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 蛇なる生き物を御存知だろうか。
 光沢を放つ鱗を全身に纏い、四肢は退化し無く、故に全身の筋肉をうねらせ腹で蛇行、横這い、直進など奇々怪々たる様々な動きをし、いかような足場を縦横無尽に駆け回る、神出鬼没の奴の事である。種類によって大きさや生息場所は違うが、大概同じ姿見をしている。
 別に『爬虫綱有鱗目ヘビ亜目であり云々』等と言う蛇の正式名称を尋ねている訳ではない。そのように咄嗟に答える事が出来る程の人物の話ならば是非とも拝聴したいが、それはいつかの機会に縁が在れば願いたい所存だ。
 今は私の話を聞いて頂きたい。
 奴と私の間には、幼い頃から細いながらも縁が繋がっていた。
 当時、私は岩手県盛岡市の市街から二駅ほど離れた場所に住んでいた。
 話をするにあたって、岩手県の県庁所在地である盛岡がつい最近三十万都市になった事や、私の住んでいた場所の事細かい説明は飽きられるだろうし、興味無かろうから本題だけを伝えさせて頂く。
 私が住んでいた場所は、車があれば住む分には大抵の物は揃うが、近場のコンビニでも自転車で十分程度掛かると言う利便性に掛ける、そんな町と村の中間程度に栄えた所だった。家は駅に近かった事もあり、ある程度は建物が密集している場所に建てられていたが、それでも家の前には道路を挟んで小学校の校庭程ある大きな田んぼが広がっていた。
 その田んぼも、今や当年とって二十と一になる私には「夏場に寝入る際、窓を開けて寝ようとしたものならば、蛙達の声が乱れに乱れる不協和音を聞かされて寝るに寝れず辛い」程度の発想しか無いのだが、子供と言うのはだっだ広いと言うだけで、何でも遊び場に変えてしてしまうと言う魔法を持つ。
 その例に漏れず、私も田んぼを友人達と四季を通して興奮した小猿の如く全身を使って動きに動き、暴れに暴れ、遊びに遊び、これでもかと言う程に有効活用した。
 そんな小猿達のはしゃぎっぷりに母親達は服の汚れに顔をしかめる程度で大抵は微笑を浮かべていたが、春から秋に掛けては私の母親を含め他の両親も田んぼを使って遊ぶのを良い顔をしなかった。なぜならその時期には冬の間は養生していた蛇が、また身体の頭の先から尻尾の先までを存分に動かしたい発作に駆られて、良く出没するからである。
 とは言え、好奇心の塊に手足がくっ付いたような幼い私達は遊ぶ事を決して止めなかった。むしろそう言った危険な要素が加わる事によって、遊ぶことに対して一層の熱が篭っていたと言わざるを得ない。学生恋愛を厳しく取り締まる学校で在れば在るほど、恋愛に燃え上がる莫迦どもが増えるのと同じ理屈だと思って頂ければ分かり易かろう。
 もっとも、それは冬眠から覚めたばかりの蛇からすれば迷惑千万。溜まったものでは無かったであろう。
 何せ、久方ぶりに外の空気を吸いに穴から出れば、小猿達が寄って集って自分を指差し喚き散し、急に尻尾をグワシと怒りを込められる様に握り締められる。そして抵抗する間も無く、そのまま旧聖書に登場する、巨人戦士へ立ち向かうダビデ少年の投石ヒモの様に、田んぼへと大きな弧を描いて投げられるのだからその恐怖は推して知るべし。
 別に憎かったわけではない。ただ、そうする事が意味も無く愉快だったのだ。
 そんな事をしながら私は愉快痛快に過ごしていたが、年を重ねると遊びの幅も広がり、気が付けば外で遊ぶよりも家の中で遊ぶ事が多くなっていた。小学六年生になる頃には、テレビに映る探検団と戦う大蛇を見て、そう言えばと思い出す程度にしかならなくなっていた。
 普通であれば私たちは彼らとの長い戦いの歴史は、時と共に緩やかに幕が下りているのだが、何の間違いなのか当時の友人達とは縁が切れていると言うのに、私と奴の間には未だに確りと縁が結ばれている。結ばれているとか、そう言うレベルでは無い、既に雁字搦めだ。
 知恵の輪の上に知恵の輪を重ねて、それを万力で四方八方から歪ませた位に複雑に絡み合った縁が結ばされてしまったのだ。
 それと同時に、本人の意図せぬ所で運命の糸も、闇の隙間から伸びたる様々な糸を巻き込み絡まり、そのまま転がって行ってしまった。

