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とある冒険者の手記




■1月8日


 私は冒険に出る。

 その言葉と決意を持って今日から日記を書き綴ろうかと思う。
 然し、この様な序文で良いのだろうか。勝手が解らぬので判断しかねる。
 本来ならば「寒さが肌身に染みる」とでも書こうと思ったのだが、詩人志望の知人に「もしも面白い経験が書かれるんだったら俺が、もしかしたら他の誰が読んで歌にするかも知れないんだ。一応、他人が読む事を前提に書いとけよ」と言われたので、面倒ながらも第三者を意識して文章の構成をして行こうかと思う。
 知人の言葉に上手く乗せられた気がしないでも無いが、その気になって居る自分も大概だと思わないでも無い。
 それはさて置き、取り合えずは本題に戻るとしよう。

 冒険に出る――何て事の理由は様々だ。
 英雄譚に倣って言えば『世界を救う為に』なんて物から『呪いを解く為に』『冒険者として一旗挙げる為に』なんて物まで、中には『ハーレムを作る為に』と言った欲望に素直な目標等々と言った所で千差万別に存在する。
 そう言った意味では当事者である私の思いは如何であれ、文面に表すと些か面白味の無いささやかな理由で在るだろう。
 ――音が軽くなった。
 何の、かと言えば拳の打撃音がだ。
 解り難いかも知れないが、感覚で言えば打撃音が『真綿に染み込む』ような感触がしないのだ。プレートの表示を確認すれば、着実にステータスは上がって居るのにも関わらず。
 それ故の身体能力の変化か、装備を新しくした為に戦い方が変わった事により打ち方が崩れたのか、他にも原因があるかも知れない。
 漠然としたそんな思いが浮んでくると同時に、このままでは上を望めないような気がしたのだ。
 精神論になってしまうが『心構え』と言う奴が変わったからだろう。
 この生まれ故郷である『堅秋(こうしゅう)』の南東にある地下43階からなる『峯蓮(ほうれん)の巣窟』を制覇してから早半年――死と隣り合わせであるのは変わり無いが、張り詰めていた何かが僅かに、本当に僅かだが緩んだのを今更ながらに実感した。

 それ故に、私は旅に出る事にしたのだ。

 ――と書いて見たが、別に今直ぐ旅立とうとは思って居ない。
 少なくとも今日はもう夜分遅くと言った時間帯なので行動は明日からにしよう。
 着の身着のままと言う訳には流石に行けないので、数日は準備に手間取られるだろうが、それ位の慎重さが無ければ冒険者として生き抜くのは難しいと言うものだ。
 行動は計画的に、だな。


■1月10日


 何処まで書けば良い物なのだろうか。
 凝り性と言う訳じゃないが知人の言葉が頭に残り、どうせならば基本的な事――この世界の常識と言われる部分も一緒に書いてみようかと思っているのだが、如何なものだろうか。
 これをいずれ読むかも知れない諸賢の方々の返答は如何程かは解らないが、何処かの誰かの手引きになればと言う思いを込めて、事細かく書いて行こうかと思う。
 それにしても文面だけを見ると独り言で脳内会議をして結論を得る、そんな友人の居ないさもしい男の様では無いか。何と言う自己完結。
 否――と、胸を張って答える為に、今回は冒険の相棒を含めて紹介したいと思う。

 今日は挨拶回りを中心に一日を費やした。
 御世話になった先人の方々や、一緒に馬鹿な事をした友人達、それと迷宮に潜る際に何かと御厄介になった店舗にも勿論足を運んだ。「明日、荷造りの際にまた来ます」と言ったならば、その時は色を付けてくれると言っていたので有り難い限りだ。
 その時点で太陽は既に南中を越えていたので、足早に紹介状と転移手続きを行おうとギルドへ歩みを進めていると、背中に強い衝撃を受けた。
 
