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鳴かぬ蛍が身を焦がす
 


 ―――人に流れる時間とは『不変的な横軸』と『可変的な縦軸』から構成されている。
 そう言ったのは誰だっただろう。
 記憶は曖昧だが、確か説明は―――時間と言うのは『秒』『分』『時』『日』『週』『月』『年』と言う、一定の間隔で正確に刻まれていく時間の『横軸』が基本となっている。しかし、その刻まれる時間の中で薄れていく記憶など―――心に刻まれていない時間は『縦軸』に変化が無いと言う。
 縦軸―――つまりは、心に残る『印象』の強さ。
 30歳になろうが、54歳になろうが、69歳2ヶ月になろうが、81歳4ヶ月と21日になろうが―――心に焼きついた思い出は、幾つになっても消える事が無く心に残る。
 人は不思議なもので縦軸に変化の無い平坦な横軸―――つまりは『日常』と言うものを思い出せない。例えば、1週間前の朝食や天気などの事柄。
 しかし、縦軸に変化のある―――例えば、友人との始めての卒業旅行、好きな人との初デート、親しい人の死、恋人に振られた時等、自分の『印象深い事柄』や『人生の転機』となった時の事は何年経とうとも、着ていた服から会話の内容、細かい失敗から分単位での時間まで覚えている。
 だが、例えば―――2001年8月21日。
 その1日が自分にとっての1年でもっとも大切で掛け替えの無い1日であるか、聞かれた所で思い出す事も出来ないような取るに足らない1日であるか―――それは、人によって十人十色の千差万別。
 そう言った意味では時間と言うのは、万人に平等に流れていながら、個人に特殊なモノと言えるだろう。
 
 それを踏まえた上で、あの2001年8月21日は『白面金毛九尾之狐玉藻前』―――現『タマモ』にとっても忘れる事が無い日の一つであったと言っても過言では無い。



                     ∞      ∞



 その日は気持ちの良い天気だった。
 3日程前から降っていた全国規模の大雨の影響で、空気は湿りを帯び、不愉快な日が続いていたので、久々の快晴にそう思ったのかも知れない。それか、東北地方岩手県遠野市と言う東京よりも澄んだ空気の場所だったので、そう思ったのかも知れない。
 ただ、妙に空気が澄んでいた事だけは覚えている。

 美神の使いで少々厄介な除霊対象の妖怪の情報が書かれた古文書――と言うほど古くは無かったと思うが――を取りに行った時の事だ。
 妖怪が如何言う相手だったかは覚えていないのは、大した相手では無かったからだろう。古文書を借りてその場で私が解読し、美神に電話を入れた後は文珠で簡単に倒したと言う記憶はあるので、間違いは無い筈だ。
 本来ならば事が終った後は、すぐさまとんぼ返りする予定だったのだが、問題が解決して御機嫌だった美神の珍しく粋な計らいによって、その日は経費で一泊する事を許可された。
 遠野から少し離れた花巻には有名な『花巻温泉郷』が在るので、少し足を伸ばして温泉宿に泊まる事にしたのだ。



