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『BAKI』28〜29 - Jr VS JACK -

 


 開発途中で工事が撤退されたビルの地下――おあつらえ向きの場所であった。何より、電気が通っていたのは僥倖だった。
 そのおかげで所々は切れてはいたが、薄らぼんやりとした光源が地下全体の空間を不便が無い程度に照らしていた。
 どのような用途で使用される予定だったのかは解らないが、地下の構造上天井は低く、ビルを支える支柱が縦横一定の間隔を持って立っており、世辞でも広い空間とは言えない。
 また天井を縦横無尽に駆ける大小様々なパイプの一部からは、水が僅かに漏れているらしく、湿った空気と微かなカビの臭い、特に錆びた鉄の臭いが酷く充満していた。
 それでもジュニア――マホメド・アライJrの鼻腔を侵すのは不愉快な臭いでは無く、存在感の大きな濃厚な『獣臭』だった。

「モット広イ場所ニシタカッタノダガ……」

 その臭いを嗅ぎ取りながらジュニアは僅かに視線を上げ、何気無い調子に呟きながら緩やかな歩調で足場の確認するように歩く。
 自分が身を置く足場がどのような場所なのか、どの様な状況なのか――フットワークを駆使するジュニアにとっては生命線と言っても過言では無い重要な要素だった。
 だからと言って、実践では常に最適な足場が用意されている訳でも無いので、わざわざ足場を選択する訳では無いが、僅かな情報でも知っているのと知らないのでは動きが変ってくる。
 左脇から感じる獣の臭いを放っている圧倒的な存在感を放つ『男』――『ジャック・ハンマー(範馬)』のような相手と戦う事を考えれば、どんな些細な情報も得ていて損は無い。
 
「昼ハ人目ニツキヤスイノデ……」
「――ジュウブンダ」

 ゆっくりと左へ動かすと、背を向けながら軽く辺りを見渡しジャックは答えた。
 ココに来るまでの間に、ジャックの身体が僅かに膨れ上がっているようにジュニアは感じた。
 トレーナーの上からでも解るジャックの肉体は、単純に太く、分厚い。
 それもジャックの筋肉は単純なものではなく、荒削りで人型に整えた大岩の様な硬さと言うよりは、大型トラック用のタイヤを丸めて圧縮したような独自の硬さを持っているのが解った。
 その筋肉はボディビルのような肥大させた筋肉や、またトレーニングのみで作られた筋肉には存在しない――決して『不純』とは思わないが、『異質』なモノが含まれているのを感じ取った。

「君ハ……ステロイドユーザート聞イテルガ……」
「ソレガ――ドウシタカイ」

 決して小さくは無い自分よりも、遥か頭上から不敵に笑いながら見下ろすジャックの身長は、ジュニアが知っていた身長よりも二回り以上になっていた。もちろん骨格も、だ。
 ジュニアには彼が如何して、如何やってウェイトを増やしたのかは知らない。
 また知る必要も無かった。

 ウェイトが増えている――ジュニアにとってはその程度の現実だった。

 階級別に分けられている通常の格闘技であれば、その現実は決定的なハンデと思うかも知れないが、ジュニアがやりたいのはそう言うものではない。
 純粋な男と男、力と力、雄と雄のぶつかり合い。
 見も蓋も無い言い方をすれば、単純にどっちが強いのか喧嘩でハッキリさせたいと言う、ディープにしてドープ、何よりもシンプルな事に他ならない。
 それに、とジュニアは思った。

 偉大なる日本の格闘技『渋川流柔術』の渋川剛気。
 『武神』『虎殺し』の異名を持つ神心会空手の愚地独歩。

 自分がジャックの目の前に立つまでに『死合い』を行った相手は、実力云々を差し引いて言えば、共にジュニアよりもウェイトの低い人間であった。
 なので――ならば、次はそろそろ自分がハンデを受ける番な筈だ、とも考えていた。
 そしてジュニアが次の対戦相手に選んだのが、最大トーナメントの決勝戦において範馬刃牙と死闘を繰り広げ、準優勝を飾るステロイドユーザーでありピットファイターである目の前の男――ジャック・ハンマーだった。

