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けしからん、ふたり
 
 これは、僕の日常を書いた日記であり小説です。
 何処かに公表するつもりも、誰かに見せるつもりもありません。
 読むであろう唯一の人間、未来の僕だけに向けて書かれた物です。
 何かが合った時にでも見て、そして、その度に噛み締めて下さい。
 この世の不条理と不公平と不平不満――何より、僕は如何しようもない位に病に侵されていると言う自覚と事実。
 読み返すたびに、きっと、幸せになれる筈です。

 敬具:僕より





 一世一代の大勝負――と言うと些か大袈裟な気がします。
 それに、その使い古された文句は去年の夏に使い切ってしまいましたので、この場合は如何言う言葉が適切なのでしょうか。
 僕は黙々と勉強をしている振りをしながらそんな事を考えていました。
 実に不毛で如何でも良い考えではありますが、何かの受験然り、何かの試合然り、大きな事を後に控えていると落ち着かなくなってしまうのは、僕だけではないと思います。
 何かを考えていないと気持ちが落ち着かない。本当に落ち着かないのです。
 これから僕は、人によっては大した事では無いかも知れないけれど、僕が冷静に対処出来る受容力の範囲から少しだけはみ出してしまう事を行おうとしています。

 ――僕は、これから、恋人の名前を、呼び捨てしようと、思っています。
 句読点を不用意な所に入れてしまう位に僕自身の動揺が解りました。
 


                    『けしからん、ふたり』



 僕の恋人の名前は『小松乙女(こまつおとめ)』さんと言う一つ年上の女性です。
 名前は由来は、両親の思い出の場所の一つが上野公園と言う事もあり、特に印象的だった淡い紅色の桜『コマツオトメ』から頂いたようです。
 苗字が偶然の一致だったと言うのもあるのでしょうけど、実に浪漫溢れる話だと僕は毎回しみじみと思ってしまいます。
 ちなみに、男の子ならば『彰仁(あきひと)』とする予定だったようで、もちろん由来は上野公園に建てられて居る、威厳ある姿で馬に乗られている『小松宮彰仁親王銅像』です。
 男ならば乙女の反対の『漢(かん)』だろう!――と、父親さんの方が言い張られたようなのですが、母親さんに鮮やかな紅葉を頬に頂いて言い張るのを止めたとか、止めなかったとか。
 
 今の所一度も面識は無く、当分は出会う予定も無いのですが、機会が在れば僕は父親さんに一言だけ言いたいと思っています――随分と先見の眼が在られる様で、と。
 乙女さんと多少の面識が在るならば、大概の人は僕の意見に賛同してくれるでしょう。
 『名は体を表わす』と昔から言われていますが、乙女さんだけは真逆と言えば良いのか――『乙女』と言う言葉通りの性格を

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

 と言うなら、乙女さんの性格は「立てば爆薬、座ればボカン」――言うのは流石に冗談ですが

「立てば凛々しく、座れば豪胆、歩く姿は姐御の背中」

 と言えば良いでしょうか。
 全く花の例えもへったくれも無いかも知れないですが、文章として見ると嘘偽り無い事実だと言っても過言では無いでしょう。
 性格の一部に欠陥が在ると言う点を除けば――思わず『姐御』と呼びたくなるような、172cm前後の僕よりも高い身長を誇り、凛々しい眉に、威勢のいい少しだけかすれた声と、妙な愛嬌のある粗暴な口調が特徴的な、とても凛々しい女性です。
 とは言え、『豊作じゃー!』と思わず叫びたくなる程にたわわに実った女性特有の二つの膨らみを突き付けられたら、心情的な意味でも、物理的な意味でも何も言えなくなってしまいますが――。
 それらを備えた敢然とした佇まいで、肩に掛かる程度の黒髪を掻き揚げながら、台本を片手に舞台の上を闊歩する高校二年生の乙女さんに、新入生の為の部活発表会で見惚れていたのが、当時高校一年生の僕。
 そしてふと気が付けば、大して興味も無かった演劇部に入っていたのが、二人の出会いの切っ掛けでした。
 その後、部活の範囲ではありますが、二人とも熱心に活動をして、学園外でも遊ぶ仲になり、あれよあれよと言う間に先輩は卒業しました。
 先輩は会おうとしなければ会えない、少し遠い大学に進学をして、アパートを借りて一人暮らしを始めましたが、頻繁に――とは言いませんが、時々ですが連絡を取って縁は切れずに繋がっていました。
 僕が大学受験に入る頃も電話で先輩と連絡を取りながら云々、勉強をして先輩と同じ大学に入学し云々、大学生活を二人で楽しみながら云々、山あり谷あり海あり波乱ありの幾多の思い出を重ね云々――と、わざわざ『森見登美彦』さん風に語る程の事が在った訳ではありませんが、去年の夏に告白をして晴れて恋人同士になりました云々。
 それが、現在大学二年目の僕と、現在大学三年目の乙女さんの馴れ初めとなる訳です。
 うんうん。