               そう――私と横島の二人きりで。



 私と横島が選ばれた理由はうろ覚えだが、確か古文を読めると言う事と、その時の相手との相性で戦力外通告を受けたので私。横島は何か荷物を東京へ持っていかなければならない場合の荷物持ち兼保護者の様な役割だった筈だ。
 もっとも、21歳にもなったと言うのに、私の目を盗んではナンパを敢行しようとしていたのだから、正直どちらが保護者なのか解らなかったのを覚えている。
 そう言う理由で二人きりで旅館に泊まる事になったのだが――当時の私は横島に好意を抱いてはいたが、男女間の『それ』では無かったので部屋を別々にとり、食事や温泉を堪能した後、思い思いに別々に床に就いた。
 本来ならばそれで終る『何も無い日常』になる筈だった。
 ――アレは何時頃だっただろう。
 確か時計がいつも通り24時間耐久の仕事を終えて、休む間も無くまた新しい一日の仕事に取り掛かる直前だった気がする。
 私は感覚に引っ掛かる何か感じて、布団を被りながら旅館の入り口側に面している窓の障子を開けて、外の様子を伺ったのだが――眠気眼(ねむけまなこ)にぼんやりとした人影が、旅館脇へと消えて行くのが見えた。
 それだけならば興味も直に失うのだが、段々と夜目が利く私にはハッキリと見えた――その人影は横島だった。
 そのまま寝てしまっても良かったのだけれども、その時は何と無く後を付けてみる気になり、寝巻きで使っていた旅館の浴衣を軽く直し、夏とは言え少し肌寒かったので備え付けの半纏を引っ張り出して外に出た。
 旅館の入り口から横島が歩いて行ったであろう辺りを見渡すと、右手側の影に隠れている小道を見つけた。
 側には『小鮎の川』と書かれた看板が立っており、元々小森だった場所に必要最低限手を入れたようで、奇麗な砂利道が伸びている。
 旅館に来る際に見かけた小川の方面に伸びているのが感覚で解ったので、横島はこの小道を通ったであろうと確信して私はゆっくりと歩いていくと、砂利道を5分程歩いた所で視界が開けた。
 小鮎の川――良い得て妙ね。
 と、思わず感心したのを覚えている。
 大粒の砂利が狭い幅で敷かれており、その間に小川が上流から下流へ『せせらせら』と聞こえる優しい音を奏でながら流れていく。
 そして人間の手が殆ど入ってない、小さいながらもちゃんとした森が川を包み込む様に覆っていた。小道と旅館廻り同様、必要な場所しか手を加えてないのが見て取れる。
 水を両手で優しく包み込むように救い上げる――私はその小川を見て、そんなイメージを抱いた。
 川幅などを見れば鮎は居そうに無いと言う事は解るが、何と無く小さな子供の鮎ぐらいならば居そうな気が起こるのが不思議だった。
 ――タマモか。
 と、潜めた声が聞こえた。
 声の主が誰なのかは解っていたので、ゆっくりと右手側の上流に振り返る。
 砂利の方まで侵食している雑草。その中に身を潜めるようにしながらも、堂々と鎮座している成人男性二人三人乗れる程の大きさがある岩に座って、横島は右手で手招きして居た。私と同じく、旅館の着物姿で。
 何処と無く森に埋もれる小豆洗いの類に見えるわね、などと思いながら横島の側まで近寄っていくと――目の前を何かが過ぎっていく。



                    ――蛍だ。



 私は見惚れながら、ゆっくりと横島の隣に腰を下ろした。
 蛍はゆっくりと夜空に軌跡を残しながら飛んでいくと、釣られるように次々と光が浮かび――気が付けば呆れる程の蛍達。
 夜空を見上げれば、陳腐な表現だけど――きめ細かな黒い布の上に小さな宝石をばら撒いた様な、都会では見る事が出来ない満天の星達。そしてそれに紛れる様に踊る無数の幻想的な灯り。
 風舞う粉雪。散り逝く桜。線香花火の残光。硝子の破片。
 そんな幻想的と思う言葉達の一片が次々に頭に浮かんでくる。
 あぁ――蛍が短命なのは、自分の命の削って灯りを零して行くからなのかしら。
 普段は考えないような、そんな考えが浮かんでは消えていく。
 それほどまでに、夜の空間を切り取った一画の蛍と星の絵画は尊いものだった。
 ――蛍に呼ばれてなぁ。
 耳に飛び込んできたか細いかすれ声に釣られてそっと横島に目を配る。
 警戒心の強い蛍が横島の左肩に止まっている。そして、蝋燭の火の様に柔らかい光を揺らし、そして流れてきた夜風に光を消した。
 ココの蛍は私と横島を全く警戒していない。
 
