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 私の人生、何が問題かと言われれば「全てが問題であった」と言わざるをえない。
 もし「そこを何とか一つに絞れぬか?」と物好きが尋ねてきたならば、「私が『知者』であった事が全ての始まりだった」と答えるだろう。
 知性がある故に、悲しみ、悩み、病み、悔い、怒り、そして嘆く。
 無知で居られたならば将来に絶望する事無く、単細胞らしく本能に殉じて生をまっとう出来た筈だった。

 生まれ出でて数十年と少々。
 父への感謝と僅かばかりの喜びを糧に、茨と有刺鉄線が複雑に絡み合った悪路のような人生を歩んではいるが、そんな私にも一抹の夢がある。

「諸君、私は切望する。甘く震えるような恋を、然るのち大団円の結婚を」

 俗世に塗れた願い。逆を言えば、それほどにささやかな夢である。ささやか過ぎて逆に現実味がある、そんな夢だ。
 しかし、私にはそんな夢も、身の丈に余ると言うのが現状である。
 普通の生活、普通の恋愛、普通の食事、普通の容姿――私にとって『普通の』と言う言葉は、地下で眠る膨大な書物に描かれた(えがかれた)秘術の類よりも遠い存在なのだ。

 とどの詰まり全ての問題は、私の身体が『無形流動体』――俗称で言えば『スライム』と呼ばれる存在である事かと愚考する。

 

            『無形流動体だって恋い慕い』―起―



 昼間でも背の高い樹々の葉が重なり合って日差し無く鬱蒼としている森――違う、言葉を訂正すべきだ。規模から考えて、正しくは『樹海』と言った方が本当は的確かも知れない。
 枯葉や岩肌の苔から解る通り、この森は如何やら湿度が高い模様。生暖かな湿気が皮膚に纏わり付く。
 獣道と言う表現すら優しく感じる道を歩み始めて、どれほど時が過ぎただろう。
 葉と葉の間から微かに見える太陽が、足を踏み入れた時よりも僅かに傾いている事だけは解った。

「――」

 小さく息を零す。
 疲れからでは無い。良い意味で、この森の空気を改めて味わう為だ。
 ――悪くない。この森は悪くない。

 もっとも、人間は如何やらこの森を好ましく思って居ないらしい。
 地元では『くちなしのもり』と呼ばれている事から、それは察する事が出来る。
 文面で表すなら『口無しの森』――随分と昔にこの森で悲しい事が起こり、それ以来人々は段々と寄り付かなくなり、現在に至っては死者の隠蔽や自殺志願者が後を絶たなくなったとの事。
 古人曰く『死人に口無し』――由来としては妥当だと納得する。

「――」

 耳を澄ませば、この森に留まる憂いを樹々が囁くのが聞こえる。
 確かに、人間には馴染めないかも知れない。

 森は生(せい)。
 森は静(せい)。
 森は聖(せい)。
 森は歳(せい)。
 森は誓(せい)。
 森は逝(せい)。

 森に生き、森で逝く――樹精『ドリュアス』である私には、悲しみと対となって感じる暖かさを覚え、この森が好ましく思えた。
 優しくも静謐とした、少し憂いを含んだ空気。
 土にも多くの魔力が含まれ、質も良い肥沃の大地。
 それを感じながら葉のスカートを揺らして足の根で、足場の悪い斜面に生える樹々の根に絡めながら難無く上る。

「――大丈夫かい?」

 その言葉に、正面を向く。
 日が届かない森の中であっても輝きを失わない短く切り揃えられた銀色の髪を微かに揺らしながら、けだるげな切れ長の眼から垂直に切れた瞳孔が私を覗いていた。
 乾燥した空気と温度が常に高いと言われる南方特有の、薄手の生地を幾重にしながら全身を巻く衣装は、異国の匂いを漂わす『麗人』と言う表現がとても似合う。

