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異世界迷走史

 




 例えば、一言一句が正確で完全無欠に理論は正しく、語る本人は全知全能の天才で、試行錯誤の末に作り出され、全ての一般市民が理解し、自他共に認める関連性を提示した常識だとしても、それが現実に起きていなければ、それは誰が何と思おうがやはり『非現実』なのだろう。
 ならば、その逆も言える。
 一言一句が支離滅裂で荒唐無稽の虚言は致命的、語る本人が語るに足らぬ愚者で、短慮軽率にも至らない間に作り出され、全ての一般市民が嘲笑い、誰もが存在すらも否定した非常識だとしても、それが現実に起きたならば、それは誰が何と思おうと『現実』になりえる。

 『起った』/『起ってない』

 唯一無二の基準はこの二者択一。
 起こらないなら非現実。
 起こってしまったら現実。
 どんなに理解出来なくとも、如何する事が出来なくとも、心底から残念だとしても、生理的に受け入れる事が出来なくとも、起ってしまったら――現実なのであろう。
 
 現実感の無い現実――その様な致命傷と言って差し支えの無い、神の悪戯と言うべき状況に無造作に巻き込まれてしまったならば、人は打開策として何を最初にすべきか。
 それはきっと『納得する』と言う事が、最初の打開策であろう。
 それが――『現実』と言うものなのだ。

「しかし――それが如何したと言う感じ、ではあるな」
 
 黒色と言うよりは深い藍色に近い美しい夜空に、ものの見事に真ん丸な満月が晧々と浮んでいるのを左目は瞑り、右目だけで見つめながら『現実』と『非現実』の境界線を何気無く思索してみる――そこで到った結論は、幾ら問答を重ねても所詮理論は理論であって感情は別物であると言う、ありふれたものだった。
 対極では無いにしろイコールで結ばれるものでは無い。
 それは難解な理論を説明され、経験も無いのに急に実践してみろと言われるのに似ているかも知れぬ。
 人によっては軽々と実行出来るかも知れないが、それは例外と言うものだろう。

「――ふぅ」

 心底勘弁してくれと言う思いを篭めながら溜息を吐き出し、気持ちを落ち着けようとして見る。しかし、やけに澄んだ空気が心地良いと言う事実が、何故か私の心を沈ませる。

 実に理不尽だ。理不尽過ぎるではないか。

 そう言葉にして呟いても良かったが、如何にも今だ身を置いている現状に対しての実感が沸かないのも事実。
 自分が直面している状況が現実なのは重々承知だが――だが、である。
 こんな『非現実』的状況をすんなりと受け入れると言う事は、一般人である私には荷が重過ぎて無理な話なのだ。
 頭が混乱している。その事実を把握出来る程度には冷静でもあるが、それでもやはり何処か螺子が外れている感が拭えない。

「ぐっじょばない、なぁ」

 小難しい薀蓄もどきを散々撒き散らしながら考えて見たものの、得たのは無為な時間と考える前以上の混乱であった。
 混乱と言うよりは混沌と言った方が的確かも知れん。
 常識と非常識。
 現実的思考と非現実的状況。
 現実感が無さ過ぎて現状を理解して居ないからこその冷静で正常な状況判断能力――そして、それら全てを超越する現状否定。
 認識した物を否定し、思考を否定し、冷静も否定し、混乱も否定し、全てを否定し、現状を一歩も進む事も出来ていない――いっその事、馬鹿にでもなれば一番楽なのだろうか。
 いや、馬鹿でも難しいか。なんせ、私が出来て居ないのだからな。