                     ∞       ∞

「おい、おーい?」
「は、はいッ!?」

 思考を色々と走らせていた僕は、急に声を掛けられたので手綱を思い切り引っ張ってしまい、思わず上擦った声で返事をしてしまいました。

「……何をそんなに驚いてんだよ?」

 眉根を僅かに寄せながら、けれども面白そうに笑いながら乙女さんは尋ねてきました。

「あ、いや……ちょっとだけ『ぼぉー』としていました」

 乙女さんの事を呼び捨てにしようとして気が動転していましたとも、現実逃避をするように二人の馴れ初めを思い出していましたとも言えずに、僕は苦笑を浮かべながら無難な嘘を吐きました。
 こんな時にわざわざ本当の事を言う馬鹿は居ません。
 しかも相手が乙女さんならば尚の事。
 本当の事を言ったなら、獲物を見つけた肉食獣と錯覚する表情を浮かべながら、僕に対して恥辱の限りを尽くした言葉を巧みに操り、精神が内部崩壊を起こすまで弄り回すのは目に見えています。
 鴨が葱を背負って――と言う例えを出すまでも無く、僕は羞恥に打ち震え、沸騰した血液で手間入らずの煮込み料理が完成です。
 その現実を解った上で、もしも正直に言う人が居るならば、きっとその人は布団の変わりに荒縄で縛られないと安心して寝むれないような重度の変態か、左耳から入れた水が右耳から浄水になって出て来るような奇特な人間です。
 または変態でかつ奇特な人間な筈です。

「『ぼぉー』……って、何だよ。一生懸命に考えってから気ぃ使ってたのによ」
「は、ははは……未だにレポートは馴れないもので……」
「いや――私が思うに、そいつは馴れ云々の問題じゃないな」
「と言いますと?」
「そいつはきっと頭を使い過ぎて脳の動きが鈍ってんだ、どれ、お姉さんが治してやるからこっちに来い」

 そう言って、先輩は自分の隣をポンポンと叩く動作を行った――と思います。
 何故、行ったと明言出来ないかと言うと、単純に腕の動きしか見れないからです。
 僕と乙女さんは、僕の部屋に在る大きめのコタツに向かい合いながら入っているので、コタツ布団が邪魔で見え無かったのです。
 コタツ布団が無くても、先輩の目の前に置いてある蜜柑(みかん)が山盛りで入っている籠と、山積みになっている漫画本などが邪魔で見る事が出来ないとは思いますが。
 コタツから片時も離れないと言う意思を見せ付ける完全武装――と、僕も他人事のようには言えません。
 身を持って冬場のコタツは魔性の魅力を秘めていると言う事を、現在進行形で乙女さんと共に実感している最中です。
 下半身をコタツに入れて生活している姿は、さながらヤドカリ辺りでしょう。

「え、いや、もう少しレポートを進めておきたいんで」

 僕は眠れる獅子を起こしてしまうような真似はせず、刺激を与えないようにやんわりと断りました。
 それに、二人で使う分には余裕のある大きさのコタツとは言え、二人で並んで入るには少々手狭です。そしたら行動的にも、精神的にも勉強する環境としては宜しくありません。
 無理に動いたりでもしたら、色々な部分が密着してますます――それこそ色んな部分に血が上りそうなのです。正しい意味で。

「いやいや、そのままじゃ効率が悪いから――黙ってこっちに来て抱き締めさせろ」

 脅し文句というよりは、殺し文句。
 直球過ぎて僕の反応速度ではまともに受け取る事が出来ず、甘過ぎて僕はすんなりと言葉を飲み込む事が出来ません。
 ――色々と表現を変えて見ましたが結局の所、苦手なのです。僕には乙女さんの飾らない素直な言葉は少々毒で、感情を持て余してすぐに赤面してしまいます。
 今まで男女交際と言うものを経験して来なかったと言う事も在るのでしょうが、恋人から那須与一の矢のように放たれる好意は如何にも照れてしいます。
 そして放たれた言葉に僕の理性が殺されて、甘い誘惑に屈しそうになります。
 とは言え屈したら最後、勉強どころか、僕の目的すら達成出来ずに終わりそうな予感がするので、鋼の意思を持って僕はぎりぎり踏み止まりました。