「私は問題無い。気にしないで、エレナ」
「そうかい、そいつは良かった。その様子じゃ本当に大丈夫そうだしね」

 そう言って大らかに笑う姿に、同性ながら僅かに見惚れてしまった。
 黙っていると何処と無く『鋭さ』を感じさせる容貌だが、言葉を交わすと喜怒哀楽の移り変わりが激しい表情と、遠慮は無いが何処と無く愛嬌のある口調で、想像以上に気安い印象を受ける。
 エレナとの付き合いは短いが、種族問わずに人見知りせず、また面倒見の良い性格なので、彼女に対して慕情の念を抱く者は少なくない事を知っている――同性である私でさえ心を軽く揺らされる時があるのだから、間違いは無いだろう。
 
「普段を知っているから体力が持つかと心配していたけど、やっぱり森の中は御手のもんだねぇ。要らぬ心配だったみたいだね」
「そんな事は無い、ありがとう。心配は、嬉しい」

 私がそう言うと、照れ臭そうに「別に、礼なんて要らないよ」と言葉を残して、先程よりも少しだけ早い速度で森を、下半身を器用に動かして蛇行しながら軽々と進んでいく。
 蛇行――言葉から解る通り、エレナもまた私同様に人ではない。
 美しい容姿の上半身と、股下から蛇の下半身を持つ種族『ラミアー』だ。

 先を行くエレナの姿を見ながら、彼女達が備える、遺跡や探索で役に立つ人よりも優れた体力と知識、余程の段差でなければ悪路も物ともしない機動性は、改めて冒険者向けだと認識する。
 森だけを限定するならば、移動しながら大地から魔力や養分を貰い受け疲れを知らず、樹々から様々な状況を把握出来るので私の方に分は在るが、その他の場所――特に『遺跡』では彼女の方が抜きん出ている。
 元々は古代遺跡等で生を謳歌する種族だけに、当然と言えば当然かも知れない。
 
 もっとも、種族の性質的には『引き篭もり易い』性格な事を考えれば、エレナは相当な変り種と言える。
 それを言えば目的が在るとは言え、森から外へ足を滅多に踏み出す事の無いドリュアスである私も相当な変り種だろう。

「カタリナ、目的地の家までは大分近くなってきたよ」

 肩越しに掛けられた声を聞いてから、少し経つと多少開けた場所に辿り着いた。とは言え、広さはそれ程無い。
 小屋と呼ぶには大きく、家と言うには小さい。そんな印象を覚える造りの確りとした木造の建物が一軒収まっていて、他には印象に残りそうな物は無い。 
 手は少し入れて居るみたいだが、元々開けた場所なのだろう。
 樹々の声に耳を傾けても、負の思いは溜まって無い。流れを考えずに無理に作り出された場所ならば『ここ』に悪い流れが集まる筈だ。
 逆に何かを、この地に施しているのか『陽気』とも言える魔力の流れが、幾重の筋から流れて着ているのが解る。
 ――きっと、ここの家主は、悪い人では無い。
 森は嘘を付かない。森を大事にする人に悪人は居ない、と言うのが私達の認識だ。

「何を呆けているんだい?中に入るから、こっちにおいでよ」

 耳を傾ける事に夢中になっていたせいで気が付かなかったが、いつの間に移動していたエレナは玄関の前に立ち、こちらを手招きしていた。
 気付いたのを確認して遠慮無く扉を潜り建物に入るエレナに続いて、私も変らぬ足取りで玄関を潜った。

 部屋の内装は質素な物だった。
 簡素な調理場、食事の為に使われているのだろうテーブルとイス3席、本が納められている小さな棚――等、日常で使うだけの物しか置かれておらず、雑貨や装飾品の類は見られない。
 敢えて言えば、机の上に置かれている、安価で手に入る質の悪い紙の束位だろう。
 ただ、掃除が行き届いているようで清潔感が在り、何処と無く暖かみがある。
 
「おい、起きてるんだろ?」

 扉を叩く音とエレナの声に反応して視線を動かす。
 部屋の奥に存在する二つの扉の内、左側の扉の前でエレナが誰かに呼びかけている。
 きっと家主だろう――そう思い、近付いてエレナの背中から覗き込む形で、扉の前に立つ。
 エレナの目線はそれほど高くないが、尻尾の先までを含めた全長は3m近いので、後ろに立つのも気を使わなければならない。