 振り返った先に居たのは、絵羽模様の朱色の鮫小紋に黒帯を締め、襷掛けで両腕を捲くり上げた、活発な印象の受ける少女だ。
 愛くるしい顔立ち、愛嬌のある糸目、朱塗りの一本下駄、それでも低い身長、それに見合わぬ老熟した雰囲気と特徴的な箇所の多い美少女だが、一番目に引くのはポニーテールに束ねた背に掛かる程に長い漆黒の髪から、自己主張激しく覗かせている獣耳だろう。狐と言うよりは狸のような、小さく丸みの帯びた耳だ。
 長年の相棒であり、名を『稟(りん)』と言う人とは異なり、神の眷属である『鎌鼬』と呼ばれる種族だ。
 
 私の背に体重を預けながら、拗ねたような表情で「旦那、アチキを忘れるたぁ少々人が悪いじゃありやぁせんですの?アチキを放っぽり出して、何を勝手に旅に出ようなんぞと企むたぁ、あんまりじゃ御在やせんか」と恨みがましく言う稟の言葉に、思わず失念していたと我ながらの阿呆さに天を仰いだ。
 普段から現状に対しての相談をしていたので、目先の事に捕らわれて伝えていた気になっていたのは明らかに私の失敗だった。
 
 さて、ここで稟の事を詳しく説明しても良いのだが、すると文量が際限無く増えるので、詳細は道中の間にでも説明して行きたいと思う。
 幼い頃の縁が切っ掛けで、紆余曲折を得て十年以上の共に居させて頂いている相棒兼同居人だ。上の言い回しを読んで貰えれば解るかも知れないが、稟は私の数段上を行く実力者だ。

 ――ここで書く手が止まる程に考えてしまったが、一応この世界の仕組みである『神』にまつわる冒険者として必須の『信仰』『奉納』や『ステータス』等の世界観まで書いた方が良いのだろうか。
 既に日記の領分を越えている気がしないでも無いが、新天地への移動距離も長い事であるし私や凛の事も合わせて道中に記載していこう。
 ちょっとした小説を書いている気分で悪くは無い。左団扇の文豪の気分だ。

 取り合えず今は大雑把に『神は信仰する事によって恩恵を与える』と言う事と、『ギルドは冒険者を統括し、その代わりに様々な面でサポートしてくれる』と言う物だと思って頂ければ構わない。
 都市によって『縛り』や『契約事』等の詳細は変化するが、基本的には間違って居ないだろう。

 流れがまた要らぬ方向へ進んでしまったが、兎にも角にも御機嫌斜めな稟に平謝りをしながら、伴ってギルドで諸々の手続きをこなし、その後はいつもの流れで酒場に行き、馴染みの衆と合流して大いに夜通し騒いだ。

 そして、今しがた帰宅して現在に到る。
 少々飲み過ぎたかも知れないが、明日には影響なかろう。
 稟の奴は酒が好きな癖に、直ぐに酔ってしまうので、早々と寝に入ってしまった。
 部屋を先程覗いてみたが気持ち良さそうに寝ていたので、明日まで酔いは引き摺りはしないだろう。
 
 それにしても、稟は如何やら変わらず私の相棒として、旅に同行してくれるらしい。
 約束――場合によっては契約になるかも知れないが、実に律儀なものである。
 然し、本人には面と向かって言えはしないが、本当に有り難い限りだ。
 精神的にも肉体的にも、一人旅は堪えると聞いていたのだが、稟が居てくれれば心強い事この上ない。また、神への奉納を如何するかと少しばかり悩んでいた部分もあったので、全ての問題が解決出来た。
 言葉では伝えるのが恥かしいので、態度で示そうかと愚考する。


■1月11日


 ――酒のせいにはしないが、昨日の文章は酷いな。
 改めて思ってしまった。まぁ、書き直す気は無いがな。
 現時点で昨日よりも酒を鱈腹(たらふく)飲んできたので、気にするだけ無駄だろう。
 めでたい祝いの席の事なのだから、仕方が無い。言い訳としては十全だろう。
 
 それはさて置き、今日の一日で荷造りの準備は完成した。
 まぁ、ぶっちゃけ容量は少ないが使い勝手の良い、兄から譲り受けた空間膨張魔法が掛けられた肩に下げる鞄に詰め込めるだけ詰めただけなんだがな。
 後は、明日起きたならば普段通りの装備と一緒に身に付けて出発するだけだ。