「えっと……乙女さん。アレです――もう少しレポートを進めておきたいので」
「んなの、後で良いってば。何なら私が後で手伝ってあげるから、こっち来てイチャつこうぜ」

 いつも思うのですが何でこの人は、そんな台詞を惚れ惚れする位に真剣な表情で言えるのでしょうか。
 画像と音声のずれ具合がエコノミークラスです。
 元々は――こんな性格の人では無かったのですけど。
 根本的な部分は変わっていないのは間違い無いのですが、姉御肌で何事にも全力投球で――いや、今の乙女さんは僕を駄目にさせようと全力と言うか、臨界点突破の勢いなのでそれも間違いでは無いのですが。
 ただ、もっと男らしく、凛々しく、朗々とした性格の――例えるなら老舗の名店で作られる、天ぷらのようにサラッとして、カラッとした性格な――自分で考えていて解らなくなってきました。良い感じに僕の血液が、脳まで酸素を運んでいないようです。
 兎も角、恋人になってから新たな一面を見た、と言う台詞の範疇では収まらない気がする程に、ベクトルの突き抜け方が違うのです。

「何、顔を顰めてんだよ。アレだ、糖分が足りないんだな。疲れた頭には糖分を取るのが一番だ、こっちで一緒に甘い蜜柑を剥いて食べようぜ」

 先輩は、僕の場所からでは身を乗り出さないと届かない距離に在る、目の前の籠の中から蜜柑を一つだけ取り出し、ハンバーグに空気を送るように両手の短い間隔の間でキャッチボールを始めました。
 少し手間ではあるけれど、そうする事によって蜜柑に刺激が加わり甘くなるのです。

「……別に、疲れたから眉を顰めている訳ではないんですが……」

 ちょっとした気遣いなのかも知れないですが、僕は別に疲れているから眉根を寄せていた訳では無いのですよ。

「理由なんて如何でも良いんだよ、こっちに引きずり込む口実なんだから」
「――――」

 僕がそう言う事に弱いと言うのを承知の上で、言って来ているに違いありません。
 明らかに確信犯です――不敵で妙に憎々しい笑みを、楽しそうに浮かべているのが動かざる証拠です。事実の立証には十分でしょう。

「ほら、綺麗に筋まで取ってやったぞ。今なら食べさせてやるだけじゃなく、なんと剥いた蜜柑を私に食べさせても良いと言う権利も付けてやろう」

 ――僕の頭の中で、全力で甘えてくる大柄なシベリアンハスキーの構図が浮かんでいます。甘えながらも、完全に相手の勢いに負けて振り回されている主人も一緒にです。
 もちろん僕がハスキーを『飼わせて頂かせている』主人で、乙女さんが主人を『飼われてやっている』ハスキーです。
 なるほど、そうか――付き合ってから、何が変わったのかが解りました。
 自分を貶める事すら厭わずに、僕をからかう事に全力で心血を注ぐ姿勢は昔から変わりませんが、その中に『甘え』が在るのです。
 それは別に、甘やかすと言う意味の『尽くすタイプ』と言う訳ではありません。
 その言葉は語弊があります。
 何と言えば良いのでしょう――自分が甘えると言う行為、または好意を見せつつ、高度な技術で巧妙に思惑を隠蔽しながら本当は、相手をとことん甘やかして――そう、相手を生温い御湯の中に浸け込んで駄目にする感じでしょうか。
 あぁ――思い出しました。
 先輩が付き合う前に言っていた言葉を。
 自分は依存する人間だと。また、こうも言っていました。
 ――けれども自分から依存するのは性分では無いので、相手を駄目にする事で自分に『先に依存させる』事で安心感を得るタイプだ、と。