 いや――私は関係ない、か。
 
 横島だから、横島だから、横島の側だからこそ飛んでいるのだろう。
 蛍の化身に愛されて、蛍の化身を愛した横島だからこそ蛍は舞っているのだろう。
 そんな事を思いながら横島を見ていると――しっかりと目が合った。
 横島は僅かに苦笑すると、何の切っ掛けも無く――いや、私の視線が何かを訴えかけていたのかも知れないが、ゆっくりと昔の思い出を語り始めた。
 以前、横島に聞いた話――ルシオラと言う女性との少し苦さの残る話。
 語り零れるのは悲しみ、切なさ、愛情、誇らしさ、懐古の情。陰りを時折覗かせては居るが――何より嬉しさが言葉の端々から洩れている。
 きっと、ルシオラと言う女性の話を誰かと共有出来るのが嬉しいのだろう。
 昔の横島ならばそう言う感情も無く、語ろうともしなかった話。
 だが、今こうやって横島が語れているのは、別に思い出に変わった訳では無い―――きっと、そう言う次元の話ではないのだ。
 未練でも、思い出でも、過去でも、だからと言って現在進行形の何かでも無い。
 言葉でなく、感覚で解る――『なに』か。
 話を聞き、横島を見て、蛍に酔い――そして想う。



          ルシオラと言う女性は中々如何して―――ヒドイ。



 愛して、愛して、命を燃やして愛し抜き、綺麗に燃え尽きたのだ。
 横島の心には、神々しいまでの美しい記憶が魂に刻まれてしまった。
 この先、横島が誰かを愛したとしても、きっとルシオラの様に鮮烈に心に焼きつく事は無いのだろう。
 切ないほど<キレイ>な幻を残したその女性は本当に蛍だったのだろう。
 そしてまた、目の前でゆっくりと飛び交う幻想的な光景を見て――この蛍の様にならなければ横島の心に残る事は無いのだろうと、何と無く思えた。
 幻想的で、痛烈で、身を焦がし、鳴かずに燃えて、儚く散る蛍にならなければ。
 推測でも、憶測でも、ましてや空想でもなく――私には解る。
 横島がルシオラと言う蛍に身を焦がしていた思いを。



       何故なら――横島は私にとっての『ホタル』となったのだから。



               『鳴かぬ蛍が身を焦がす』



「――5年か」

 そう呟きながら私はゆっくりと眼を開ける。
 それと同時に過去へと飛んでいた全身の感覚と感情が戻る。
 言うなればシフトチェンジ。接続交換。情報共有。感情変更。
 5年前の『私』が感じていたのを今の『私』が受け入れる。

「―――昔と変わらないわね」

 『せせらせら』と流れる柔らかな川の音と、木々の葉を擦る風の音。
 浴衣越しに感じる人肌で温められた石の温もりや、少し動けば感じる石本来の心地の良い冷たさ。風でたなびく浴衣の音や、浴衣を透き抜けて身体に当たる風も、汗ばんだ体には丁度良い。
 風には草木の匂いの他に、川の水気を含む独特の匂いが含まれている。
 空気も美味しい。
 ――この場所は、あの5年前の8月21日と何一つ変わらない。
 幅の狭い砂利や鎮座している大岩、果ては流れる川の音まで――この場所は、昔と殆ど変わらずに居てくれた。
 過去の私が経験したモノと、今の私が経験しているモノ。
 違うのはあの時は夜で、今は夕方と言う事。

 それと、私自身が変わったという事。

 あの時よりも、背が伸びた。胸も大きくなった。髪も伸びた。霊力も強くなった。
 眼が悪くなってきたので形状記憶合金で出来た下フレームだけの眼鏡を掛け始めた。
 煙草も吸い始めた。銘柄は『Rothmans ROYALS』。
 お酒も嗜む。最近の好きな銘柄『あさ開 辛颪(からおろし)』。
 服装も変わってきた。今は旅館の浴衣だが、最近はもっぱら部屋ではジャージ、外出はパンツスーツだ。右手首には四六時中、横島のバンダナを巻き付けてる。
 そして何より、一番変わったのは――横島と蛍が居ないと言う事。
 ――もう一度で良いから一緒に来たかったなぁ。
 無理だと解っていても、如何しても思わずには居られない。
 


 もう――死んじゃったんだもんね。



 右手首に巻いている、死ぬ前まで横島が付けていたと言う遺品をなぞりながら心で呟く。
 過去を思い出していたせいか、呼べば森の中から『ひょっこり』とばかりに顔を覗かせそうな気がしてならない。
 それも「ん、呼んだか?」と、頭を掻いて苦笑を浮かべながら『のそのそ』と言う擬音が付きそうな、ゆっくりとした足取りで。