「――?」

 私が根先を立たせて覗いていると取っ手辺りの扉の隙間から、一枚の紙が差し出された。
 エレナは面倒くさそうに受け取ると、私にも見えるように開いた。
 そこには達筆では無いが、丁重で読み易い文字で

≪おはよう。挨拶は大切だと思わないかい。
 それはさて置き質問なのだが、隣にいらっしゃる方はどなたなのかな?≫

 挨拶と、至極真っ当な質問が書かれていた。
 紙での返信に違和感を覚えたが、何らかの事情があるのだろうと判断。
 思考を廻らせていると、エレナは読み終わった紙を握り潰して部屋の端に置いてある箱へ向かって投げた。淀みの無い動作から、手馴れた動きだと言う事が良く解る。

「あー、こないだ受けた依頼で相方として一緒に旅してた『カタリナ』って言うのさ。んで、そん時に色々と話をしたら、如何やら『クルツ』に関係している話が出てね……まぁ、詳しい話は面倒だし、本人から聞いとくれよ」

 ――家主の名前は『クルツ』と呼ぶらしい。
 ざっくばらんとした説明をするエレナを見ながら、家主の情報を私が更新していると少し間を置いて、また隙間から手紙が差し出された。

≪なるほど、理解したよ。事情は理解した。
 ならば勿論、先方さんには確りと私の事を御説明しているのだよね?≫

「勿論してるさ」
「――?」

 私が「説明、何の事」と小さく疑問の声を呟いた。
 いまいち要領が掴めず首を傾げながら視線をエレナに送ると、片目を瞑って見せて、面白そうに口の端に笑みを乗せてきた。
 何か企んでいる。
 話を聞かずとも、表情が雄弁に語っていた。

「……」

 扉の向こうから『無言』と言う、疑惑に満ちた言葉を投げ掛けてくるのが解った。
 そして少しの間を開けて、また隙間から手紙が差し出されると、エレナさんは手紙を取る――振りをして一気に扉を開け放った。

「――ッ!!」

 扉の向こうに広がっていた光景を視界に入れた瞬間、咄嗟に後ずさりながら、手先まで根を這わして臨戦態勢を取った事を誰も責めはしないだろう。
 「クク」と、隣でエレナが喉を震わせながら声を殺して笑っている。
 その反応から初めて、私の反応を見て楽しむ為の行動だったと理解した。
 だが――それでも、私は警戒する事を解けずに居た。

 床に鎮座する黒色で鈍く光り、蹲った大柄の男性よりも大きなゼリー状の楕円の塊。
 その塊から伸びる無数の触手。何よりも『ぬるり』と人間の姿を模した上半身が塊から生えている。それは闇を思わせる色合いのせいか、精巧な人間の影のようにも見え、美術家が人物画を描く際に取る『あたり』のようにのっぺりとした姿。
 
 魔術が使えぬ者の『最悪』の敵――種族『スライム』が揺らぎながらそこに居た。
 酷く不気味な姿見だった――が、目の前に置かれた構図も相まって、警戒心は消えないが恐怖心は思った以上に和らいでしまった。

 机に向かいながら上半身から生えている二本の腕は思案に耽るかのように腕組みをし、伸びる触手は机の上で二枚、三枚同時に文章を書いている。
 また、扉を押さえていたらしい二本の触手と、手紙を扉の隙間から受け渡そうとしていた一本の触手が、所在無さげに小さく動いている。

「クッ、カハッハッハ……はぁ、こうも事が上手く運ぶと、面白いったりゃ無いね」

 私も彼――と表現すれば良いのか、クルツさんと表現すれば良いのか大いに悩む所だ――が互いに急な出来事に唖然として身動きをとれない中で、エレナの笑い声だけが響く。

「――」

 固まっていた目の前の『彼』は、何かを色々と諦めたように全身を震わせながら両肩を落とし、机の上で文章を書いている触手以外の全てを瞬く間にして塊の中へ仕舞った。
 そして、残された触手で素早く文章を書き終わらすと、その紙の端を器用に掴み、ゆっくりと私に向かって差し出してきた。



≪私は良いスライムです。虐めないで下さいね≫



 今度は私が盛大に両肩を落とした。





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