「――あ、気が付いたですね?」

 玉を転がすような高音の澄んだ声が、からからと乾いた音を立てながら空回りし続ける脳味噌に届いた。
 呼ばれたからには振り返らねばなるまい。
 仰向けになるように、無造作に放り投げられた形になっていた身体に力を込めて、両手で起き上がろうとした所で異変に気が付いた。
 夢寐(むび)に沈む瞬間のような気だるさが全身を包み込でおいた。
 それは脱力している他人を抱き上げようとした際に、必要以上に重く感じるのと同じ現象――とは厳密に言えば違うかも知れないが、感覚としては一番近いだろう。
 それほどに己の身が酷く鈍重なのだ。
 やれやれ、こいつは参った。
 何があったのかは知らないが、四肢の筋肉繊維や細胞達はストライキ中で、何を言っても聞く耳を持たなさそうだ。
 首だけに無理を言って声の聞こえた方向へ、錆付いた車輪が回るようなぎこちない動きで何とか傾ける。
 ――私はもう錆付いたブリキ人形の首を無理に動かしたりはしないぞ。
 そんな小さな誓いを立ていると、鼻腔に届いた臭いに、初めて自分が芝生の上に寝ていた事に気が付いた。
 今の今まで気が付かなかったとは、自身が思って以上に精神が参っていたのかも知れない。

 風が芝生に波を作っていく。
 それに引っ張られるように視線で波を追っていくと、緩やかに起伏する地形に広がる草原と、遠くに連なる山々が見えた。
 横たわっているせいで視線は低く、視界が開けているとは言えないが、全体を想像するに容易い十分な光景だ。
 おいおい、こいつは随分と長閑過ぎやしないか。

「もぉ、私はそっちじゃ在りませよ?」

 鳩に豆鉄砲を撃った後、その鳩が大群を連れて襲ってくる光景を目撃してしまったかのように唖然としていると、呆れを含んだ――それ以上に楽しげな音色の声が逆側から響いた。
 ――風に惑わされた、か。
 そんな訳の解らない言い訳を心中で零しながら、ストライキを不毛と思った細胞達が僅かに戻って来てお陰で、先程より張り詰めた物がある身体に力を込めると、ゆっくりと逆側に顔を動かす。

「――」

 振り向き終わった瞬間、思わず息を呑んだ――月光の下、膝下までの丈の淡い水色のシンプルなロングワンピースで身を包み、裾を風で小さく揺らしている一人の少女が立っていた。
 仄かに輝く肩口までの長さの黒髪。
 病的とも言える陶磁器を思わせる白色の肌。
 幼さの残る愛らしい顔立ちはさながら月見草の様に儚げで、口元に小さく微笑を添えながら可憐な少女は口を開き――

「私、兄さんが死んだのかと思って少し困惑して居たんですよ?本当に、気が付いて良かった」
「この状況と、私の死は困惑程度で済む問題なのだな」

 ――奇々怪々な言動で私を翻弄してきた。
 この奇抜な物言い、見間違う事無く妹――中曽根 瑠香(なかぞね るか)である。
 何度か瞬きをして見たが、他人の空似と言う訳でも無さそうだ。何故であろうか、普通ならば安堵する場面である筈なのだろうが、この妙に釈然としない心持は。

「――」

 だれぞかれぞと素知らぬ美少女と高校生になる我が妹を、混乱をしているとは言え間違えるとは、忸怩(じくじ)たる想いとはこの事を言うのだろう。
 しかし――このような妹の笑みは久しく見ていなかった気がする。
 普段からたおやかな笑みを浮かべている妹ではあったが、ガラス越しに覗き見ていた大切な『もの』を始めて手で触れた時の様な無垢な笑み――少々表現が異なるが鎖から『解放』されたと言うべき、だろうか――を見たのはココ何年かの記憶に無い。
 その姿は正しく幻想的で、あまりに絵に為り過ぎて理解するのに時間が掛かってしまった。

「いやだなぁ、兄さん。もしも兄さんが死んで居たら、私が生きている訳が無いじゃないですか」
「……」

 ふくふくと笑顔を浮べる妹の、その言葉に込められた真意は如何程か測りかね、また測る事も躊躇われたので、無言を持って斬り返す。

「妹よ、ココは――何だ?」

 何処だ――と、尋ねるよりは的確だと思い一拍の間を置いて、僅かに言い淀みながら妹に問うた。
 一部の例外を除き、多少の事態には動じないと自負している私が、初めてスケートを経験する人間のように心中で七転八倒の動揺しているのだ。
 だと言うのに、私より先に目下の状況に直面していた妹が余裕綽々とばかりに立っている所を見るに、多少なりとも現状把握していると見て妥当だろう。