          馬鹿な夢ね――私の目の前で死んだって言うのに。



 横島忠夫。昭和55年6月24日生まれ。
 身長174cm。体重61kg。
 ――享年23歳。
 あまりにも若すぎる死だった。
 それは、私と二人での除霊中の話。
 紛れ込んだ一般人を庇い、命の火を灯す蝋燭の蝋と血を流しながら死へと横島は向かって行った。私はただただ泣き叫び、横島は私の両腕の中で死んでいたらしい。
 そう、『だったらしい』のだ――断定出来ないのは、私に記憶が無いから。
 私は横島が死ぬ所を覚えていない。死んだ事も覚えていなかった。
 除霊中に紛れ込んだ一般人を横島が庇った所から――私は記憶が無い。
 心が受け入れてくれないのだろう。
 目の前で横島が死んだというのに、私は他の事務所のメンバーより後にその事実を知った。だから葬式であれほど泣いたと言うのに今でも実感が無いのだろう。

「――もう一度、一緒に来たかったわ」

 だから、今度は声に出して呟いた。
 本当に横島が呟きに応えてくれるんじゃないか思って――



             「――それは無理で御座ろうなぁ」



 ――返ってきた返事は予想外の声だった。
 ゆっくりと目を開けながら岩に座ったまま首だけ動かして声の主を見つめる。
 笑顔が似合う男勝りな和風美人。
 端的に纏めるとそんな女性だった。
 高い身長と長い足を、味気の無い茶色の甚平に身を包み、頭には同色の麻か何かの目が荒い布で、頭を覆うように巻いている。
 首元には大きめにカッティングされた精霊石のネックレスをつけて、甚平から見える少し汗ばんだ胸元はサラシと思われるモノが巻かれていた。
 髪は鋼をひたすら研ぎ澄まし、触れた感触が柔らかくなる程に切り裂いたような銀色で、長さは腰よりも少し長めの所で切り揃えられている。夏仕様なのか解らないが首の延髄辺りで一本に纏められている。
 笑顔が似合う――と評した顔は残念な事に似合わない少し悲しそうな苦笑を浮かべて、夕日の端を切り取ったような色の前髪を風に揺らしている。
 などと、冷静に分析して見た所で横島な筈も無く、どこから如何見ても目の前の女性――いや『犬』は私の『相棒』兼『喧嘩相手』兼『恋敵』である犬塚シロに他ならなかった。

「聞き耳を立てるなんて作法がなって無いわね。それで――何のようかしら?」

 私はフレーム右端を中指で押し上げて眼鏡の場所を調整しつつ、半眼でシロを睨みつける。自分でも思った以上に淡々とした声が出ているのは――私と横島の思い出の場所に立ち入って貰いたくなかったからだ。

「そう睨まないで欲しいで御座るよ」

 そう言いながらシロは首を人差し指で掻きながら苦笑を浮かべる。

「そう言うアンタだって、私がアンタと横島の思い出の場所とかに入ったら睨むじゃない」
「当然で御座ろう?」
「――確かに、当然ね」
「そう、当然で御座るよ」

 打てば響くいつものやり取り。
 私は溜息を吐くと同時に、睨むのを止めてシロに顎で近付くように指示する。
 シロはそんな私の様子を見て笑みを浮かべて数歩近付き、岩の側で止まった。

「……如何したの、そんな所で立ち止まって?」

 不思議そうに私が言うと、シロは笑顔のまま軽く頭を振ると――

「いや――ココから先はタマモと先生の場所で御座ろう?なので、ココで止めておくで御座るよ」

 ――そう言った。
 そう思うのなら最初から来なきゃ良いのに。と、いつもと同じ軽口を叩きそうになったが、喉まで出掛かってきた言葉を飲み込んで素直にシロの気遣いに甘える事にした。

「で、そもそもココに来たのは何のよ?」

 心の中で礼を一度言った後、気を取り直して私が尋ねる。
 すると、一瞬呆れ顔を浮かべると、次の瞬間には馬鹿にしたような表情を浮かべながら両肩を竦めながら『やれやれでござる』と言わんばかりに、顔を軽く横に振った。