 そんな如何でも良い事を漠然と考えながら、ゆっくりと闘争への意識をより尖らせ波を――リズムを作る。
 全身の関節を柔軟なスプリングに変え、程よい緊張と張りを持たせたままリラックスをして爪先から足首、膝、腰、肩、肘、手首――全身の感触を確かめながら上下に揺らしてリズムを刻む。

「イヤ……」

 そう呟きながらジュニアは呼吸を整える。闘争への意識は既に整え終わっていた。
 徐々にリズムは激しく、鋭く、なお速く――僅かに身体が宙に浮く。
 ザッ、ザァ、ザァ――と、足先で地面を弾く鋭い音が、絶えず地下に響きわたる。

「ステロイドヲ使用シタカラ手ニ入ル……ソンナ生易シイモノデハナイ」

 ボッ、ボッ――と、地を蹴る音に加えて風を引き裂く音も響きだす。
 それは硬球が高速で発射された際に耳にする音に近いが、鋭利で研ぎ澄まされた鉈で虚空を切り裂く音も同時に含まれていた。
 その音を生み出すのは、両腕を上げぬノーガード状態から放たれている拳だった。

「――最大トーナメント準優勝ノ称号」

 一定のリズムの中、ある瞬間から響き渡る音はより激しい音へと変化と加速をした――肩慣らしから、シャドーボクシングに変質したのだ。
 『ガードを上げない』と言う構えにならない『構え』を作り出しながら足を滑らせ、実態を持たない相手に拳を繰り出す。
 滑る、打つ、反る、跳ねる、弾く、反る、打つ、打つ、揺らす、打つ、打つ、打つ――ジャブ、フック、バックステップ、ダッキング、ジャブ、ショートフック、バックステップ、ストレート、ジャブ、スウェーバック、ロングフック――風を切り裂きながら音を奏でいく。

 ――蝶のように舞い、蜂のように刺す(Float like a butterfly, sting like a bee)

 ジュニアの父であり、偉大なるボクサー『マホメド・アライ』に対して贈られた最大の賛辞の一つである名言を彷彿させるモノが、それ以上の洗練された――完成された『モノ』がジュニアのボクシングの中に存在していた。

 軽やかで滑るような華麗であり、同時に苛烈なフットワーク。
 鋭く速い左ジャブを中心とした多彩で、重さと切れを同時に拳に宿す技術。
 ヘビィ級史上最速と言われた父を超えるハンドスピード。

 しかし、その卓越したジュニアの技術はボクシングであってボクシングでない。
 全局面闘法『モハメド・アライ流拳法』――あらゆる攻撃を想定した格闘技。
 モハメド・アライが求めた理想の闘争術が、そこに、確かに、在った。

「――時間ハアル」

 爪先から伝わる足首、腰、背中、肩の捻りを完全に乗せ切った、ベストショットと言える右ストレートで輪郭の無い影の顎先を打ち貫き終わると、動きを止めてジュニアはジャックに話しかけた。しかし、意識は研ぎ澄ましたまま、肩を僅かに揺らしながらリズムの流れを絶やさずに。

「使用スルナラ気ノスムマデ……」

 使ウトイイ――そう言葉を、ジュニアは繋げる事が出来なかった。
 暖めていた肉体のギアを一気にトップまで引き上げ、全身で激越なリズムを刻んでいく。
 薄手のトレーナーから晒された肉体に刻まれた大小様々な無数の傷痕にも眼が行ったが、何よりも想像以上の屈強な肉体から放たれる存在感と臭い――それをジュニアは感じ取り解ったのだ。

「聞イテルゼ、ボクシングヲ格闘技トシテアレンジシタラシイナ」

 ――既に闘争は始まっている。

「楽シミダ」

 ユラリ――と、言い終わると同時にジャックの身体が揺れた。
 その動きは決して早くは無い。
 しかし、陽炎のような揺らぎを思わせる動きは完全に『入り』の動作を消し去り、滑り(ぬめり)のある巨躯に見合わぬ驚くほど洗練された動きだった。