「ココ、ですか?」
「ココ、だ」

 神妙な顔を作り小さく頷く私をよそに、妹は妙な間を置いてから、華麗なステップを踏むとくるりと回り――

「……『自然』が、ちょっと多いですよね?」

 ――何とも言いがたい表情を作りながら私に笑い掛けた。

「――」

 そいつを世間様では『不自然』と言うのだぞ。
 そう教えてやっても良かったが、なけなしの気力を奔放過ぎる言動に消し飛ばされて精根尽き果てた私にその気力は無くただ閉口して、余り他人に自慢出来ない程度の拙い知性を合理的に働かせながら、現状を理解する事に傾ける。
 ――コイツは悪い夢では無かろうか。
 踏み出した最初の一歩目から軸足を刈り取られた気がしないでも無いが、そう思わずには居られない。堅城鉄壁として聳え立っていた私の一般常識は、波打ち際に作られた砂の城の如くに呆気無く崩れ去ったのだから、現実感が伴うこの状況を夢現の出来事と判断しても宜しかろう。
 
「しかし――コレは一体如何言う状況なんでしょうか?」

 都合の良い妄想行為を働いている私に現実を突きつける、何処か楽しそうな妹の声が妙に耳に残った。
 その残響を掻き消す様に、出来ればこの『非現実的現実』を消し去る様に小さく呟いた。



            ――我が愛しき平穏よ、何処へと参られし。



                      異世界迷走史
                   1話『融通無碍の境地』



「兄さん――また、誰かに呼ばれた……見たいなんです」

 妹にしては殊勝な面持ちで、何とも言えない微妙な声色で呟く。

 思えば――その言葉が全ての始まりであった。

 同じ言葉でも嘘か真かと判断されるのは普段の行いである。
 普段から嘘を付く人間が真実を幾ら伝えようとも、僅かでも違和感があれば誰も信用しない。
 また、逆も然り。
 滅多に嘘を吐く事が無い人間が、多少真実味が欠けた話をしても事実として信用してしまうものである。
 私にとって妹の言葉と言うのは後者だった。
 少しばかり奇抜な性格と、珍妙な物言いを除けば中々気持ちの良い性格の妹である。もっとも、兄としての贔屓目が僅かに入っているかも知れないが。

 ――故に対応に困った。

 妹がその様に言い始めてから何度目であろう。
 何度目の言葉であったか。
 何度目の言葉であっただろう。
 そもそも、妹がその様に言い始めたのは何時頃からだろうか。
 私の記憶にある限りでは正月と『グラハム・ベル』が電話の特許を取った日――俗的な行事で言えば、男性が一年を通して一番チョコレートを購入する率が低くなる聖ヴァレンティヌスの誕生日であった筈なので、大体の1月の終わり頃だった筈だ。
 如何言う状況だったのかは良く覚えていないが、珍しく神妙な表情を浮かべた妹が「誰かに呼ばれた」と夕食の席で言ってきた。
 最初の頃は「また風変わりな事を言い出したものだ」と妹の言動に、縁側から花火にはしゃぐ孫を見詰めるような生暖かい視線で、私を含む家族は向けて『空耳』だろうと結論付けて笑い話として済ました。その時は妹も納得したのだが――当事者では無いので知る術は無いのだが、その日を境に時折同じ声を妹は聞く様になったらしい。
 最初は何週間置きだった声も段々間隔が短くなり、最近になってまた間隔が早くなって来たと言う事を妹は私に言っていた。
 その二度目の告白を受けたのが5月の始め、そしてその告白の有効期限はクーリングオフの期間を過ぎても終わらずに続き、季節はもう既に夏に差し掛かろうとしている7月まで続いていた。 
 大雑把に考えても半年と言う期間―――話が本当であれば、異常である。
 幾ら妹が少しばかり稀有な性格をしているとは言え、無為な嘘を吐き続けるような性根をしていなのは重々承知している。
 故に嘘を言ってはいない事は解ったのだが、原因が解らず如何する事も出来無い自分は眉根を顰めながら話を聞いてやる事ぐらいしか、してやる事が無かった。
 打開策も無く、何度か両親に相談する事を進めて見たが、妹は頑なにそれを拒んだ。
 余計な心配をかけるのも、嘘と思われるのも、ノイローゼと思われるのも――妹も自分の性格と言動を重々承知していたので、あまり宜しい表現じゃないが『とうとう来たか』と思われるのが嫌だったらしい。
 私でも同じ立場ならば確固たる意思を持って拒絶すると思えたので、無理強いは出来ず納得せざるを得なかった。
 同じ理由で友人やカウンセラーも同じ理由で却下。ついでに言えば、子供電話相談室もだ。