「おい、女狐――原稿を取りに来いと連絡を入れて来たのは何処の狐で御座るかな?」
「――知ってるわよ。それ位の冗談を察しなさいよ、バカ犬」

 忘れてた――そう内心思っていたのを隠しながら、私はシロをからかう様な視線を向けて誤魔化す。
 原稿――それで当たり前の事を思い出した。
 私は温泉宿に、小説を書くと言う名目で泊まっていた事を。
 いや、名目と言っては語弊がある――現に、私は小説家として活動しており、出版社の経費でココに止まっているのだから。

「バカ犬、バカ犬と……同じ台詞しか言えんのか、この女狐!」
「アンタも同じ事しか言ってないじゃない、それとも違う言葉で罵って欲しいって事かしら?」
「ぐ、ぐぐ……その言い草は何で御座るか!拙者が、わざわざ原稿を取りに来ているのは何の為だと思っている!」
「――自分の為でしょ?バイトなんだから」

 バイト――私はそう言ったが、別に事務所を止めて出版社にシロが務めている訳じゃない。ならば何故に原稿を取りに来るのがシロなのかと言うと、ちゃんとした訳がある。
 最初の発端は、私がGSと言う職業かつ妖怪なので、人間には近寄りがたかったと言うのが原因だった。
 誤解があるとは言え、私は日本を陥れた大妖怪。今はもう取り下げられた話ではあるが、公式的には私は死んだ存在で政府が依頼するほどの危険な存在だったのだから―――詳しく私の存在を知らないとは言え、初対面の人間が怖がるのは無理が無い話。
 そう言う理由から、最初の頃は私からシロへ、シロから美神へ、美神から人間へ―――最終的に出版社に居る私の担当の人間と、随分回りくどい手順を踏んでいた。
 その後、色々とあって私と言う『存在』を今では受け入れられて居るのだが、今更ちゃんとした人を付けたりするのも如何かと言う話になり、シロが『バイト』と言う形を取って、私の原稿を今では取りに来ている。もちろん、事務所公認で。
 他にも私に原稿の催促が出来る『暇人』がシロぐらいしか居ない―――等、そう言う事情もあるらしいが、私の知る所ではない。

「あ……あはははっは―――そ、そう言えば美神殿が言っておったぞ、たまにはコッチに顔を出せって」

 少し熱くなってきたシロが何時と同じように私に食って掛かってきたが、私の一言で冷水を浴びせられた様に動きが止まり、今度は視線を左へ右へと忙しなく動かしながら、あからさまに不自然な話題の切り替えで誤魔化してきた。
 誤魔化す必要も無いと思うのだが――まぁ、シロだし。
 そこで気が付く。いつもならば詰め寄ってくるシロが、立ち止まった場所から私の方に近付いて来ていないと言う事を。
 ヘンな所で律儀と言うか――器用なモノね、と思わず感心をしてしまう。

「誤魔化したわね?」
「な、何の事でござるかな?」
「……まぁ良いけど。顔を出せと言っても電話で毎週話しているんだし、良いじゃない?」

 つい先程とは立場が逆転して、私が呆れながらシロを見ていたが、埒が明かないと思い話に乗る事にした。

「電話と言っても、普通の会話ではなく打ち合わせばかりで御座ろう?」
「まぁ、確かにそうね」

 それは否定出来ない。
 私が小説を書いている中身が中身だけに、参考となるプロットやネタを提供してくれているのが美神やおキヌちゃんなので、電話をすると会話の内容は自ずと私の小説の話が中心となるのは当然と言えば当然のだろう。
 世間話なんて、最初と最後の短い会話ぐらいしかしていない気がする。

「美神殿から『久々にゆっくり話したいからこっちに戻って来い』と言う託(ことづけ)も頼まれているで御座るよ。電話したから良い、そう言うものでは無いで御座ろう?」
「冗談よ、解ってるわ。今度、出版社のパーティーに参加しなきゃならないし、その時に何日か寄るって伝えて置いて」

 私は苦笑を浮かべながらそう答えると、シロは心得たとばかりに明るい笑顔を浮かべて大きく一度頷いた。
 ―――流石ね、美神。
 心の中で溜息を零すように思わず呟いた。
 電話で自分が話すよりも『仲間意識』と言うものが強いシロに伝言を頼べば、否応無く確実に私から良い返事を聞きだせると確信しているに違い無い。
 相変わらず、抜け目が無いと言うか、侮れないと言うか何と言うか――。