 そして、それを解ってやっている、と。

 実に性質が悪い。
 例えるなら、甘い言葉に誘われて近付くと、そのまま海底まで引きずり込んで婚姻届にサインを書かせて、2LDKの愛の巣で二人仲良く幸せな生活を送るセイレーンのようなものでしょう。
 ――いや、それだと存外に良い夫婦と家庭を築いているじゃないですか。
 駄目です。
 混乱と緊張と羞恥と、その他諸々が転がって混然一体としている坩堝に叩き込まれている今の僕には、言葉を巧みに操る事は出来そうにありません。
 ハーフタイムを、僕は自分自身に対してハーフタイムを申請します。

「ちょ、あの……も、もう少しでレポートがまとまりますから、もう少しだけ待って下さい」
「こんなに誘っても駄目なのかよ……ちぇ、解ったよ。終わるまで我慢するよ。私は何てたって物分りの言い女ですからねー」

 そう言いながらも、軽く僕を蹴ってきます。
 ここで何か反応をすれば、絡め手でずるずると引き摺られるのは火を見るより明らかです。反応しないのが吉だと長年の付き合いから理解しているので、シャーペンを構えてノートを睨みつける振りをします。
 それに、乙女さんも本気で蹴っている訳では無いので痛くありませんので、そのまま放置をしながら勉強に集中する振りを見せ続けると、一度だけ小さく拗ねた様な舌打ちをしてから、読みかけの漫画本に戻りました。

「――――」
「――――」

 二人の間に沈黙が流れているのが解ります。
 普段ならば何も感じない自然な空気ですが、今の僕には無音と言う音と、鼓動が共鳴しあって、乙女さんに聞こえるんじゃないかと気が気じゃない程に、心臓が大きな音を叩き出しています。
 ノートに視線を移すと、僕が書いたらしいミミズがのた打ち回ったような象形文字達が、焦燥感を煽るように訳の解らない踊りをしている――そんな幻覚まで見えてきました。
 落ち着け。
 落ち着くんです。
 タイミング――タイミングを待つのです。
 なるべく深く呼吸を繰り返しながら、自分に言い聞かせます。

「ん――ぅん」

 漫画本がひと段落着いたのか読むのを中断して、乙女さんが蜜柑に手を伸ばそうとしました。

「あの」
「ん?」

 落ち着け、落ち着くのです、僕。
 何気無く、何気無く言えばいいのです。
 そうだ、落ち着くんです。
 死闘滅却すれば火もまた涼しい。
 明鏡止水は盆に反らず。
 祇園精舎の鐘は無い。

「乙女、そこの蜜柑を取ってもらっていいですか?」

 言い切った――と心の中で僕は拳を天高らかに突き上げました。
 我が言葉ながら、あまりに自然過ぎて驚きを隠せません。

「了、御安い御用さね――ん?」
 
 蜜柑へと手を伸ばした乙女さんの手が止まります。
 妙な空気の残る間を置いてから――僕は、心の中で突き上げていた拳をゆっくりと下ろしながら、心の隅で小さく体育座りです。
 あぁ――見たくありません。見たくありません。
 乙女さんの顔を見たくありません。
 片眉を上げながら、眼を細め、髪をゆっくりと掻き分けて、所謂『チェシャーの猫の様ににやにや笑う』と言う表情を浮かべている顔なんて見たくありません。
 出来る事ならば、気が狂った友人がシルクハットと靴下、そしてネクタイだけの全裸姿で窓を蹴り破り「私は毛頭逆らう気は御座いません!」と叫びながら登場して、この状況と空気を完膚なきまでに粉砕してくれないでしょうか。

「ほほぅ」
「……蜜柑を取ってください」

 付け入る隙を与えては駄目だと、平静を装うとしてみますが、搾りかすのような小さな声が喉から零れただけで、自分でも装えていないのが一目瞭然です。

「ははぁん?」
「……」

 ばれています。
 完全にばれています。
 いや、ばれている何て話じゃないです。
 これは現在進行形の羞恥プレイと言っても過言では無いでしょう。
 恥かしくなって僕は俯いてしまいました。
 余裕の無い僕には、自分で書いたらしいミミズがのた打ち回ったような文字でさえ、憎々しい上に腹立たしく見えてしまいます。
 顔を見ない為に俯いたと言うのに、こちらを凄く良い笑顔を浮かべながら見ているのが場の空気で解ります。
 その空気に耐え切れず、少しだけ身を乗り出して自分で蜜柑を取ろうとするが、ミカンの感触がありません。
 伏せ眼がちに見ると、僅かに場所が遠退いています。
 何て事だ――こちらの行動を呼んで、手前に引き寄せたのですか。