 そうなって来ると必然的に相談役となるのは私に回ってくる訳で――私としても出来る限り力になってやりたく思っているので拒みはしないが――部屋の扉をノックしたのは良いものの、確認を取らずに無遠慮に妹が部屋に入ってきた。
 そうして部屋のベッドの中央を本陣で構える武将の様に陣取り、小さく笑みを浮かべながら、いつもと変わらず私を凝視してくるのだ。
 それに対して私は背を向ける形で机に向かい本を読み進める。
 話し掛けもしない、挨拶もしない、振り向きもしない、まるで妹が部屋に入ってきた事を知らないかの様にしているのは何も妹を煙たがっている訳では無い。
 私が何か別の行動に没頭している時は、急を要する話で無い限り待つ――そう言った暗黙のルールがいつの間にか二人の間に存在している為だ。
 とは言え、笑みを絶やさず無言を貫き、妙に粘着質のある熱い視線を向けられながら本に集中出来る程の精神を私は持ち合わせて居ないので、ある程度区切りが良い所で切り上げてしまう訳なんだが――

「――」
 
 ――妹よ、そんなにも兄の背中は偉大なのか。
 妹の視線を感じながら、そんなくだらない事を毎回思う。
 別に部屋に置いて在る小説だろうが、漫画本だろうが読んだ所で咎めたりはしないのだから読めば良いと毎回言っているのだが――私の背中はそんなにも興味を引くような造形美をしているのだろうか。
 いや、自身を誤魔化すのは宜しくないか。
 正直に言えば、妹が熱い視線を送って来る原因に僅かばかりの心当たりは在る。
 もっとも『ソレ』は説得力に欠け、信憑性も薄く、常識的にありえず――幾ら奇想天外な実妹とは言え、ありとあらゆる角度から検証してみても間違い無くありえないであろう、抱腹絶倒必須の憶測ではある。
 もしも、仮に、例えば――何かの間違いで読み通りであったならば、私にとって『バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想』以上に難解不可解な問題に直面した事になる。
 些か現実逃避の気もしないではで無いが、それが内に眠る悶々とした青臭い欲求によって知らぬ間に生まれてしまった劣情的妄想行為の見間違いである事を切に願う。



                    ∞         ∞



 私の人生史を垣間見ても、稀に見る未曾有の性格と言動で周りを翻弄する妹では在るが、兄の贔屓目に見ても線の細い可愛い妹である。事実、妹の友人に聞けば校内でも引く手数多――となるには性格が問題視されているらしいが、それでも中々の人気を誇ると言うのは聞いた事がある。
 もっとも性格も『そこ』の一点のみを理解し「なるほど、頭が少々『天真爛漫』なだけなのだな」と笑いながら付き合ってやれば、勉強出来る頭だけではなく要領も回転も良く、趣味も多岐に渡る為に会話も弾むので、付き合う分には申し分無いであろう。
 兄としてはそこを理解し接し、妹も言動や行動は如何あれ慕ってくれているのだから、学友達が「現実の妹はひどいものだ」と嘆くのを見ていると、近年稀に見る仲の良い兄妹であると我ながら思った。

 いや、思って――いた。
 
 あまり気持ちの良い話では無いが私は良く運動する上に新陳代謝が激しいらしく、パンツやタンクトップ等のインナーが汗を吸っては直にジットリと、他人の物ならば触れたくない状態に成り果て、かなりの回転率で買い替えを行っているのだが――たまたま妹に貸していたCDを返して貰おうと部屋に入った所、偶然にも、本当に偶然にも妹のベッドの下から見覚えの在る着衣を発見してしまったのだ。
 開けてはいけないパンドラの箱を完膚なきまでに叩き壊した気がし、慌てて自室に閉じこもり網膜に焼き付いた光景を、日々を持て余し気味の自身が生み出した空想だと真っ向から否定し尽くした。