「そうそう、美神殿とオキヌ殿も言っていたので御座るが……いや、拙者も言いたい事ではあるのだが」
「ん、何?」

 思い出したように急に話を切り出してきたと思った次の瞬間には、シロは表情を真剣なものに変えて私を射抜くように見つめてくる。
 気圧されそうになっている私を尻目に、シロは大きく深呼吸をしてから―――

「何故、先生が最初に襲うのが拙者じゃなくてタマモなんで御座るか!!」

 ――と、背に狼を抱えて叫んだ。
 もっとも、狼は狼でも大分コケティッシュかつコミカルチックな狼だ。
 むしろ、それを狼と言って良いのかと思わず悩む。
 思う所は色々とあるが、取り合えず狼らしきものが見えたのは嘘ではない。

「――」
「美神殿も読みながら叫んでいたで御座るよ。『ココはタマモじゃなくて私の役の筈よ!』と」
「――はぁ」

 思わず私は脱力して溜息を吐いた。
 狼の事を抜かしても『そんな事か』と思わず言いそうになったが、自分が同じ立場ならばシロや美神の様に納得出来なかったかも知れない、と思い直して二度目の溜息は飲み込んだ。
 私の書いている小説のタイトルは『GS横島!桃源郷大作戦!』と言う見る人が見れば解るのだろうが――故人である横島が主人公の小説。
 書き始めの切っ掛けは、横島が死んでから半年ほど経ってから事。
 自分の部屋を整理していた筈のおキヌちゃんが、応接間で涙目になりながらも懐かしげに本を読んでいた。集まってきた皆がそれは何なのか尋ねると、どうやら幽霊時代から小まめに書いていた日記帳らしく、気が付けば皆で我先にとばかりに覗き込んでいた。
 それを読み進めているうちに『拙者もこの場に居たかったでござるなぁ――』と呟いたシロの言葉を聞いて、マンガ本から小説に鞍替えしていた私がそれならば――と書き始めたのが私の小説家としての始めの一歩。
 内容は美神と横島との実際の出会いに、私とシロを最初の段階から仲間に加えて『GS』と言う職業を題材にして面白く可笑しく書いている――つもりだ。
 ジャンルは、手当たり次第の何でもあり。世間では『ハードカバー小説の癖にハーレム小説』と言う風な、名誉なのか不名誉なのか解らない呼び方をされているらしい。
 特徴としては許可が取れている相手の本名を使って居ると言う事と、実録と言って良い程のほぼ『ノンフィクション』小説として出版している点だろ。
 一般認知の低いGS世界の実際の話や、GSだから解る裏話、私自身が妖怪と言う事のネームバリュー、GSでもっとも有名な美神公認、主人公である横島の性格等―――そう言う色々な要素が組み合わさってか、飛ぶ鳥を三羽一気に落す位の勢いで売れに売れまくっているのだ。
 売れていると自分で言うのも何だが――と言う感じではあるが、事実なので否定はしない。
 聞いた噂だと『人間と妖怪との架け橋として――』と言う理由で、国から何かの賞を――と言う話が出たという噂まで耳にした事があるが、今の所は私の所に正式に話が来ていないので本当かどうか怪しい所である。
 もっとも、私を国家レベルで殺害指定していた国から、国民賞らしき物を貰っても正直微妙な気がするので如何でも良い話だが。
 流石に小説では脱税の話や、横島の常識外れの時給やセクハラなど色々と『アングラ』と言うべきか『タブー』と言うべきかは解らないが、そう言う『部分』の話は隠蔽しているのは御約束だ。

「と言うか――変わったわね、美神も」

 自分の小説を何気無く分析しながらも私は、知らず知らずのうちに思わず呟いた。
 小説の中での美神の事では無いが――変わったのだ。
 そう、確かに変わったのだ、美神は。
 自分の魅力を最大限に引き出す露出的な服装から、パンツスーツなどの落ち着いた服装に変え、知り合いである伊達雪之丞や弓かおり達を事務所で雇い、本人は六道女学院霊能科での週1での講師。鑑定等の事務所で地味でかつ実力が無ければ出来ない仕事。経営の見直し等々、完全に華々しい世界(現場)から一歩引いた場所に居る。
 一番変わったのは、自分が横島を好きだと言う事を公言する様になった事だろう。
 それを遅いと言うか、未練と言うかは解らないが――私はそれはそれで良いのだろうと、思っている。