 持ち物の確認を込めて、一通り書いて行こうと思う。
 体力回復の為の『聖石』に、精神力を回復させる『魔石』を筆頭に状態以上回復の為の道具を一式。迷宮や野宿の際に必要な簡易結界や、松明の代わりにも使える愛用の『陽仙(ようせん)』も勿論持った。
 ちなみに『陽仙』と言うのは、火を司る神としてこの地方では有名な『焔郭(えんかく)』の眷属である。種族的には精霊と言った方が良いかも正しいかも知れない。
 普段は一辺が十センチ程の黒箱の中に居り、そこから出してやると「ふわりふわり」と囁く様に出てくるのだ。
 確りと契約を交わせば『洞窟内や暗闇を照らす』『物に火を点ける』『敵が近付くと強く発光して奇襲を防ぐ』等、地味ながらも役に立つ活躍をするので重宝する。
 その分、値段も大分張るのだが、それだけの価値があるだろう。
 他には鍋等の凡庸性に優れた調理器具は勿論の事、肌着を中心に衣類を詰め込んだ。
 後はあるだけの金品を入れて、余った空間には日持ちする食料と水、特に米と醤油等の調味料は必要以上多めに入れて置く。
 これだけ入れれば、何事も無くとも計画的に消費すれば1ヶ月は持つだろう。

 そうして『峯蓮(ほうれん)の巣窟』最下層の番人である『多田羅蛇(たたらへび)』の骨と皮から作り出した手甲と足具、多田羅蛇の皮と土蜘蛛の糸で巧く織られた作務衣、目目連の根付、その中に雲外鏡の欠片、影女の忍足袋(しのびたび)。
 それら普段通りの装備を身につけて、いよいよ旅立ちとなる――だと言うのに、床に早めに着こうと思ったら、稟に有無言わさず無理矢理に酒場に連れて行かれてしまった。

 最初は渋々ながらだが、酒が入れば陽気な気分になるもので、最後の夜だと酒場の主人が盛大に料理や秘蔵酒を振舞ってくれたのも大きく、飲み進めている内に大変に楽しく、嬉しい酒となった。
 日中に道具屋等の店を回った時も思ったが、本当にこの街の人々は情が深い。幼い頃からの顔馴染みとは言えだ。

 そんな風に感慨深く酒を煽っていると、いきなり友人や知り合いの面々が乱入してきたのには驚いた。
 如何にも稟を通して最初からサプライズを狙っていたらしい。
 皆が金を出し合って餞別代りに手渡された。
 品は山を3つ越えた所の迷宮『古戦場の果て』で手に入る稀少品『夜化し(やかし)の憑物』だった。
 この『夜化しの憑物』とは、戦場の死を司る女神『五月姫』を信仰すると髑髏(どくろ)に眷属の息吹を込めて下さる事があり、それによって始めて手に入ると言う物だ。
 何が息づいているのかは解らないが、血と宣呪言(のりとごと)をもって契約を為せば、死が二人を別つまで付き従って貰えると言うもの。
 言葉は乱暴かも知れないが、強力な『使い魔』を手に入れる事が出来る道具だ。
 故に『陽仙』の比に為らぬ程その稀少価値は高く、値段もかなり張るのだが、皆は「こいつは貸しだから、一旗上げたら利子付けて返しさ来いよ!」と笑いながら渡された。
 その瞬間、思わず目頭が熱くなり――その後、如何なったのかはご想像に御任せする。
 自分で書くには些か羞恥に耐えられぬ故に。

 駄目だ、酔いと羞恥で起きているのが耐えられん。
 夜も深けて来たので今更だが、今日は早々に床へ着く。
 そう言えば稟の奴が『夜化しの憑物』を手渡された時に「新しい相方が出来ても、アチキの事ぁ捨てないでおくんなまし」と早々に不貞寝をして居たが、明日は確りと起きてくれるだろうか。
 些か、心配だな。
 