 本来であれば、あれは白昼夢に踊らされた私の勘違いだと思い、頭の片隅にも残さず思考を破棄すれば良かったのだが、必要な時に油が切れる脳味噌が引っ切り無しに稼動し、色々と思い当たる言動や行動をチラつかせてきたのである。
 ――如何にも妹は自分に深い情念を抱いているらしい、と。
 確証も何も無い、例え事実を立証されたとしたら厄介事以外の何物でもない――妹の事は好ましく思っているが、それとこれとは話が別である――問題を誰に相談出来る訳も無く、自ら露呈せぬように悩みを心中深くに沈めて貝のように硬く閉じ込めて置しか手立ては無かった。

 何も見ていない。
 何も知らない。
 何も知りえない。
 何も知る必要はない。
 ――故に、私は変らぬ態度で毅然と振舞うしかないのである。

 本来ならば僅かでも距離を置きたい所だが、相談に乗っている手前、邪険に扱う訳にも行かない。
 また、一度部屋に来る口実に嘘を吐いているのではと怪しんでみたが、如何やら悩みは本当らしく、当人は至極真剣に困惑しているのは間違い無いらしいので、わざと冷たく当たる事も出来ないのである。

「――はぁ」

 そんな私の深甚たる想いを知らぬ妹の視線は変らず背に注がれており、流石にこれ以上の沈黙は頂けないと思い、机から少し距離を取り椅子を回して妹と向き合う形を取る。

「して、今日は何用だい?」
「用が無ければ来ちゃ駄目なんですか?」

 そう言って笑みを浮かべる妹。
 全く、何が楽しいやら。

「人として未熟である私にはやらねばならぬ事が多過ぎて忙しいのだよ」
「私には兄さんが今まで読んでいた『孤拳シリーズ』の最新刊『拳狼の耽る夜』が、そこまで大それた物だとは思えませんが?」
「待て待て、その発言は聞き捨てならぬな。コレは確かに知性を磨かれんかも知れんが、男としての野生が――」

 好きな著者の作品故に、私が勇んで反論を試みようとするが、妹は両手で叩いて拍手を鳴らしてきた。
 出鼻を挫かれたとはこの事か。奮い上がっていたものが邪気と一緒に祓われたかのように萎えてタイミングを外されてしまった。
 中々如何して、こう言った事が上手い奴だ。
 そんな感嘆にも似た思いすら湧いてくる。

「まぁまぁ、良いじゃないですか。可愛い妹の相談事なんですから聞いてくださいよ。兄さんが良からぬ事を企んでいる時間よりはずっと有意義だと私は思いますよ?」
「色々と、言いたい事はあるが……取り合えず、何故に私が『良からぬ事』を考えていると決め付ける?」
「あれ、違ったのですか?ほら、兄さんの顔を見ていると、如何してもそう思ってしまいまして」
「はぁ……頼むから人相で勝手に決め付んでくれ」
「そうは言われましても、私だけが言っている訳ではありませんから……」
「――」

 そう言われては私としても立つ瀬が無かろうて。
 ただただ眉間に深く皺を刻む他無い。

「別に兄さんの顔が『造詣が破綻している』とか『神が何を考えてその様にしたのか皆目検討が付かない』と言った悪い評判ではありませんよ?」

 もしかして、そこまで言われているのか私は。

「むしろ、顔立ちは宜しい方だと思いますよ。ただ、気安い容姿と糸目と言うだけで『人が良さそうに見えて実は裏で何か企んで良そう』や『最初はいい奴だけども、最終的には黒幕とかで裏切るタイプ』と言われている不憫なだけです」
「………」
「不憫なだけです」
「二度言わなくて宜しい」
「いえ、大事な事かと思いまして」
「全く持って要らぬ気遣いだッ」