「まぁ……だからって、吹っ切れた訳じゃ無さそうだけどね」
「何がで御座るか?」
「アンタや美神、おキヌちゃんが横島のことを吹っ切ったのかって事よ」

 私がそう言うと、シロは片眉を器用に上げて犬歯を覗かせながら笑った。

「冗談で御座ろう?今でも、三人で夜な夜な手酌で冷を飲みながら朝まで泣き明かす事もあるで御座るよ」
「……想像できないわね」

 昔ならね――と、心の中で言葉を付け足す。
 傍から見れば丸解りでは会ったが、横島の事になるとアレだけ必死に否定した美神が今ではこんなにも『乙女』をしているのだ。
 ――それだけ、横島の死は大きかったのだろう。

「東京へ着たら強制参加で御座るからな」
「――マジ?」

 寝耳に水とばかりに、私は露骨に顔を歪めた。
 きっと百年の恋も醒める程にひどい顔をしているのが自分でも解る程にだ。

「マジ、で御座る。生涯独身同盟の鉄の掟で御座るよ」

 私の表情が大変に愉快だったのだろう。
 してやったりとばかりにシロは『かんらかんら』と良く響く声で笑った。

「……仕方が無いわね」

 私も釣られるように笑った。
 どちらとも無く笑みを浮かべる――そんな感覚が、ココ最近の私は好きになっている。
 そんな事を思うようになった私を、意地を張り、孤独と言う場所に頑なにしがみ付いていた昔の私が聞けば驚いてしまうだろう。

「で――それはそうと、タマモ『先生』殿。原稿はどうなったので御座るか?」

 ひとしきり笑い終えると、シロは本題を持ち出してきた。
 正直――私には持ち出されたくない話題だ。
 今の美神が、金銭関係に五月蝿かった昔の美神の話題を引っ張って来て欲しくない位に私も止めて貰いたい話である。

「あぁ……また来週来て貰える?まだ時間もあるし、一度見直ししてから付け足せるようなら話を増やしたしい」

 ――ごめん、本当はまだ題名しか書いて無いの。
 後ろめたさを心の中に仕舞い込みながら、『私、やる事はやってるけど妥協はしない女なの』と言う理想の自分を演じながらシロに声を返す。

「なるほど。然らば、拙者の方でそう伝えておくで御座るよ――さて、時間も無いので拙者はコレで御暇(おいとま)するが、タマモは如何するで御座るか?」
「……私はもう少しココで涼みながら、プロットを考えてるから。って、今日は泊まってかないの?」
「こう見えても、拙者は忙しいので御座るよ。拙者が半人前だと言うのに、そのまた半人前の弟子を育てなければいけないので御座るから」
「それは残念ね……今度来た時は飲みましょう。良い地酒が手に入ったのよ」
「応、受けて立つ」

 条件反射の様に言葉の上に言葉を重ねた会話がそこで途切れると、シロは変わらず笑顔を浮べたまま、別れの挨拶を一つ残して軽い足取りで小道を走っていく。
 やっぱり気心知れた『仲間』との会話は良い――そんな事を思って私も笑みを浮かべた。

「さて――」

 私はそう呟いて、眼を閉じる。
 小説の構成を練る為に――そして横島に会いに行くために。



                    ∞        ∞



「――あら?」

 随分と集中していたみたいね。と、小さく呟きながら私は目を見張ってしまった。
 目を開ければ、そこは暗闇の世界が広がっており、風も幾分か肌寒い。

「――」

 私は思わず軽く溜息を吐く。
 こう言う経験は一度や二度ではない。
 一度、電車を待っている間に目を瞑って考え事をしていたら、気が付けば終電が終っていたと言う事すらあった位だ。
 自分の集中力には惚れ惚れするが、流石にココまで行くと度が過ぎる。