■1月14日


 旅に出て三日目。
 恙無く(つつがなく)今日は終わった。
 初日、二日目は勝手知ったる道と言う事で、急ぎ過ぎた所為もあって書く暇が無かったが、これからは多少緩やかな速度になりそうだ。
 稟にしては少々退屈なようだったが、それでも久方振りの長旅とこれから待ち受ける世界に、心をときめかせているのか終始機嫌が良かった。

 簡易結界も張り、陽仙に警戒を頼んで食事を済ませたので、後は日記を書き終わったならば寝るだけなのだが、改めて思う。
 やはり迷宮よりも危険は少ない。多少の警戒はする物の、見張り番を置かずとも安心して寝る事が出来そうだ。

 基本的に迷宮等の『特定の場所』以外には、危険な敵は存在しない。
 ココで言えば精々居ても『貉(むじな)』や『野犬』と言った所で、『峯蓮の巣窟』一階の敵よりも弱く、結界を越える事が出来ない相手だ。
 
 何故、敵が弱いのか。
 一番の単純な理由としては『迷宮を結界で塞ぎ、街で囲っている為』だろう。
 前提条件として『迷宮からしか魔物や妖怪は現れない』と言うものがあるが、それにかんしては学の無い私には良く解らない。また、知らなくても良い事だろう。

 知っている範囲のみ書いておくと、迷宮は突然出来たものでは無く千二百年程前の時代には存在しなかったらしい。確か、地震か何かの影響で突然迷宮が開いたと言うのを記憶しているが――まぁ、詳しい事は解らず、諸説は色々あるが理由は膨大な時が経った今でも解って居ない。解っているのは、技術の進退が激しいと言う事ぐらいだ。
 そもそも、そう言った事を突き詰めれば魔物や妖怪よりも、力を授けてくれる神様だって不可思議だ。他にも魔法や妖術、この世の『理』や『常識』と言った有象無象だって詳しく知らないが、それでも今まで問題無く過ごせたのだから、問題無いだろう。
 そう言った『モノ』に興味があるならば、学のある諸賢に任せるとしよう。

 とは言え、全てを投げ出すのは宜しくない。
 自分が解る範囲の知識――迷宮を中心に街が発展した理由だけでも書いて置く事にしよう。それは防衛の為、発展の為、進化の為だと推測する。
 
 進化とは妖怪や魔物を倒すと出てくる、結晶と迷宮にある未知の物だ。
 結晶は神に奉納する事によって恩恵を授かり、力を得る事が出来る。
 即ち、それは人類としての進化。
 未知の物――と言うのは、魔物の皮膚や骨等、加工は出来るが生み出す事が出来ない迷宮で手に入る金属と言った物だ。これらを高い金銭で取引されて、技術の発展に繋がっている。
 迷宮があればそこに冒険者が集まり、冒険者が集まれば付随して技術者や商売人が集まり、それらが集まれば街になり、迷宮を中心に発展する街を繋ぐ為の組織やネットワークが広がる。
 そして、それらが結果的に妖怪達が迷宮から出でて(いでて)結界を破り、大陸へ広がらない為の防壁の役割を果たしている訳だ。
 文化が違えど、それだけはどの大陸も共通している事柄だ。
 それは勿論、これから私達が目指す中央大陸『トラッド』でも同じ事だ。
 
 明日はこのままの流れで、目的地である大陸の話も踏まえて少々書いて行こうかと思う。


■1月17日


 今日も野宿だ。
 旅の途中で街に立ち寄ったが温泉に浸かり食事を取った程度で、そのまま足早に抜けて行った。
 迷宮で慣れて居るとは言え、妖怪ではあるが女性である稟に野宿を強いるのも心苦しい気持ちを感じないでも無いが、『トラッド』に対する魅力に比べれば割かし些細な事だ。
 正直、私よりも稟の方がその思いは強い様に思える。
 