 歯に衣を着せぬ物良い――人が気にしている事を言ってくれるではないか。
 身体付きや服装は本人が如何様にしたいかと、努力さえあれば何とかなる問題では在るが、身長と顔立ちに関しては如何にも為るまい。
 いや、現代医療の技術を持ってすれば何とか為らん事も無いだろうが、それには些か金銭的な理由や勇気が足りない事が殆どだろうから、大概の人間は如何にも為らぬものと判断して良かろう。
 私の場合は幸いな事に身長には恵まれ『180』に届くか届かぬかと言う程度なのだが――自分で言うのも何だが、顔立ちが特徴的なのだ。
 決して不細工ではないと思いたい所だが、私の顔は妹が言った通りに筋金入りの――と言うか『針金入り』と言われても仕方が無い糸目なのだ。
 普通の眼ならば見開けば広がるのだろうが私の場合は『針金』なので、万力で幾ら押し潰し広げてみてもたかが知れているとだけ言って置こう。
 それもあってか何やら身に覚えの無い悪評が流れ、背鰭が付き、尾鰭が付き、尻尾が、角が、翼が、良く解らない有象無象の物が付き、もはや私の知りえる森羅万象の如何なるものとも異なる物と為っていた。
 面倒臭さ半分、面白がって半分で否定しなかった私も悪かったのだろうが――もっとも、それを言ってしまえば回りも本気で言っている者は居らず、あくまでも話の『鉄板』ネタとして楽しんでいるだけなのだろうが――『策士』等はまだ良いとしても『新世界の裏ボス』とは語呂も語感も悪過ぎやしないだろうか。
 取り様によっては、周りに言われている内が華なのかも知れんが。

「まぁ……取り合えず『お告げ』がまた来たと言う話では無いのだな?」

 私は気を取り直し話の本筋へと戻そうとしたが、声量に張りが無い。如何やら、思った以上に精神的に痛手を被っていたらしい。

「そんな言い方しないで下さい。アレはお告げなんて言う生易しいものじゃないですから」

 如何やら私の言い方が悪かったのか、綺麗な曲線を描いている眉を吊り上げて憮然としたように妹は言った。

「悪かった。その件に関しては謝罪しよう――しかし、ココまで続くとは、つくづく愛されているな」
「私を愛して下さる方は一人で良いのですけどね」

 ――死せる孔明、生ける仲達を走らす。
 相変わらずたおやかに『ふくふく』と微笑する妹に対して、毅然とした思いを言葉に込めて内心で呟く。
 もっとも、本来は大変に深い意味を持つ言葉なのだろうが正直の所、内容は存じてあげて居ない。そんな我が身を「それは流石に不義理にも程が在る」と罵りながらも、妹の言葉を綺麗に流していく。

「しかし解らんなぁ――まず私にはどのような感覚なのかさえも解らん」
「それは難しいですね」

 先程の言葉にはさして意味を持たせていなかったのか、私が素知らぬ顔で話を進めると、何事も無かったかのように話に乗ってきた。
 いつも通り――妹が如何言う意味合いで、言っているのかは解らないが、これがいつもの流れである。

「何と言えば良いのでしょう。脊髄を軽く抓まれて、そのまま魂をゆっくりと抜き出されるような――そんな、とても優しくて底冷えするような感覚ですね」
「そうやって聞くとオドロオドロしいな」
「そういった表現とはまた違う気がしますけど――」
「――ぬ?」

 ひどく間抜けな声を上げたと思った――それ程までに、それはあまりにも突然だった。

「――来たッ」

 今まで話していた妹が急に蹲り、両腕で身体を抱きしめ始めたのだ。
 
「お、おいッ」

 相談に乗った事はあったが、今まで妹が『お告げ』を貰う瞬間を始めてみたが、この様子は尋常では無い。
 唯事では無い様子に椅子を蹴り飛ばすように駆け寄り、妹の肩に触れた瞬間――脳髄から意識が遠退く。
 ――慄然とした。
 細胞が悲鳴を上げ、心臓が暴れ狂う。
 同時に驚愕した――妹はコレをいつも受け容れていたのか、と。
 頚椎から引っ張り上げられる感覚なんて『生易しい』ものでは断じてない。
 ――まずは一度、手を離してから妹を。
 と、僅かに残った理性を辛うじて繋ぎ止めながら判断し身体を後ろへ倒そうとした瞬間――妹が俯きながら無言で、しかし有無を言わせぬ程の力で手を握ってきた。

「如■……ば……」

 何を言っているのか聞こえなかったが、助けを求めてきたものなのか、反射的なものなのか、それとも他の何なのか――瞬時に判断を出せなかった『間』が致命的だった。
 




        振り切れずに呆然としていたその瞬間――世界が暗転した。






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