「……」 私と妹の場を払拭するように、少々芝居掛かった口調でリセンさんは絶妙な間で両者の間に言葉を挟んだ。 誇れる事ではないのだが、天使に場を収めて貰うと言う何とも稀有な経験をしてしまった。 「それはとっても名案ですね!」 薄着の妹には夜風は少し冷えたのか、リセンさんの提案に直ぐに賛同し、素直に喜びを露にする妹。 「……はぁ」 その姿を見ていると、何が如何であれ多少の事ならば何でも許してしまいそうになる私は、友人に言われるまでも無く、中々の『馬鹿』なのかも知れない。『何』馬鹿なのかは定かじゃないが、きっと色々と余計な物まで込められて居そうだ。 私は小さく苦笑を浮かべてリセンさんに「異議無し」と言葉短く返した。 「うむ、それでは参ろうか」 「そうですね、早く行きましょう!」 「はっはっは、そう急かさなくても『とっと』準備をしようてさ」 「……」 ――しかし、随分と距離が近くなったものだ。 それは勿論、私が勝手に思う、私とリセンさんの距離がだ。 満足そうに朗らかに笑う姿を見ながら、立ち位置が随分と変った事を実感した。 最初は触れては為らぬ『聖域』のような存在に見えたが、今ではそこまでの遠い感覚は無く『高嶺の花』と言った印象の方が強い。 それにしたって、妹や私に対して妙に気安い(フランク)と言うか何と言うか。 こちらからすれば有難い話では在るが、第一印象と見た目だけでは性格と言うものは判断出来ぬと、つくづく大実感をする。 「む?」 そんな事を考えながら、妹とリセンさんのやり取りの中にふと疑問が残った。 「ん、如何(いかが)なされたかな?」 「あ、いや……どうやって行くのかと思いまして」 自分で言っておきながら要領の得ない喋り口である。 相手が気安いからと言って、自分の性格が如何にか為るものでは無いらしい。 まぁ、『相手の性格云々』程度で女性に対する態度が如何にかなって居るのであれば、私の女っ気の無い人生ももう少し潤いに満ちていたであろうし、仕方が無いと今は諦めるしか無かろう。 その内に、女性を口説ける程度には慣れもするだろう。希望観測が多々在るが――多分、きっと、そこはかとなく。 「ああ、それは無論『転移魔法』で……と、そう言えばそなたらには『魔法』と言う概念が無いのだったな」 「魔法……ですか」 魔法――魔法ねぇ。存在するのか。 普通ならば眉根を寄せる発言だが、今の自分は妙な納得をしてしまった。 むしろ「それぐらい無ければ、なぁ」等と嘯く輩も居る始末。 こういった際に、人間の感情と言うのは存外に好い加減に作られているものだと実感してしまう。 「……瑠香は、驚かんのだな」 僅かな含みを持たせつつも、笑みを絶やさぬ妹に対しての単純な質問だった。 「そう言うお兄さんだって驚いてないじゃないですか」 「まぁ、ここまでくればな」 「私も同じですよ。それに、言葉が通じている時点で魔法見たいなものだと思いましたし」 「あぁ――」 その言葉に「そう言えばそうだ」と不覚にも感心した。 「今回は色々と手を回して世界を繋げたからの。そう言った事も配慮して、既に手を施しておったからな」 思った以上に近くから声が聞こえたので、竹刀の弦のように真直ぐ背筋が張った。 また引っ掛かる単語があったが、深く考えるだけの余裕が無かった。 何故ならリセンさんが音を立てずに――もっとも、妹との会話に気を取られていて気が付けなかっただけなのだろうが、触れ合うのに半歩詰めれば良い位に近くに居たのだ。 目線の先のリセンさんの美貌に改めて見惚れながら、そこで初めて目線の高さが私と変らないと言う事実を知った、 別段、如何でも良い事だが、その時の私は――その背が近いと言うだけの事実に微かに喜びを覚えてしまった。