「ペッ!」

 銜えていた爪楊枝を吐き出すと同時に繰り出されたのは、大きく振り被って放たれた右ストレート。
 体勢を前傾姿勢にして全体重を踏み足に移動させ、腰の回転が完璧に走った打ち下しのソレは『ジョルトブロー』に近い物があり、テレフォンパンチと言われても仕方が無いような攻撃だった。
 しかし、ジャックの右拳は単純に――速く、鋭い。何よりも圧倒的な圧力があった。
 ジュニアの拳が高速で放たれた硬球や鉈ならば、ジャックの拳は速射された大砲の弾丸――常人の格闘家ならば見ただけで戦意が全て吹き飛ばされるような豪腕を前に、ジュニアはバックステップで避けるのではなく、小さく鋭く踏み込み、上半身を奔らせて右拳を唸らせた。
 ゴッ――と、鈍い音がジャックの蟀谷(こめかみ)を打ち当てた右拳から伝わり、ジュニアの身体に響く。
 カウンターで自身のベストショットが完全に入ったと解る重低音を感じながらも、一瞬の気も緩めずバックステップで素早く距離を取る。

「ビューティフル……」

 完璧なタイミングで繰り出したカウンターを喰らった筈のジャックが、視線の先でゆっくりと崩れて膝をつきながらも表情を歪ませた。
 それは苦痛故のものではなく――不敵な笑顔だった。
 ――何て堅さだ。
 ジュニアが感じたのは、太くて重い鉄柱にタイヤを巻き付けた場所を殴ったよう――あまりにも人間を叩いたとは思えない感触だった。
 その事実に僅かに戦慄を覚えながら視線をジャックに向けると、何かを確かめるように、しかし決して淀み無くジャックは立ち上がり、先程と同じ様に滑りのある動きで距離を詰めてきた。
 ――この男はターミネーターか何かなのか。
 そんなつまらないジョークが浮かぶ程に、ジャックに対して得体の知れないモノを感じはしたが、決して恐怖は無かった。

 この時間、この空間、この状況、この闘争。
 そこでジュニアが行う事はただ一つ――いつも通りベストショットで相手を打ち貫くだけだった。

 躊躇無く間合いに踏み込んできたジャックの顔面を、乾坤一擲とばかりに渾身の右ストレートが確実に捉えた。
 それは『絶対王者』と呼ばれるジュニアの友人のデイブですら一撃で必倒するであろう、間違い無く会心のショットだった――が、ぞろりと背を這い伝わって来た『ナニカ』が、逃げろと本能に訴え掛ける。
 それに従って、ジュニアは叩き付けた右拳を素早く畳みながらスウェーバックをすると、同時に鈍い風を裂く音と、その際に生じた生暖かい風が顔の前を通っていく。

 それは確かに技術体系に基づいては居たが、それを感じさせぬ程に『暴力』が全面に叩き出された、地面に擦れるか擦れないかと言う軌道から振り上げられた超低空からのアッパーだった。

 当たれば致死に繋がる脅威――ならば、当たらなければ問題は無い。

 考えるよりも先に肉体が反応して居た。
 ジュニアがスウェーから体勢を戻す反動と、腰の捻りを加えた左ショートフックを下から突き上げるようにジャックの顎先に打ち込む。
 しかし――ぶれない。
 返す刀で鉈を思わせる鋭い右ショートフックを頬に打ち込み、脳を確実に左右に揺らす。
 しかし――揺るがない。
 畳み掛けるように左フックを叩き付けようと思った瞬間、絡み付くような圧力が身体に纏わり付いてくるのを、研ぎ澄まされた肌が敏感に感じ取った。
 ジュニアはその直感を信じ、そのスウェーで状態を大きく反らしながら鋭く後ろへ跳躍を行った。
 顎先を掠めただけで粉砕すると解る程の『ジャンク・ハンマー』の名が示す通り、鉄槌のように振るわれた右ロングフックが、風を食い散らしながら目の前を疾走る(はしる)。

 ――イッタイ……ドウイウ男ナノダッッ!