「……さっさと、温泉に入って寝よ」

 誰に言う訳でもなく、自分自身で確認する為に呟く。
 そしてゆっくりと重い腰を上げて立ち上がった瞬間――目の前を何かが過ぎった。
 ――蛍だ。

「あ――あぁ――」

 既視感。
 コレは夢想した『あの時』と同じ世界。
 夢想でも、妄想でも、想像でも感じる事が出来ない――体全身の感覚で過去に引き戻される。
 言うなれば魂の懐古。
 ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
 やってしまった。
 やってしまった。
 やってしまった。
 思わず、体を抱き締める。
 抑えていたモノが――溢れてくる。
 過去を夢想するだけなら道化(ばけ)れる。
 『昔の私』で横島を思うならば感傷で済ませれる。
 けれど、けれど、歪な妄念に絡み付かれている『今の私』で感じてしまったら――私はもう、胸の『ぬめり』を誤魔化せない。
 狂ってしまう。
 狂ってしまう。
 狂ってしまえ。
 狂っておけ。
 狂って下さい。
 私と同じ声で傷付いたレコードの様に同じ台詞が繰返されて響く――熱が、熱が抑えれない。
 底の見えない泥水の水溜りに、薄らと揺らぎながら伸びて行く鈍いエナメル色の油の様に、私の心は侵食されて――また『殺され』てしまう。
 横島が居なくなってから――何時の時からかは忘れたが、気が付けば胸を焼き焦がすほどの『熱』が心の裏側で燻(くすぶ)っているのを自覚した。
 横島の死から動き出したこの狂愛。
 私にとっての悲劇。他人から見れば喜劇。
 この『熱』は何と言う感情なのか。恋なのか、欲なのか、愛なのか、狂愛なのか、それとも横島の死に対する罪悪感なのか、他の何かなのか、それとも――全ての感情なのか。
 解らない。解らない。わからない――わかれない。
 ただ――この痺れ悶える思いに酔いしれて生きていくのだろう。

『この感情は何があっても変わらない。きっと、誰かを愛しても無理なんだろうな』

 と、あの時、ココで、横島は、そう、言って、いた。
 だけども私は――横島以上に焦がれてる。
 横島がルシオラを思い焦がれていた感情よりも、私が横島を思う感情の方がずっと――狂ってる。
 横島と違って私は一生、誰も愛せないだろう。
 これを知ってしまったから。
 きっと、何年経っても、何十年経っても、何百年経っても、何度転生しても――この痺れはなくならない。

「――――はぁあぁぁ……くぅ」

 肺に篭っていた熱い塊が口から情けなく零れていく。
 それを抑える為に――いや『もっと感じる為』に、右手に巻いているバンダナをゆっくりと口に含む。
 ――あぁぁ、なんて私は惨めな『けものへん』の女なのだろう。
 横島の匂い、零れた酒の味、煙草の匂い、涙を含んだ味、横島か私の汗の味、古い布の味――愛しい人のバンダナから伝わる味と匂いに酔いそうになる。
 ピチャリともヌチャリとも聞き取れる卑猥な音をたてながら、僅かに震える舌先でバンダナを何度もなぞる。
 舌先から痺れてく。喉が焼ける。肺が燃えている。胸が痛みで――快感。
 脳みそが甘ったるい水飴の様に蕩けていく。
 臓器と言う臓器がそれに巻き込まれて、ゆっくりと侵食される。
 口に出せないかった想いに火が付いて、死にたいほどの激しい感情と交わって内側から外側へ―――鼻、耳、舌、唇、手、腿、肘、膝、足裏、脊髄、鎖骨―――身体を支える全ての感覚が溶けて無くなり、そのまま崩れる様に地面に膝から落ちる。



       ――――蕩けた『ぬめり』が両足の付け根から垂れて行く。



「あぁ……よこしまぁ―――切ないよぉ……」



 私は虚ろな視界とかすれ声で悶えながら唸る様に呟き、思う。



      蛍に――鳴かぬ蛍になった今の私なら…横島は愛してくれるかしら





――――『鳴かぬ蛍が身を焦がす』
『黙って光っている蛍の姿が、鳴く事が出来ずに見を焦がしている様に見える』
転じて『口に出して何も言わない者の方が、心の中では激しい思いを抱いている』と言う意味のことわざ。


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