やはり私は馬鹿なのだろう。 「この世界の概念を示す為の言葉と、そなたらの世界の概念を示す為の言葉。その両方を照らし合わせて比べ、一番適している言葉へと脳が自動的に翻訳してくれると言う訳じゃな。そうさね、難しく考えずに『魔法で言語疎通の不自由を改善した』とだけ理解しておれば構わんよ。本来は異種族との交流を図る為に作られた魔法なのじゃが如何やら上手く言ったらしいの」 「やっぱり、魔法って便利なんですね」 「便利になるまでが面倒なのじゃがな。まぁ、そう言った話も含めてする事になるじゃろうて」 しみじみと「美しさとは罪と言うが、真に本当の事よ」と実感していた私が気が付いた頃には、女人二人の会話は終わりを向かえており、場面は次の局面を迎えていた。 「それでは異界より御出でし方々、御拝聴と合わしまして御眼を拝借をば」 わざわざ気を使って大仰しい態度なのか、それとも素のままに洒落た事を言ったのかは解らないが、私達の視線を集める芝居のような――だが嫌味の無い口調と鮮麗された動作で、小さく頭を垂れる。 そして『奔(ホン)』と言う擬音が聞こえそうな程、意図も簡単に浮き上がった。予備動作無く文字通りに『浮き上がる』と、そのまま優雅に回りながら空に舞い上がる。 高さにして3m程度だろうか。 月に背を向ける形で空中に停止すると、流れる動作のまま杖を取り出す――いや、呼び出した。 今までその右下の手に納められている『杖』を何故に認識出来なかったのか、そんな疑問が沸き立つ程に自然と杖が握られていた。 その杖の細部までは解らないが、解った事が幾つかある。 杖の長さは大よそ2m程度の長さであり、その内先端部分に当たるのは30cm程度の輪形だった。そしてその輪形に、細い尖端の鋭い短い棒状の何かが多く付いている。 はっきりと見て取れないが、何と無く西洋版の錫杖のように見えなくも無い。 されど、唯一決定的に違う点が一つだけ――その輪型の中で『何か』が高速で回っている。いや、奏でている。 風を巻き込み回転する『何か』は虫笛のような美しい澄んだ音色を辺りに響かせていたのだ。 「■がか■無ら■うじせし■■■――」 歌う様に、謳う様に、唄う様に、謡う様に、詠う様に――言葉が紡がれる。 色彩鮮やかな夜天。 音色奏でる杖。 優しく濡れる月。 流れる草原。 そして、ただただ美しい両翼広げた天使。 ――幻想的な光景だった。 「うわぁ……」 「…………」 言葉を忘れて夢現を彷徨う私の耳に、妹の嬉々とした呟きが届き、手放していた意識を掴み直したその瞬間、またするりと意識は逃げ行き、私は再度惚けた。 自分達を中心、コンパスで円を描くように草原に大きな弧を描く光の線が走る。 線は大きな円を描き切ると、中心に段々と近付きながら複雑な紋様を描いて行く。 目線の高さからは全体を一望出来ないが、それでも描かれている物が『魔方陣』と呼ばれる物であり――完成図を見る事は叶わないが、幻想的な美しさを兼ね備えている事だけは漠然と理解した。 描き終わった魔法陣が、一層輝きを増していき視界が徐々に光に押し潰されていった――次の瞬間。 「――ッ!!」 咄嗟に閉じてしまった眼を開けるとそこは―― 「……ぬ?」 先程と変らぬ草原に私は立っていた。 いや、言葉を訂正せねばなるまい。 先程と変らぬ草原に『唯一人』で私は立っていた。 「これは如何して――ぐっじょばい、なぁ」 物悲しく通り過ぎる一陣の風を感じながら、小さく呟いた。 酷く侘しい気持ちに沈み込んだ私の心中を実に的確な言葉だと我ながら思う。 |