 中学一年の夏。
 あの――どう言い逃れをしても喜劇にしかなり得ぬ事件の紆余曲折の末、私の背中に、常人には見えぬ蛇が居候している。
 かれこれ七年程、家賃を滞納されているが取立ては如何したものだろうか。

 

                      ∞   ∞



 自分、縫原惣一(ぬいばらそういち)は、人間関係以外の事では、大抵は物怖じしない男だと言う自負があった。
 人であるので時には道を踏み外したり、ただでさえ狭苦しい背中に猫を一匹飼ったりもするが、概ねそうだったと思う。
 母子家庭と言う環境にも、大学受験の失敗の時にも、母親が再婚して宮城に嫁ぐと言う話を聞いた時も、自分では心と背筋を真っ直ぐに伸ばして、ありのままをありのままと受け止めて来たつもりだった。

「テレビに映ってるのって、ヌイさんが今度から勤める会社じゃないっすか?」

 だが、このルームシェア相手である『後輩』兼『相棒』兼『友人』である一歳下の坂下は呟いた、不意の一言に私は動揺を隠せなかった。
 口元まで持っていた味噌汁で眼鏡が曇っているのすら気にせず、ただ呆然とテレビの画面を食い入るように見ていた。あまりの衝撃に体と魂にずれが生じていた私は、友人の言葉にとっさに言い返す事が出来きず「かも、しれん」とだけ呟き、味噌汁を机に置きながら席を立ち、テレビの目の前まで近寄った。
 画面の向こう側では、岩手県内のニュースを伝える番組のレポーターが、一棟半焼と二棟に軽度の被害を出した火事場の映像と実況が流れていた。
 映像が違うカメラに切り替わり、消火活動が一段落つきそうな半焼した建物を遠くから映し出す。何度か足を運んだ事しかないが、見覚えのある風景だ。
 勘弁してくれ。
 そう思っている私に追い討ちを掛けるように「(有)北來堂(ほくらいどう)――云々」と聞き覚えのある――いや、これから聞き覚えさせる側に立つ筈だった社名を、私の代わりにレポーターが現場状況と一緒に説明していた。

「……」

 衝撃だった。現実感が全く無いと言うのに「何かが大切なを奪っていく」と叫びながら心臓は暴れまわっている。
 私の新天地での生活を華々しいものとする為の階段を、完膚なきまでに絨毯爆撃された気分だった。
 項垂れて(うなだれて)現実を将来的には規制されそうな言葉で罵倒するなり、テレビは流石に高価なので代わりにリモコンを拳で叩き潰すなり、その阿鼻叫喚の心境を如何様にも全身全霊を持って表現出来たが、私はそれをしなかった。
 と言うより出来なかった、と言った方が正しい。驚愕を通り越したらしく、生み出される表現方法に関する案件の情報量と、現実を受け入れると言う作業に押し潰されてたのだ。動揺のし過ぎで具合すら悪くなってきた。
 なので、私はただ小さく呻いて、両腕を組み、眉根を寄せて、ゆっくりと元の席に座る事しか出来なかった。
 そして少しでも落ち着く為に深呼吸をする。鼻からゆっくりと息を吸って、それを一度丹田に溜める。その後、全身から悪い物を丹田に集めて空気と一緒に口からゆっくりと吐き出す。

「すぅ……はぁ――」

 三度、時間を掛けてこなすと僅かだが余裕が出来た。

「――ヌイさん」

 恐る恐る、悪い言い方だが腫れ物を触る様に坂下が私に声を掛ける。
 右掌をゆっくりと坂下に向けて、先程のニュースを思い出す。
 何度思い出しても記憶は変わらず、改竄も許されず、目を逸らせぬ現実と言う大きな猫が、ずしりと背中に乗り掛かってくる。