 前回の日記にも書いたがトラッドを含め、基本的な大陸の事に関して説明しよう。
 とは言え、説明するまでも無い事かも知れないので、ざっくばらんに書かせて貰う。
 基本的な事だが『大陸』と呼ばれる場所は、計5箇所。
 北は山脈が連なり、年の半分が雪化粧となっている『ムニカ』
 南は森林が生い茂り、人口の三分の一がエルフと言う『ムル・フラウ』
 西は人と異なる異種族や様々なハーフが数多く存在する『ドルムルスト』
 そして私達の住む、他の大陸とは文化の毛の色が異色とされる東の大陸を『逢霊』と呼ぶ。異色とされるその最もたる例は『魔族』と呼ばれる存在は居ないが『妖怪』と言われる存在が居る点だろう。衣食住、全てに置いて他の大陸との差が大きい。

 その大陸が作り出す歪な四角形の中央に位置するのが『トラッド』である。
 そこには四方の大陸の交通や流通の要所であり、大陸中最大の面積を誇り、全ての人種、富、名誉――極端に言えば『無いものは無い』とまで言われる程である。
 夢を見る者、現実を見る者、誰もが一度は憧れる場所である。

 私達がこれからの日程を書き表すと、大陸間を繋ぐ『転送装置』のある大陸の端まで向かい、そこから中央大陸の主都である『ガレオン』へと向かう。
 ガレオンは別名『迷宮都市』と呼ばれており、塔や洞窟、様々な迷宮が十以上の数が存在し、その半分以上が50階層以上であり、地下最長の186階――そこが終わりでは無く、少なくとも200階までは存在すると言われている、世界最大規模の迷宮『リムストロガム』が在る。

 旅に出ようと燻っていた時から夢想していた。
 峯蓮の巣窟と言う『井戸の中』を制覇した私達がどれだけ通用するだろうか。
 楽しみであり、不安である。

 私達ならば大丈夫、どのような困難でも何度か駄目でもその都度打破してきたではないか――現実を見るまでは、そのような夢や希望に思いを馳せるのは、人情として自然だろう。私とて例外では無い。
 とは言え『魔物』と呼ばれる存在が『妖怪』と、どれ程の差異があるのか解らないのが難点ではあるが――基本的な相性は変わらぬだろうし、やる事は同じだろうから緊張しても仕方が無いのだろうがな。
 私達の戦い方は『小型』や『中型』までには非常に有効だが、『大型』や直接打撃が聞かない相手との相性は良くない。
 今までは道具等を駆使して何とかしてきたが、やはり『妖術使い』や『陰陽師』の技術が欲しい所だ。私達の持ち味である速さが損なわれる可能性が高いので、余り気が進まないが仲間を新たに募るのも良いかも知れない。

 そう言えば、渡された『夜化しの憑物』の中には何が居るのだろうか。
 明日で丁度一週間、契約者と波長を合わせる為の時間的には充分だろうし、明日はそれを行ってから出発する事にしようか。
 妖術の使える、出来れば女性型だと嬉しいのだが――いやいや、女性型は数が少ないし、今は戦力面でのみ考えよう。
 願うは『九尾の一尾』や『蛟(みずち)』『雷獣』、次点で『つらら女』『雪女』だろうか。
 と言うか願っては見たものの、私は『夜化しの憑物』に宿る可能性のある妖怪の種族を知らんので意味が無いのだがな。


■1月18日


 想像の斜め上を行く。
 その言葉に尽きるだろう。
 今日も道を急ぎ、いつもよりも少し早めに寝床を陣取った。
 理由は昨日書いていたように『夜化しの憑物』を使用する為だ。
 細心の注意を払いながら、興味津々な稟が見守る中で手順違わずに契約を行ったのだが、予想外の『モノ』が現れた。 

 聖石は勿体無いので切った指先に、止血効果のある練った薬草を擦り付けていると、先ず最初に現れたのは黒い煙だった。
 その煙は空へと昇り広がって行き暗雲となり、気が付けば周りの樹を薙ぎ倒す程の暴風雨となっていた。
 隣で事の成り行きを見守っていた稟が慌てて軋み続ける結界の周りに、風を使った障壁を作り出したので寝床には影響が無かったのは幸いだった。
 十呼吸。それ位の間だっただろう。