「ん〜、そんなに手を伸ばして如何したんだい?」
「……蜜柑を下さい」
「え、何だって?良く解らないから、お姉さんにもう一度言って御覧よ?」
「……蜜柑を、下さい」
「NON、NONNON。違うだろ?そうじゃないだろ?」
「――くッ」
「ふ、ふふふん――なぁ、坊や?子供じゃないんだ、ましてや短い付き合いでも無いし解るだろ?私が、何て、言って、欲しいか、解る、だろ?」

 言葉を強調するように単語で一言一言を区切りながら、ジャブを積み重ねるように言ってきます。そんな事をしなくても、僕はもう息も絶え絶えのグロッキーですよ。

「それとも何かい?もう言って下さるには、私も同じように何か言わないといけないのかい?」
「……――――」
「なぁ、何が良い?呼び捨てが良いか?それとも、御主人様?マニアックに旦那様とでも呼んでやろうか?」
「――」
「何なら、語尾に『きゅん』だろうが『にゃん』だろうが付けても良いんだぞ?いっその事『私は意地汚い牝犬です』って語尾に付けてやろうか?うん?」

 ――最悪です。絶望です。エルム街の悪夢です。
 きっと乙女さんは、生まれてくる際に構造(性格)上の欠陥があったに違いないと確信しました。
 自分を扱き下ろして追い詰めているように見せ掛けて、いつも以上に鋭い切り口で僕の事を羞恥のどん底に叩き落すつもりなのがはっきりと解ります。
 ここで屈して呼び捨てで呼べば、喜々としながら語尾を『私は意地汚い牝犬』ですと言ってくるのでしょう。もしかしたら、それ以上に卑猥な言葉を重ねてくる可能性があります。僕の事を陥れる為なら、自分自身に誹謗中傷を浴びせて卑下するのを厭わない精神はどうか勘弁して頂きたいと、ほとほと思います。
 このままでは時計の長針が一つ刻むよりも早く状況が悪化していき、羞恥心が如何のと言う以前に、男として大事な物を多く失ってしまいます。
 いや――もうココまで来たならば如何でも宜しい。
 逆切れです。
 ええ、逆切れですとも。
 そこまでするならば、こちらにも考えがあります。

「――良いです」
「ん?」
「蜜柑は要らないですから。僕は勉強に戻ります」

 対乙女さん用最終兵器――何事も無かった戦法。通称『逆切れ』です。
 人間として最悪な戦法ではありますが、将来規制されてもおかしくない言葉を語尾に付けられて、発狂するまで弄ばれるよりは正直マシです。

「ちょ、おいおい、それは無いだろ?」
「そうですね、何も無いのですから、何事も無いのです」
「……お前、そうやってノラリクラリかわして、有耶無耶にするつもりだろ?」
「勉強に集中するので邪魔しないで下さい」
「――」
「■■――ッ!?」

 急に走った太腿の激痛に、声にならない声をあげながらシャーペンを握り締めました。
 思いっ切り足を蹴りやがりました。

「ぼ、暴力反対ッ!!」
「うっさい!私の心の傷はもっと深く傷付いているんだよッ!!」
「嘘ですッ!!」
「今の言葉でまた傷付いた、傷付いたぞ。そいつはアレだな、言葉の暴力だな?だからこれはか弱い乙女の正当防衛と言ってもなりたつよな?」
「それは詭べっ!?」
「ほらほら、如何だ?私の名前を呼ぶ気になったか?」
「そ、そんな絡め手に切り替えるなんて!?」
「ふふん、どーだぁ?ここでこう捻りを加えると――」
「ちょ、まって……」



 その後は御想像の通り勉強所では無くなり、ご近所様の迷惑も考えずに騒ぎ立てながら、僕の部屋で起こった一日戦争は終わりました。
 結果としては『乙女』と呼ぶ事が出来ましたので、勝負に勝って試合に負けた――と思われるかも知れないが、その実は違います。



 結果は僕の全面敗北――勝負にも負けて、試合でも負けました。
 虐めと言う名の延長戦により決着。
 決め手は『さん付け』を土俵外への押し出しによる、『呼び捨て』の一本化が決まり手です。
 僕が得たものは、乙女さんを呼び捨て出来る権利と、その後に与えられた色々な意味で御婿に行けなくなるような、悪行三昧の仕打ちにより刻まれた恥辱の数々でした。

 ぎゃふん。





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