「―――坂下、如何やら北上に着てから早々に職を失ってしまったようだよ」

 私は出来るだけ相手に不快を与えぬよう、言葉を唾棄するような物言いにならぬように気を付けながら、ゆっくりと、はっきりと、言葉の起伏無く話した。

「あぁ、やっぱりヌイさんの就職先……でしたか?」
「面接の時を含めて二度三度しか足を運んでないが、間違い無いだろう。喋っていた社名も同名だったしな」
「そうっすか。如何します、一応の為に電話をして確認しますか?」

 坂下はニュースを見る前と同じように話掛けてくる。高校のボクシング部の先輩後輩の長い付き合いなので、気を遣われると、私が余計に落ち込むのを心得ているのだろう。

「いや、良い。それに例え繋がったとしても、社員を雇う云々の話ではないだろうて。気を遣わせて済まんな」

 本来であれば、火事が発生したかという事実の有無を確認せねばならないのかも知れないが、今はそこまでの気力が無い。もしも先程のニュースが見間違いであるなら、明日にでも直接足を運んで確かめれば良い。仕事は明後日からなので問題は無かろう。そう言って自分を納得させる。
 本音を言えば、電話をして現実を確認してまた打ちのめされるのも、繋がり半焼した会社を建て直すことになっても、どちらも具合が宜しくないので辞退したいと言うのが正直な所だ。
 どちらかと言えば善人である私とは言え、精神的余裕が貧困している状況で厄介事に突っ込んでいく気は無い。むしろ誰か、私に何かを。出来れば愛を渇望する。

「しかし、こう言っちゃ何ですが、全然驚いてないっすね」
「その発言は誤りだ。驚き過ぎて表情を作り忘れていたのさ。内心は、八大地獄を上へ下へと這いずり回っていたさ」
「ヌイさん、同じ様な事を毎回言ってません?」

 坂下は苦笑を浮かべると、ただでさえ人の良さそうな童顔で柔和な顔立ちが、いっそう人が良さ気オーラがにじみ出てくる。軽く後光が差して良そうなぐらいだ。

「確かに私は表情に出難い、それは認めよう」

 その柔和な顔立ちに対して、私は生温くなった味噌汁を一口だけ飲んだ後、憮然した顔立ちで言った。確かに、表情を作るのが苦手だ。無表情と言う訳では決して無いが、そう言う自覚はある。
 だが、これには理由が幾つか在るのだ。
 自分でも難儀なものだと思うのだが、表情を作る際に頭が先に物事を色々と考えてしまい、そのせいで間を外した私は眉根に皺を寄せるだけで終わってしまう。
 後は顔も悪い。不細工と言う意味では無い。間違っても美形では無い。
 顔の造詣に関する良し悪しの判断は相手の好みだとは思うが、鏡に映る私の顔は普段から仏頂面と言われても仕方が無い様な輪郭と部品で構成されている。
 普通に開けていても瞑っているように間違われる糸目と、小学生が鉛筆で描いたような角ばった長方形フレームの眼鏡という組み合わせが、より一層強調しているように感じる。
 小学校高学年辺りから他人の、特に女性の視線に気を使うようになってから、笑顔の似合う男を目指して励んでみたが、幾ら頑張っても、善人を装いながら悪事を企んでいるようにしか見えず断念した。
 計四枚、金額1万2千程度。これは断念するまでに鏡が悪いと足掻き、買い換えた鏡の数と金額である。おかげで、服装にだけは気を使うようになったのが良い傾向では在る。

「しかし『毎回』と言う言葉は頂けん。そうそう今回の様な事があって堪るか」
「まぁ、今回の事は大事過ぎましたからね――それにしたって、北上に来てからヌイさんは妙に厄介事に絡まれますね」
「ああ、全くだ。勘弁願いたい」

 そう言って天を仰いで大きく肩を竦めた。
 北上に――何故、北上に自分は居るのだろうか。そして何処へ帰っていくのだろうか。
 哲学的な事を少しばかり付け足しても、ここに居る理由は何ら変わらない。
 自分が北上に居る理由も変わらない。
 全ての現況は、三ツ岩の嬢が発端に他ならないだろう――脳裏に映るあの時の笑顔を思い出し、結局の所は自分が騙されたのが悪かったのだと、あの時の光景を思い出す。





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