 暗雲を切り裂き、結界を突き破り、咽返るような熱気と共に『彼女』は現れた。
 その瞬間、私は彼女が『雷獣』だと思った。
 暴風雨の印象もあり、何よりも彼女の頭に獣耳が生え、尻からは三本の尾が揺れ動いていたからだ。それも猫のような。

 然し、よくよく見ると私は自分の判断に自信が無くなって来た。
 鋭さを思わせる容貌の中で煌々と輝く紅玉の眼。
 たわわに実った大きな胸を強調するかのように、喪服の様に黒い薄手の着物の胸元を大胆には開けた(はだけた)艶美な身体つき。
 その身体からは気が強そうな快闊な雰囲気が蒸気のように纏わり付いている。目視しているのではと錯覚を起すほどだ。

 真っ当な男ならば趣味趣向を問わずに眼が向いてしまうような女性だが、それが私の下した判断に疑念を覚えた材料となった訳ではない。

 髪だ。
 肩口に届くまで伸びた朱色に染まる髪が――熱を孕んだ髪が印象深かった。
 それは『美しく燃える森』と表現するよりは『たおやかに熔解する金属』と表現したほうが合っているだろう。
 ――魅入った。
 暗闇で金属と金属を叩き合った際に「琴(きん)」と弾けて出でる火花の様に、眼を惹き付けて放さない何かが、彼女には有った。
 「旦那、戻ってきておくんなまし」と、袖口を引っ張りながら呟いた稟の言葉に、私は意識を戻した。
 隣で敵意を剥き出しにしながら「あれは、アチキの敵でありんす」と胸を睨み付けながら言い捨てる稟はさて置き、私はそこでやっと気を持ち直し、ゆっくりと深呼吸を行って心を強く持つ事が出来た。

 いざ声を掛けようとしたならば、出鼻を挫くように「よぉ、兄さん。アンタがアタイの大将か?」と尋ねられた。
 流石に話の主導権を握られては為らぬと、二三言葉を投げ掛けると「大将、運が良いよ。何と言ってもアタイを呼ぶたぁ、中々見所がある」と言いながら、気持ちの良い笑みを浮かべた。

 先程までの魔性は何処へやら、私も稟もその笑みを見て肩を落とした。
 自らの名を『鼎(かなえ)』と名乗った彼女は、見た目通り――と言えば良いのかは解らないが、矢継ぎ早に言葉を掛けて来る。
 曰く「悪心の匂いがしねぇし、そっちの姐さんが慕っている所を見れば、アタイも中々良い籤を引いたようじゃないか」との事。
 明るい調子で鼎は屈託無い笑みを浮かべて、私達の心の内にするりと入り込んで来た。

 稟は多少の警戒を残してはいたが「姐さん」と嫌味なく十年来の友人のように、ざっくばらんな口調で接してくる鼎に悪い印象は持って居ないようだ。

 そうそう、大事な事を書き忘れていた。
 鼎の種族は案の定『雷獣』では無かった。
 種族は『火車』――人型であったので随分と印象が違うが「言われて見れば」と思えた。
 実際の妖怪としての火車は御目に掛かった事が無いが、絵や知識としては知っていたので、そう感じたのだろう。
 
 元来『火車』は大きな猫又、または禍々しい猫に近い姿の獣と言われている。一説には、年を取った猫が神通力を得てなったと考えられているらしい。
 自分の知る限りの様々な諸説や情報を統合すると、火車は相手の悪心を敏感に読み取り、御魂の扱いにも長け、手癖が悪く盗みを働き、何よりも驚きなのだが――先程のように天候を操り暴風雨を呼び出す事が出来る。
 そして勿論、名が体を現すように炎を自在に操り、天を駆け回る。
 後、短気ではあるが単純で、人型で無い獣姿でも話の通じる相手でもあり、日頃の行いが正しい人間ならば誠意を持って頼めば、一方的な物ではなく対等な『契約』を結ぶ事が出来る――単純に言えば、妖怪ながらに性格は良いらしい。