 軸足のバネを使って蹴り足への体重移動を行い、今までとは違うリズムと角度で右腕を引き絞りながら、ジャブと言うよりはストレートに近い左拳を背筋と腰で奔らせ、幾度と打ちつけているジャックの顔面を貫く。
 
 ――コンナ。

 左ジャブから直に右フックを一呼吸の間に叩き付けた後、バックステップで距離を測る為にジャックとの間合いを僅かに作る。
 作られた間合いは確かにジュニアの間合いだった。
 畳み掛ける――軸足に力を篭めながらそう意識した瞬間、背中に今まで潜んでいた『ナニカ』が水月(みぞ)を喰い破る幻視に襲われた。
 瞬間、ジュニアが意識する前に本能が上半身を倒し、腹部を守るように腕を交差させて強固なクロスガードを作り上げた。

 ――コンナ怪物ヨリ……ッッ!

 最初にジュニアは受けた強烈な衝撃に、両腕と腹筋に穴が開いたかと錯覚した。
 両足が浮きあがり数メートル先の壁に叩き付けられ、呼吸を忘れる程の痛みを与えたものの正体は前蹴りだった。
 痛烈で、速い。何よりも重い。
 太い丸太を唸る程の速度で叩きつけられたようなものであった。

 ――バキ・ハンマハ強イノカ!!!

 二度三度、浅く呼吸をすると一瞬動きを止めていた全身の神経が働きだす。
 僅かな痺れと腹部に深く残る鈍痛はあったが、戦う事に問題は無い。ボックスは違和感無く確りと作れる。
 折れる事の無い闘争の意識をより研ぎ澄ましながら、ジュニアは視線の先で首を左右に動かしながら、追撃する訳でも無くジャックが泰然と立っていた。

 ――ナント巨大(おお)キク。

 ペッ――と口から吐き出された粘着質のある血に混じりながら、一つとして綺麗な形を保つものが無い数本の歯が、コンクリートの上で転がりながら小さく軽い音を奏でた。

 ――ナント重ク……。

 ジャックが間合いを詰める為に、一歩踏み出した。
 だが、その動作はあまりに無造作で怠慢なものであった。
 が、それが逆に不気味な気配を醸し出し『ゆらり』と周りの空間を歪めていた。

 ――ナント強靭(タフ)デ……。

 ジャックの腹筋が膨れ上がったと思った瞬間、ジュニアの身体が瞬時に闘争へと身体が緊張と張り、なにより完璧なリズムが作り出された。

 ――ナント敏捷(ハヤ)ク……。

 不意に――としか表現出来ない程に予備動作が完全に消された滑りのある、しかし今までとは比べ物にならない速度でジャックの巨躯が沈みこんだ。
 ――タックル。
 そう認識した時には、既に身体が迎え撃つ万全の準備が整っていた。

 全局面闘法『モハメド・アライ流拳法』は有象無象のあらゆる攻撃を想定された『格闘技』。
 打(パンチ)、突(ストライク)、蹴(キック)、投(スラム)、極(キャッチ)、そして組(グラップル)――それはタックルに対してもそれは言える事。

 確かに速いが、拳を打ち込む時間は十二分にある。
 ボックスを固めてタックルに対するカウンターで、ジャックの顔面を右ショートアッパーでかち上げ、それによって僅かに空間を作り出し、小さく踏み込む。その際に生まれた瞬発力を篭めてもう一度右アッパーを打ち込む――完璧なダブルを頬に減り込ませた。
 しかし――倒れない。
 顎先ではなく、頚椎を砕くつもりで袈裟切りの様に鋭角からに左拳を叩き付ける。

 ――ナント粘り強く

 僅かに動きが止まった――と思ったその瞬間には、ジャックは軸足で地面を蹴り、驚異的な瞬発力で身体を強引に押し込んできた。
 バックステップで距離を取ろうとする間も無く、伸びてきた両腕で腰をクラッチされていた。
 それは今までに味わった事の無い、異質の感覚だった。
 万力のようにきつく締められる事は経験をした事はあったが、分厚く硬いゴムを限界までに引き伸ばして絡み付かれるような感触。

 その感覚にも驚いたが、それ以上の衝撃を受けてジュニアの顔に驚愕の色がありありと浮かんだ。
 全局面対応型闘争術――その言葉に偽りは無かった。
 その事実をジュニアも信じている。
 が、確実に脳を揺さぶっているベストショットを3発も食らっても倒れない人間を想定して居なかった。
 見誤っていた。
 完璧に見誤っていた。
 