 これらが私の持つ火車に関しての知識だ。
 鼎にその事を聞いてみたが、概ね合っていると言いながらえらく感心された物だ。
 補足として言われたのは、金属音が好かないと言う事ぐらいだ。
 
 然し、滅多に御目に掛かる事が出来ない人型と巡り合う事になるとは、実に運が良い。
 人型の強みは――人によっては性的な交渉が可能とでも言うかも知れないが、それも含めて人と同じように『妖怪としての能力は変わらずに戦術の幅を合わせる事が出来る』と言う点だろう。
 火車ならば遠近どちらも対応が出来る。何よりも私達の速度を損なう事が無く行動が出来る。
 深い所まではまだ理解し合えてはいないが、少なくとも現時点では性格や戦力を考慮しても実に良い仲間が出来たと言えるだろう。

 稟は些か事情が異なるとしても人型(女性)の妖怪二人が仲間と言うのは、街の仲間達が見たならば血の涙を飲むだろうな。
 それなりの苦労があったからこそとは言え、些か運が良すぎて不安になる。
 まぁ、そのような不安はさて置き、親睦の意味を込め食事も多少は豪勢だったし、実に有意義な一日だったと記しておこう。
 

■1月22日


 鼎は実に優秀だ。
 こちらの意図を読み、それに合わせてくれる事に関して言えば付き合いの友人さながらである。
 生まれたばかり――と表現して良いのかは解らないが、少なからず常識や知識が無いのだろうと思っていたが、その心配は無用だった。
 思うに一週間の波長を合わせる期間は、その際に思考を読み取り、様々な常識や知識を吸収する期間でもあったのでは無いだろうか。
 真実は五里霧中の彼方ではあるが、有り難い話だ。

 今日で旅に出て11日目になるが、転送装置のある大陸の端まで後数日と言った所だろう。
 馬を使っても20日掛かると言われている距離を、二週間程度で駆け抜ける。
 また世界を縮めてしまうかも知れないな。
 
 とは言え、それでも足を引っ張っているのは私なのだが。
 稟一人だけならば一日で着くのだろう。
 『一日で大陸を一周する』と言われる鎌鼬の速度は瞬間速度では無く、その速さを維持す続ける事が出来る持久力にこそ真価がある。
 文字通り『空を駆ける』ように走る鼎も、稟との比較対象となる事が出来る程にとても速い。
 一日では無理だろうが、二日三日で私達の住んでいた街から目的地まで着くのでは無いだろうか。

 稟もまだ見ぬ中央大陸に心弾ませている様子が道中でも解った。
 私も人の事は言えず、少なからず表情に嬉々とした色が見えるのだろう。鼎も空気に当てられて、若干楽しみな様子だ。
 場に満ちた空気が心地良い。


■1月24日


 明日には目的地に着くだろう。
 中央大陸へ移ってからまた数日歩かねば為らないが稟も私も鼎も、逸る心を抑える事は出来ないだろう。
 ここまでの道のりで無理をして居ないので、体力的にも精神的にも十全である。多少なら無茶に駆けた所で問題無い。

 一日の出来事を書くだけで道中も記する事が無くなって来た。
 平坦な道を走っているだけなので仕方が無い事だろう。
 なので、大陸に着いて書く事が無くなって来たならば最初の頃に書いていたように、この日記に登場する人物達の事を書いて行きたいと思う。
 とは言え、私と稟の事だけなのだが――鼎に関しては、もう少し時が熟するのを待ってからだな。後は『ギルド』等のこの世界観に関する事か。
 後者は常識の範疇であるし、読者諸賢の方々が御存知の場合が多いだろうから、前者の方を先に記する事にしよう。

 然し、こんな日記を読む人間が本当に居るのだろうか。
 甚だ疑問だ。だからと言って止める心算も無いが、私はとてつもなく不毛な事をやっているのではないかと時折不安に思う。
 考えても仕方が無い事だがな。
 まぁ、明日に思いを馳せて今日は寝るとするか。





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