 ニィ――と、鼻と口から僅かに血を垂らしながら、顔を腹部に密着させているジャックが壮絶な笑みを浮かべたのが視界の隅で見えた。その瞬間に世界が反転した。
 そこからの展開は一瞬だった。
 担ぎながら走っている、ジュニアが自覚した次の瞬間には、鋭利な角度で頬から地面に叩き付けられていた。
 
 どのように叩きつけられたのか、それを知覚出来ない程に、考えられない程に全身が――特に首と背中に響く、内側に残り続けるひどい鈍痛を感じた。
 背中を強打した事によって五臓六腑余す事無く痺れ、呼吸が上手く出来ないままであったが、頭だけが妙に冷静だった。
 立たなければ――蹲っていた身体に意思を篭めるが、肉体が言う事を聞かない。
 いや、自分の肉体も同じ不屈の想いを抱いていた。
 単純に、それらを凌駕する程に肉体の損傷が上回っていただけだった。

「……ッッ」

 揺れ動く世界の中、痺れの残る身体を無理矢理動かし、何とか上半身だけ起き上げると、視線の先に悠然と迫り来るジャックの姿がぶれながらも見えた。
 頭を強打した為に脳震盪も起こしているのか、世界が歪な形で蠢く。

 ――シカモコノ男ハ……

 ジュニアの思考は混濁していた事もあり、判断力に欠けたまま気が付けば、見詰めている余りに自然と身体が無防備の状態で仰向けになっていた。
 それが、決定的だった。

 ――ソレホドノ潜在能力(ポテンシャル)ヲ持チナガラ。
 
 ガコッ――と、如何なる人体を叩いても出る事が無い音が地下に響いた。
 その音は杭を突き刺すように垂直に振り下ろされた拳が、ジュニアの顔面を叩き潰した際、衝撃が地面に伝わりアスファルトを陥没させた音だった。
 致命的に判断が間違っていたのだ――僅かに顔を上げていた為に、ジュニアの顔とアスファルトの間に空間を作った、と言う事が。
 空手の試し割りの際、時々使われるトリック――試し割りの対象となる石と、鉄床の間に若干空間を作り叩くと、その衝撃を速度に変えて石が鉄床にぶつかり、結果として石が割る事が出来る――をジュニアと言う人体を対象に使われたのである。
 それもジャックの強大な拳と、アスファルトを用いて。

 ジュニアの視界に口から零れた血飛沫が舞うのが見えたが、それを認識する前に再度顔面を殴られた。
 如何殴られたのかは解らなかったが、無防備な顔面が跳ね上がる程に拳を叩きつけられ、柔らかい床の上で跳ねたバスケットボールのように小さくバウンドをし、気が付けばジュニアの顔が天井を向いていた。

 ――執拗デ……。

 混濁する思考の中、朦朧とする視界に映ったのは靴底だった。
 それを視覚した瞬間に、メキャ――と、白く染まっていく意識の向こうで聞いてはいけないと本能的に思わせる異音が脳髄に鈍く響いた。
 また同時に、ペギッ――と奇妙で不愉快な乾いた音も聞こえてきた。
 大方、鼻骨が折れたか剥がれた音だろう。

 単純に踏み付ける――その行為の何たる危険な事か。
 技術も殆ど要らず、誰でも速度と体重を乗せられると言う点において、金的に並ぶ必殺性の高い破壊力を持つ。
 それを手加減と言う言葉を知らない渾身の力で踏み付けられたのだ。
 常人ならば既に脳味噌と頭蓋骨を撒き散らしながら絶滅をしている。

 既にジャックの意識は曖昧模糊となり、深海で光を求めて漂うよりもあやふやな感覚の中、何かを言いたかった訳では無いがジュニアは僅かに唇を動かした。
 その瞬間、覗き込んでいたジャックが渾身の力で再度顔面を踏みつけた。

 ――ソシテ完璧主義者……。



 頬骨が砕ける音と同時にジュニアの深海へ沈んで行った。






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